第8章 六郎告御状
潘仁美は悪事を働いたことで不安に駆られ、楊延昭が逃げたと聞くと、居ても立ってもいられなくなりました。切羽詰まり、彼はやましい所のある自分の方から先に訴え出ることをさっさと決意し、夜通しで上奏文を書き上げます。彼は文章の中で、楊継業が軍令を聞かず、手柄を上げるために無闇に戦いを仕掛け、全軍の壊滅を招いたと誣告しました。書き終えると、やはり夜通しで皇帝のもとに送り届けさせます。
六郎楊延昭は馬を休ませずに道を急ぎ、宋国の辺境に入りました。天候がひどく暑く、六郎は暑さで喉が渇き、樹の下で足を休めて涼んでいたところ、突然向かい側から書生のような人がやって来るのが見えました。六郎が進み出て話しかけてみると、この人は王欽といい、上京して科挙を受けに行くところであることがわかりました。六郎は王欽の風采が垢抜けており、話しぶりも非凡であるのを目にするや、自分の受けた不当な仕打ちを彼に語りました。王欽は六郎の話を聞くと、彼が上京して皇帝に訴え出るのに賛成し、訴状を書くのを手伝ってやりました。六郎は彼が書いた訴状が言葉遣いが率直で、文章が滑らかで悲壮感があるのを見て非常に感激し、何度も彼にお礼を言って別れを告げました。
この王欽が、実は遼国が中原に派遣した間者であることを、六郎がどうして知りましょう。王欽が宋国の辺境までやって来て、どうやったら大宋の朝廷に潜り込めるのかと思案していたところ、うまい具合に楊延昭と出会ったという次第です。
六郎は都に到達すると、ちょうど七王元侃が巡察に出るところに出くわしました。六郎は前方に走り出て、かごを遮り自分の境遇を訴えます。七王が六郎を王府へと連れ帰り、彼の訴状を見てみますと、しきりに感嘆し、誰が書いたのかと尋ねますので、六郎は包み隠さず話しました。数日後、七王は王欽を探し当てさせ、彼を自分のもとに留めて側近に取り立てました。
次の日、六郎は七王に別れを告げ、皇宮の外の太鼓の前まで赴き、バチを取り上げ、自分の境遇を訴えながら太鼓を高らかに打ち鳴らします。門兵がそれを目にすると、大急ぎで彼を提獄官のもとへと引き連れ、提獄官はまた彼の訴状を太宗皇帝に進呈しました。太宗は訴状を読み終えると、にわかに怒りで顔色が変わります。ちょうどこの時、枢密院が今度は潘仁美の上奏文を送ってきました。太宗は読み終えると頭が混乱し、どうすれば良いのかわからなくなりました。
潘仁美の妻の兄にあたる南台御史の黄玉は皇帝が考えあぐねているのを見て、慌てて進み出て言いました。「楊継業は軍令に違反して手柄を焦り、全軍を壊滅させ、遼兵に殺されたのでございます。それが今却って総大将を誣告しようとは、陛下は楊延昭を打ち首にすべきでございます。」
八賢王趙徳芳は聞き終えると憤慨して言いました。「楊家の父子は何度も命がけで陛下をお救いし、朝廷に対してまことに忠誠心が厚うございます。それが今明らかに悪人によって陥れられようとしているのです。陛下はただちに命令を下し、潘仁美を捕らえて審問にかけられますよう。」
太宗皇帝はこれで更に困ってしまいました。というのは、太宗皇帝のお妃の潘妃がまさにその潘仁美の娘であり、潘仁美は太宗皇帝の岳父ということになるからです。今、かたや八賢王、かたや岳父の、どちらかに不義理をすることになり、太宗はこの事に対して手を下しかねていました。
八賢王は太宗の思いを読み取り、自分が審問に行こうとはしませんので、皇帝が命令を下さねばなりません。太宗はやむを得ず「誰も捕らえに行こうとせぬなら、潘仁美が戻ってからということにしようではないか。」と言うほかありませんでした。
八賢王は太宗の言葉尻をとらえ、すぐさま殿前に立って高らかに問い掛けました。「陛下は既に潘仁美を捕らえて罪に問うことを決定されたが、大臣の中で審問に行きたいという方はおられるか?」太尉の党進が答えます。「国のために悪党を取り除きたいと思います。私めが言って参ります。」太宗は仕方なく、党進を欽差大臣に任じ、聖旨を持たせて潘仁美を捕らえ、審問させることにしました。
潘仁美は悪事を働いたことで不安に駆られ、楊延昭が逃げたと聞くと、居ても立ってもいられなくなりました。切羽詰まり、彼はやましい所のある自分の方から先に訴え出ることをさっさと決意し、夜通しで上奏文を書き上げます。彼は文章の中で、楊継業が軍令を聞かず、手柄を上げるために無闇に戦いを仕掛け、全軍の壊滅を招いたと誣告しました。書き終えると、やはり夜通しで皇帝のもとに送り届けさせます。
六郎楊延昭は馬を休ませずに道を急ぎ、宋国の辺境に入りました。天候がひどく暑く、六郎は暑さで喉が渇き、樹の下で足を休めて涼んでいたところ、突然向かい側から書生のような人がやって来るのが見えました。六郎が進み出て話しかけてみると、この人は王欽といい、上京して科挙を受けに行くところであることがわかりました。六郎は王欽の風采が垢抜けており、話しぶりも非凡であるのを目にするや、自分の受けた不当な仕打ちを彼に語りました。王欽は六郎の話を聞くと、彼が上京して皇帝に訴え出るのに賛成し、訴状を書くのを手伝ってやりました。六郎は彼が書いた訴状が言葉遣いが率直で、文章が滑らかで悲壮感があるのを見て非常に感激し、何度も彼にお礼を言って別れを告げました。
この王欽が、実は遼国が中原に派遣した間者であることを、六郎がどうして知りましょう。王欽が宋国の辺境までやって来て、どうやったら大宋の朝廷に潜り込めるのかと思案していたところ、うまい具合に楊延昭と出会ったという次第です。
六郎は都に到達すると、ちょうど七王元侃が巡察に出るところに出くわしました。六郎は前方に走り出て、かごを遮り自分の境遇を訴えます。七王が六郎を王府へと連れ帰り、彼の訴状を見てみますと、しきりに感嘆し、誰が書いたのかと尋ねますので、六郎は包み隠さず話しました。数日後、七王は王欽を探し当てさせ、彼を自分のもとに留めて側近に取り立てました。
次の日、六郎は七王に別れを告げ、皇宮の外の太鼓の前まで赴き、バチを取り上げ、自分の境遇を訴えながら太鼓を高らかに打ち鳴らします。門兵がそれを目にすると、大急ぎで彼を提獄官のもとへと引き連れ、提獄官はまた彼の訴状を太宗皇帝に進呈しました。太宗は訴状を読み終えると、にわかに怒りで顔色が変わります。ちょうどこの時、枢密院が今度は潘仁美の上奏文を送ってきました。太宗は読み終えると頭が混乱し、どうすれば良いのかわからなくなりました。
潘仁美の妻の兄にあたる南台御史の黄玉は皇帝が考えあぐねているのを見て、慌てて進み出て言いました。「楊継業は軍令に違反して手柄を焦り、全軍を壊滅させ、遼兵に殺されたのでございます。それが今却って総大将を誣告しようとは、陛下は楊延昭を打ち首にすべきでございます。」
八賢王趙徳芳は聞き終えると憤慨して言いました。「楊家の父子は何度も命がけで陛下をお救いし、朝廷に対してまことに忠誠心が厚うございます。それが今明らかに悪人によって陥れられようとしているのです。陛下はただちに命令を下し、潘仁美を捕らえて審問にかけられますよう。」
太宗皇帝はこれで更に困ってしまいました。というのは、太宗皇帝のお妃の潘妃がまさにその潘仁美の娘であり、潘仁美は太宗皇帝の岳父ということになるからです。今、かたや八賢王、かたや岳父の、どちらかに不義理をすることになり、太宗はこの事に対して手を下しかねていました。
八賢王は太宗の思いを読み取り、自分が審問に行こうとはしませんので、皇帝が命令を下さねばなりません。太宗はやむを得ず「誰も捕らえに行こうとせぬなら、潘仁美が戻ってからということにしようではないか。」と言うほかありませんでした。
八賢王は太宗の言葉尻をとらえ、すぐさま殿前に立って高らかに問い掛けました。「陛下は既に潘仁美を捕らえて罪に問うことを決定されたが、大臣の中で審問に行きたいという方はおられるか?」太尉の党進が答えます。「国のために悪党を取り除きたいと思います。私めが言って参ります。」太宗は仕方なく、党進を欽差大臣に任じ、聖旨を持たせて潘仁美を捕らえ、審問させることにしました。