博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

西安周遊旅行 東線ルート

2009年05月31日 | 旅行・オフ会・展覧会
今日は昨日までの祝日の振り替えで朝一から講義があるはずでしたが、早起きして教室まで行ってみると教員と私しか来なかったので流れ休講に…… 中国人の同学はみんな今日までが休みだと決め込んで帰省したりしてる模様。

さて、西安に着いて2日目の5月26日から観光を開始。天気予報によると翌日から雨になるということで、陝西省歴史博物館など雨でもさほど支障の無い所は後回しにしてこの日は秦始皇陵と兵馬俑に行ってみることに。兵馬俑や華清池など西安の東側の観光地は西安駅東側の駐車場から出ている遊5(306)バスで片道7元で周遊することができますが、この駐車場にはツアーバスも停車していて観光客の呼び込みをしているので、紛らわしいことこの上なしです。私も最初うっかりツアーバスの方に乗ってしまい、気付いて慌てて飛び降りました(^^;)

まずは秦始皇陵に到着。



ここは周知のように発掘などは一切されていないので、現状では単なる小高い山なんですが、この下に水銀の海や川が流れているかと思うと何だかワクワクしてきます。秦始皇陵を出たところでタクシーの運ちゃんらしき人から「兵馬俑に行くなら5元で乗せて行ってやるよ」と話しかけられ、「それなら」と車に向かうとあからさまに自家用車みたいな車に案内され、「これはいかん」と慌てて別のタクシーに飛び乗り、兵馬俑に向かうことに。しかしそのタクシーの運ちゃんも途中で兵馬俑の人形を売ってる店に連れ込もうとする始末……(もちろん「興味ない」と断って兵馬俑に直行させた。) 何だか西安は他の観光地より悪い人がいっぱいだお(-_-;)

で、ようやく兵馬俑に到着。ここは10年以上前にもツアーで来たことがあるのですが、その時にはまだ二号坑・三号坑が発掘されていなかったので、当時とはだいぶ様子が変わってました。というわけで三号坑の写真を載っけておきます。



ちなみにガイドブックには「館内は原則として写真撮影禁止」なんて書いてますが、実際のところは「フラッシュ禁止」の看板があるだけで写真撮影は可。ただし一部現在発掘・調査中の箇所については撮影禁止です。下は二号坑で展示されている立射俑。一部ではカンフーのポーズを取っているという珍説もあるアレです(^^;)



他には将軍俑・跪射俑などもこんな感じで展示されていました。そして兵馬俑観光のハイライトはこれ。



世界最大の糸吊り人形「勇士和女孩」だそうです。(写真で分かりにくいですが、ピアノ線か何かで吊ってあります。)オリンピックを記念して作られた模様(^^;) これが今回の旅で2番目に印象に残ったものです。(ちなみに1番目は横店化のレベルを超越した法門寺。)

兵馬俑を出た後はどこに行こうか一瞬迷いましたが、半坡遺跡(半坡博物館)に寄ってみることに。ここは新石器時代の集落遺跡ですが、分かりやすく言うと下の写真の人面魚みたいな紋様が描かれた土器が出土した所です。白川静が禹の図像だと言ってたアレです。



ここではそういった土器のほか、下の写真のような住居跡や墓地に埋葬されていた人骨などが見学できるようになっています。



というわけで東線ルートの旅はここまで。
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西安周遊旅行 序

2009年05月30日 | 旅行・オフ会・展覧会
というわけで無事に西安から帰って来れました!新型インフルエンザの影響で観光客が減ってるかなと思いきや、街中欧米人の観光客で溢れてました(^^;) 私もそうですけど外人は全く自重しませんなあ…… 飛行機も国内線だったせいか、検温なども全くありませんでしたね。もっとも、さきほど「中国国内で初の二次感染を確認」というニュースを見たので、これからその辺りの処置が厳しくなってくるのかもしれませんが。

で、今回の旅の特徴ですが……

○雨は結局丸1日きっちり降った。
○周原遺址にはたどり着けなかった(;´д⊂)  その代わり周公廟と茂陵に行った。
○今回も変なモニュメントを発見。
○法門寺がヤバいことになってた。横店化などというチャチなもんじゃなく、もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気がした。

といったところでしょうか。

西安の街中は地下鉄が開通予定とのことで、鐘楼の周辺など大通り沿いが工事中になってました。お陰様でバス停の位置が変わってたり、通りの名前を記した標識が無くなってたりと不便なことこの上ない状況に…… もうオリンピックも終わったんだし今更地下鉄なんて通さなくていいじゃないかと思うのですが(^^;)

旅行の詳しい様子などはまた明日以降にアップしていきます。今日のところは街のシンボル鐘楼の写真だけでご勘弁を……

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『書剣恩仇録』その3

2009年05月27日 | 武侠ドラマ
例によって予約投稿であります。今頃は西安旅行を堪能してるはず……

『書剣恩仇録』第14~20話まで見ました。

一行とはぐれた徐天宏と周綺が周綺の母親と遭遇したり、2人の結婚が決まったり、そして2人が周仲英夫妻の仲直りを画策したりと、周家関係のエピソードは原作の展開からだいぶ膨らませていますね。そしてこのあたりから紅花会が文泰来の救出に何度も失敗したり、于万亭絡みでオリジナルエピソードが展開したりと、中だるみ感が出て来ます(^^;) 

于万亭が紅花会を結成した理由については紅花会の面々を対乾隆帝の尖兵として使うつもりなのかなと思ってましたが、このパートでの于万亭の発言から推測するに、どうやら紅花会が朝廷側の警備を出し抜いて文泰来の救出に成功→江湖での紅花会の威名がウナギ上り→そこで于万亭自らが(おそらくは朝廷側に寝返って)紅花会を打倒→紅花会を倒した于万亭はもっと凄いということで朝廷での威信がウナギ上り→乾隆帝から権力を奪取→ウマーという展開になることを目論んでいるようです。何というか、こいつに付ける薬は無いものでしょうか……

で、朝廷側に護送される文泰来を追って江南までやって来た陳家洛と、文泰来を自ら訊問(し、ついでに美女と遊興)するために江南に巡幸して来た乾隆帝とが遭遇。乾隆帝は陳家洛が実弟であることを悟り、陳家洛もまた文泰来から乾隆帝が自分の兄であることを知らされます。それにしても乾隆帝は陳家洛が身内だと分かると彼に帰順を促して高官に取り立てようとしたり、それが断られても以後何があっても彼を死罪にしないと約束したりと、途端に態度が甘くなりますなあ(^^;)
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計画だけは立ててみた

2009年05月23日 | 留学
ということで西安旅行の出発があさってに迫ってきたわけですが、

1日目 西安への移動日
2日目 陝西省歴史博物館、碑林、半坡遺跡
3日目 秦始皇陵、兵馬俑、(華清池)
4日目 宝鶏青銅器博物館、金台観
5日目 法門寺、周原遺址、(茂陵)
6日目 長春への移動日

と、一応旅行計画だけは立ててみました。(カッコ内は時間が余ったら回りたい所)

もっとも豚インフルとか天候の具合によって予定が大幅に狂う可能性があるわけですが。天気予報をチェックしてるとどうも旅行中に2~3日ほど雨天に見舞われる模様…… まあ、天候に関しては雨男の私がこれまでの旅行で晴天に恵まれてきたというのが奇跡だったのかもしれません(^^;)

実は西安に行くのはこれが2回目で、大雁塔など以前に見学してそのまま変わり映えの無さそうな所は今回はパスです。
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『書剣恩仇録』その2

2009年05月20日 | 武侠ドラマ
今しがた見ていたテレビのニュースでたまたま大阪・神戸での新型インフルエンザの流行が取り上げられており、「日本全国での流行は時間の問題」とか言ってました。ああ……(;´д⊂)

で、『書剣恩仇録』第7~13話まで見ました。

乾隆帝の出生の秘密を記した文書を奪うべく少林寺に忍び込んだ于万亭と文泰来ですが、なぜか謎の覆面集団に襲われて于万亭が重傷を負い、何とかアジトに帰還したもののそのまま亡くなってしまいます。そして紅花会の面々は于万亭の遺言に従って陳家洛を新総舵手として迎えることに。何とも不可解な死に方ですが……

于万亭の死後、唯一乾隆帝の出生の秘密を知る人物となった文泰来ですが、そのために朝廷側の捕り手に付け回されることになります。取り敢えず人望の厚い鉄胆荘の周仲英のもとに赴いて匿ってもらうことにしたものの、周仲英の息子が捕り手にうっかり居場所をバラしてしまい、結局囚われの身に。

そして周仲英が文泰来を朝廷に売り渡したと誤解した紅花会の面々が乗り込んで来て原作での最大の山場「鉄胆荘の悲劇」(あるいは「喜劇」と言った方が適切かもしれませんが。)が繰り広げられるはず……でしたが、ひとしきり乱闘したかと思ったら、あっさり陳家洛がやって来て双方の誤解を収集してしまいます。ここは双方誤解したまま延々と戦いまくるシーンが見たかったところなんですが(^^;) で、仲直りした周仲英・周綺父子は紅花会の面々とともに文泰来捜索の旅に出ることに。

その頃西域では朝廷に朝貢にやって来た月氏公主の一行が賊に襲われているところをある男が救出。そのある男とは……



死んだはずの于万亭でした(^^;) やっぱり死んだふりしてただけかよ!これでラスボスフラグは確定ですかね。そこで彼は月氏公主の付き人倩佳と遭遇。彼女は元々清朝の重臣の娘で皇子時代の于万亭や乾隆帝と仲良くしていたようですが、父親が廉親王の謀反の一件に巻き込まれて処刑された後、難を逃れるために大月氏国に身を寄せていた模様。しかし「ウイグル」の名は出せなくても「大月氏国」みたいな半分架空の国名なら堂々と出せるのかよ……

一方、紅花会の面々はに文泰来の護送部隊の居場所を突き止めて襲撃しますが、「火手判官」張召重に阻まれて奪回に失敗。おまけに襲撃を知って駆けつけた朝廷側の援軍に包囲され、何とか活路を切り開いて逃亡する際に徐天宏・余魚同らがはぐれてしまう有様。ここから徐天宏と周綺、余魚同と李沅芷のカップルによる珍道中が始まります(^^;) しかしこのドラマ版の張召重は原作に見られた小物臭さが感じられず、表情ひとつ変えずに相手を始末するような冷酷な悪役になっていていい感じです。
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豚インフルエンザ

2009年05月17日 | 留学
阪神間で高校生を中心に豚インフルエンザが物凄い勢いで蔓延しているようですが、こうなると私が今海外にいるのが良いのか悪いのか分からなくなってきます(^^;) まあ、中国でもみんな風邪や発熱で病院に行ったりしないから発覚してないだけで、実は相当数の患者が存在するんじゃないかと思うわけですが……

留学生宿舎の方でも先日「外地に出掛ける者は事前に事務室で登録しろ」というお達しが出ました。週明けに登録しに行きますか……
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『書剣恩仇録』その1

2009年05月17日 | 武侠ドラマ
新版の『書剣恩仇録』ですが、実は先月の北京旅行で精装版DVDの購入を見送ったあと、きっちり長春で廉価版をゲットしました(^^;) ということで第1~6話まで鑑賞。

物語は雍正帝が崩御し、乾隆帝が即位したところから始まります。すなわち原作より前の時点ですね。乾隆帝の即位にあたって彼が実は雍正帝の実子ではなく漢人の子であるという秘密を知る人物を減らそうと、皇太后は「追風七騎」に皇帝の実父陳世倌を暗殺させます。このシーンで「追風七騎」の武器として血滴子(空飛ぶギロチン)が登場。一体どんなサービスシーンだよ!



父親に次いで母親も殺されそうなところを于万亭が駆けつけて救出。原作では開始時点で既に死亡しているということで出番の無かった于万亭ですが、今回のドラマ版では大物俳優の劉徳凱を据えて序盤の主要キャラになってます。



後に反清の秘密結社紅花会を結成する彼ですが、その正体は実は康熙帝の九男の(すなわち雍正帝の弟、乾隆帝の叔父)允だった!彼は兄の廉親王とともに謀反を企てたということで死に追いやられたはずですが、なぜか生き延びて武林高手になっていたようです(^^;) かつて雍正帝により兄ともども「アキナ」(満洲語で「犬」の意らしい)、「サスヘ」(同じく「豚」の意)と罵られたことがトラウマになっている模様。

ちなみに乾隆帝を演じているのはやはり大物俳優の鄭少秋(アダム・チェン)。



彼は70年代に放映されたTVB制作のドラマ版や、他のドラマ・映画でも乾隆帝と陳家洛を演じておりますが、こうして見てみると随分老けましたなあ(^^;)

主役を演じているのは『鹿鼎記』の鄭克役などでお馴染みの喬振宇。



陳家洛みたいな煮え切らない偽君子には、やっぱり偽君子の鄭克をやっていたような俳優さんがぴったり……と思いきや、意外とノリが軽く子供っぽいキャラになっており、まるで君子然としたところがありません。

で、この陳家洛が母の言いつけで于万亭の義子となり、訳も分からないまま新疆に連れて来られた挙げ句に「天池怪侠」袁士霄に「お前、見所があるから武功を教えてやるよ!」と付け回されてムリヤリ弟子にされてしまいますが、その後はホチントンと出会って恋仲になったりと、砂漠ライフを満喫してます。

一方、于万亭は無塵道人や余魚同らをスカウトして紅花会を結成。しかしその裏では自らの正体を知る余魚同の父を殺して他人に罪をなすりつけたり、ホチントンの部族から「七族盟書」を奪ってそれを朝廷の仕業に見せかけたりと、ダーティな所業に手を染めていきます。これは雍正帝の一族に復讐するというだけが紅花会結成の目的ではないなと思っていたら、深夜宮中に忍び込んで乾隆帝に出生の秘密を告げ、「この秘密を天下に暴露されたくなかったら、俺の身分を回復して大将軍王に任命しな!」と脅す始末…… やっぱり朝政の実権を握るのが目的かよ!紅花会の中でも黒白無常や石双英、衛春華ら(すなわち黒白無常以外は原作で読者に名前を覚えて貰えないキャラ。)は于万亭の元からの腹心で、その正体と真の目的を知っているようですが。

しかし于万亭の設定をここまでフリーダムにしてしまってこの後の展開をどうするつもりなんでしょうか。早いとこ于万亭が死んで陳家洛が新総舵手にならないことには話が進まないはずなんですが。となると、于万亭は死んだと見せかけて実は死んでなかった!→ラストバトルは正体を現した于万亭VS陳家洛という展開になりそうな悪寒が…… 

その他のツッコミ所

○于万亭の陰謀により朝廷側の手に渡ったホチントンの部族の「七族盟書」ですが、原作では部族の象徴の『コーラン』ということになっていたはず。あと、ここまで「ウイグル族」などの具体的な民族名も登場せず。一体何に気を遣ってるんだか……

○陳家洛・ホチントンらを中心とした新疆パートと、于万亭・乾隆帝を中心としたパートに落差がありすぎる件について。于万亭・乾隆帝が登場するシーンはシリアスな雰囲気になっているのに対し、新疆パートではホチントンの師匠「天山双鷹」に黄一飛(『少林サッカー』の大師兄役など周星馳作品でお馴染み)と元秋(『カンフー・ハッスル』の小龍女役などでお馴染み)をキャスティングするなどコメディ色が強くなっており、全体的に浮いてしまっているような感じです。このドラマ、アクションもそこそこのクオリティを保っているので、新疆パートもシリアスにまとめた方が良かったと思うのですが。
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『漢字五千年』その2(完)

2009年05月14日 | TVドキュメンタリー
今回は後半の第5集から第8集まで。

第5集「翰墨情懐」
書法・書道について。王羲之や顔真卿、蘇軾などの書家の事績を紹介。李世民が王羲之の書にこだわったのは江南の民の心をつかむためであったとする。また唐以後は科挙において「以書取士」の方針が敷かれ、科挙に登第するには館閣体と呼ばれる書体をマスターする必要があるとされた。学才がありながら字が下手でなかなか進士に登第できなかった龔自珍のエピソードを紹介。また能書家であってもその人の人格が伴わなければその作品が正当に評価されないという伝統があるとし、蔡京・秦桧・厳崇らはそのような人格の劣る書家であったとする。

第6集「天下至宝」
書に関する道具・技術の発明について。毛筆は伝説上では秦の蒙恬が発明したとされるが、実際は戦国時代の楚の遺跡から出土例がある。毛筆は元々は絵画のために用いられ、文字出現以前から存在したと推測される。その他秦漢の竹簡と帛書、紙の発明と蔡倫、中国において印刷術が印璽や石碑から拓本を取る技術から産まれたと考えられることなどについて。

第7集「浴火重生」
阿片戦争後、外国語・外国文化と真摯に向き合わざるを得なくなった中国。特に新文化運動以後は漢字そのものが旧文化の象徴として批判対象となり、漢字の簡化・表音文字化の試みがなされていく。それが新中国後の簡体字とピンインの導入へと繋がっていった。またコンピュータ上での漢字の入出力が困難と目されたことも漢字簡化政策の推進に拍車をかけたが、現在では却って技術の進歩により漢字の電脳化がほぼ達成され、漢字は再生を果たした。

第8集「芳華永駐」
世界で学ばれる漢語、そして漢語教育の拠点として世界に広がる孔子学院について。その他、清代の典礼問題やエスペラント語について取り上げる。エスペラント語の失敗は言語を単なる工具と見なしたことで、根(文化背景)の無い言語は普及しえないとする。


前回紹介した前半部分が古文字篇で、この後半部分がその他諸々篇という感じですね(^^;) 繁体字復活論との絡みでキモとなるのは第7集ですね。第8集は全編孔子学院の宣伝となっており、かなり退屈でした……
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横店化する震災跡?

2009年05月14日 | ニュース
昨日アップしようと思って忘れてた記事です。

「四川大地震1年 被災“逆手”ビジネス化」:Yahoo!ニュース

要するに四川大地震の被災地で、震災の跡地をそのまま遺跡公園として保存したり地震博物館を造るという動きがあるというニュースです。

ソースが産経新聞だけにいささかやっかみのある論調となっていますが、特に遺跡公園の方はうっかり手を入れて映画のセットみたいになってしまう様が目に浮かぶのもまた事実(^^;) 震災跡もこうして横店化していってしまうのでしょうか……
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『漢字五千年』その1

2009年05月12日 | TVドキュメンタリー
というわけで今まで何度か話題に出した『漢字五千年』各回の内容を紹介していきます。今回は全8集のうち前半4集分まで。

第1集「人類奇葩」
漢字と他地域の古文字、楔形文字・エジプトの象形文字・ラテン語などと比較。同じ時期に異民族の侵入によって分裂を迫られながらも、中国では漢字や漢文化が紐帯となって隋唐王朝による統一を達成したの対し、ローマ帝国ではラテン語圏の西ローマ帝国とギリシア語圏の東ローマ帝国とに分裂し、以後長らくキリスト教東西教会の対立を招いたとする。「中国の中世」という表現は用いていないものの、歴史認識自体は日本の京都学派による時代区分論と似通っている点が注目されます。

また、「漢字を廃止して中国語の表音化を進めれば中国は存在し得ない」という米国学者の見解を紹介しているのは、過去の漢字簡化政策を振り返ると興味深いところ。

第2集「高天長河」
新石器時代の陶器符号から甲骨文字・金文・秦による文字統一を経て隷書の登場に至るまでの漢字形成の歴史について。当初宮廷の中だけで通用されていた漢字が民衆のものになるきっかけを作ったのは、民衆を対象とする教育者の孔子であったとする。

第3集「霞光万道」
漢字使用圏の広がりについて。甲骨文字は周原や大辛荘など殷墟以外の地域でも使用されていたという話から始まり、東周期の楚での「雅言」の使用、中国における民族共用の文字としての漢字、また韓国・日本・ベトナムなど周辺国家での漢字の受け入れと、更にハングルや仮名など漢字をもとにした独自の文字の発明といったことまで話題が広がっていきます。しかしそれらの国家では現在もなお漢字が文字文化のうえで欠かせないものになっているとして、最後に立命館大学孔子学院などを紹介。

第4集「華夏心霊」
農業文明としての中華文明、複雑な親族呼称、「孝」の概念の誕生、貴族の家内・財産の管理系統から発達した殷周の官制、そして周文化の継承をはかった孔子について、関係する漢字の字釈を交えて語る。内容的にはいまひとつまとまりが無い印象を受けました(^^;) 

あと、西周金文の梁其簋が「字」という字を用いた最古の例であると紹介していますが、この銘文では「文字」の意味で使われているのではなく、あくまで子孫の「子」の通仮字として使用されているのですが……


以前に触れたように昨今の中国での繁体字復活論と関連してこの番組が語られているということですが、ここまでの段階ではやはり孔子学院の宣伝という要素が強いですね(^^;)
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