博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『魔幻手機』その1

2010年04月30日 | 中国科幻ドラマ
結局『精衛填海』を諦めて別のドラマを鑑賞することに…… 留学中に購入した『魔幻手機』を第1~6話まで見ました。以前にこちらのエントリで紹介した作品ですね。

西暦2060年、人類(というか中国人)はバーチャロイド型携帯電話の開発に成功した!開発チームはこの新型携帯のタイムワープ機能をテストするために、試作品の女性型バーチャロイド「傻妞」(傻妞は「バカ姉ちゃん」というような意味。酷いコードネームだ(^^;) )を西暦641年の世界に派遣。

傻妞はそこで妖怪の親玉黄眉大王と対決する孫悟空一行と出会いますが、悟空から意外なことを知らされます。実は悟空や猪八戒は既に傻妞と面識があり、しかも2006年の世界からやって来た陸小千なる人物が彼女のボーイフレンドだと言うのです。事態を把握できない彼女は取り敢えず2006年にタイムワープしますが、どさくさに紛れて黄眉大王や牛の鼻輪に化けた牛魔王までついて来てしまい……

本作は大ヒットした『宝蓮灯』のスタッフが再結集して制作されたSFコメディーということで、傻妞役の舒暢、黄眉大王役の陳創(『宝蓮灯』で哮天犬を演じていた人ですね)など、『宝蓮灯』の出演陣が多くキャスティングされています。

で、傻妞は2006年の北京に到達した時点でエネルギーが切れてしまい、元のケータイの姿に戻って陸小千青年の手に渡ります。しかしこのケータイ、下の画像にあるようにどう見ても変なオブジェにしか見えないのですが…… 劇中の人物はこれを人形と呼んでます。



善良な就活中の学生陸小千はこれのせいで黄眉大王や、王天覇・孫飛燕・小武のチンピラ3人組に追い回されたりと散々な目に遭いますが、ひょんなことから充電が完了した(太陽エネルギーで動くらしい)傻妞の起動に成功。彼女が電話通信のほか、タイムワープや医療・ボディガードなど様々な機能を持っていることを知ります。しかし大企業の若社長游所為に傻妞の不思議な力を知られてしまい……

この游所為を演じるのが『宝蓮灯』でだめんず二郎神を好演した焦恩俊ですが、こいつが紳士的なビジネスマンみたいな顔をしながら、女社長何藍と恋人付き合いをしていたと思ったら、その妹分の肖楚楚に乗り換えようとし、おまけに偶然出会って気に入った化梅(陸小千と同じ大学に通う女性で、小千の友達以上恋人未満的な存在)にも手を伸ばそうとするプレーボーイ。「ちっとは自重しろ」とツッコミたくなります(^^;)

一方、うっかり2006年の世界にやって来てしまった黄眉大王はと言えば、自動車が爆走し、警官やガードマンがスタンガンを振り回す現代文明に対応できず、乞食同然に落ちぶれて妖怪の親玉のはずが王天覇らチンピラ3人組の舎弟にされてしまう始末。下の画像が黄眉大王のなれの果て。こっちは見ていて何だか泣けてきます(;´д⊂)

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『ナポレオン』13巻と久々の上海新天地

2010年04月29日 | 書籍(その他)
今日はリハビリを兼ねて、退院後に一番行きたかった所、難波の上海新天地へ。2年ぶりぐらいに行ってみたら、やっぱり内装とか店舗の配置とかが変わってるんですが。1階にあった中国土産売り場が日本土産売り場になってました。店員&客の中国人濃度も上がっていて、レジでは普通に中国語で話しかけられる始末……(以前は一応日本語で話しかけられたと思う。)食品売り場もお菓子・ドリンク類が激減してました。

もちろん影視コーナーも物色し、張紀中制作『倚天屠龍記』と、周潤発主演『孔子』、ドニーさんの『錦衣衛』・『十月囲城』を購入。本当は張芸謀の『三槍拍案驚奇』が欲しかったのですが、置いてなかった……

で、表題の長谷川哲也『ナポレオン 獅子の時代』13巻ですが、3月に刊行されたらしいということでこれまで病院帰りに附近の本屋で探してみたのですが、本書どころか出版元の少年画報社の本すら見当たらず。仕方ないので結局Amazonで取り寄せました。

【今巻のあらすじ】

はるばるエジプトに遠征したナポレオンだが、妻のジョゼフィーヌが浮気性であるという事実を突き付けられ激怒。一方、ナポレオンの部将ランヌはフランスに残した妻の貞節を疑わず、余裕をこいていたが……

以下、本書107~108頁よりナポレオン(以下「ナ」と略称)とランヌ(同様に「ラ」と略称)のやりとりを拾い出してみます。

ナ「最悪のニュースだ」
ラ「俺にはもっと悪いニュースが」「フランスから……女房に子供ができたそうだ」
ナ「!一年会ってない…」
ラ「父親は俺じゃない」
2人が一瞬の間沈黙して見つめ合う
ラ「結論--女なんてクソだ」
ナ「そうだ」
2人のうちどちらかが地面に「ペッ」と唾を吐く
ナ「殺しまくれ」
ラ「ああ」

かくしてカイロの反乱に対して、フランス軍は「女子供も容赦するな」と恐るべき虐殺を繰り広げることになったのである……って、工エエエ(´д`)エエエ工 こんな経緯でかよ!この作品、何か毎巻のようにツッコミ所を盛り込んできますなあ(^^;)
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『中国王朝の起源を探る』

2010年04月27日 | 中国学書籍
竹内康浩『中国王朝の起源を探る』(山川出版社世界史リブレット、2009年3月)

いつの間にか山川出版社の世界史リブレットが第3期に突入していたんですな。そのうちの1冊として刊行されたのが本書。新石器時代から「夏」・殷・西周期に至るまでの王朝形成とその内実について概説してます。著者の竹内氏は近年は『「生き方」の中国史』など中国史全体にわたる著書の刊行が目立ちましたが、本書は珍しく(失礼!)氏の専門分野に関するものです。

本書で注目されるのは「夏王朝」の扱いです。大陸の学者が二里頭遺跡を「夏王朝」に関わるものとし、その延長で文献資料に見える「夏王朝」・「夏代」関係の記述をほとんど無批判に信用し、近年は日本の考古学者も「夏王朝」の実在を認めていく中で、本書では少なくとも現時点で「夏王朝」が実在したとする見方には消極的です。また二里頭遺跡が初期国家に関わる遺跡であると認めつつも、これを何らかの王朝に関わる遺跡であるという見方にはやや懐疑的で、二里頭遺跡を中国王朝史の中に位置づけることについてもっと議論を深めるべきではないかとしています。

大陸の学者がとかく「夏王朝」の実在を前提に議論を進める中で、特に外国の研究者はこういうことについてツッコミを入れ続けた方がいいんじゃないかと常々考えていたので、我が意を得たりという感じです。

このほかに印象に残ったのは、西周王朝を「戦う王朝」と位置づけていることです。確かに金文の記述を総合すると、西周王朝はいつの時期も東夷・淮夷や玁狁といった何らかの勢力と抗争を続けているんですよね。で、本書では淮夷などが後世の匈奴などとは異なり、同じ武器や同じ戦闘方式(ここでは戦車の使用などを指す)を取る共通文明圏に属する勢力であったとしています。この点は専門書や論文などはともかく、従来の概説書ではちゃんと書かれてこなかった点ではないかと思います。
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大学へ

2010年04月26日 | 雑記
本日、退院以来初めて大学に行って来ました。これまで外に出ると言うと病院しか行ってなかったわけですね…… 行ってみてわかったことと言えば「あちこち歩き回るのは疲れる」ということです(^^;) もう少しリハビリが必要ですなあ……
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唐の皇帝陵に押し寄せる横店化の波

2010年04月24日 | ニュース
昨日の『朝日新聞』夕刊にて「長安~奈良 1300年の時を超えて [上]」という記事が掲載され、昭陵(太宗陵)・靖陵(僖宗陵)など唐の皇帝陵の現状を紹介していました。以下、その記事を一部引用します。(この記事、残念ながら朝日のサイトではアップされていないのです……)

 この昭陵が2006年、大きく改修された。北門には仁王立ちする太宗の巨大な石像。山陵に続く松林が伐採され、狭い泥道は拡張されて石道に変わった。02年から4年間、昭陵の北司馬門遺跡を発掘調査した陝西省考古研究副院長の張建林さん(54)は「改修で遺跡の価値が損なわれた」と憤る。
 発掘調査の結果、太宗が中国全土統一の際に降伏や帰順をさせた諸国王や君長14人の石像や太宗の愛馬6頭の石像、唐代の建物の配置が明らかになった。しかし、調査終了後に地元政府が改修を進め、他の遺跡の石像の複製などが並べられた。「経済発展もわかるが、元々ここにない明代の石像や太宗の巨像を並べては観光客に誤解を与える」と話す。


要するに「改修」と称して昭陵が物の見事に横店化されてしまったという話なんですが、以前から本ブログをお読みの皆さんならご承知の通り、こういう現象は唐の皇帝陵に限った話ではないのであります(^^;) 以下、その例。







この記事では昭陵の遠景を写した写真しか載っていないのが何とも残念。是非とも明代の石像(明の十三陵の動物像なんかを模したものでしょうか?)やら太宗の巨像やらの写真が見たかったのですが(^^;) 以下は記事の続きの文。

 張さんには重い過去がある。西安市の高校教師だった父は60年代の文化大革命で、重労働を強いられた。張さんも中学を出ると化学肥料工場で働いた。文革が終わった70年代、地元の西北大学で考古学を学び、考古研究院に入った。そこで文革がいかに多くの寺院や文化財を破壊したかを知る。唐代の貴重な石碑が橋に変わり、皇帝陵の陪葬墓の多くも削られ、農地になるなど傷跡は生々しく今も残る。

要するに現在は文革期に次ぐ文化財受難の時代ということでいいんでしょうか。そしてこの記事の締めの一文。

 観光客の姿もなく、小麦畑の中に静かに眠る靖陵を前に張さんは言う。「昔の姿を守る。それが文化財保護の原則なんです」

聞くところによると、雲崗の石窟なんかも目にも当てられないほどペカペカの大伽藍が「復原」されてしまったそうですし、もう世界遺産とかガイドブックに載ってるような所はのきなみこんな感じになっていると考えた方が良さそうですね。
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たらい回しオツ たぶん完結編

2010年04月21日 | 雑記
【関係する病院一覧】

A病院:最初に結核を受診し、入院先B病院を紹介。
B病院:結核治療のため入院していた病院。
C病院:血液内科を擁する病院。

【これまでの経過】

B病院入院中に血小板が減少するという症状に見舞われた私。その治療のため、退院後にA病院を紹介されて受診したところ、「うちには専門の血液内科が無いから」と言われてしまい、C病院を紹介される。しかしそこでも「今の段階でうちに来られても」とか言われて再びA病院を紹介されてしまう始末……

------

本日そのA病院を受診。で、やっとこさこちらの病院で診てもらえることになりました。今後は定期的にこちらに通い、血液検査で血小板の数値を確かめつつステロイド剤の服用量を減らしていくことに。ひとまずこれでたらい回しは終了だと信じたい(^^;)
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西周斉地出土青銅器銘文

2010年04月20日 | 学術
入院中は当然のことながら『文物』『考古』などの中文専門誌を見ることが出来ない状態でした。それで退院する少し前に指導教授と電話で「最近何か新しい遺跡とか金文とか出ました?」「いやあ、そんなに大したの出てないな」というような話をしていたのですが、本日nagaichiさんの『枕流亭ブログ』を見ると以下のような記事が……

「太公望の墓……?」

要するに最近山東省淄博市高青県陳荘村にて西周期の墓葬やら車馬坑やらが発見され、おまけに「斉公」の銘がある青銅器まで出土したもんだから現地では「ここが太公望の墓だ!」という説まで出て来て大騒ぎという話です。「斉公」の銘のある青銅器については次の記事を参照。

「山東省首次発現“斉公”銘文和西周刻辞卜甲」(中国新聞網)

記事中では銘文の字釈を微妙に間違えてますが、「豊肇作厥祖甲斉公宝尊彝」、すなわち豊という人物が初めて祖先の祖甲斉公を祀る青銅器を作ったとありますね。ただ、上の記事の画像だと肝心の「斉」の字がどうもはっきりしないのですが……

で、nagaichiさんの記事によると、今月に入ってこの遺跡から出た70余字の銘文を持つ青銅器が発表されたとのこと。次の記事は銘文の比較的はっきりした写真が掲載されているものです。

「山東陳荘西周遺址発現站立殉馬 重要性或超曹操墓」(新華網山東頻道)

ただ、肝心の銘文の写真が上下逆さまの状態なので、これをひっくり返してみました。



これを文字におこしたのが以下の文。後ろに(?)が着いているのは不確かな文字、□の部分は読み取れなかった文字です。(「これはこの字じゃね?」という意見がありましたら御教示下さいませ。)また、「女」字を直接「汝」字に置き換えるなど、通仮字に関しては寛式で表記してあります。

隹正月壬申王各于周(?)龏大室王若曰引余既命汝更乃祖(?)□司斉師余唯申命□賜汝彤弓一(?)彤矢百馬四匹□乃□毋敗□引拝稽首対揚□□同□追俘兵用作□公宝簋子子孫孫宝用

下はその書き下し文。

隹れ正月壬申、王、周の龏大室に各(いた)る。王若(かくのごと)く曰はく、「引、余既に汝に命じて乃の祖を更(つ)がしめ、斉師を□司せしむ。余唯れ命を申(かさ)ぬ。□汝に賜彤弓一・彤矢百・馬四匹を賜う。□乃□、毋敗□。」引拝稽首し、□□に対揚す。同□追して兵を俘し、用て□公の宝簋を作る。子子孫孫宝用せよ。

新華網の記事中の銘文の大意を参照して分からない所を適当に補って訳すと、こんな感じ。

正月壬申の日、周王は周の共王を祀る宮室に到来した。(そこで引という人物に対して)このように言われた。「引よ、余は以前に汝に先祖を継いで斉の軍隊を管理するよう命じた。余は再び同じ命令を与える。汝に赤色の弓一・赤色の矢百・馬四匹を与える。慎んで汝の職に勤め、戦いに敗れないようにせよ。」引は拝礼叩頭し、王の恩寵に感謝の意を示した。……敵軍を追撃して得られた兵器を用いて、ここに□公を祀る簋を作る。子々孫々これを宝物として用いよ。

形式としては西周金文によくある周王による官職任命を記したもので、冊命金文に類するものです。この銘文自体は太公望とは直接関係のないものですね。銘文に出て来る引という人物が斉侯の子孫・一族なのかどうかもよく分かりません。当然陳荘の墓葬が太公望のもの云々という話も眉に唾付けて見る必要があるでしょう。これについては新華網の記事でも後ろの方に「ただ、現在の状況では、出土した城址の面積は比較的小さく、かつその中に墓葬があるだけで、生活区が発見されていないので、斉国の都城であるはずはなく、また斉国国君の墓葬であるはずもない」とあり、慎重ですね。銘文の年代は「龏大室」すなわち共王の宮室という言葉からすると、西周6代目共王より後、西周中期後半以後ということになるでしょう。

この銘文で興味深いのは、「斉師」すなわち斉の軍隊が斉国ではなく王朝の管轄下にあったということですね。師[宀袁]簋や史密簋といった他の銘文を参照しても、やはり周王に直属する貴族が斉師を率いて淮夷やら山東方面の現地勢力を討伐したりしてます。ここから斉国と王朝の関係がどんなもんだったのかとか、(『史記』斉世家を見ると、斉の哀公が周に煮殺されてたりして、周と斉の関係が穏やかではなかったことが窺われるのですが)そもそも軍隊の管轄権が王朝に握られている時点で斉が諸侯国としての体を成していたのかとか様々な疑問があふれてきます。しかし何にせよこの銘文が論文のネタにしやすいことは確かなのであります(^^;)
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アニキ、漢だぜ!

2010年04月18日 | 雑記
阪神・金本「『僕は外れます』と伝えた」 連続フル出場がストップ(Yahoo!ニュース)

真弓にこんなこと決断出来るはずないと思ってたら、やっぱり本人から言い出したのかよ!しかしアニキ、漢だぜ!

で、今日は久々に録画してた『蒼穹の昴』を見てました。しかし帰国してからこのかた、すっかり中華ドラマを見るという習慣が途切れてしまいましたねえ。帰国する前に『精衛填海』というドラマに手を付けてたんですが、続きから見てもこれまでの内容を忘れてるし、かと言って最初から見直すというのも何か面倒くさいという状態です……
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某研究会へ

2010年04月17日 | 雑記
今日は某研究会に行ってました。

この手の研究会は、ぶっちゃけて言うと研究発表そのものよりその後の懇親会の方が大切だったりするんですが、さすがに退院したてということで懇親会の方はパス。(研究会の方を欠席して懇親会だけ出るという荒技もあるにはあるのですが、私は今まで実行したことはありません……)それでも何とか諸先生方に生存報告はできました(^^;)
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たらい回しオツ その2

2010年04月15日 | 雑記
【関係する病院一覧】

A病院:最初に結核を受診し、入院先B病院を紹介。
B病院:結核治療のため入院していた病院。
C病院:血液内科を擁する病院。

【これまでの経過】

B病院入院中に血小板が減少するという症状に見舞われた私。その治療のため、退院後にA病院を紹介されて受診したところ、「うちには専門の血液内科が無いから」と言われてしまい、今度はC病院を紹介されたが……

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ということで本日そのC病院血液内科を受診。医師曰く「んー、こちらに回されても今飲んでるステロイド剤を止めてみて、どんだけ血小板の数値が下がるのか見てみないことには病気が特定できんのですわ。取り敢えずA病院の方に紹介状を出しておきますんで、そちらで治療を受けて血小板の数値が下がってくるようなら、もう1回うちに来てね。」

工エエエ(´д`)エエエ工 まさかの2日連続たらい回し…… これまで「血小板減少性紫斑病」という病気が発症したという前提で治療を受けてきたのですが、医師の話によると血小板が減少する症状には他に胃の中にバクスターピロリ菌(名前はうろ覚えです)がたまっている、膠原病の発症(この場合は数値上血小板が減少しているように見えるだけで、実際には減少していないとのこと)などの原因が考えられるということです。

今後はたぶんA病院で定期的に血液検査をしつつ徐々にステロイド剤を減らしていくということになるんでしょうが、(血液内科の無いA病院でもそれぐらいは対応できるらしい)もうたらい回しは勘弁してもらいたい(-_-;) 紹介状はC病院からA病院の方に郵送するということなんで、(正直、直接私の方に渡してもらった方が面倒が少ないのですが)来週紹介状が届いた頃を見計らってA病院に行くことにします……
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