博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『延禧攻略』その1

2019年06月25日 | 中国歴史ドラマ
『延禧攻略』第1~5話まで見ました。既に『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』のタイトルで日本語化されていますが、中文版の方を見ていきます。プロデューサーはお馴染み于正。今回は直接脚本を書いてはいないようですが、編審(脚本監修?)と芸術総監を兼ねています。中国では昨年かなり好評を博したとのことですが、今年に入って出された宮廷物テレビ放映禁止令でこの作品が槍玉に挙げられ、政治的な意味でも話題作となってしまいました。

清朝の乾隆6年、宮廷では選秀(後宮の妃嬪の選抜)が行われ、それと同時に新米の宮女たちも入内します。繍坊(妃嬪たちの衣服類に刺繍を施す部署)に配属される宮女たちの中にヒロインの魏瓔珞がおりました。


彼女の目的は、同じく宮女として入った紫禁城で不慮の死を遂げた姉の瓔寧(宮中での呼び名は阿満)の死の真相を探り当て、仇を討つこと。刺繍の腕はピカイチで頭も切れるのですが、目的さえ達成できればよいということで、同僚や上役たちに気を遣うということがなく無用に敵を作っていきます。その性格から人に憎まれトラブルに巻き込まれても、取り敢えずその場をしのげばいいということで、毎回感心するほど刹那的な対処法でピンチを切り抜けていきます。性格は全く違うのですが、そういうところは『鹿鼎記』の韋小宝と意外と似ているような気がします。


そして後宮では、こちらの秦嵐演じる名門出身の富察皇后と、


成り上がりの家柄の出らしい高貴妃とが対立しております。

富察皇后は絵に描いたような良妻賢母という感じで乾隆帝の寵愛と信頼も深いのですが、自分が産んだ皇子永璉を病で亡くして以来、自分も病気がちとなり、積極性を失い、その間に高貴妃が実質的に後宮を牛耳るようになっていたのでした。で、乾隆帝の子を宿した愉貴人に密かに服毒させようとしたり、それを咎めた怡嬪を死に追い込んだりとやりたい放題でしたが、弟の富察傅恒や自派の純妃の説得により生きる意欲を取り戻し、後宮の管轄権を自らの手に取り戻そうとします。

一方、瓔珞の方は繍坊を取り仕切る方姑姑が姉のことを知っていると察知するや、自分が侍衛と密会しているという嫌疑がかけられているのを利用して(実は入内前に姉の恋人だった侍衛の慶錫に声を掛けられただけなのですが)、そんな事実もないのに方姑姑が自分を陥れようとしたと暴きたてて宮中から追放させることに成功しますが、彼女から「お前の姉は大きな過ちを犯した」「これ以上は探らない方がよい」と警告され……

というあたりで次回へ。映像の方は従来の于正作品とは打って変わって落ち着いた雰囲気で、于正ドラマ特有のスピード感やハッタリと芸術性とがうまい具合に融合しているように思います。

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『ゲーム・オブ・スローンズ最終章』(完)

2019年06月18日 | その他映像作品
『ゲーム・オブ・スローンズ最終章』第1話~最終第6話まで見ました。

ジョンがデナーリスらを伴ってウィンターフェルへと帰還しますが、北部の諸侯はジョンがデナーリスにに忠誠を誓って「北の王」の称号を返上したことを問題視。そしてそのジョンはサムから出生の秘密を知らされ、懊悩します。

そこへジェイミーが単身ウィンターフェルに到来し、サーセイが約束を破って援軍を送らないことが判明し、更に不穏な雰囲気に。かつて自分に塔から突き落とされたブランやら父親を殺されたデナーリスの視線が痛いのはまあ仕方ないですね…… 味方同士のはずの人々の不信感や矛盾を充分咀嚼する暇もなく、遂に「死者の軍団」が到来。彼らの攻勢の前に為す術もなく多くの人々が犠牲となっていきますが、最後はあっさりアリアが「夜の王」を仕留めます。「死者の軍団」との決戦は前シーズンまで散々引っ張った割にあっけないという印象。

しかし戦いはこれで終わったわけではなく、キングスランディングのサーセイが控えております。「死者の軍団」との戦いで疲弊しまくっている北部連合軍ですが、デナーリスは「むしろ休息に時間を掛ければその分不利になる」とキングスランディングへの進軍を決定。サンサとブランはウィンターフェルで留守を守るということになりますが、ここでジョンがサンサとアリアに出生の秘密を告白。これに先だってデナーリスに告白した際には「このことは誰にも言わず秘密にして」と懇願されていたのですが、「家族」であるスターク家の人々には隠せないと、それを無視して告白。デナーリスのは不安は的中し、サンサからティリオン、ティリオンからヴァリスへと話が伝わり「これは最早機密ではなく情報」という状況になります。そしてヴァリスは暴君の気質を示し始めたデナーリスを排除し、より君主にふさわしい態度を示しているジョンを擁立しようと画策し始めます。まあ「そうしたらそうなるよ」という感想しかないですね。

で、ドラゴンに跨がって進軍するデナーリスですが、海上で待ち受けていたユーロン・グレイジョイが改良版「クァイバーンの蠍」でレイガルを打ち落とし、北部連合軍の艦隊も散々に破壊します。王都ではサーセイが住民を城内に避難させ、城民を人質に取る格好で決戦に臨みます。うーんこのすべてが悪い方向に回っていく感……

決戦に先立ち、デナーリス排除のために各地の諸侯に宛てた檄文をせっせとヴァリスをティリオンが密告して処断。そして唯一残ったドラゴンのドロゴン、ドスラク族、「穢れなき軍団」による、中国時代劇で言う所の屠城を決行。王都を守る将兵たちが堪えきれなくなって降伏の鐘の音を鳴らしても、レイガル、そして自らの片腕と恃むミッサンディをサーセイに捕らえられて処刑されたデナーリスは逆上し、殺戮の手を止めようとはしません。

そしてサーセイの死が確認され、王都を制圧した後も、デナーリスはウィンターフェルも含め、すべての土地の人々を解放するまでは戦いをやめないと宣言し……

【総括】
ということでネタバレ回避気味に紹介してます。原作小説の方は風呂敷を広げまくって、作中時間で100年単位の時間が経過しないと収拾がつかないんじゃないの?という状態になってますが、ドラマ版は途中から原作で失敗した要素(たとえばキャトリンの生存とか)を逐一除去し、無事に終点まで到着しました。ちょっと話を小さくまとめすぎじゃない?という気もしないではないですが、第1章から最終章の結末までを通して見ると、スターク家のきょうだいの物語として首尾一貫したものになっていると思います。ウェスタロスの領主たちの最後の選択は、日本で新天皇即位の年に流れた作品としては(もちろんそれを意図した制作されたものではまったくないのですが)かなり意味深なものとなりました。


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『封神演義』その9(未完)

2019年06月10日 | 中国古典小説ドラマ
『封神演義』第48~53話まで見ました。


雷震子の「金赤翎」を盗んだのは土遁の術に長けた盗賊土行孫と判明。楊戩と小娥は彼の手から「金赤翎」を取り戻し、雷震子を金将軍に迎えることに成功しますが、今度は予想通り土行孫が土将軍ということになります。


一方、西岐に逃れた姜子牙は龍鬚虎と名乗る木樵と出会い、彼が姫昌の兵士を誤殺すると、彼を弟子に迎え、術でもってごまかして難を逃れさせます。要するにこのドラマでは武吉=姫発という設定にしちゃったもんで、原典の武吉にまつわる話が使えない、なら姜子牙の弟子ということになってる龍鬚虎の名前を使ってやっちゃえばいいということなんでしょうけど、さすがにこれはないんじゃないでしょうか。

で、色々あって姫昌は磻渓に姜子牙を訪ね、彼を丞相に迎えます。以前に触れた通り、釣りの話は既に息子の姫発でやってますし、文王と姜子牙は朝歌で既に出会っているわけですが、結局このエピソードやるんですね…… ここで「文王拉車」のエピソードも盛り込まれます。面白いのは文王が1人で276歩、こっそり臣下が助けて515歩車を引いたので、西周の天下が276年、諸侯が覇者となる東周が515年、計791年周王朝が存続すると姜子牙が予言するわけですが、これ、どうも周王朝の創建を前1046年に置いた数字のようです。そして西岐の宮廷で姫発や蘭盈と再会。

朝歌では摘星楼が完成し、申公豹の陰謀で妲己に摘星楼で祈禱して多数の神仙を招くよう無理難題を押っつけられます。そこを子虚が狐妖の一族の子供たちを神仙に化けさせることで何とか誤魔化しますが、比干が目ざとく彼らに尻尾が付いているのを発見してしまい、狐妖の一族の根城である軒轅墳を焼き討ちにしてしまいます。ここで妲己と狐妖の少女との友情話が挿入され、原典より比干の悪者度がアップしております (^_^;)


その復讐のために子虚と妲己は比干から心臓を奪い……

【総括】
タイトルに「未完」と付けた通り、全65話予定のはずがTV版第53話、DVD版第52話をもって突如本作の放映・配信が停止されてしまい、これまで散々見てきたような中身の魔改造っぷりも相まって伝説の作品となってしまいました……(もっとも、今後修正版などとして残りの部分が配信される可能性もあると思います)

54・55話の予告編やらEDの画像などを見ると、この後は黄飛虎の造反を経て、本来描かれるべき間の諸々をすっ飛ばしつつ殷と周の戦いが描かれて終わりとなる予定だったようです。ここんところ出番がなくうっちゃられてる殷郊の運命とか、五行上将の残る2人は誰か?(1人はEDのスタッフロールから鄧嬋玉のようですが)、作中では名前が出てきているもののスタッフロールには名前が載っていない黄天化は果たして登場するのか?等々は謎のままとなりました……

中身自体は、原典では一番の見所となるはずの殷側と周側の神仙による合戦をリスペクトせず、制作側が「こっちの方が面白いやろ?」とドヤ顔で魔改造したものを押しつけてくるというあたりは、中盤以降忍術物と化した横山光輝の『殷周伝説』と通じるものがあるかなあと。
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『封神演義』その8

2019年06月04日 | 中国古典小説ドラマ
『封神演義』第42~47話まで見ました。

王宮からトンズラして西岐への逃亡を図る姜子牙ですが、馬氏は天上の掃把星(箒星)の生まれ変わりとしての宿命に目覚め、自分こそが姜子牙に災厄をもたらしていたとして、敢えて夫とともに逃亡することを拒否し、朝歌に留まって紂王に捕らえられ、炮烙で処刑される道を選びます……


肉体は消滅しましたが、形見の箒というか打神鞭は焼け残ります。馬氏は原典でも掃帚星に封神されたという設定になっています。こういう所だけ原典をリスペクトされても……とついついグチを言いたくなってしまいますが。

さて、木火土金水の五行上将を捜索する楊戩は、火将軍となることを賭けて哪吒と勝負することになれますが、武器がないと言うと、哪吒が「これを使え」と武成王府にあったはずの三叉戟(三尖刀)をかっぱらってきます。このドラマ、こういう武器やらアイテム類の扱い方がめっちゃ雑なんですよね…… で、楊戩が勝利すると哪吒は負けを認めずにキレて楊戩を後ろから刺してしまいます。さすがに良心が咎め、これを期に哪吒は火将軍となることを了承。

お次は哪吒の相棒雷震子が金将軍に違いないということになりますが、彼は頑なに自分の正体を認めません。どうやら「金赤翎」をなくしてしまって翼で飛べなくなってしまったことで、師匠の雲中子や父親の姫昌に申し訳が立たないと思い込んでいるようですが……?


一方、王宮では妲己の提案で姫昌を西岐に返してやるからということで、長子の伯邑考(画像参照)にたんまり貢ぎ物をさせて摘星楼の建設費用の足しにしようということに。伯邑考は群臣・兄弟、あるいは西岐にやって来た姜子牙、故郷に戻ってきた弟姫発が止めるのも聞かず朝歌に赴き、色々あって肉饅にされてしまいます……


姫昌は息子の肉と知らずに肉饅を食べたということで釈放され、黄飛虎が見送りとして同行しますが、そこへ反乱鎮圧から凱旋した聞仲(画像参照)が情報を聞きつけ、姫昌を逃してはならじと、黄飛虎の父黄滾の守る界牌関で追いつきます。黄滾と黄飛虎の話、ここでやるんですね。黄飛虎が二人を出し抜いて何とか姫昌を逃してやります。

西岐では伯邑考の命により姫発が君主代理の座についておりましたが、兄弟からは総スカン状態、愛息伯邑考の死にショックを受けた父親からも拒絶され……というあたりで次回へ。しかし伯邑考が子虚を心服させたり朝歌で「琴聖」と持て囃されたりと散々持ち上げておいて、今回姫昌の母太任が「あの子は一城の主ではあっても天下を得る器ではなかった」とか下げにかかるのは酷いと思います……

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2019年5月に読んだ本

2019年06月01日 | 読書メーター
今川氏親と伊勢宗瑞:戦国大名誕生の条件 (中世から近世へ)今川氏親と伊勢宗瑞:戦国大名誕生の条件 (中世から近世へ)感想
こちらは戦国大名としての今川氏の始祖氏親と、北条氏の始祖伊勢宗瑞との関係を軸に、一体であった両者がそれぞれ東西への進出を目指す別個の大名として分立していくまでを描く。伊勢宗瑞の動向や北条氏の成立を知るには、彼が後見した今川氏親と今川氏の動向と切り離しては考えられないというのには同意。今川氏親が元服、結婚、任官と人生の重要なステップのすべてにおいて時期が遅れたという点に興味を覚える。一応著者なりの解釈は示されているが、今後の研究に期待したい。
読了日:05月03日 著者:黒田 基樹

アジア近現代史-「世界史の誕生」以後の800年 (中公新書)アジア近現代史-「世界史の誕生」以後の800年 (中公新書)感想
アジアと言っても中央アジアや西アジアは除外されているのだが、東アジア・東南アジア・南アジアの諸国は意外に共通性が見出せるのだなと思った。印象に残ったのは、多くの国が単一民族型社会から出発したということと、諸国がモンゴル、ヨーロッパ、日本、アメリカの支配を受けながらも常に政治的な「自律」を追求してきたことを踏まえ、今後中国に対しても同様のスタンスを取るのではないか、すなわち経済援助と引き替えに政治的な「自律」を手放すことはないのではないかという見通しを示している点である。
読了日:05月06日 著者:岩崎 育夫

書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化 (東方選書  51)書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化 (東方選書 51)感想
時代順に中国と日本の書家を並べることで、同時代の空気や日本が受けた影響を意識しやすいつくりになっている。そして影響を受ける一方だった日本が、近代に至って日下部鳴鶴あたりから台湾を含めた中華圏へと影響を与える側にもなっていく。また唐宋の古文運動が新しい書法の運動でもあったこと、王陽明が王羲之の後裔として、その思想が書法にも現れていると見ることができる点など、タイトル通り書法と思想との関係にも注目したものとなっている。
読了日:05月12日 著者:松宮 貴之

源氏長者: 武家政権の系譜源氏長者: 武家政権の系譜感想
『源氏と日本国王』の復刊ないしは続稿かと思ったら、改稿版であるとのよし。源氏をたどることは王氏全体をたどることにつながり、更には日本の氏そのものや日本の統治者のあり方をたどることにもつながる。原著の面白さやスケールの大きさは健在である。特に村上源氏が摂関家と対立する存在ではなく、逆に摂関家に取り込まれた存在であること、そしてその村上源氏の一流の久我家と「宇宙」印の話を面白く読んだ。
読了日:05月12日 著者:岡野 友彦

考古学講義 (ちくま新書)考古学講義 (ちくま新書)感想
縄文の農耕、縄文文化とアイヌ文化の関係、弥生時代の開始年代、海から見た古代史など、今の考古学の問題意識が詰め込まれている。騎馬民族説については、学説の問題点の存在にも関わらず、古墳時代中期以後に日本列島に急速に騎馬の風習が定着していったという事実をあぶり出したという学史的意義があるという評価が面白い。また前方後円墳の造営にあたって大規模な都市空間が出現したに違いないとしつつも、その掘り下げを省略しているのが惜しまれる。中国古代の陵邑との比較からもむしろこの話題が気になった。
読了日:05月15日 著者:

万葉集の発明 新装版万葉集の発明 新装版感想
「万葉集は天皇から庶民まであらゆる階層の歌を収めた日本の国民歌集であり、その歌風は素朴で雄渾である」という一般的理解に対し、そうした理解や認識がどのように形成、というよりはどのような背景から「発明」されたかを追う。本書の議論によれば、万葉集、あるいは古典文学は、古典のカバーをかぶせた近代文学ということになるだろうか。最後に古典教育不要論に関する文章が引かれているが、現代に古典を学ぶ意義は近代文学であるという点にありそうである。
読了日:05月17日 著者:品田悦一

院政 天皇と上皇の日本史 (講談社現代新書)院政 天皇と上皇の日本史 (講談社現代新書)感想
どちらかと言えば副題の「天皇と上皇の日本史」の方が本書の内容を的確に言い表している。女院や法親王の役割、天皇家のあり方と藤原氏や武家とのそれとの比較、宮家(親王家)の制度化、南北朝期や近代のように、天皇が政治・軍事を差配しようとすれば、特に軍事方面で役割を果たす多くの親王を必要とする(逆にそうでなければ天皇家のメンバーの絞り込みが必要となる)といった話を面白く読んだ。
読了日:05月20日 著者:本郷 恵子

漢帝国―400年の興亡 (中公新書 (2542))漢帝国―400年の興亡 (中公新書 (2542))感想
思想史方面からと言うか、著者が取り組んできた「儒教国家」「古典中国」論からの漢帝国史。漢帝国の通史としても読めるようになっているが、著者の研究の総まとめという性質の方が強い。『漢書』は『春秋』ではなく『尚書』を継承したものであるという議論や、魏晋以後の漢の古典化の話を面白く読んだ。前漢前期の天下観についてはもう少し掘り下げができたかもしれない。
読了日:05月24日 著者:渡邉 義浩

安彦良和の戦争と平和-ガンダム、マンガ、日本 (中公新書ラクレ 646)安彦良和の戦争と平和-ガンダム、マンガ、日本 (中公新書ラクレ 646)感想
ガンダムと安彦氏のマンガをめぐる対談集だが、作品に対する杉田氏の読みや解釈が逐一否定されるのが面白い(読者としては杉田氏の指摘の方が当たっているように思える)。『ナムジ』など古代史シリーズの読者として、このシリーズが原田常治の本に触発されたものであったこと、安彦氏的には『天の血脈』の終わり方が気に入っていることなど、気になっていた点が確認できたのが収穫。
読了日:05月26日 著者:杉田 俊介

日中の失敗の本質-新時代の中国との付き合い方 (中公新書ラクレ)日中の失敗の本質-新時代の中国との付き合い方 (中公新書ラクレ)感想
日中関係について国際政治学の視点から議論する。日中と言いつつトランプ外交について相当の紙幅を割いているのは、現在のファーウェイ問題などを見ても納得。中国をグローバル経済の中で全面的に孤立させることは不可能であるということ、中国が現在の国際秩序を擁護する立場を示しており、「普遍的価値」を否定しているわけではないという指摘に注目すべき。
読了日:05月28日 著者:宮本 雄二

マキァヴェッリ: 『君主論』をよむ (岩波新書 新赤版 1779)マキァヴェッリ: 『君主論』をよむ (岩波新書 新赤版 1779)感想
『君主論』の主張にはどの程度普遍性があるのか?これまでの読みやイメージには誤解が含まれていたのではないか?という取っかかりから、『君主論』がロレンツォ、あるいはジュリアーノといったメディチ家の人間に献呈するために書かれたものであるとし、当時のメディチ家やフィレンツェを取り巻く歴史的背景を念頭に置いたうえで、どのように読み解くべきかを議論する。特定の文脈で書かれた文献が普遍的な古典と見なされるに至った経緯も議論されているとなお良かったかもしれない。
読了日:05月30日 著者:鹿子生 浩輝

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