博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

中国のケータイ

2009年01月31日 | ニュース
「胸ポケットの『携帯電話』爆発、20歳男性が死亡―広東」(Yahoo!JAPAN ニュース)

留学先で当然の如く中国のケータイを買った私としてはガクプル物のニュースであります(^^;) 一応デパートのブースでサムスンの正規品を買った(はず)で、半年近く使って不具合も無いので大丈夫だとは思いますが、うっかり充電池を取り替えたりしない方が良さそうですね……

しかし中国ではケータイ本体が結構なお値段なのに、街中で歩いているおっさんとかが割と上等な機種を持ってたりするのですが、あれはほとんどこの手の山寨機なんでしょうか。
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『隋唐英雄伝』その1

2009年01月30日 | 中国古典小説ドラマ
以前鑑賞した『薛仁貴伝奇』がこの作品の第2部と謳ってましたが、今回はその第1部である本編を見てみることに。

『説唐』や『隋唐演義』を元ネタにして瓦崗寨の群雄たちの活躍を描いた作品ですが、元ネタの小説からして「七実三虚」という言葉が「史実」と同じ意味に見えてくるぐらい史実からかけ離れているので、今回のドラマ版も史実との関連を気にしないで済むという意味では安心して見られます(^^;)

今回鑑賞した第1~7話では、最初の2話ぐらいまでで北斉の滅亡と主人公秦叔宝の父である秦彝の死、秦叔宝母子と程咬金母子との出会いと別れ、隋王朝の成立と楊広(後の煬帝)が兄から太子の位を奪うまでが超特急で語られます。そう言えば『薛仁貴伝奇』も最初の2話の展開が異常なまでに早かったよなあと思い出した次第……

で、第7話までで秦叔宝が単雄信や徐茂公と知り合ったり、叔母の嫁ぎ先である羅芸一家と出会ったりといった所まで描かれます。オリジナルキャラで楊広に睨まれて殺される李渾の娘とか単雄信の妹なんてのが出て来ますが、この2人が本作のヒロインになるんでしょうか。

今回のツッコミ所

○ムダに派手なアクションシーンが連発……いや、『少林僧兵』よりクオリティが高いので全然オッケーなんですが、秦彝が磔台を背負ったまま敵国北周の大将と激闘を繰り広げるシーンを目にした時には本当にどうしようかと思いました(^^;)

○本作一番の悪役となるはずの楊広ですが、頭が切れると見せかけて、衝動的に妹を手籠めにしようとして抵抗され、殺してしまったり、自ら黒覆面に身を包んで李淵一家を襲撃したりとツッコミ所に事欠きません……

○公務で出張して同僚との待ち合わせに失敗し、路銀が尽きてしまう主人公。そしてトラブルに巻き込まれてうっかり官兵を殺してしまうというパターンを二度も繰り返す主人公……イケメンで強大な武功を身に付けているのも関わらず、天性のウッカリさんでおまけに天から見放されたような不運の持ち主である秦叔宝から目が離せません!(^^;)
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ご馳走

2009年01月30日 | 雑記
今日は大学の先輩・後輩(かつマイミク)と香里園の寿司屋に行ってました。ネタがケータイぐらいの大きさの握りを思いっ切りご馳走になり、これで長春に戻っても半年間寿司・刺身無しで耐えられそうです(^^;)

長春の食堂でも巻き寿司そっくりの「寿司」と称する料理は一応あるのですが、それは海苔が韓国海苔でシャリは酢飯ではなく、ゴマ油をつけて食べるという巻き寿司とは似て非なる韓国料理なのであります……

この所諸先生・先輩方にご馳走になるという状況が続いてて、心苦しくも実にありがたいのですが、向こうではまた炭水化物中心の食生活が続くはずなので、今のうちに栄養をつけておきたいと思います。(でも体重を量ったらほとんど変わってませんでしたよ)
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『逝きし世の面影』

2009年01月28日 | 世界史書籍
渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年)

留学先の知人から薦められて読んだ本です。

これまで「事情をよく分かっていない者が上っ面だけ見て書き残したもの」とされ、不当に史料的価値を貶められてきた幕末から明治にかけての外国人による日本滞在記。著者はシーボルト、ハリス、モース、イザベラ・バードといった人々が残したこれらの記録を「彼らは決して社会の表層しか見抜けないバカではない。見るべきものはちゃんと見ている」として積極的に活用し、近代社会へと移行しようとしていた時期の日本社会を描き出していきます。

で、彼らの記録から浮かび上がった日本社会像とは……士農工商といった身分制や「百姓は生かさず殺さず」といったスローガンが建前と化していて農民達は豊かな生活を享受しており、大人は子供に大変甘く、大人も子供の遊びに夢中になり、自然風景が美しく、かわいい女の子が村や街にあふれ、あり得ないほど性風俗がオープンで、猫が人語を解し、狐や狸が人を化かすという地上の楽園であった!!

しかし著者は「日本スゲーーーーッ!!!」と主張したいわけでは全くなく、幕末から明治にかけての日本を一例として工業化する以前の前近代の社会とはどういうものかを提示してみせたかったわけであります。このような暮らしは記録者である西洋人自身の先祖がかつて享受したはずの生活であり、当時の日本でも西洋文明の流入によって急速に失われつつあった生活であり、また日本を含めたアジアの諸地域が好むと好まざるとに関わらず、西洋の植民地化か自らの手による近代化のいずれかによって失われることを運命づけられていた生活であるわけです。

そういう意味で本書は日本史に留まらず世界史を描いたものとして読まれるべきだと思います。このあたり、本書の中で日本の仏教や寺院が西洋のカトリックやロシア正教に雰囲気が似ているという意見を採り上げていたり、著者がこのような社会を現代の日本社会とは異質の、既に滅び去ってしまった文明と言い切っている点からも明らかだと思います。

あとがきとかを見ると右寄りの人が本書を絶賛しているとのことですが、彼らはこのあたりのテーマを大幅に読み違えているのではないかと不安になります。そもそも『逝きし世の面影』という思わせぶりなタイトルが良くないのではないかとも思うわけですが……
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周公廟からまたもや甲骨が

2009年01月27日 | 学術
私が日本でのんびりしている間に世の中は動いていたようです(^^;)

nagaichiさんの『枕流亭ブログ』によると、このほど陝西省岐山県の周公廟遺跡から2004年に引き続き大量の甲骨が発見され、文字が刻まれているものも多数存在するとのこと。

「西周の甲骨文字」(『枕流亭ブログ』)

で、以下が元記事です。

「西周時代の甲骨7000片発掘、甲骨文字1600字を確認―陝西省」(『レコードチャイナ』)

ついでに甲骨の写真が入った中文記事もリンクしておきます。

「周公廟発見7千余片西周甲骨 新字形屡見」(『中国考古』)

というかレコードチャイナ、発掘現場の写真だけアップして甲骨そのものの写真が無いというのはどうかと思います……

「王季」「文王」「畢公」「王」(これはその当時在位していた王ということでしょうね)などの人名が見られるということですが、このうち文王の父とされる「王季」は金文も含めて西周期の資料の中では初めて見られるものですね。

今回出て来た資料、今までの例からすると主要なもの数点は数ヵ月後ぐらいに専門誌で紹介されたりするんでしょうけど、整理作業を経てそのすべてが公表されるのは何年後になることやら……
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久々に

2009年01月25日 | 雑記
帰国してから大学の研究室とか知り合いなどへのお土産渡し行脚が続いております。で、昨日は久々に関西幇会に行っていたのですが、色々と驚くべき情報が……

○『新・上海グランド』放映の影響で、韓流男優ファンから黄暁明ファンへと移行する動きがあるらしい。……そのうち女性週刊誌に黄暁明特集が組まれたり、『神雕侠侶』が地上波で流れたり、黄暁明が「シャオ様」と呼ばれたりするんでしょうか(^^;)

○宝塚大劇場で『太王四神記』が絶賛上映中。……帰りに梅田駅ポスターを目にして衝撃を受けました。宝塚でやってるのかよ!しかもヨン様が出ているわけでもないのに観客が詰めかけているのかよ!
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『少林僧兵』その5(完)

2009年01月23日 | 武侠ドラマ
『少林僧兵』第29~最終34話まで見ました。

列表山に潜入した月文は父親の汪直に素直に従うふりをして倭寇たちの信用を得、若蘭父子の救出をはかります。若蘭父子は無事に戚継光のもとに帰還できたものの、月文は土壇場で倭寇に捉えられ、両足の筋を断たれることに…… そして戚継光は若蘭の父親から15年間秘蔵していた朝廷の軍資金を譲り受けて水軍を組織し、列表山の倭寇に対して攻勢に出ることに……

ということでいよいよラストバトルです。師父大脚僧の仇討ちがかかっている月空も下の画像のごとく緊那羅王のペイントを施し、気合い充分です(^^;)



しかしこの期に及んでよく分からない行動をとるのが風語。月文を救出しにやって来た月空を武士の情けで見逃してやったかと思えば、その後汪直から戚継光暗殺の命を受けて寧波に潜入し、月空に阻まれるといきなり切腹しちゃいます…… で、秀子は風語の遺体とともに舟で日本に戻るのですが、この2人、何のために登場したんだかよく分かんないままになっちゃいましたね……

ラストシーンでは汪直が自分の身ひとつで舟に乗って逃れて行きますが、その後ポルトガル人とともに種子島に漂着し、日本人に鉄砲を伝えたりするわけですね(^^;) (ポルトガル人が種子島に漂着した時に「五峰」と名乗る明人が同乗しており、それが汪直(王直)であるとする説があります。ドラマ中でも西洋製の鉄砲や仏郎機砲を導入するシーンがありました。)

【総括】

少林寺の方丈が制作に名を連ね、武僧がアクションシーンを全面バックアップということで当然アクションが期待された本作ですが、蓋を開けてみるとアクションシーンはおおむね早回しで撮影されていてそれほどの見所というわけでもなく、それよりも日本絡みのツッコミ所の方が気になり、しかも実質的な主役は月空・月文といった少林武僧ではなく戚継光という有様…… 

作品としてはそこそこ出来が良いのですが、ハンバーガーを注文したつもりが牛丼が出て来たという類の違和感を感じざるを得ません。

「『少林僧兵』は古代版の『士兵突撃』」(そういう軍事ドラマが去年あたりにヒットしたようです)という論評もアップされてますが、指揮官戚継光の「腐りきった上司が意地悪してこっちに武器とか食糧を送ってくれないんですけど、どうしたもんでしょうか」「その上司の従兄弟がうちの部隊の隊長なんですが、従兄弟の権威を笠に着て言うことを聞かないんで、処刑しちゃっていいでしょうか」「唯一物分かりがいいと思ってた上司が援軍と称して少林寺の武僧を連れてきたんですけど、僕が欲しいのは兵隊であって個人戦しかできないファイターじゃないんですが」「その物分かりのいい上司が政争に敗れて投獄されちゃったんですけど……」「親身に面倒見ていた女の子が実は倭寇のスパイだったんですが、どうしよう」といった懊悩に感情移入いながら見るのが正しいのかもしれません(^^;)
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帰りました

2009年01月21日 | 留学
取り敢えず無事に帰宅。すんませんが疲れたのでコメントのレスはまた後日に……
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帰ります

2009年01月19日 | 留学
ということで明日日本に一時帰国します。トランクに荷物を詰めたら本やらお土産のお菓子とかお茶の葉、DVDで埋まってしまいましたよ(^^;)

天気予報によると今夜雪が降るみたいですが、無事に飛行機が飛ぶよう祈っておきます……
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冬の上海・杭州5日間 4~5日目後編

2009年01月18日 | 旅行・オフ会・展覧会
春節まであと一週間以上あるのに、こちらでは早くも打ち上げ花火がバンバン上がって正月モードに入ってます。もっとも、今年は春節が早いせいか元旦からこのかたずーっと正月気分を引きずってるような気もしますが(^^;)

で、上海・杭州旅行4日目の続きであります。腹ごなしが済んだ後は孤山~白堤と西湖を横断します。その孤山の入り口でいきなり「武松の墓」なるものを発見。



武松って架空の人物じゃないのかよ!と思わずツッコんでしまいましたが、解説板を見ると「武松の名は宋~元の際の周密『癸辛雑識』にも見える」とか何とか書いてますね。それなりに由来がある人物だから宋江みたいに実在してたっておかしくないんだと言いたいんでしょうか…… なお、武松の名は一応『大宋宣和遺事』にも見えるとのことです。

このほか、孤山では革命の巾幗英雄こと秋瑾の墓、清末の考証学者兪樾の記念館、浙江省博物館、西泠印社といった所を見て回りました。下の写真は西泠印社のシンボルの塔。西泠印社は金石篆刻の研究・制作団体で、ここ孤山に本部があります。



浙江省博物館は杭州郊外にある良渚遺跡や河姆渡遺跡の出土文物を展示しているほか、『四庫全書』の7部の正本のうちの1部が収められていた文瀾閣が敷地内にあると聞いて楽しみにしていたのですが、文瀾閣がありそうなゾーンは工事中で立ち入れず。何とも残念です…… ちなみに文瀾閣本自体は現在浙江省図書館に収蔵されているとのこと。

さて、白堤の北東端「断橋残雪」に辿り着いたあとは南へ戻って「三潭印月」と「花港観魚」を見て回ります。


「断橋残雪」:ここは『白蛇伝』と許仙と白素貞が出会ったことになっている場所。


「三潭印月」:西湖に浮かぶ小島で、円環状の島に十字型というか卍型の橋が架かっています。ここは船でしか来れません。


「花港観魚」:ここの紅魚池には名前の通り恐ろしい数の鯉が生息してます。

で、午前中にスルーした章太炎記念館にもちゃんと立ち寄る事が出来ました。このあたり計画性のなさが如実に現れてますね……



で、今日の夕食は河坊街で食べることに。ここは南宋時代には一番の繁華街だった所で、現在は当時の街並みを再現した観光スポットになっているとのこと。こんな横店臭い所は是非行ってみなければ!ということで中山中路を南下して進んで行きますが、この中山中路が地元民しか歩いておらず、果物屋とかおしゃれ系じゃない服屋とかが軒を連ねているという紛う事無き裏通りなのでありました(^^;) 

夕食もこの通りの小吃店で済ましてしまうことに。肉マンとエビワンタンとレモンティーでしめて7.5元。食事の中身も値段も普段長春で食べているものにだいぶ近づいてきました(^^;) 

で、河坊街の入り口となる門が見えてきましたが……


門の外側(すなわち中山中路)と……


門の内側……

何かもう全然雰囲気が違うんですが(^^;) ちなみに中山中路では写真のごとくあちこち工事中だったのですが、この通りも河坊街みたいに生まれ変わってしまうのでしょうか。

ということで今回の旅はここで終了です。杭州では結局西湖の周りをグルグル回るだけで終わってしまいましたが、次の機会があれば是非郊外の良渚遺跡(博物館があるらしい)や横店影視城に足を伸ばしてみたいところです。そう言えば王国維と金庸の故郷である海寧もこの近くなんですよね。路線を確認すると上海から杭州へ動車で移動する時にここを通過したようですが……
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