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博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『大江大河』その2

2019年01月28日 | 中国近現代ドラマ
『大江大河』第7~12話まで見ました。

小雷家大隊では、雷東宝の指導のもとで生産責任制と建設需要を見込んだレンガ工場が軌道に乗り、順風満帆かと思いきや、村の嫌われ者「老猢猻」が雷東宝を県に告発。この老猢猻は小雷家の村民ですが、県の役所で役職を得ているようで、冒頭で宋姉弟の大学進学を阻んだりしておりました。で、たまたま留守にしていた東宝のかわりに叔父の老書記が県の役所に連行されてしまいます。


そこで東宝は村の若い衆を動員して県の役所に押しかけ、県長への褒め殺し作戦で対抗しようとします。何だか暴走族チックなノリを感じますが、この自転車だって生産責任制の導入で前より羽振りが良くなったからようやく買えたというあたりで、当時の状況がしのばれます…… 結局東宝は徐県長から小雷家の発展に対して激励の言葉を貰い、老書記解放の約束も取り付けて事なきを得ます。

一方、宋運輝の方は、大学の化学系の研究室に入って勉学に打ち込み、また反抗的だった附属小学校の女子生徒梁思申と打ち解けます。ここで「出師表」がネタにされてますが、こういうドラマでもきっちり古典を下敷きにしたやりとりで出てくるんですね。そして雷東宝はいよいよ宋運萍にプロポーズし、めでたく結婚へ。運輝の方もこのあたりから段々東宝と打ち解けてきます。宋家では文革以来親戚づきあいが疎遠になっていたようで、運輝も自分たちが「反革命家庭」に指定されて以来冷たくされたということで、親戚一同に良い印象を持っていなかったようですが、ルームメイトの「大叔」に諭され、彼らを結婚式に招いて和解の場とします。

小雷家に嫁いだ運萍は、村から電大(大学の附属専門学校か定時制の類?)に通いながらアンゴラうさぎの養殖を進めます。村では副書記の東宝の方が名前が売れてしまったがために、老書記の方が上から引退を迫られ、東宝に書記職を譲らされますが、運萍は東宝に何かと老書記を立てさせようとします。しかし東宝の母はそれが気に食いません。おまけに運萍の勉学のために2年間子供を作らないと宣言したことですっかりへそを曲げてしまいます。ここで日本とはまた違った形で嫁姑問題が展開。


そしてここらへんで3人目の主人公らしい楊巡が登場。この時点ではまだ16歳のしがないマントウ売りです。宋一家とは家族ぐるみの顔なじみで、運萍とのつながりによって東宝の知遇を得ます。

東宝の方は村で鉄筋やセメントが不足するようになったので、資材を調達しようと省の担当部署に掛け合いますが、感触が思わしくなく、結局自分と同じ元工兵が経営している製鉄場から仕入れることになります。今話題のファーウェイの創業者も復員軍人ということですが、こんな感じでビジネスを広げていったんでしょうか。

しかしここでまた「老猢猻」が暗躍し、東宝は国の計画物資を横流ししたということで県に告発されます。村の帳簿を見せれば問題ないはずですが、「老猢猻」によってその帳簿も燃やされてしまいます。村の人間は東宝に逃亡を進めますが、長期休暇で帰省中の運輝はそれでは相手の思うツボだと反対し、東宝もそれに同意。帳簿の副本を揃え、査察にやって来た県の上役とともに役所に弁明に向かうことになりますが……
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『大江大河』その1

2019年01月22日 | 中国近現代ドラマ
中国で年末年始に放映・配信されて高評価を得た『大江大河』を見始めました。第1部全47話中の第1~6話まで鑑賞。

時は1978年、文革が終わり、改革開放政策が始まった頃合いです。地方の農村で暮らす宋運萍・宋運輝姉弟は、文革が終了して再開された高考(大学入学のための統一試験)で合格ラインを突破し、大学進学への希望に燃えておりました。しかし2人の家は父親が昔国民党と関わりを持ってしまったことによって「反革命家庭」とされており、「出身が良くないのに何が大学だ」とばかりに、手続き書類の提出を地域の革命委員会の幹部によって差し止められてしまいます。


で、『琅琊榜』でお馴染み王凱演じる弟宋運輝の方が革命委員会の建物の前で、広く大学進学希望者を受け入れるという旨の中央の文書と『人民日報』の社論をひたすら暗誦するというマジキチ行動に出ます。


この談判に折れた革命委員会の李主任が県の方に話を上げ、協議の結果、姉弟のうちどちらかが片方のみが進学を許されることになり、運萍は「自分は高中(高校)に進学できたが、弟は認められなかったから」と、涙をのんで運輝を進学させることに…… 宋運萍を演じるのは、これまた『将夜』の李漁でお馴染み童瑶です。

安運大学化学系に進学した運輝は寮の同室の学生を「叔叔」と呼んでしまい、ルームメイトに大叔・二叔・三叔のあだ名が付けられます。どう見ても20歳前後ではなさそうなおっさんが新入生でそこそこ存在するというのも、この時代ならではなのかなと。こういう時代背景が何となく見えてくるのもこのドラマの面白いところです。運輝は勉学に励むかたわら、『人民日報』の記事の朗読会にも精を出し、自分たちにかけられた「反革命家庭」のレッテルが剥がされる日も近いと希望に燃えるようになります。

地元に残った運萍ですが、故郷の農村で仕事があるわけでもなく、ふと街で見かけたアンゴラうさぎ(長毛種のうさぎで毛織物の材料になるので、その毛が高値で取り引きされているとのこと)の飼育を思い立ち街で仕入れたところ、復員軍人の雷東宝と出会います。


ここで宋運輝に続く2人目の主人公が登場(主人公はもう1人いるらしい)。運萍たちが暮らす村の隣の小雷家大隊が彼の故郷で、大隊の書記を務める叔父によって副書記に任命されます。しかし小雷家は近隣でも貧村と知られるところで、東宝も含めて村の若者には嫁の来手もありません。そこで当時安徽省小崗村が率先して導入し評判となっていた「生産責任制」を小雷家でも導入することにし、村の若者たちを使って農地の測量を開始します。東宝と幼馴染みの村の若者たちとの関係を見てると、何となくジャイアンがそのまま大人になったような感じがしてきますが……

しかし村民に農地をどう分配するかで頭を痛め、春節で帰省していた運輝の知恵を借りようとまとわりついたり、村の若者たちが運萍と東宝とが結婚すると勘違いして囃し立てたりして、運輝からすっかりウザがられてます (^_^;) 姉に対して下心があるのではないかと雷東宝に不信感を抱く運輝ですが、彼の力添えによって宋一家は名誉回復を果たします。そして休みが明けて大学に戻った運輝は、大学の附属小学校の輔導員のボランティアを始めますが、反抗的な女生徒につっかかられ……というところで次回へ。

この手のドラマは予備知識がないと厳しいかな?と思いきや、『人民的名義』と同じく割とすんなり見られます。むしろドラマが当時の時代背景の良い教材になってる感じですね。話もテンポよく進んでおり、中国で評判になったのも頷けます。



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『将夜』その10(完)

2019年01月14日 | 武侠ドラマ
『将夜』第55~最終60話まで見ました。

知守観で下働きからやり直すことにした隆慶ですが、薬錬所の清掃係を任されたところ、これ一粒を飲めば一気に「破境」できるという西陵国の秘薬「通天丸」をうっかり発見したり、
付近の洞穴に住まう下半身が腰斬された自称聖人の半截道長と出会い、「通天丸を飲んじゃいなよ?」「なに、盗みはできない?なら自分で錬成すればいい。やり方は『天書』沙字巻の最後に載ってるぞ?」「錬成できない?なら自分の心血を捧げればいい」と次々に悪魔の囁きを繰り出します。


そして陳某の愛弟子で次代の知守観観主と目されつつも15年間引きこもり生活を続けていた葉青が世に出ます。彼は「荒人」の唐、天擎宗の七念とともに「天下行走」に数えられ、かつてこの2人と「永夜」到来の徴候を目撃した人物とのこと。妹の葉紅魚が出奔したと聞き、その跡を追います。

その葉紅魚はといえば、夏侯との決戦に備える寧欠のもとにドゴーン!!と門扉を破壊して押しかけます。かつて蓮生大師との戦いで助けてもらい、今また西陵の追っ手から匿ってもらう例として、寧欠に柳白の「大河剣」を、桑桑に昊天道の功法を教えます。

彼らのもとに葉青が追ってきて、師匠陳某の子の陳皮皮とも接触。陳某の後継者となるはずだった皮皮ですが、葉紅魚から「あんたと兄上のどちらが優れているの?」「あんたも兄上が観主になった方がいいと思うよね?」というのをちくちくやった結果、色々イヤになった皮皮が出奔したという経緯があった模様。しかし目的は妹と寧欠、陳皮皮の捜索だったはずが、葉青は気がつけば何で都城の老百姓相手に布教してるのでしょうか (^_^;)

その頃、唐王は独自に宣威将軍林光遠殺害の案件について再検討を始め、「冥王の子」が林府に存在すると信じた衛光明の指示により、親王と夏侯が林光遠の罪をでっち上げたと結論づけ、2人を庶民の身分に落とします。林光遠と配下の諸将の名誉回復がなされたことで、「これでよかろう?」と唐王が寧欠に問いかけますが、寧欠は「まだだ。オレの両親の名前はそこに入ってない」と訴えかけます。林光遠の遺児かと思われた寧欠ですが、実は林光遠の門番寧賢と、名もなき李三娘との間に生まれた子なのでした。「生き延びて仇討ちをするのはどうしていつも王子だけなのか?」と訴える寧欠ですが、発想がやっぱり厨二臭い…… で、唐王によって雁鳴湖で寧欠と夏侯との決闘が認められ、15年ごしの禍根に決着がつけられることになります。


そして半截道長の功力を吸い取り、通天丸を奪取し、かつてより強大な力を手に入れたものの完全に闇オチしてしまったこの人の運命は……?

【総括】
ということで「第一季完」です。実は寧欠と夏侯のラストバトルのアクションについては「ファイナルファンタジーⅦ アドベント・チルドレン」のアニメーション抄襲(パクリ)ではないかという指摘が出ておりまして、最後の最後でミソがついてしまったのが残念ですが…… というかそもそも本作の世界観が『ゲーム・オブ・スローンズ』をなぞっているだけではないかというのが指摘されてますね……

実は本作の展開の遅さは『天盛長歌』、あるいは以前に展開が遅いと評価された『青雲志』なんかとそれほど変わりはないのですが、やれやれ系主人公の寧欠をはじめとして随所に差し挟まれた厨二病的演出の力でまあまあ見てられるという感じですね。既に制作が決定しているセカンド・シーズンでも制作スタッフの厨二マインドを存分にぶち込んで頂きたいところです (^_^;)
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『将夜』その9

2019年01月07日 | 武侠ドラマ
『将夜』第49~54話まで見ました。

道石の死の一件により、寧欠が入魔している=「冥王の子」であるという認識が広まり、寧欠自身も「自分は「冥王の子」なのではないか?」と不安を感じるようになります。桑桑の処遇については、彼女が寧欠の侍女であることには変わりないという唐王の裁定(というよりは「夫子」の思し召しを追認しただけのようですが)により、また2人で老筆斎で暮らすことになったと思っきや、寧欠は「夫子」から「書院」後山の思過崖で謹慎を命じられてしまいます。

思過崖での謹慎は懲罰というよりは、世間の噂から寧欠を守り、入魔の原因となった「浩然気」の制御できるように修行せよという思し召しですが、寧欠以外は自由に出入りできるようで、桑桑は洞穴の外の小屋で彼の面倒を見、「二層楼」の師兄・師姐もひっきりなしにやって来ます。寧欠はみんなから愛されてますね 。更に西陵に唆された南晋「剣閣」の閣主の弟・柳亦青が挑戦者としてやって来たり、「書院」入学の仲介をするという約束を信じて「荒原」から唐小棠が押しかけたりと千客万来です。唐小棠は「夫子」の思し召しで三師姐・余簾の弟子となります。実は彼女も魔宗の出身の模様です。

しかしそんな生活もいつまでも続かず、桑桑が衛光明の後継者ということで、西陵国から天諭大神官と副神官の程立雪が後任の光明大神官として桑桑を迎えに来ます。桑桑が西陵に行ってしまうと聞き、寧欠は矢も楯もたまらずに思過崖からの脱出をはかり、遂に「浩然気」を「昊天神輝」へと昇華させてその制御に成功します。そして天諭大神官に「あと3年待って欲しい」と申し出、西陵側もその言葉を信じて素直に引き下がります。大神官の目には3年後に桑桑が光明大神官としてとてつもない力を発揮している姿が見えているようですが……?

そして寧欠は「剣閣」に挑戦に出向いたまま行方不明となっている朝小樹の剣を携えてきた柳亦青の挑戦を受けますが、「昊天神輝」を身につけた寧欠に柳が敵うはずもなくあっさり敗北し、かつ自分が西陵国に踊らされていたことを悟ります。


「剣閣」の柳白も弟からの手紙で、「剣閣」に西陵国の裁決司の間諜が入り込んでいたを知り、報復として「荒原」からの帰還以来謹慎生活もとい写経生活を送る葉紅魚に密かに剣の極意を伝え、「お前が裁決司大神官に取って代われ」というメッセージを込めます。それを受け取った彼女は西陵を出奔。そして柳白に挑戦しようとして、西陵の間諜のワナにはまって崖から落ちて死んだはずの朝小樹ですが(これまで省略してましたが、そういういきさつがあったのです)、やっぱり死んでませんでした!!\(^o^)/


一方、廃人となって魚売りにまで身をやつしていた隆慶ですが、かつて自分を認めてくれていた知守観観主の陳某と再会。陳某を演じるのは有名俳優の劉佩琦です。彼に再会したことで隆慶は再び修行の道を志し、知守観で日字巻・落字巻などの『天書』に挑むことになりますが、寧欠への復讐心は相変わらずの模様。色々辛酸をなめたはずなのにこの悔い改めてない感は一体何なのでしょうか…… 金庸からこのかたみんなこの手のキャラが嫌いなんだなと (^_^;)

寧欠の方は桑桑の父母に婚約を申し出、雁鳴湖の土地を購入して2人の家を建て始めますが、結婚の前に林将軍の仇・夏侯を討ち果たさなければならないと思い定めています。そして夏侯の方も西陵国から与えられた「通天丸」の服用により、武功が「武道巓峰」の域に達し……というあたりで次回へ。最終回というか第一部完(本作第二部の制作が決定したとのよし)に向けて話を畳みにかかっている感じです。
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『将夜』その8

2019年01月01日 | 武侠ドラマ
『将夜』第43~48話まで見ました。

隠退を約束させられた夏侯ですが、性懲りもなく張貽琦ら殺害の件で寧欠を追い詰めようと企みます。そして土陽城では夏侯の部下で、実は西陵のスパイだったらしい林零が寧欠を襲撃しますが、そこで寧欠は蓮生から魔宗の功法を注入されたせいか、はたまた「浩然剣法」を修得したせいか、怒りの感情が高まると入魔してしまう体質になっていねことに気づきます…… しかしこれがバレると破門になるかもしれないということとで、誰にも相談できません。

都城では桑桑が寧欠の重要参考人として連行されるという一幕もありましたが、陳皮皮によって救出されます。そして李漁のおともに王后の上元節の宴に連れられたところ、宴の出席者の曾静夫人に見出され、曾静夫妻の生き別れの娘であることが判明します。実の父母と対面した桑桑ですが、家族として受け入れる気になれません。

それと前後してようやく寧欠が都城に帰還しますが、彼が恋人の莫山山を連れ帰ったことや、互いの師父が決闘して死んだことでわだかまりができてしまいます。そして朝廷では李慢慢と寧欠が北辺の防衛を担う夏侯に隠退を約束させたことが、「朝政に干渉しない」という「書院」の規律に反するのではないかと問題視されます。この「朝政に干渉する」というのは何やら昨今日本で問題になっている皇族やらタレントの政治的発言を連想させますが……?

で、唐国にやって来た「天擎宗」の修行者観海と手合わせすることになった寧欠ですが、入魔してしまったことを相手に悟られないようにするのに精一杯で、相手の攻撃をモロに受けてしまって反撃できません。「どうして反撃しないのです!?」と問われると「反撃したらお前は死んでただろう」と返し、この厨二な返答に観海が勝手に感服して帰ってしまいます。


そして近眼で寧欠の顔もぼんやりとしか見えないという山山のために、寧欠は師兄に作って貰った眼鏡をプレゼントします。


寧欠の家である「老筆斎」の前で寧欠の頬にキスをする山山ですが、桑桑はうっかりそれを目にしてしまい…… 桑桑のこの顔ときたらwww

桑桑は寧欠と山山がラブラブな様子を目の当たりにし、もう自分の居場所はここにはないのではないだろうか?自分と寧欠が苦労して貯めた金も山山が若奥様になったら好きに使われてしまうのだろうか?と思い悩み、今まで貯めた銀錠を懐にして「老筆斎」を立ち去り、実の両親である曾静夫妻とともに暮らすことを決意します。

寧欠は銀錠が持ち去られていることから桑桑の家出を確信し、曾府に怒鳴り込み、桑桑との対面を要求しますが、この場面での寧欠の振る舞いは一歩間違えなくてもDVと言われても仕方がないものですよね…… まあ桑桑の方も「お前を拾ってからオレがお前を養ってやったのに!」と怒鳴る寧欠に対し、「8歳からこのかた炊事・洗濯と家のことは何でもやってきた。私がお前を養ってやったんだ!」と怒鳴り返すなど、決して負けてはいないのですが。そして「書院」後山でも寧欠をめぐって莫山山と結婚すべき派と桑桑を選ぶべき派に分かれて対立している模様。本人たちが結婚もしてないのに離婚調停みたいな修羅場になっているのに対し、こちらは何となくドラクエ5のビアンカ・フローラ論争を連想させますが (^_^;)

その寧欠に、曲妮大師が辱められた仇討ちだとばかりにまたぞろ「天擎宗」の道石が挑戦。戦いの中で寧欠はその道石を殺害してしまい、更に入魔してしまっていることを同行していた陳皮皮に告白せざるを得なくなります。そしてビアンカ桑桑を選ぶ決意をした寧欠はフローラ山山に別れを告げ、妓楼でやけ酒を飲んでたところを、それと知らずに「夫子」と対面し……というあたりで次回へ。
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2018年12月に読んだ本

2019年01月01日 | 読書メーター
本年もどうぞよろしくお願い致します。

叢書 東アジアの近現代史 第3巻 日本人の朝鮮観はいかにして形成されたか叢書 東アジアの近現代史 第3巻 日本人の朝鮮観はいかにして形成されたか感想
「日本人の朝鮮観」に関わる話をオムニバス形式でまとめる。著者の専門を反映して近世の話が多い。個々の話は面白いけれど、全体としては何だかボヤけた印象になるかなと。「鮮人」の呼称をめぐる変遷、特に蔑称として機械的に取り扱われるべきではないという主張は、「社会的に蔑称として機能し続けたことを軽視するものではない」という著者の断りがついているが、現状ではその断り書き込みでも不安が拭えないように思う。
読了日:12月02日 著者:池内 敏

漢字学ことはじめ漢字学ことはじめ感想
今年3月に行われた日本漢字学会設立記念シンポジウムの講演録だが、小倉紀蔵「韓国人の世界観と漢字」で触れられている現代韓国での漢字事情を面白く読んだ。韓国人全体の漢字リテラシーの高低を評価するには色々難しい事情があるようだ。またハングル専用論者が中国文明からの離脱を念頭に置く文化的ナショナリストであるという点は、日本の反中右派が漢字廃止に対して煮え切らない態度を取っているのと好対照になっているように思う。
読了日:12月02日 著者:

闘争の場としての古代史――東アジア史のゆくえ闘争の場としての古代史――東アジア史のゆくえ感想
朝鮮古代史あるいは「東アジア」史の史学史や歴史認識をめぐる論集だが、戦後に韓国の研究者が主張した広開土王碑改竄説に、日本の研究者が強い批判を浴びせたことについて、「実証史学」の名のもとに自らの民族主義的な体質を自白した、碑文研究の歴史そのものが帯びる自らのイデオロギー性に無自覚と批判しているのが面白い。今日の歴史認識をめぐる議論も日本側が「客観性」「冷静さ」を装いつつも民族主義から自由になれていないのではないか。そういったことを考えさせられる。
読了日:12月06日 著者:李成市

戦国僧侶列伝 (星海社新書)戦国僧侶列伝 (星海社新書)感想
一口に戦国時代の僧侶とは言っても、たとえば遊行僧の同念・普光ら、貴族化しつつあった本願寺宗主の証如・顕如・教如、皇族・摂関家出身の覚恕や道興・道増、大名・将軍のブレーンとなった雪斎・崇伝、「不受不施」をめぐり生前と死後に二度にわたって流罪を命じられた日奥、そもそも正規の僧侶であったかどうか意見が分かれる前田玄以とでは、その活動の意義や歴史的位置づけが異なる。面白いアプローチの仕方を見つけたなと素直に感心させられた。
読了日:12月08日 著者:

国際法 (ちくま新書)国際法 (ちくま新書)感想
「グロティウスは国際法の父か?」というところから始まる国際法の網羅的な入門書。国際法は無力である、よく破られるという議論に対し、実のところ国内法もしばしば破られているが、かと言って法律など無意味な存在ということにはならないとか、国際裁判の判決が問題の解決をもたらさないという議論に対して、実は国内の裁判でも問題の解決をもたらさないことがしばしばあるといった対比による解説が面白い。国際法への懐疑は、国内法を含めた法律、あるいは「法の支配」そのものへの懐疑につながるのかもしれない。
読了日:12月12日 著者:大沼 保昭

歴史を知る楽しみ (ちくまプリマー新書)歴史を知る楽しみ (ちくまプリマー新書)感想
ペリー来航が日本史の画期となるのは当たり前。ならその少し前のビドゥル(ビッドル)来航はなぜペリー来航ほど知勇目されないのか?同時代の認識はどうだったのか?というところから始まる歴史学入門。「歴史学ではこういう具合に考えます」という見本を、いくつか著者自身や先人の研究・思考の成果を引きつつ、いろんな角度から見せてくれる。最後の「歴史家は文学者流の表現を時には取り入れねばならない」という提言は、個人的に頭の片隅に置いておきたい。
読了日:12月12日 著者:家近 良樹

渋川春海: 失われた暦を求めて (日本史リブレット人)渋川春海: 失われた暦を求めて (日本史リブレット人)感想
貞享暦への改暦をめぐって、朝鮮との対比など改暦の世界史的意義や保科正之ら当時の為政者や学者たちの儒教的教養のありようについて言及するほか、渋川春海自身の思想、特に彼が中国暦の伝来以前に日本固有の暦法があったと固く信じるなど日本中心の復古主義的な信念を持っていたこと、中国を敢えて「西土」と呼び、中国暦をそのまま受容することは中国の属国となることを意味すると信じていたことなど、小説『天地明察』からは見えてこない彼の思想的暗部というか限界、思想史的な位置づけについてまとめている点が面白い。
読了日:12月13日 著者:林 淳

陸奥宗光-「日本外交の祖」の生涯 (中公新書)陸奥宗光-「日本外交の祖」の生涯 (中公新書)感想
土佐立志社系の政府転覆計画に関与して投獄されるまでの自信過剰が目立つ前半生が印象的。外交官としては「剃刀大臣」(これは農商務大臣を務めた時からのあだ名ということだが)として、大国を相手に策を駆使したというイメージが持たれているが、実のところ条約改正ではもっと地味な役回りだったようだ。同じく外交官として活躍した青木周蔵との対比や、伊藤博文・西園寺公望・原敬らとの交わり、「美人」として知られる亮子夫人についても紙幅が割かれている。
読了日:12月14日 著者:佐々木 雄一

決定版 日中戦争 (新潮新書)決定版 日中戦争 (新潮新書)感想
日中戦争の展開と収拾についてまとめる第一部と第三部の間に各論となる第二部第五~七章を挟み込む構成で、その第二部の部分を面白く読んだ。第五章で中国側が的確に国外への「プロパガンダ」を行う一方で日本側が国際的な「宣伝戦」に失敗したとされているが、第七章では国民が対外状況を「持てる国と持たざる国」という構図で理解し、統制の強化や生活の窮乏化を英米の対日敵対政策のせいだと思い込んだとあり、当時の日本は対外的プロパガンダは失敗したが、対内的プロパガンダは大成功したということになるのではないか。
読了日:12月17日 著者:波多野 澄雄,戸部 良一,松元 崇,庄司 潤一郎,川島 真

増補 南京事件論争史: 日本人は史実をどう認識してきたか (平凡社ライブラリー)増補 南京事件論争史: 日本人は史実をどう認識してきたか (平凡社ライブラリー)感想
日本人は南京事件をどう見たか/どう見てこなかったかを総ざらいした本であり、かつ関連書籍の解題集ともなっている。南京事件に関する病巣は「南京事件は中国が日本を国際社会から放逐するために仕掛けてきた情報戦・思想戦の一手段であり、謀略である」という否定派の被害者認識、あるい強迫観念意識にあるということになるのだろうが、この強い「信仰」はどうすれば解消されるのだろうか。
読了日:12月20日 著者:笠原 十九司

内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで (講談社現代新書)内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで (講談社現代新書)感想
大枠の話の流れよりも、たとえば恵美押勝の乱が、奈良時代において臣下が王権に対して軍事力を直接に行使した唯一の事例であるが、その無残な失敗が日本の支配者層への負の教訓となったとか、平将門の新皇即位は『将門記』の作文ではないかとか、個別の内戦の位置づけや解釈を面白く読んだ。桓武天皇が中国王朝に倣った「小帝国」を再構築するうえで「征夷」必要としたという話は、更に一歩進んで、征伐の対象となった蝦夷などの存在自体が王朝の都合で「作られた存在」であり、「異民族」としての実態を持っていなかったのではないかと疑わせるが…
読了日:12月21日 著者:倉本 一宏

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書 2517)承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書 2517)感想
文武両道で何事にもエネルギッシュであるが、ワンマンであることが敗北の原因となったという後鳥羽院と、将軍としての威信をちゃんと備えていた源実朝という人物像が新鮮。和歌などの文化面からの分析が特徴的だが、「正攻法」による承久の乱論はいくらでもやりたがる人がいるだろうし、これはこれでよい。王朝の伝統的権威や官職補任をありがたがり、貴族との人脈形成のために教養を磨いたさまなど、当時の武士の処世を描いているあたりも面白い。
読了日:12月24日 著者:坂井 孝一

オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史 (中公新書 2518)オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史 (中公新書 2518)感想
日本で600年にわたるオスマン帝国史全体を扱う試みは半世紀ぶりとのことだが、帝国のトルコ性の推移など、王権や国家のアイデンティティの変遷、イェニチェリやウラマー、母后、宦官といった政治的アクターの変化、スルタンの兄弟殺しの慣行が廃された影響、同じトルコ系の侯国や西欧諸国との力関係の変化など、多くの問題が通時的に追えるようになっている。16世紀末以降の帝国を衰退期・停滞期ではなく変革期と位置づけている点、イェニチェリによる反乱を王権の濫用に対する異議として、その民主制を積極的に評価しているのが印象的。
読了日:12月28日 著者:小笠原 弘幸

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