ドナルド・キーン著、角地幸男訳『日本人の戦争 作家の日記を読む』(文春文庫、2011年12月)
日記文学はおそらく日本文学にしか無いジャンルであり、日本では平安・鎌倉の昔から文学として日記が読まれてきたと評価する著者が、太平洋戦争が始まった昭和16年(1941年)から終戦直後の昭和21年(1946年)までに書かれた作家の日記を読むことで、日本人の戦争に対する見方を追っていこうという本です。日記が取り上げられた作家は永井荷風・山田風太郎・高見順・伊藤整・渡辺一夫らです。割と雑多な内容なので、以下、例によって面白かった部分を取り上げてみます。
大本営発表が明らかにしなかった事実については、風説がその代わりを務めた。(本書47頁ほか)
(昭和20年3月の東京大空襲の直後)上野駅は、少しでも安全なところへ逃げようとする罹災民で満ちていた。前年にいた中国で目撃した光景を思い出し、高見(順)は日記の中で中国人と日本人を比較している。上野駅ほど混雑していたわけでもないのに中国人は大声でわめき立て、あたりは大変な喧騒だった。そうした喧しい中国人に比べて、おとなしく健気で、我慢強く、謙虚で沈着な日本人に、高見は深い感銘を受ける。(本書111~112頁)
半藤一利の『昭和史』を読んだ時にも同じことを思いましたが、こういうのを見ると、日本人はダメな意味で今とまったく変わっとらんのですなあと…… 正直、私には当時の上野駅よりマシな状況でわめき立てていたという中国人の方がよっぽど人間らしいと感じられるのですが(´・ω・`)
そして終戦を向かえ、その後間もなくのこと。
駅で一人の兵隊が、今までのように列の前に行って特別に切符を買おうとしたら、窓口の少女に言われたという、「兵隊さんはあとですよ。」(本書150頁)
このような人々の軍部・兵隊への感情や対応の悪化に合わせるかのように、終戦からわずか1~2週間で露骨な軍部叩きを始めるマスコミ……掌返すの速すぎワロタw
他にも永井荷風らが救貧生活を迫られる中、谷崎潤一郎だけは隠棲先の熱海で毎日白米をたらふく食べていたとか、そもそも戦時中でも全国各地から谷崎のもとにうまいものが届けられるシステムになっていたとか、色々と面白い話題が取り上げられています。
軍隊と日記との関係としては、巻末の平野啓一郎氏との対談で、日本の軍隊では毎年元旦に兵隊に日記帳が支給され、日記をつけることが奨励されるとともに検閲の対象ともなっていたことが紹介されていますが、毎日日記をつけるのが宿題になってた小学校の頃を何となく思い出してしまいました。うっかり変なことを書いたら怒られるのも同じなわけですね(^^;)
最後に本書で私が一番(´・ω・`)となった箇所を挙げておきます。
山田風太郎の日記を読んでわかったのは、それまで人は読んだ本によって自分の性格や信念を形成すると思っていたわたしの考えが間違いであるということだった。山田とわたしは、ほとんど同じ時期に同じ本を読んでいたにもかかわらず、二人の世界観は根本的に違っていた。(本書15頁)
日記文学はおそらく日本文学にしか無いジャンルであり、日本では平安・鎌倉の昔から文学として日記が読まれてきたと評価する著者が、太平洋戦争が始まった昭和16年(1941年)から終戦直後の昭和21年(1946年)までに書かれた作家の日記を読むことで、日本人の戦争に対する見方を追っていこうという本です。日記が取り上げられた作家は永井荷風・山田風太郎・高見順・伊藤整・渡辺一夫らです。割と雑多な内容なので、以下、例によって面白かった部分を取り上げてみます。
大本営発表が明らかにしなかった事実については、風説がその代わりを務めた。(本書47頁ほか)
(昭和20年3月の東京大空襲の直後)上野駅は、少しでも安全なところへ逃げようとする罹災民で満ちていた。前年にいた中国で目撃した光景を思い出し、高見(順)は日記の中で中国人と日本人を比較している。上野駅ほど混雑していたわけでもないのに中国人は大声でわめき立て、あたりは大変な喧騒だった。そうした喧しい中国人に比べて、おとなしく健気で、我慢強く、謙虚で沈着な日本人に、高見は深い感銘を受ける。(本書111~112頁)
半藤一利の『昭和史』を読んだ時にも同じことを思いましたが、こういうのを見ると、日本人はダメな意味で今とまったく変わっとらんのですなあと…… 正直、私には当時の上野駅よりマシな状況でわめき立てていたという中国人の方がよっぽど人間らしいと感じられるのですが(´・ω・`)
そして終戦を向かえ、その後間もなくのこと。
駅で一人の兵隊が、今までのように列の前に行って特別に切符を買おうとしたら、窓口の少女に言われたという、「兵隊さんはあとですよ。」(本書150頁)
このような人々の軍部・兵隊への感情や対応の悪化に合わせるかのように、終戦からわずか1~2週間で露骨な軍部叩きを始めるマスコミ……掌返すの速すぎワロタw
他にも永井荷風らが救貧生活を迫られる中、谷崎潤一郎だけは隠棲先の熱海で毎日白米をたらふく食べていたとか、そもそも戦時中でも全国各地から谷崎のもとにうまいものが届けられるシステムになっていたとか、色々と面白い話題が取り上げられています。
軍隊と日記との関係としては、巻末の平野啓一郎氏との対談で、日本の軍隊では毎年元旦に兵隊に日記帳が支給され、日記をつけることが奨励されるとともに検閲の対象ともなっていたことが紹介されていますが、毎日日記をつけるのが宿題になってた小学校の頃を何となく思い出してしまいました。うっかり変なことを書いたら怒られるのも同じなわけですね(^^;)
最後に本書で私が一番(´・ω・`)となった箇所を挙げておきます。
山田風太郎の日記を読んでわかったのは、それまで人は読んだ本によって自分の性格や信念を形成すると思っていたわたしの考えが間違いであるということだった。山田とわたしは、ほとんど同じ時期に同じ本を読んでいたにもかかわらず、二人の世界観は根本的に違っていた。(本書15頁)