博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

絵本楊家将 第17章 山寨招親(後編)

2012年03月28日 | 絵本楊家将
第17章 山寨招親(後編)

楊宗保と孟良が兵を率いて穆柯寨までやって来ると、穆桂英は全身に鎧を身につけ馬を駆って出陣し、罵って言いました。「物の道理がわからないやつだ、命ばかりは助けてやったやったというのに、どうしてまた戻って来たのだ?」楊宗保は言いました。「悶着を起こしに来たのではありません。あなたの砦に二本の降龍木があると聞き、敵陣を破るためそのうちの一本をお借りしたいと思ってやって来たのです。事が終わりましたら必ずお礼を申し上げに戻って来ます。」穆桂英が言いますには、「私の刀に打ち勝ったらお前にやってもよいぞ。」

楊宗保は激怒し、槍を突き出して穆桂英に向かって行きます。二人が三十合あまり打ち合うと、穆桂英はとても敵わないというそぶりを見せ、馬首を巡らせて逃げ出し、楊宗保が追って行きます。穆桂英が振り返って矢を放つと、楊宗保の馬がドサッという音をたてて地面に倒れてしまいました。穆桂英は馬首を巡らせ、楊宗保を馬上に引き上げ、砦へと引き返して行きました。穆桂英が手下に楊宗保を縛り上げるように言いつけると、楊宗保は大声で叫びました。「殺したいなら殺せ、どうしてこんな面倒なことをする!」

穆桂英は、楊宗保が言葉遣いが男らしく、意気盛んなのを見て、彼のことがとても好きになり、彼と一緒になりたいと思いました。そこで彼女は侍女の金萍に楊宗保に対して自分の気持ちを伝えてもらうことにしました。宗保はしばらくの間思案して、「私がもし嫌だと言えば、降龍木は手に入らない。ましてや桂英は才色兼備で、私と結婚してくれるなんて願ったり叶ったりではないか。」と考えました。思案がまとまると、彼は金萍に対して言いました。「寨主がここまで思ってくださるというのに、お受けしない道理がありましょうか?」

穆桂英は望みが適いそうなのを知ると、自ら楊宗保を解放しにやって来て、その後孟良を呼び寄せ、二人のために酒席を設けました。

三人はひとしきり談笑し、話が天門陣を破ることに及びました。桂英は幼い頃から武芸を学び、各種の陣法に精通していたので言いました。「この陣を破るのは、さして難しくありません。」楊宗保と孟良は大喜びし、彼女に下山するよう急かします。しかし思いもよらず桂英は冷ややかに言いました。「皇帝が自ら頼みに来るのでなければ、下山するわけにはいきません。」実は桂英はずっと朝廷を敵視していたのでした。宗保と孟良はその理由を知ると、下山を勧めるわけにもいかなくなります。次の日の朝、穆桂英は降龍木を取り、彼らに送って下山させたのでした。

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絵本楊家将 第17章 山寨招親(前編)

2012年03月23日 | 絵本楊家将
第17章 山寨招親(前編)

佘太君は六郎からの知らせを受け取ると、ただちに出立しました。六郎の息子楊宗保は狩りから戻って来て、祖母が前線に赴いたことを知ると、やはりこっそり屋敷から抜け出して、祖母の向かった方角へと追いかけて行きます。佘太君が前線に到着すると、宗保も追い着いて来ました。六郎と佘太君は宗保のことを怒りはしたものの、彼がかなり陣法を会得しているのを見ると、陣中に引き留めます。

この日、六郎は兵馬を徴集し、かつ孟良を五台山へと派遣して五郎に下山を促させ、陣を破る準備を進めます。孟良は駿馬を駆って五台山へと赴き、五郎に対して天門陣を破るのを協力してほしいと告げました。五郎は孟良にまず穆柯寨で降龍木を取って来させ、それから下山することにします。

孟良は五郎の話を聞き、彼の指し示した方向へと進んでいくと、丘にやって来ました。この時、突然雁が孟良の馬前に落ちて来ました。彼が拾い上げて見てみると、矢がまさに雁の首に命中しています。孟良は心の中で見事な腕前だと喝采しました。

この時、山賊が五、六人連れ立ってやって来ましたが、その中の一人が奇妙な体型をしていて、顔は大きな冬瓜のようです。彼が孟良に向かって来て叫びました。「雁をうちのご主人様に返せば許してやるぞ!」孟良はこれを聞くと烈火のごとく怒り狂い、斧を振るって冬瓜そっくりの男と打ち合いを始めます。

ちょうどこの時、若い女性が「穆瓜、やめなさい」と言うのが聞こえました。冬瓜そっくりの男が手を止めます。孟良が振り返って見てみると、女の武将が手綱を緩めつつやって来るのが見えました。実は彼女こそが穆柯寨の主穆桂英なのでした。孟良の方は取り合おうとはせず、斧を振るって穆桂英に打ち掛かり、穆桂英の方も刀を挙げて迎え撃ちます。二人が四十数合打ち合うと、孟良は段々と受け止めきれなくなり、馬首を巡らせて逃げることにしました。しかしあろうことか彼女の手下によってとっくに道が塞がれており、孟良は大人しく雁を差し出さざるを得ません。穆瓜は更に通行料を要求し、孟良はどうしようもなく、金の兜を脱いで通行料替わりに彼らに差し出すほかありませんでした。

孟良は降龍木が得られず、あべこべに金の兜を差し押さえられ、気が塞いでしまいました。彼は五郎に会わせる顔が無く、軍営へと駆け戻って楊宗保に事の次第を説明し、彼を同行させて仇を討ってもらうことにしました。

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絵本楊家将 第16章 呂客布陣

2012年03月10日 | 絵本楊家将
第16章 呂客布陣

蕭天佐は敗北して幽州に逃げ戻ると、蕭太后に楊家将が復帰したことを話しました。蕭太后は楊六郎が死んでいなかったことを知ると、不安で居ても立ってもおられなくなり、全国各地にお触れ書きを発し、才能を持つ人を募集したのでした。

ある日、幽州城の番兵が椿岩という人を蕭太后の御前に連れて来ました。この人が城門に貼ってあったお触れ書きをはがしたというのです。実は、椿岩は自分の師匠である呂客を推薦にやって来たのでした。蕭太后はただちに呂客に昇殿するように伝えさせます。呂客がやって来ると、蕭太后は彼がさわやかで知的な風貌であるのを見て、奇才であるに違いないと思って尋ねました。「先生は仕官なさりたいのですか?」呂客は答えました。「私は仕官に来たのではありません。ただ陛下が宋と戦われると聞き、一臂の力をお貸ししたいと思ったまでです。」蕭太后は大喜びし、更に様々な攻守の策略を尋ねると、呂客はすらすらと返答します。そこで蕭太后は呂客を登用し、ともに宋を討つ計略を協議することにしました。

さて真宗はと言えば、汴梁に戻った後もずっと魏州で包囲された屈辱が忘れられませんでした。この年の春、彼は軍臣の反対を顧みず、王全節を南北招討使に任命し、遼国討伐の兵を起こさせます。

蕭太后はこの知らせを聞くと、すぐさま呂客を呼んで対策を協議します。呂客が言いますには、「小生は布陣に長じておりますので、今すぐ大陣を布きさえすれば、宋の君臣の心胆を寒からしめ、頭を下げて投降させることができましょう。」蕭太后は大喜びし、そこで全国から兵馬を調達し、また近隣の五つの国から兵を借りて、五十五万の大軍をかき集め、呂客に指揮させることにしました。呂客はこれらの兵馬を率い、九龍谷に凶悪な陣を布き、そうして宋軍に挑戦状を送りつけたのでした。

王全節は遼軍の挑戦状を受け取ると、次の日に部下を引き連れて陣を見に行きましたが、陣の中に陰気が満ちあふれ、殺気がみなぎっているのが感じ取られるのみです。王全節はこれが何の陣であるのかわからず、敵陣の情景を図にして描かせ、夜を徹して汴梁まで届けさせ、真宗に上奏させました。真宗は文武の大臣を招集し、陣形の図を逐一彼らに見せてみましたが、誰一人何の陣かわかる者がおりません。寇準が言いました。「やはり楊六郎を召し出してはいかがでしょうか。」楊六郎は命令を受けると、兵を率いて都に赴きます。そして図を受け取り、しばらく眺めてから言いました。「この陣は確かに複雑でございます。私が自ら陣前に赴いて見てみないとわかりません。」楊六郎はすぐさま兵を率いて九龍谷に赴きました。

蕭天佐は楊六郎が陣を見にやって来たのを目にして、全軍に軍令が行き渡るようにし、各陣の守将に声を揃えて掛け声を揚げさせます。蕭天佐が旗をふると、それに合わせて砲声が響き、まるで山が崩れ津波が押し寄せるかのように陣形が動き始めました。その変化の様子は予測しがたく、殺気に満ちあふれています。

六郎は陣前にやって来て長い間陣形を眺め、部下に対して言いました。「私は今までいろんな陣を布いてきたが、こんな変わった陣法は見たことがない。八門金鎖の陣にしては、門の数が六十四個多い。迷魂陣にしては、玉皇殿があるのがおかしい。確かに至極奇怪な陣形だ。私にも何の陣なのか見破れない!」王全節が言いました。「将軍にもわからないとなれば、見破られる者などおりますまい。これは一体どうすれば良いのでしょうか?」六郎が言いました。「私の母はずっと戦に出て、長い間戦場で過ごしてきたから、もしかしたらこの陣を知っているかもしれない。やはり見に来てもらうことにしよう。」

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絵本楊家将 第15章 六郎破遼(後編)

2012年03月06日 | 絵本楊家将
第15章 六郎破遼(後編)

次の日、二人は三関に赴いて部将を招集し、魏州に救援に駆けつけました。二人は黄河の渡し口でまた楊継宗という好漢を帰順させました。楊継宗は以前から楊六郎の名声を慕っていたので、部下を引き連れて楊六郎に着いて行きたいと願い出ます。六郎はまた一人良将を得て大変に喜びました。三人は連れ立って太行山へ岳勝と孟良を訪ねに行きました。岳勝と孟良の二人は六郎が生きていたのを見て、驚きかつ喜びました。六郎は皆と挨拶を交わすのもそこそこに、銅台で包囲されている皇帝を救い出すことを告げねばなりませんでした。

岳勝はこれを聞くと、大変不満そうに罵ります。「あの暗君め、物の役に立つなら万々歳だが、役に立たないならいっそ殺してしまった方がいい。天の神のご加護があって、将軍を我らのもとに帰されたというのに、更に救援に赴けとは。我らが都に進撃してご自分が皇帝になられた方がよろしいのでは。我ら兄弟が君臣となったら、どんなに愉快でしょうか。」

皆が話せば話すほど、言うことが過激になっていきます。六郎は怒って一喝しました。「バカなことを言うな!ものの数ヵ月会わないうちに、どうして心が変わってしまったのだ?我らは忠義を尽くして国家に報い、百世まで名声を残そうというのに、どうして一時の快楽を貪り、万世に悪名を留めるようなことを言うのか?」皆は六郎がこのように言うのを聞き、二度と口を挟もうとはせず、救援に行くことに同意したのでした。

それから六郎は兵馬を整えて八賢王と合流し、十二万の大軍を率いて勢いよく魏州へと進撃します。六郎と八賢王は相談のうえ、岳勝を先鋒に任じ、まず敵兵の鋭気を挫かせることにしました。それから孟良と焦賛を左右両翼に分けて敵陣に攻め入らせます。六郎は陳林と柴幹を率いて遊撃隊となりました。

次の日、岳勝がまず兵馬を率いて魏州城下に進撃します。遼将の蕭天佐と耶律慶は馬に乗って出陣し、耶律慶が叫びました。「宋の皇帝の死期はそう遠くはないぞ、お前達はわざわざ殉葬されに来たのか?」岳勝は返事をせず、刀を振るって耶律慶に斬りかかります。二人が激戦になっている間に、孟良と焦賛が左右両翼から攻め込んで来て、ひとしきり遼軍を滅多打ちにして潰滅させました。

六郎がこの時にまた兵を率いて突撃してきます。混戦の中、蕭天佐は楊継宗に矢を射られて落馬しましたが、土金秀が間一髪で助けに入ったお陰で命拾いをしました。耶律慶はこの情景を見て、馬首を巡らせて逃げ出します。岳勝がどうしてそれを見逃しましょうか、追撃して耶律慶を一刀両断に斬り捨ててしまいました。蕭天佐と土金秀は大勢が既に決したのを目の当たりにし、敗残兵と敗将を取りまとめて、夜を徹して幽州へと逃げ戻ります。

楊六郎が城に入って真宗に謁見すると、真宗は誠意を込めて言いました。「そなたは今日朕を救うという功績を建てた。朕はこれからは決してそなたをないがしろにはしまいぞ。」そして彼を加増して三関都巡節度使にしたのでした。六郎は皆に別れを告げ、大軍を率いてまた佳山寨に戻って行きました。

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絵本楊家将 第15章 六郎破遼(前編)

2012年03月04日 | 絵本楊家将
第15章 六郎破遼(前編)

この日、真宗は文武の大臣を引き連れて魏州の銅台まで物見遊山にやって来たところ、はからずも蕭太后の詭計にかかってしまいました。蕭太后は蕭天左と土金秀を派遣し、魏州城を水も漏らさぬほど厳重に包囲させます。

真宗は大変に驚き、慌てて八賢王にどうしたら良いのか尋ねました。八賢王は機が熟したと見て、真宗が六郎を許して無罪にしてやれば、六郎が救援に駆けつけるかもしれないとほのめかします。真宗はその意を悟り、大将の王全節に命令書を持たせ、魏州城の包囲を突破して汝州に行くよう命じました。王全節は命令書を持って汝州に赴きましたが、六郎を見つけることができず、今度は天波府に赴きましたが、何の手がかりも得られません。王全節はどうしようもなく銅台へと引き返します。八賢王はその様子を見て、自ら伴を引き連れて包囲網を突破し、天波府に赴いて六郎を訪ねることにしました。

佘太君は八賢王が自らやって来たのを見て、六郎を地下の穴蔵から出て来させました。八賢王は言葉巧みに説得し、六郎は遂に銅台に救援に赴くことを承諾したのでした。そこで二人は別行動をとることにし、八賢王は朝廷に戻って辺境の軍隊を徴集し、六郎は孟良や焦賛らの部将を招集します。

この日、六郎は州にやって来てあちこちで焦賛の消息を尋ねて回ります。そこへ突然僧侶たちが何やら話をしながら通りかかるのが目に入りました。六郎はそこで進み出て尋ねてみますと、僧侶たちが言いますには、「この州の泗川堂という所に一人の男が現れまして、出家人と見ると難癖をつけ、僧侶や道士を捕まえてはその人の主人のために経を読ませるのです。」

六郎はその男というのが焦賛であるに違いないと見当を付け、僧侶たちとともに泗川堂までやって来ました。六郎が中に入って見てみると、果たして焦賛が香が焚かれた祭壇の上で寝転んでいるのが見えました。六郎が体を揺さぶり、焦賛がカッと目を見開くと、六郎が目の前にいますので、驚きかつ喜んで言いました。「将軍はてっきり朝廷に処刑されたものと思っていましたのに、今日こうしてまたお会いすることができるとは、本当に嬉しくて涙が出そうです!」

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絵本楊家将 第14章 智救楊六郎(後編)

2012年03月03日 | 絵本楊家将
第14章 智救楊六郎(後編)

六郎が汝州に着くと、太守の張済が尋ねました。「将軍は佳山寨を守られていたそうですが、どうしてこんなことになってしまったのですか?」六郎はそこで起こったことの一切合切を張済に対して説明します。張済はひとしきりため息をついて言いました。「将軍、しばらくは我慢なさって街の西で官酒の製造の責任者をお務めください。半年か一年もすれば、朝廷はきっとまた将軍を起用されましょう。」

楊六郎が汝州に配流された後も、王欽はまだあきらめず、ひたすら六郎を死地に追い込もうとします。朝廷は酒税を非常に重視していましたので、王欽は六郎に無実の罪を着せようと真宗の面前に駆けつけ、六郎が汝州に着いて一月も経たないというのに、酒の密売によって金を稼ぎ、反逆をたくらんでいると弾劾しました。真宗はそれを聞くと怒りで顔色を変えて言いました。「朕は楊家に功績があることを考慮して死罪を免じてやったというのに、今またこんなことをしでかすとは、何というやつだ!」すぐさま命令を下し、呼延賛に汝州に行かせて楊六郎の首を持ち帰るように言いつけます。

八賢王がまたもや情状酌量を頼みにやって来ましたが、真宗はまったく聞き入れずに言いました。「そなたは毎回やつを庇い立てするが、まさかやつの部将が謝副使を殺していないとでも申すつもりか?」八賢王は返す言葉も無く引き下がり、寇準のもとに出向いて善後策を話し合います。寇準が言いますには、「派遣されたのが呼延賛殿というのは不幸中の幸いです!呼延殿に汝州太守とともに六郎と容貌がよく似た囚人を捜させ、その者の首を代わりに差し出させるのです。その後六郎を逃亡させて匿っておき、いずれ国家に危機が訪れましたら彼を推挙すればよろしいでしょう。」八賢王は妙案だ妙案だと褒め称え、呼延賛のもとに赴きました。呼延賛は言いました。「殿下、ご安心ください。必ずそのように致します。」

呼延賛は汝州に到着すると、太守の張済に皇帝の命令書を見せました。張済が驚いて言いますには、「楊将軍が反逆を企んでいるなど、まったくの出鱈目です。陛下はどうして忠臣を殺そうとなさるのですか?」呼延賛はその様子を見て八賢王の計略を彼に話して聞かせます。張済は言いました。「私も同感です。国に楊将軍がおらずして、どうして辺境が平穏を保てましょう。」二人はすべてをうまく取り計らい、六郎に平民に扮装して逃亡するようにさせる一方で、死刑囚の中から六郎と顔つきが似た人を捜し出して首を刎ね、呼延賛はそれを汴梁へと持ち帰りました。

その日の早朝、呼延賛が六郎の首を差し出すと、真宗は自ら首実検をします。文武の大臣たちはそれを見ると一様に頭を下げてため息をつき、誰一人としてそれが偽物ではないかと疑問を抱きません。八賢王は見破られるのを恐れ、真宗に対して言いました。「楊延昭は既に罪に服しました。陛下におかれましては何卒首を楊府にお返しになり、埋葬を許されますよう。」

真宗はそれを聞き入れ、六郎の首を楊府に送り返すよう命じました。首が届けられると楊府では屋敷中の者が悲嘆に暮れます。後に六郎が楊府に戻ると、楊家の人々はようやく事情を知り、悲喜こもごもとなりました。そして彼を穴蔵に匿い、静かに時期を待つことにしたのでした。

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絵本楊家将 第14章 智救楊六郎(前編)

2012年02月26日 | 絵本楊家将
第14章 智救楊六郎(前編)

謝金吾が死ぬと、王欽は焦賛が犯人であるとつきとめました。そして楊六郎を排除する機会がやって来たと思い、いそいそと真宗のもとに報告に向かいます。真宗は大変驚いて言いました。「楊延昭は辺境を守っておるというのに、どうしてその部将が都で人を殺したりするのだ?」王欽は言いました。「陛下はご存知ないかもしれませんが、楊延昭は数日前に勝手に佳山寨を離れ、焦賛を伴って都に戻っていたのでございます。陛下、何卒二人を捕らえて罪を問うて下さいませ。」真宗はそれを承諾し、近衛兵に命じて天波府で楊六郎と焦賛を捕らえさせることにしました。

近衛兵が天波府にやって来て、楊六郎はようやく焦賛が謝金吾を殺したことを知り、思わず怒りで全身が震えます。焦賛は却って殺人のことを何とも思っておらず、抵抗して捕縛から逃れようとすらします。六郎は声を張り上げて怒鳴りつけました。「このバカ者め、反抗するなら私がお前の首を斬ってやるぞ!まずは陛下にお会いして申し開きをするのだ。」焦賛はそれを聞いてようやく刀を放すと、近衛兵が二人を取り囲んで寄ってたかって縛り上げ、宮殿に連行しました。

真宗は問い質しました。「楊延昭、そなたは勝手に山寨を離れ、また部将を引き連れて謝副使を一家皆殺しにしたが、それが何の罪に当たるかわかっておろうな?」六郎は言いました。「最近陛下が天波府を取り壊すよう命じられ、私の母が心労のあまり病に罹りましたので、戻って見舞いをしたいと思ったまででございます。ただ、私は本当に焦賛が街で殺人を働いたことは知らなかったのです。何卒ご明察のほどを。もし調査によって私が本当に主謀者であるということになりましたら、甘んじて罰を受けたいと思います。」

王欽はこの機に乗じて煽り立て、真宗に速やかに楊六郎と焦賛を死刑にさせようとします。八賢王は言いました。「楊延昭は勝手に三関を離れましたが、情状酌量の余地がございます。焦賛は殺人を犯し、斬刑に処すべきところではありますが、辺境を守って功績があったことを思えば、処分を軽くすべきではないかと。」真宗は両人の話を斟酌し、六郎を汝州に配流して三年間労役に充てることにし、また焦賛は死罪を免除し、州に配流して軍役に充てるよう命令を下しました。

王欽は命を受けると、ただちに四十名の役人を楊府に派遣して六郎と焦賛に出発するよう催促させます。六郎は涙を流して身内に別れを告げ、焦賛や役人たちとともに出立しました。

十字路に着くと、焦賛が六郎に対して言いました。「州に行きましたら、すぐにでも佳山寨に戻ることにします。時が来たら岳勝兄貴にあなたを助けに行かせますよ。」六郎は言いました。「バカなことを言うな!死罪になるほど重い罪を犯したわけではないし、半年か一年ほど我慢すれば、山寨に戻れる日が来よう。」焦賛はこれを聞くと大声で笑い出し、六郎に別れを告げて行ってしまいました。

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絵本楊家将 第13章 怒殺謝金吾(後編)

2012年02月25日 | 絵本楊家将
第13章 怒殺謝金吾(後編)

六郎は怒って足を踏みならします。九妹は二人が言い争いをしているのを見て言いました。「兄上、連れて行ってあげましょうよ!都に着いてから問題をおこさないと約束すればいいのでしょう。」焦賛は二つ返事で、絶対に問題をおこさないと誓いました。

六郎は仕方なしに、九妹とともに焦賛を引き連れて楊府に戻りました。佘太君は六郎を見ると、思わず涙が流れてしまいます。六郎は母親を慰め、それから密かに八賢王に会うために南清宮に向かうことにしました。出発の前に、六郎はわざわざ二人の部下に焦賛を見張らせ、外出させないようにしました。しばらくして、焦賛は心が落ち着かなくなり、見張り番に街中に連れ出してくれるよう懇願しました。見張り番が言いますには、「万が一人に見つかったら、将軍にご迷惑がかかってしまいますよ。」焦賛は言いました。「お前たち安心しな、俺は決して人に見つかったりしないから。」仕方なく、二人の見張り番は焦賛を連れ出し、こっそり後門から天波府を抜け出させました。

焦賛は街で馬車の往来や酒場での賑わいを目にすると、目が二つしか無いのが残念だと思い、日が暮れるまで屋敷に戻ろうとしません。彼らが歩いていると、突然歌や楽器の音色が聞こえてきました。焦賛は尋ねました。「ここは誰の屋敷だ、どうしてこんなに賑やかなんだ?」見張り番は言いました。「何だっていいじゃないですか、早く行きましょう!ここの主人の謝金吾が陛下を唆して天波府を取り潰しにしようとしているのですよ。」

焦賛はこれを聞くと腹を立て、中に侵入して見てみないことには気が済みません。二人の見張り番は止めることができず、焦賛はひらりと壁を跳び越えて謝府へと侵入しました。

焦賛は謝府に入り、音楽が聞こえる方向へと進んでいくと、大広間の外に辿り着きました。部屋の中で歌や踊りが繰り広げられており、その傍らで謝金吾が酔い潰れているのが見えました。焦賛は短刀を抜いて、猛然と部屋の中へと突進します。謝金吾はぼんやりと真っ黒の顔をした男が目の前に立っているのを見て、思わず声を上げて叫びました。「誰か早く来てくれ、賊だ!」彼が叫びきらないうちに、焦賛は一刀のもとに彼の首を切り落としました。側にいた使用人や歌い手たちは驚いて逃げ惑います。焦賛は毒を食らわば皿までとばかりに、謝金吾の家の者をすべて殺し尽くしてしまいました。

焦賛は思いました。「大丈夫たる者、自分でしたことは自分で責任を取るべきだな。俺の名前を残しておけば、他人に累を及ぼすことは避けられよう。」そう考えると、彼は指に鮮血をつけて壁にこのように書き残しました。「天上に六丁六甲の守り神あらば、地上には禍々しき金神七煞あり。人を殺したのが誰か知りたいならば、焦七焦八を尋ねてまいれ。」書き終わると、彼は壁を跳び越えて、楊府へと戻って行きました。

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絵本楊家将 第13章 怒殺謝金吾(前編)

2012年02月22日 | 絵本楊家将
第13章 怒殺謝金吾(前編)

王欽は楊六郎が連戦連勝であると聞き、六郎を排除しなければ宋朝を滅ぼせそうにないと思いました。王欽は策を練って枢密副使の謝金吾を招き、彼に対して自分が天波府を通りかかった時に、楊家から嫌がらせを受けたという話をして、謝金吾が楊家に対して面倒を引き起こすよう誘導しました。謝金吾は王欽に取り入ろうとして言いました。「まあ待っていてください。私が天波府を取り潰すのをご覧に入れてみせますよ!」

この日、謝金吾は大勢の人や馬を引き連れて、わざと銅鑼や太鼓を打ち鳴らさせて天波府の前を通過します。佘太君はそれを知ると顔色を変えて怒り、龍頭の杖をついて真宗に謁見しました。佘太君は厳粛な面持ちで言いました。「かつて先帝は、位の上下を問わず官吏が天波府を通過する際には、馬から下りて控えるよう遺言されました。しかし先頃謝金吾がわざと馬に乗ったままで銅鑼や太鼓を打ち鳴らして通過しました。これは明らかに国法を軽んじ、私めを侮っているのでございます!」

真宗はこれを聞き、謝金吾を宮殿に呼び寄せて叱責しましたが、思いがけず謝金吾が言いますには、「私がどうして国法を軽んじたり致しましょうか。ただ、目下の所天下の人々は楊家将のことは知っていても、陛下がおわすことを知りません。私はこれが実にけしからんと思っております。陛下におかれましてはどうか天波府をお取り潰しになり、君主の尊厳を正されますよう。」

真宗はこれを聞くと黙り込んでしまい、王欽がここぞとばかりに煽り立てます。真宗は彼らの讒言を信じ込んでしまい、謝金吾を責任者に任じて、天波楼を取り壊すよう命じました。八賢王はこのことを聞くと、大変なことになったと思い、九妹に夜を徹して佳山寨に赴かせ、密かに楊六郎を汴梁へと呼び戻させることにします。

六郎はこのことを聞くと、不安と憤りが入り混じってどう仕様もなくなり、軍務を岳勝と孟良に代行させることにして、自らは九妹と密かに夜を徹して佳山寨を離れて汴梁へと向かいます。

夜半、六郎と九妹が烏鴉林という所にさしかかると、突然林の中から笑い声が聞こえたかと思うと、黒い影が飛び出して来ました。六郎がびっくり仰天して見てみたところ、それは焦賛でした。腹を立てて言いますには、「お前は勝手に持ち場を離れ、ここに何をしに来たのだ?」焦賛がわめいて言いますには、「あなたの方こそ勝手に山寨を離れたというのに、人のことは言えますまい。汴梁が大変いい所だという話ですので、一緒に見て回りたいと思ったまでです。」

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絵本楊家将 第12章 孟良盗馬(後編)

2012年02月18日 | 絵本楊家将
第12章 孟良盗馬(後編)

お触れ書きが貼り出されると、孟良はそれをはがし取り、護衛兵に伴われて蕭太后に謁見しました。蕭太后は孟良が馬の病気を治せると聞くと、急いで彼に治療させることにします。実は馬は病気などではなく、孟良が散布したしびれ薬を口にしたので、何も飲み食いしなくなり、病気にかかったように見えるだけなのでした。孟良は適当に馬の口に水薬を注いで言いました。「明日になったら物が食べられるようになるだろう。」実際はこのしびれ薬が一日しか効き目が持たず、一日が過ぎると馬が自然とまた物を食べるようになるというだけのことで、だから孟良の薬が病気を治すことができたというわけです。

蕭太后は馬が物を食べるようになったと聞いて非常に喜び、孟良を燕州総管に任じます。孟良が蕭太后に対して言いますには、「この馬はまだ完全には回復しきっておりません。どうか馬を燕州に連れて行き、時間を掛けて療養を行うことをお許し下さい。馬が完全に良くなりましたら、また太后様にお送りいたします。」

蕭太后はもっともであると考え、馬を孟良に引き渡すように命じ、馬を燕州に連れて行かせてゆっくり療養させることにしたのでした。孟良はそこで悠々と驌馬を乗りこなし、楊令公の遺骨を抱えて夜を徹して街を出て、佳山寨へと向かいます。遼国の巡回兵は孟良が馬に乗って燕州ではなく佳山寨の方向へと向かうのを見て、急いで蕭太后に報告しました。蕭太后は「名馬が悪党に騙し取られてしまった。」と大いに驚き、泡を食って蕭天佑に追跡させます。

孟良は飛ぶように馬で駆け抜け、佳山寨が目の前まで見えてきました。背後には一面砂ぼこりが舞い散るのみです。孟良は馬を鞭打ってひたすら前進させます。佳山寨の入り口の見張り番が孟良に気づき、急いで六郎に報告しました。

六郎はただちに岳勝と焦賛に兵を率いて出迎えに行かせます。蕭天佑が追いついて来て声を張り上げて罵りました。「その悪党めに我が大遼の名馬を返させるのだ、さもなければ山寨に攻め込んで根絶やしにしてやるぞ!」岳勝は大いに怒り、大刀を振り回して突撃し、二人の一騎打ちとなりました。

十数回打ち合うと、今度は焦賛が助太刀にやって来ました。蕭天佑は自分ではかなわないと悟り、馬首をめぐらせて逃走します。岳勝と焦賛は勝ちに乗じて追撃し、遼兵は大敗しました。

六郎は孟良が父親の遺骨を取り戻したうえに、更に名馬を連れ帰って来たのを見て、喜びに堪えません。六郎は汴梁に使者を派遣し、母親に父の遺骨を引き取りに来させるとともに、驌馬を皇帝に献上し、孟良らに恩賞を求めます。それから間もなく、蕭天佑が兵を率いて澶州に攻め込み、楊六郎は命を受けて彼らと戦うことになりました。双龍谷の戦いの中で、楊六郎は遼軍を大敗させたうえ、蕭天佑を討ち取りました。それ以来楊六郎が配下の将兵を率いてしばしば勲功を挙げたので、遼兵はその噂を聞いただけで逃げ去ってしまうようになったのでした。

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