博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

TVB版『楊家将』その1

2010年07月31日 | 中国古典小説ドラマ
TSUTAYAでカード更新のついでにTVB版の『楊家将』を借りてきました。アンディ・ラウ、トニー・レオンら香港スターを総動員し、1985年に全5話で放映されたドラマです。キャスティングについては小旻さんの『問世間 情是何物』を参照のこと。香港五虎将揃い踏みのうえ、さりげなくマギー・チャンとかも出演していたりして、リストを眺めているだけでも胸が熱くなってきます。

で、ドラマの方ですが、宋の太祖が亡くなった所から話が始まります。太祖は弟の太宗に殺された恨みを何とか晴らして欲しいと天上の玉帝に訴え出ます。訴えを聞き入れた玉帝は赤鬚龍母を遼国に下凡させ、宋を攻めさせることにしますが、(すなわちこの赤鬚龍母が蕭太后として転生。)すかさず九天玄女が「宋朝はあと三百年続くことになってます」とツッコミ。仕方ないので文曲星・天機星・天鵬神を下凡させて宋朝を輔佐させることにします。(それぞれ包拯とかに転生。)

この処置に不満を抱いた呂洞賓は遼を助けることにし、その師匠の漢鍾離は反対に宋を助けることに。あと、雷震子は楊七郎として下凡することになり、その恋人の仙女も主人の九天玄女に雷震子といちゃついている所を見られてしまい、罰として下凡することに。(これがたぶん杜金娥に生まれ変わるんでしょう。)

正直、この天界での話を見てるだけでもうお腹いっぱいです。この後の本編なんかどうでもよくなってきます(^^;) しかし包拯はもう少し後の仁宗朝の人なのに、太宗の時代に大臣として登場させてしまっていいのかとか、八仙の曹国舅は宋の太祖に仕えた将軍曹彬の息子なんだから、この時期に天上で神仙をやってちゃまずいだろうとか、色々ツッコミ所はあるわけですが……
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『地図帳中国地名カタカナ現地表記の怪』

2010年07月29日 | 中国学書籍
明木茂夫『地図帳中国地名カタカナ現地表記の怪』(2010年5月)

以前高校で地理を教えていた時、中国の地名などが例えば「淮河」が「ホワイ川」、「瀋陽」が「シェンヤン」、「回族」が「ホイ族」といった具合に尽くカタカナ表記になっていたのに疑問を感じたものです。取り敢えず授業では漢字・カタカナ表記の両方を教え、テストではどちらで回答しても良いということにしたものの、果たしてこんなことでいいものかとモヤモヤを抱き続けることになったのでありました。

この地理の教科書や地図帳に出て来る中国の地名のカタカナ表記にツッコミを入れたのが本書。本書ではカタカナ表記が年代によってゆらぎ続けていること、そしてカタカナ表記が漢字廃止・制限論の中から生まれてきたことが明らかにされています。個人的には中国文学・語学の泰斗倉石武四郎がこれに関わっていたということがorzです…… 押っつけられた委員の仕事を適当にこなしていたらこうなっちゃったんでしょうか。

しかし地理教育の方でいくらカタカナ表記にこだわっていたとしても、マスコミ報道や旅行ガイドなどでは「ターリエン」ではなく「大連(だいれん)」、「シンチヤンウイグル自治区」ではなく「新疆ウイグル自治区(しんきょうういぐるじちく)」、「シェンチェン」ではなく「深●(しんせん) ※●は土に川の文字」などと表記・発音されており、学校で習う表記の仕方・呼び方をスルーしているという点が泣けてきます……(「深圳」の場合はこれはこれで問題のある表記だと思うが)

本当の問題は学校教育が現実の社会にコミット出来ていないことなのかもしれません。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『三国』その12

2010年07月27日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第71~77話まで見ました。

関羽に攻められた樊城への援軍として于禁・龐徳が出兵しますが、龐徳は一騎打ちの最中に毒矢を関羽に放ったということで、特に見せ場の無いまま卑怯物呼ばわりされて関羽側に処刑されることに。そんな設定では無かったはずだが(^^;)

その関羽も呉の呂蒙によって討ち取られますが、最後まで髭をさする動作をやめない関羽。そして呂蒙はその直後に謎の死を遂げますが、真相は「一方的に劉備の恨みを買うのは御免だから関羽は絶対殺すな」という命令に背いたことで孫権の怒りを買い、密かに毒殺されたというもの。えっなにそれこわい…… 普通に関羽に祟り殺された方が安心するレベルです(-_-;) 真相を知った陸遜もドン引きして大都督の就任要請を断り、軍務からの隠居を申し出る始末。

一方、許昌では一代の奸雄曹操が病没。亡くなる直前に曹丕を呼びつけ、「曹沖を殺したのはやっぱりお前とちゃうんけ!」と責めてます。やっぱり曹丕を信用してなかったのね…… 

何とか後を継いだ曹丕ですが、「先王は実力があったからわざわざ帝位を簒奪する必要はありませんでした。が、あなたは違います。ひとつ聞きますが、ご自分で先王並みかそれ以上の力量があるとお思いですか?」という司馬懿の提言を承け、献帝を廃して自ら帝位に即くことに。ここで史実通り姉妹の曹皇后が激しく反発してます。しかし旦那の献帝は反発する気概もなく、曹操の葬儀で棺に土下座させられたりなど様々な辱めを受けつつ曹丕に禅譲し、最期は隠居地に向かう船を細工して曹皇后とともに溺死する道を選びます。

献帝の死を知った劉備は漢の皇族として皇帝即位を決意。当然の如く劉禅が後継ぎとなりますが、期待を裏切らないおデブ&おバカっぷり(^^;) 劉備も『史記』高祖本紀を一行目から暗記できないバカさ加減に呆れてますが、あんたが今まで育児放棄してたんだからそれはしゃーない……

そして劉備は即位と同時に関羽の仇を討つべく呉討伐を宣言。孔明・趙雲ら荊州時代からの臣は猛反対しますが、李厳・黄権ら益州閥の臣下は「荊州閥が反対してる時は取り敢えず賛成しておくもんなんだよっ!」と、ここぞとばかりに劉備におもねる始末。李厳の息子李豊は「賛成はいいけど、呉討伐が失敗したらどうなんの?」と父親にツッコンでますが、「失敗などない!」(キリッ!と反論される始末……

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『中国映画のみかた』

2010年07月25日 | 中国学書籍
応雄編著『中国映画のみかた』(大修館書店あじあぶっくす、2010年7月)

日本人にとってノスタルジーの対象であり、また現代中国社会を写す鑑として見られてきた中国映画。でも一旦こんな見方から離れてみようということで、日本在住の中国人研究者の論考を集めたのが本書。

本書で面白かったのは張芸謀(チャン・イーモウ)に対するツッコミ。

○張芸謀映画でよくある見せ物としての女性の身体表象(例:『王妃の紋章』での鞏俐(コン・リー)のバストアップ)や東洋的な記号の生産は、視覚的効果を狙ったにすぎず、政治的な狙いなどない。……要するに単なる監督の趣味ってことですね(^^;)
○真のイーモウ・ガールは、年寄り役など不様な役柄もやった鞏俐のみ。きれいな所しか撮ってもらってない章子怡(チャン・ツーイー)など論外。

あとは、

○『内モンゴルの春』が『内モンゴル人民の勝利』として作り直された諸々の事情。
○大陸で正月映画というジャンルが登場したのは90年代半ば以降と、意外と歴史が浅い。
○『山の郵便配達』は中国では全く注目されず、日本で脚光を浴びた作品。以後、同作の監督霍建起の作品は日本市場を意識した作品づくりをせざるを得なくなった。

といったあたりでしょうか。『内モンゴルの春』については、1947年の内モンゴル解放を描いた作品で、1950年に公開されたものの、モンゴル人民が共産党と協力して国民党と結ぶモンゴルの「王爺」を倒すという展開が問題視され、上映禁止措置を取られた後、シナリオを大幅に変更して『内モンゴル人民の勝利』として作り直された作品。

周恩来・郭沫若をはじめとするお偉方が集まって会議を開き、直々に作品の問題点を指導したということで、当局が少数民族に関わる問題に対しては妥協をしなかった例であるととされていますが、これは現代でもあまり状況が変わってません…… 歴史ドラマの検閲でも少数民族というか漢族以外の民族(例えば匈奴やウイグルなど)が関わると、途端に指導が入って数年間のお蔵入りを余儀なくされたりしますし。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『三国』その11

2010年07月22日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第65~70話まで見ました。ここからDVD-BOXが最後の3巻目に入ります。

蜀に出向いて張魯軍を退けた劉備ですが、途端に劉璋側からの兵糧提供が滞る始末。おまけに荊州では呉国太が病気という知らせを真に受けて孫夫人が実家に帰ってしまいます。この時に彼女が阿斗も連れ帰ろうとして一悶着起こるのはご存知の通り。しかし阿斗の命より家臣の方が大事という劉備の態度を見てると、彼女の行動もさもありなんと思えてくるので困る(^^;)

妻に逃げられたと知った劉備は龐統とやけ酒を飲み、「本当は俺だって益州が欲しいんだっ!でも今まで『仁義の士』ということでやってきたのに、人の土地を奪うわけにはいかないじゃん?」と本音を吐露。で、龐統は「なんだ、そんなことで悩んでたの?分かった、俺がいいようにしてやるよ!」ということで、まずは張松への密書をわざと兄の張粛のもとに届くようにして、張松が裏切り者として処断されるようにします。「えっ、張松を犠牲にするの?」とドン引きする魏延に「いいんだ!主君を売るようなのにロクな奴はおらん!」なんて言ってますが……

ここまでなら「龐統、酷い奴」で終わってしまいますが、次いで彼は蜀の伏兵が潜んでいるのを知りつつ落鳳坡へと進み、敢えて討ち取られます。そうやって「劉璋は劉備招聘を献策した張松を処刑したぱかりか、援軍として招いた劉備をも騙し討ちにしようとした人でなし」ということで益州制圧の大義名分を作り上げたのでありました。ああ、でもどう見ても人でなしは龐統の方だよなあ(^^;) で、その後は援軍にやって来た孔明・張飛らの活躍により馬超を降し、益州を制圧。張任だとか厳顔だとかの見せ場は端折られております……

その頃、許昌では曹操がいよいよ魏王の位に。朝廷の諸臣が阿る中、曹操の腹心のはずの荀は一人反発する態度を取り、最後は自殺して果てることに…… その荀の死を承けて耿紀が反乱をおこします。文弱ながら曹丕が救援に駆けつけて自ら賊兵を討ったことから、いよいよ彼が世子に指名され、司馬懿がその補佐役に。

劉備は曹操が魏王となったのを知ると漢中に攻め入り、定軍山で夏后淵を敗死させ、漢中を得て漢中王を称します。その直前の曹操との直接対決ではお互いに「来年の今日が貴様の命日だ」と罵り合っていてなかなか微笑ましい(^^;) しかし孔明は劉備が漢中に攻め入ると決めたあたりからずっと浮かない顔です。その不安を煽るように、荊州を守る関羽は樊城を攻めることを決断し……

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『正倉院文書の世界』

2010年07月20日 | 日本史書籍
丸山裕美子『正倉院文書の世界』(中公新書、2010年4月)

奈良時代・平城京つながりということで、『木簡から古代がみえる』に続いて本書を読んでみることに。

正倉院文書というのは文字通り(主として)正倉院に保管されていた古文書のことですが、紙が貴重だった当時、表面を使用した後にリサイクルに回され、裏面に別の文書が書かれ、しかも文章量の多少に合わせて紙を切ったり継ぎ合わせたりしたので、表面に記された文書を拾い出そうとすると、紙を切ったり継ぎ合わせたりの過程を復原するというパズルのようなことをしなくちゃならないという、とても面倒な史料なのであります。現在正倉院文書の多くは『大日本古文書』の中で活字におこしたうえで出来る限り元の順番に復原されているのですが、それでも誤りは免れないとのこと。

むかーし大学院の講義で正倉院文書に触れた時、「こんな面倒臭そうな史料を扱うなんてごめんだなあ」と思っていましたが、その正倉院文書の概説書が本書。

本書で面白かったのは東大寺写経所の写経生の日常。一見写経するだけで充分な給料が出て、おまけに朝晩の食事と昼のおやつも付いてくるという理想的な職場のようですが、その実態は写経中に誤字脱字が発見されると規定に応じて給料から多額の罰金がさっ引かれ、食事も段々と粗末なものになっていき、おまけに給料も規定分が出ていなかったのか、前借りする者が続出。それで写経生が一致団結して待遇改善を求める始末。規定上の待遇と実際の待遇が一致しないのは昔からだったようです……

本書でもう一つ印象に残ったのは、正倉院文書に何度も顔を出す「安都雄足(阿刀男足)」なる人物。当初写経所の舎人であったのがおそらく藤原仲麻呂とのコネクションを得たことによってトントン拍子に出世し、越前国史生・造東大寺司主典を歴任し、法華寺金堂や石山寺の造営にも関わった人物。職務のかたわら私田の経営や高利貸しなんかもしていてブイブイ言わせていたのが、藤原仲麻呂の乱の前あたりから名前が見えなくなる。そういった人物です。

史書に見えない人物が大きくクローズアップされるのがこの手の史料の魅力だったりするのですが、私の専門の西周金文でも一人の人物の足跡を追って時代の風潮を描き出せたら面白いだろうなあと思うのですが……
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『三国』その10

2010年07月18日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第59~64話まで見ました。

劉備は自分のもとに仕官してきた男が龐統だと気付かず、うっかり地方の県令に任じてしまいますが、その正体を知ると、一緒に月を見ながら酒を飲もうという孫夫人との約束をほっぽり出して龐統を迎えに行きます。更に現地で孫夫人から「阿斗が病気で死にそうだ」という知らせが届いてもスルーして龐統との付き合いを優先する始末。思えば長坂坡でも阿斗より趙雲の方を大切にするような御仁でありましたなあ。

その頃許昌では西涼の馬騰を前将軍に任じ、孫権征伐を命じるということで誘き出し、始末してしまおうという計略が持ち上がります。当の馬騰はこれを機会に逆に曹操を討とうということで、計略に乗ったふりをして韓遂・馬超らと「ワシが許昌に行ったら、お前達はワシに反旗を翻したふりをしてな……」と事細かく打ち合わせ。

馬騰は許昌では朝臣の黄奎と結託。しかしその黄奎の妻の弟が曹操に密告したことで馬騰の謀反が明らかとなり、処刑されてしまいます。黄奎は拷問の末、「曹丕も一味」と一筆書き残して死亡。と言っても曹丕が本当に父への謀反に加担していたわけではなく、曹丕や曹植と多少の付き合いがあった黄奎がドサクサ紛れに曹丕も道連れにしようとした次第。しかし曹沖の一件があるので、曹丕のことが信用できない曹操。

司馬懿に泣きついて「この件は頼(言い逃れ)と誣(誣告)で乗り切れ!」という託宣を得た曹丕は、「今、隣の部屋で黄奎の拷問をしているのだが」(但し前述のように黄奎は既に死亡しているので、これはダミー。)「真実はすぐに分かる。今本当のことを言うんだったら許してやるぞ」という父の脅しを尽くスルーし、ひたすら罪を否認して弟の曹植に罪をなすりつけ、無罪を勝ち取ります。すべてが終わった後で放心した曹丕の表情が良いね(^^;)

その後は曹操VS馬超・韓遂、張魯の蜀への侵入を経て、張松が対張魯戦の援軍を求めるべく(その実は蜀を献上すべく)曹操のもとに赴きますが、蜀に援軍を出したくない、かと言って面と向かって援軍を断りたくない曹操は、散々張松を辱めて自分から許昌を去るように仕向けます。で、失意の張松が蜀へと戻ろうとした矢先に、荊州から出迎えに来た龐統と出会うわけであります。そして荊州では劉備直々に接待攻勢。ここでも劉備は孫夫人からのお誘いをスルーして張松との付き合いを優先させてます。ともあれ、これに感激した張松は劉備に蜀の地図を差し出しますが……

何か曹丕が出て来るとおかしな展開になりますなあ(^^;) あと、劉備の家庭を顧みなさ具合は異常。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『木簡から古代がみえる』

2010年07月16日 | 日本史書籍
こんな所で業務連絡を書くのもどうかと思いますが、明日の阪中哲は残念ながら所用により参加できません(^^;) 遠方から来られる(かもしれない)先輩と久々にお会いしたかったのですが……

木簡学会編『木簡から古代がみえる』(岩波新書、2010年6月)

木簡学会所属の研究者たちによる木簡の入門書。しかし個人的には木簡の内容より木簡自体の保存処理の話の方が面白かったのですが(^^;)

曰く、出土したばかりの木簡はタプタプに水を含んでいて高野豆腐かこんにゃくみたいな状態になっております。そこから注意深く泥を落としていって、その後ホウ砂・ホウ酸水溶液、あるいはホルマリンに漬けて保管。状態が安定してきたらフリーズドライなどの科学的保存処理を施して乾燥させるとのこと。このあたりは中国の竹簡と似たり寄ったりだなあと。上海博物館蔵戦国楚簡なんかも最初はやはり水気を含んでこんにゃくみたいな状態で、最終的にフリーズドライで乾燥させたとのことですし。

で、保存処理と同時に木簡の読解も進めて行くわけですが、これは複数人で行うのが理想的で、「正解」は多くの読み手の瞬時の同意を得るものであり、複数の読み手の同意が得られなかったり、複数の読みが乱立して収拾がつかないような場合は「正解」からほど遠いとのこと。出土文字資料の読解なんてどれもそんなもんなんですなあ。

本書の最後には、実は出土した木簡の多くが排便の後にお尻をぬぐうヘラとして再利用されたもので、便槽や側溝など充分に水気がある所に廃棄されたからこそ現代まで腐食せずに残ったのだという衝撃的な説が語られます。

それにしても多くの研究者が協力してこういう本が出せるという状況が羨ましいです。中国の出土文字資料でこういう本を出そうとすると、各研究者がどれだけの恩讐を乗り越えなければならんのかと思うと目眩がしてきます(-_-;)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『三国』その9

2010年07月14日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第53~58話まで見ました。

はるばる呉までやって来た劉備一行。甘露寺で呉国太と対面することになりますが、いざ甘露寺に行こうとする時に劉備の足下にカラスの糞が(^^;) すわっ、凶兆かと焦る一行ですが、実際甘露寺には周瑜が配置した兵士が潜伏しており、劉備にとって鴻門宴なのでありました。護衛役の趙雲は「オレの耳は100メートル先の矢羽根の音も聞き取れるんだ!」と言って潜伏する兵士をあぶり出してますが、この時代に「メートル」は無いと思う……

呉国太にも気に入られ、何とか新婚初夜まで漕ぎ着けた劉備。しかし花嫁の孫小妹は劉備に剣での勝負を挑んできたのでありました。しかし劉備、意外と強いです。余裕です(^^;) その後は酒色に溺れたふりをして呉の君臣を油断させ、まんまと呉から脱出した劉備ですが、その頃荊州では関羽と張飛が孔明を本格的に疑いだし、2人して孔明を幽閉するか否かというギリギリの所で劉備が帰還。「大人しく隆中で引きこもっておればこのような屈辱を受けずに済んだものを」と、職を投げ出して劉備のもとを去ろうとする孔明がかわいい。

入り婿で人質作戦が失敗すると、今度は「じゃあ我々が蜀を獲ってあげるから荊州を通らせて下さい」と、「道を借りて虢を滅ぼす」の計を画策する周瑜。しかしそれも孔明に見抜かれ、周瑜は憤死。

周瑜の葬儀にいけしゃあしゃあとやって来てわざとらしく霊前で泣いてみせる孔明ですが、場の空気を読まずに「周瑜は無能無才」「赤壁の勝利も俺が連環の計を仕掛けてやったから勝てたんだ」と周瑜を罵りまくる男が一人……それが「鳳雛」こと龐統でありました。このドラマの軍師はこんなのしかおらんのか(^^;) 孔明や龐統の行動を見てると、人生で最も大切なのは煽り耐性ではないかという気がしてきます…… しかし赤壁の時には連環の計の場面は出て来ませんでしたが、作中では一応あったことになってるんですね。

で、孔明・魯粛がそれぞれ龐統を自らの陣営に引き入れようと接触しますが、龐統自身は孫権を見限って荊州に向かうことに。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『蒼穹の昴』最終回

2010年07月13日 | 中国歴史ドラマ
先週の土曜日、ドラマ版『蒼穹の昴』が最終回を迎えたわけですが……何か重要アイテムのはずの龍玉が春児の寝室に転がっていたという驚きのオチが待ち受けていたんですが(^^;)

原作では光緒帝の側近クラスにオリジナルキャラを配していたのですが、これは中国歴史ドラマではよくある手法なので、中国でドラマ化されればしっくりくるんじゃないかと思っていました。実際ドラマ化されてみると、確かにその部分はしっくりきてました。しかし同じく中国歴史ドラマにありがちな盛り上がりの少ない平板な展開もおまけに付いてきてしまいましたorz

全25話でムリヤリ話を詰め込もうとしたのが悪かったのか、原作をリスペクトしてない中国側スタッフが悪いのか、そういう中国側の問題点にツッコミを入れなかった日本側スタッフが悪いのか…… ともかくどうしてこうなったと叫ばずにはおれない出来です(;´д⊂)

その他のダメダメポイントを挙げると、

○春児と梁文秀との関係など、設定をダメな具合にいじる。
○西太后・李鴻章の評価をこれまでとは一変させたのが原作の魅力なのに、それを一切無かったことに。特に李鴻章などはドラマに登場すらしない始末。
○清末と乾隆年間の話を交錯させるのが原作の魅力なのに、それも無かったことに

このうち二番目については、数年前に歴史ドラマ『走向共和』で西太后・李鴻章を肯定的に描いたところ、賛否とも視聴者の反響がありすぎて当局に目を着けられ、再放送が禁止されたという事件が影響している可能性もあります。しかし李鴻章のみならず康有為や譚嗣同の出番も端折られたところを見ると、単に出演する役者を削ることによってギャラを減らしたかっただけではないかという気が……

なんつーか、キャスティングはこのままでいいからもうちょっと原作をリスペクトし、乾隆年間の話も加えて全40~50話で作り直せと言いたくなる残念な作品です(-_-;)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする