第12章 孟良盗馬(後編)
お触れ書きが貼り出されると、孟良はそれをはがし取り、護衛兵に伴われて蕭太后に謁見しました。蕭太后は孟良が馬の病気を治せると聞くと、急いで彼に治療させることにします。実は馬は病気などではなく、孟良が散布したしびれ薬を口にしたので、何も飲み食いしなくなり、病気にかかったように見えるだけなのでした。孟良は適当に馬の口に水薬を注いで言いました。「明日になったら物が食べられるようになるだろう。」実際はこのしびれ薬が一日しか効き目が持たず、一日が過ぎると馬が自然とまた物を食べるようになるというだけのことで、だから孟良の薬が病気を治すことができたというわけです。
蕭太后は馬が物を食べるようになったと聞いて非常に喜び、孟良を燕州総管に任じます。孟良が蕭太后に対して言いますには、「この馬はまだ完全には回復しきっておりません。どうか馬を燕州に連れて行き、時間を掛けて療養を行うことをお許し下さい。馬が完全に良くなりましたら、また太后様にお送りいたします。」
蕭太后はもっともであると考え、馬を孟良に引き渡すように命じ、馬を燕州に連れて行かせてゆっくり療養させることにしたのでした。孟良はそこで悠々と驌驦馬を乗りこなし、楊令公の遺骨を抱えて夜を徹して街を出て、佳山寨へと向かいます。遼国の巡回兵は孟良が馬に乗って燕州ではなく佳山寨の方向へと向かうのを見て、急いで蕭太后に報告しました。蕭太后は「名馬が悪党に騙し取られてしまった。」と大いに驚き、泡を食って蕭天佑に追跡させます。
孟良は飛ぶように馬で駆け抜け、佳山寨が目の前まで見えてきました。背後には一面砂ぼこりが舞い散るのみです。孟良は馬を鞭打ってひたすら前進させます。佳山寨の入り口の見張り番が孟良に気づき、急いで六郎に報告しました。
六郎はただちに岳勝と焦賛に兵を率いて出迎えに行かせます。蕭天佑が追いついて来て声を張り上げて罵りました。「その悪党めに我が大遼の名馬を返させるのだ、さもなければ山寨に攻め込んで根絶やしにしてやるぞ!」岳勝は大いに怒り、大刀を振り回して突撃し、二人の一騎打ちとなりました。
十数回打ち合うと、今度は焦賛が助太刀にやって来ました。蕭天佑は自分ではかなわないと悟り、馬首をめぐらせて逃走します。岳勝と焦賛は勝ちに乗じて追撃し、遼兵は大敗しました。
六郎は孟良が父親の遺骨を取り戻したうえに、更に名馬を連れ帰って来たのを見て、喜びに堪えません。六郎は汴梁に使者を派遣し、母親に父の遺骨を引き取りに来させるとともに、驌驦馬を皇帝に献上し、孟良らに恩賞を求めます。それから間もなく、蕭天佑が兵を率いて澶州に攻め込み、楊六郎は命を受けて彼らと戦うことになりました。双龍谷の戦いの中で、楊六郎は遼軍を大敗させたうえ、蕭天佑を討ち取りました。それ以来楊六郎が配下の将兵を率いてしばしば勲功を挙げたので、遼兵はその噂を聞いただけで逃げ去ってしまうようになったのでした。
お触れ書きが貼り出されると、孟良はそれをはがし取り、護衛兵に伴われて蕭太后に謁見しました。蕭太后は孟良が馬の病気を治せると聞くと、急いで彼に治療させることにします。実は馬は病気などではなく、孟良が散布したしびれ薬を口にしたので、何も飲み食いしなくなり、病気にかかったように見えるだけなのでした。孟良は適当に馬の口に水薬を注いで言いました。「明日になったら物が食べられるようになるだろう。」実際はこのしびれ薬が一日しか効き目が持たず、一日が過ぎると馬が自然とまた物を食べるようになるというだけのことで、だから孟良の薬が病気を治すことができたというわけです。
蕭太后は馬が物を食べるようになったと聞いて非常に喜び、孟良を燕州総管に任じます。孟良が蕭太后に対して言いますには、「この馬はまだ完全には回復しきっておりません。どうか馬を燕州に連れて行き、時間を掛けて療養を行うことをお許し下さい。馬が完全に良くなりましたら、また太后様にお送りいたします。」
蕭太后はもっともであると考え、馬を孟良に引き渡すように命じ、馬を燕州に連れて行かせてゆっくり療養させることにしたのでした。孟良はそこで悠々と驌驦馬を乗りこなし、楊令公の遺骨を抱えて夜を徹して街を出て、佳山寨へと向かいます。遼国の巡回兵は孟良が馬に乗って燕州ではなく佳山寨の方向へと向かうのを見て、急いで蕭太后に報告しました。蕭太后は「名馬が悪党に騙し取られてしまった。」と大いに驚き、泡を食って蕭天佑に追跡させます。
孟良は飛ぶように馬で駆け抜け、佳山寨が目の前まで見えてきました。背後には一面砂ぼこりが舞い散るのみです。孟良は馬を鞭打ってひたすら前進させます。佳山寨の入り口の見張り番が孟良に気づき、急いで六郎に報告しました。
六郎はただちに岳勝と焦賛に兵を率いて出迎えに行かせます。蕭天佑が追いついて来て声を張り上げて罵りました。「その悪党めに我が大遼の名馬を返させるのだ、さもなければ山寨に攻め込んで根絶やしにしてやるぞ!」岳勝は大いに怒り、大刀を振り回して突撃し、二人の一騎打ちとなりました。
十数回打ち合うと、今度は焦賛が助太刀にやって来ました。蕭天佑は自分ではかなわないと悟り、馬首をめぐらせて逃走します。岳勝と焦賛は勝ちに乗じて追撃し、遼兵は大敗しました。
六郎は孟良が父親の遺骨を取り戻したうえに、更に名馬を連れ帰って来たのを見て、喜びに堪えません。六郎は汴梁に使者を派遣し、母親に父の遺骨を引き取りに来させるとともに、驌驦馬を皇帝に献上し、孟良らに恩賞を求めます。それから間もなく、蕭天佑が兵を率いて澶州に攻め込み、楊六郎は命を受けて彼らと戦うことになりました。双龍谷の戦いの中で、楊六郎は遼軍を大敗させたうえ、蕭天佑を討ち取りました。それ以来楊六郎が配下の将兵を率いてしばしば勲功を挙げたので、遼兵はその噂を聞いただけで逃げ去ってしまうようになったのでした。