博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『隋唐演義』その7 味方に陥れられたら敵に助けを求めよう!

2013年03月31日 | 中国古典小説ドラマ
『隋唐演義』第39~44話まで見ました。

羅成の異母兄羅松(羅芸が秦瓊の叔母と結婚する前に生まれた子らしい)の協力で「一字長蛇陣」の陣図を入手し、見事楊林の軍を打ち破った瓦崗寨。しかし骨を休める間もなく、今度は裴仁基一家が瓦崗寨討伐を命じられます。特に裴仁基の三男裴元慶が年少ながら怪力の持ち主と名高いのですが、裴家が勲功を挙げることを快く思わない宇文化及の陰謀により、その次男で修業先から戻ってきた宇文成龍が元帥として一家を監視することに。いきなり羅成の異母兄だの宇文化及の次男だのが登場するあたり、三流白話小説のノリが濃厚に感じられるなあと(^^;)

で、軍営で宇文成龍から散々嫌がらせされる裴父子。裴元慶は意気揚々と瓦崗寨に攻め寄せたところ、斉国遠から目潰しの石灰を喰らってしまいますが、宇文成龍は軍営から軍医を追い出してしまって治療を受けられないようにします。そこで姉の裴翠雲が単身瓦崗寨に乗り込んで「あんた達が卑怯な手を使ったから弟がこんなことになってるんじゃない!あんた達が責任持って治しなさい!」と怒鳴り込み、密かに弟を連れ出して本当に瓦崗寨の人間に治療させてしまいます。

翠雲「弟の目を治してくれたんだから、何でも言うこと聞いてあげるわよ!」 程咬金「何でも?(ゲス顔) じゃあオレの嫁になれよ(ニヤニヤ)」  翠雲「いいよ!なってあげるよ!」 程咬金「えっ…(困惑)」  ということで急遽程咬金と裴翠雲との婚礼が行われることにw 味方に陥れられたら敵に助けを求めよう!(提案)……何か赤穂浪士や阿部一族にもこれぐらいの柔軟性があればと思ってしまいました(´・ω・`)

裴元慶も姉の説得により瓦崗寨への投降を了承し、恨み重なる宇文成龍を自陣で殺害。現場を目撃した父の裴仁基も「あっ……まあしょうがないね(棒読み)」とあっさり上官殺しと敵軍への投降を承諾。宇文成龍さんの不徳の致す所ですなw

一方隋朝宮廷では、これまた宇文化及の陰謀により、李淵に1ヶ月以内に任地の晋陽で煬帝の離宮を建てよという無理難題が課されておりました。李淵の次男の李世民が工事の監督にあたり、李靖や紅払女の協力を得て工事を完成させます。

ここでも宇文化及の意を受けた麻叔謀が、自分の担当する大運河の工事にかこつけて離宮建設の妨害をはかりますが、逆に李世民側から麻叔謀が子供の肉を食べるというアカン性癖を持っていることを煬帝の面前で暴露され、後ろ盾であったはずの宇文化及の手によって処刑されてしまいます。そして李世民は離宮建設の功により秦王に封じられ、大運河工事の方は李密が後任の責任者として抜擢されます。旗色が悪くなるとすかさず上司の麻叔謀を告発する李密さん、きたないなさすがw

しかし期間内に宮殿が建てられなければ当然処罰の対象となり、期間内に建てられても「さては貴様、自分が皇上になりかわるつもりで前々から宮殿を用意しておったな!」と言いがかりをつけられるんですから、宮仕えも大変ですね(´・ω・`)
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『隋唐演義』その6

2013年03月24日 | 中国古典小説ドラマ
『隋唐演義』第33~38話まで見ました。

単雄信は瓦崗寨寨主で顔なじみの翟譲に自分たちを受け入れてくれるよう頼み込みますが、瓦崗寨の乗っ取りを恐れた面々により話し合いは不調に終わり、山東義軍と瓦崗寨側との間で戦争に。結局秦瓊ら山東義軍が勝利し、瓦崗寨の幹部らを追い出しますが、元寨主の翟譲は新生瓦崗寨のメンバーとして留まることになります。

その直後、突如として地面に大穴が空き、その穴から地下に広がる空間を探索した程咬金は皇帝の衣冠と印璽を持ち帰ります。それらは北斉と南朝の陳が対立していた時代にこの地で即位した趙威のものでした。そしてそれを天意と解したする徐茂公の勧めで程咬金は皇帝として即位し、国号を大魏と定め、秦瓊や徐茂公らがそれぞれ大元帥・軍師などの官を授けられることに。



上の画像は皇帝の衣冠を身につけた程咬金ですが、どう見てもコスプレというか服に着られている状態ですね(^^;) 皇帝の価値が下落しまくってますなあ。そもそも元の持ち主の趙威自体戦乱のどさくさに紛れて即位したという設定になっているようですし……

その瓦崗寨に宇文成都が玉郡主を都に連れ戻そうとやって来ますが、郡主は宇文成都にリストカットの跡を見せられ、「あんた何やってんの?!ヽ(´o`; 」とドン引きしてしまいます。好きな娘にリスカの跡を見せつけて気を引こうとするのはだめっ!絶対!しかしオレの大好きな宇文成都さんがどんどんメンヘラになってきていて見るのが辛いw

一方、李淵は煬帝より見せしめとして単雄信の二賢荘の掃討を命じられます。李淵の次男李世民はこの件で単雄信の恨みを買うのは得策でないと、女子供の命を助けようとしますが、宇文化及の策謀により結局荘民の虐殺が行われてしまいます。そして悲報を受けた単雄信と盈盈の兄妹は李家を仇敵視することに…… これまでの作品では李淵が単雄信の兄を誤殺したことで両者の遺恨が発生するいうパターンでしたが、今回はこうやって因縁が生じるわけですね。

しかしその感傷に浸る間もなく靠山王楊林の軍勢が瓦崗寨に攻め寄せ、「一字長蛇陣」を布陣します。その陣を破ることができるのは羅成だけ!ということで父親に監禁されていた羅成が密かに瓦崗寨に到来しますが、当の羅成は「陣図が無いとどうしようも無いね」ということで、楊林の軍営に忍び込んで陣図を盗み出すことに。何かいい加減な展開ですねw

そうそう、このパートで物語中随一の梟雄李密も初登場してます。煬帝から大運河の工事を任された麻叔謀に仕官しておりますが、李密の野望はこれからだっ!
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『隋唐演義』その5

2013年03月18日 | 中国古典小説ドラマ
『隋唐演義』第26~32話まで見ました。

靠山王楊林が父の仇であることを知ってしまった秦瓊は、カッとなって王府を飛び出し、故郷の歴城に戻ることにしますが、玉郡主も夫に同行。養女とはいえ一家の仇の娘ということで夫や義母とは相当気まずい雰囲気になりますが、次第にそのわだかまりも解けていきます。

時に秦瓊の母が還暦を迎えるということで、単雄信ら旧友たちが祝いの宴に駆けつけますが、山東一帯の匪賊が続々と歴城に集結しているという情報を耳にした楊林は、匪賊を一網打尽にするチャンスということで、配下の「十二太保」を率いて進軍。

楊林が匪賊を逃すまいと済南府全体に戒厳令を敷いたことで、還暦の宴に駆けつけた好漢たちは秦瓊の家から出るに出られなくなります。柴紹(李淵の娘婿)や秦瓊の従弟の羅成は官府側の人間なんですが、緑林の好漢たちと交遊したということで巻き添えに(^^;) おまけに皇綱強奪犯の程咬金と尤俊達が楊林に捕らえられてしまいます。

ニッチもサッチもいかなくなった46人の好漢たちは、よろしい、ならば造反だ!と意見が一致。造反までの決断が早いw 妻の玉郡主のことを思いやって造反に二の足を踏む秦瓊も、玉郡主が煬帝の悪行を告白したことで造反に同意。結盟の盟主に推されます。46士と言うと、つい赤穂浪士を連想してしまいますが(^^;)

そして軍師の徐茂公の計画に沿って歴城脱出作戦を開始し、まずは程咬金と尤俊達を救出。そして救出に関わった秦瓊は楊林と対峙し、自分が北斉の秦彝大将軍の息子であることを告白して訣別を宣言。ここで楊林が一党の招安を提案しますが、秦瓊はそれをあっさり拒否します。朝廷の招安を待ち望むのが『水滸伝』の宋江で、招安の提案を一蹴するのが秦瓊ということですね。

脱出行の途中で秦瓊の母親が隋の武将の徠乎爾に捕らえられるなどのトラブルに見舞われたものの、一同は潼関を通過して小狐山に集結。で、「ここからどうするよ?」となり、取り敢えず近くの瓦崗山に行ってみようということに。ということで次回は瓦崗寨に好漢集結の巻になる模様。
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『隋唐演義』その4

2013年03月11日 | 中国古典小説ドラマ
『隋唐演義』第20~25話まで見ました。

煬帝は忠孝王伍建章を処刑し、その息子で南陽関の守将伍雲召の討伐を羅芸と麻叔謀に命じますが、伍父子と旧知の間柄の羅芸・羅成父子はわざと進軍を遅らせたりして消極的サボタージュを決め込みます。その意図を察知した宇文化及は息子の成都を援軍として派遣し、何としても伍雲召を討ち取らせようとしますが、伍雲召を恩人と慕う領民の朱燦や羅父子の尽力により、伍雲召は南陽関より脱出することに成功。

しかしその代償として、朱燦は母や近隣の村人を官軍によって虐殺されてしまうことに…… 怒り狂った朱燦は伍雲召の従兄で「山大王」(山賊の頭目)となっていた伍天錫の配下となり、南陽関を攻め落として南陽王を自称。これが隋末唐初の大乱のはじまりでありました!何だか「山賊王にオレはなる!」みたいな展開になってきましたがw

その頃、靠山王楊林の皇綱を強奪した程咬金と尤俊達ですが、程咬金が潜伏生活に飽きてしまって外を出歩いたり、近隣の住民に奪い取った銀をばらまいたりしたおかげで、官憲にすっかり足が付いてしまいます。皇綱強奪事件の捜査を任された秦瓊は尤俊達が怪しいと当たりを付けますが、尤俊達は程咬金の母が亡くなったことにして葬儀を開き、追及の手をやりすごす「哭喪計」(そんな計略があるんですねw)を敢行。しかし結局計略を見破った秦瓊によって2人ともお縄に。

しかしここで程咬金が秦瓊の幼馴染みの「阿醜」(彼の幼名)であったことが判明。程咬金の父の程有徳は秦瓊の父の北斉の大将軍秦彝の副官で、秦彝と程有徳が隋との戦いで戦死して北斉が滅亡するまでは家族ぐるみのつき合いをしていたのでした。秦瓊は程咬金らを庇い立てするために、自らが皇綱強奪の犯人であると靠山王のもとに名乗り出ますが、事情を知る玉郡主の取りなしもあり、逆にその武勇が見込まれて靠山王の義子として迎えられ、「十三太保」の一員として靠山王に仕えることになります。

ここで玉郡主が実は靠山王の娘であったことを秦瓊に告白。2人は恋仲となり、それを察した靠山王は2人を結婚させることにしますが、婚礼の場で靠山王が秦瓊の父秦彝を討ち取ったことが発覚。すなわち靠山王は秦瓊の父の仇であったわけですね。それで婚礼は一体どうなる!?というところで次回に続きます。ここでなぜか宇文成都がこっそり婚礼の様子を見ていて涙ながらに立ち去る場面が泣けます(^^;)
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『隋唐演義』その3

2013年03月06日 | 中国古典小説ドラマ
『隋唐演義』第14~19話まで見ました。

皇后が死んで以来病気がちとなり、後のことは太子の晋王に任せておけば安心と思い込んでいた文帝。しかしその晋王が実は夜な夜な地下宮殿で美女とイチャついていたとか、妹の瓊花公主殺害の真犯人であったとか、父親である自分の毒殺を謀った等々、孝行息子の裏の顔を知ってしまいます。そこで文帝は重臣の高熲や玉郡主に密命を下し、再び長男の楊勇を太子の地位に即けようとしますが、晋王の方が先手を打って父帝を殺害。隋朝第2代皇帝として即位します。すなわち隋の煬帝です。

一方、秦瓊はそのクーデタと前後して唐璧から越王楊素への贈り物を運搬するべく長安へと向かうことに。途中で李淵一家や山賊になった王伯当と再会し、王伯当らとともに長安の越王府へ。時に長安は元宵節の真っ直中。祭りの夜店を見物して回る秦瓊たちですが、民草に横暴な振る舞いをする宇文恵及を見かねて王伯当が殺害してしまいます。

王伯当・秦瓊は殺人犯として宇文成都に追われることになりますが、そこへ丁度煬帝即位のクーデタが発生し、宇文成都もそれに加担せざるを得なくなり、追跡劇はうやむやに。

クーデタ成功の後、楊勇擁立に加担したということで玉郡主は追われる身に。何とか主君煬帝や父親の目を欺いて彼女を助けようとする宇文成都ですが、父親の宇文化及はそんな息子の意図などお見通しで、息子の部下に密かに玉郡主殺害を命じます。そこへたまたま歴城へと戻る途中の秦瓊が通りかかり、玉郡主を救出。自分の目の前で好きな娘(=玉郡主)が見知らぬ男(=秦瓊)にかっさらわれてしまう宇文成都。これは辛いw


『隋唐英雄伝』では隋朝最強の武将(笑)でしたが、今回はちゃんと強いうえに哀愁を感じさせる宇文成都さん。

政権を掌握した煬帝は早速反対派の粛清を開始。捕らえられた兄の楊勇はもちろんのこと、楊勇派の重臣伍建章を群臣の前で自ら殺害し、その息子で南陽関の守将の伍雲召に対しては、羅芸と麻叔謀に討伐を命じます。そして叔父の越王楊素も、楊勇派の首領高熲を匿った罪で殺害。(楊素がどういう意図で高熲を匿っていたのかは謎です……)

その頃、煬帝の参謀役と思われた皇后の蕭美娘は、南朝陳の生き残りで文帝の寵姫からムリヤリ煬帝の妃にされてしまった宣華夫人と密談。実は蕭美娘の目的は、煬帝を利用して隋を滅亡に追いやり、故国を復興させることにあったのでした!南朝の生き残り同士で結託する2人の美女ですが…… 
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