/>検察官の遺言 (ハヤカワ・ミステリ文庫)の感想
『バッド・キッズ』の作者による官場ミステリー。弁護士による交友関係のもつれかと思われた殺人事件。しかし背後関係を探っていくうちに十数年前の不可解な事件に辿り着き……という筋。中国では力がある者のみが義や侠を実行することができる。さもなくば自分や身内が破滅に追い込まれるという話を思い起こさせるような展開が続く。何かモデルなった事件があるのかと思いきや、解説によると周永康事件を意識して書かれたとのこと。
読了日:10月01日 著者:紫金陳
桃源亭へようこそ 中国料理店店主・陶展文の事件簿 (徳間文庫)の感想
神戸を舞台にした在日華人連作ミステリー。本作収録のむ諸篇では陶展文の料理人、拳法家、漢方医という盛りに盛った設定がいまひとつ生かされていないのではという気もしないではない。戦時中の台湾人に対する扱いが鍵となる「軌跡は消えず」、歴史や考古ネタ満載の「王直の財宝」(水中考古学の話題もあり!)を面白く読んだ。最後の一篇は陶展文が登場しない別物の作品だが、戦争を挟んだ時期の華人社会の模様が描かれていてこれも面白い。
読了日:10月02日 著者:陳舜臣
創価学会 現代日本の模倣国家 (講談社選書メチエ 811)の感想
「模倣国家」としての創価学会、牧口・戸田・池田の三代の会長の事跡、学会における女性の扱いと彼女たちが果たした役割等々話題は多岐にのぼるが、最も印象的なのは会員に読書に試験、そして丸暗記を含めた学習が求められることである。特に読書は『人間革命』など学会の出版物だけでなく、『三国志』や『巌窟王』など池田大作の愛読書についても求められることがあるらしく、他の宗教団体と比べても出色ではないかと思う。思わぬ形で読書と学習の効用を思い知らされた。その他生々しい参与観察の成果も読みどころ。
読了日:10月05日 著者:レヴィ・マクローリン
198Xのファミコン狂騒曲の感想
ファミ通元編集長東府屋ファミ坊の回顧録。話としては編集長から編集人に昇格したあたりまででアスキーを辞めてアクセラを立ちあげる話はなし。組織としては長らくファミ通独自の編集部を持てなかったこと、雑誌としては後発で売り上げに苦しんだ話や、元職も含めて他誌の編集者から雑誌作りの技術を学んだこと、後発ゆえに一般誌にあってゲーム雑誌にはない要素を取り入れていったことなどが印象的。『オホーツクに消ゆ』など、自身が関わったゲーム制作の話の占める比重が思ったより多い。後任の編集長浜村氏の回顧録も読んでみたい。
読了日:10月07日 著者:塩崎剛三
犬は「びよ」と鳴いていた: 日本語は擬音語・擬態語が面白い (光文社新書 56)の感想
日本語の擬音語・擬態語の変遷。前半では多くの表現が消えていったようで、その実形を変えつつ現代まで生き残ったものも多いという議論が展開される。あとは「チウき殺す」→「突き殺す」、「モウぎう」→『蒙求』といったように、動物の鳴き声などを掛詞として使用する例も多かったとのこと。これは忘れられた伝統として今こそ日本語表現に復興させるべきではないかと思う。タイトルにある犬の鳴き声「びよ」が「わん」へと変遷していった背景として、野犬と飼い犬の鳴き声の違いを挙げているのは面白い。
読了日:10月09日 著者:山口 仲美
愛と欲望のナチズム (講談社学術文庫 2838)の感想
旧来の健全な道徳を標榜しつつも、ゲルマン民族の「健康的な肉体」をアピールし、「産めよ殖やせよ」を推進せざるを得ないという都合から、夫婦以外の形も含めた男女の性的関係を肯定せざるを得ないという矛盾を抱えていたナチ政権下の性をめぐるあれこれ。街中にヌード誌が氾濫し、前線の兵士が女性を求めるのと同時に銃後の女性たちも行きずりの相手を求め、少女も含めた青少年の性的非行も横行していた。同じ同盟国側ながら同時代の日本国内の状況と随分違うが、あるいは日本でも知られていないだけでそういう動きが見られたのだろうか?
読了日:10月12日 著者:田野 大輔
中国の思想 (ちくま学芸文庫ム-14-1)の感想
先秦から新中国成立までの中国思想史の展開をわかりやすい語り口で辿る。諸子の成立年代をとかく引き下げがちだったり、『周礼』『左伝』を前漢末の儒者の創作としたりと、先秦の部分に関してはさすがに古さが目立つが、それでも『孟子』の性善説と『荀子』の性悪説を対比し、人性論において実は根本的な対立はないのではないかという疑問を提示したり、名家には論理的錯誤を利用して説を立てるのに強い関心があり、彼らのそうした詭弁的な側面が他の学派からの反論を招いたのではないかとする点など、なかなか面白い評価が多い。
読了日:10月14日 著者:村山 吉廣
ゼロからの著作権──学校・社会・SNSの情報ルール (岩波ジュニア新書 990)の感想
中高生が手に取るという想定からか、教員が授業で作文を読み上げる行為や、図工の時間に作った粘土細工に手を加えて出展する行為に問題はないか?クラスのみんなで作詩作曲した歌をネットにアップする際の注意点は?他人の文章を引用する際のルールは?など学校生活に即した問題が多く取り上げられている。ただ、本の表紙をネットにアップすることについては昔講演で専門家からまったく逆の見解を聞いたのだが……
読了日:10月15日 著者:宮武 久佳
加耶/任那―古代朝鮮に倭の拠点はあったか (中公新書 2828)の感想
加耶ないしは任那について、戦前の学説から近年の見解までよく整理されていると思う。『日本書紀』分注に引かれる百済三書の史料的性格についての議論や、いわゆる任那日本府が倭国の統制下にはない、独立的な性格を持った現地で土着した反百済・親加耶の倭系の人々の総称であり、百済の倭系官僚の裏返しのような存在で、その捉え方は倭国と百済とで相違があったという議論を面白く読んだ。これは言い換えれば倭と加耶、百済間のマージナルな存在であり、後の時代の倭寇のマージナル性とも通じるのではないか。
読了日:10月23日 著者:仁藤 敦史
就職氷河期世代-データで読み解く所得・家族形成・格差 (中公新書 2825)の感想
統計から読み解く氷河期世代の就職状況と経済、家族。氷河期世代として色々身につまされる指摘や論点が満載だが、印象に残ったのは氷河期世代もさることながら、その直後のポスト氷河期世代も当時「売り手市場」などと言われながらも実は就職状況は氷河期前半と同水準だったということと、世間的な論調とは逆に氷河期世代以降の女性の高学歴化が少子化に影響を与えたという事実は読み取れず、むしろ高卒女性より大卒女性の方が結婚と出産をする可能性が高くなっていること、また直前の段階ジュニア世代より子どもの数が多いという指摘である。
読了日:10月24日 著者:近藤 絢子
女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年 (中公新書 2829)の感想
道長の時代から承久の乱あたりまで。道長の前後から登場する女院を軸に、彼女たちのサロンに出入りした女房歌人、斎王、天皇の乳母など、前著に引き続き女性たちの動きや彼女たちのもとに集積された荘園などの財、人材を辿る。その絡みで女院たちに仕えた武人貴族の動きや、武士の起こり問題についても言及がある。女性を中心に見ていくと、政治にしろ人間関係にろ平安時代の見え方が随分変わってくるんだなと感じる。
読了日:10月27日 著者:榎村 寛之
出雲神話 (講談社学術文庫)の感想
出雲と大和を対立する勢力として見ないというのが新鮮。国譲り神話が出雲国内の状況の反映で、元々の伝承は大社の鎮座縁起であるというのも面白い。ただ、出雲が「宗教王国」であるというの議論はいまひとつピンと来ないが、あの時代の倭に中国でいえば三国志に出てくる張魯の五斗米道のような勢力があったのだろうか?また神話上で不本意な書かれ方を押しつけられたアメノホヒの後裔を称する出雲国造氏らはそれで納得したのだろうか?
読了日:10月28日 著者:松前 健
風呂と愛国: 「清潔な国民」はいかに生まれたか (NHK出版新書 729)の感想
江戸時代の入浴習慣が近代になってから西洋的な「清潔」の観念から評価されるようになり、外国人と比較のうえで「日本人は入浴好きである」と国民性と結びつけられ、修身の授業や家庭教育を通じて子どもたちやアイヌ、沖縄といった外地の人々にも入浴習慣を徹底するに至る過程を描く。戦前・戦中までは清潔さが国家によって押しつけられたということになりそうだが、昨今は逆に精神的不潔さというか悪どさのようなものが押しつけられがちに見えるのが何とも皮肉なことである。
読了日:10月30日 著者:川端 美季
『バッド・キッズ』の作者による官場ミステリー。弁護士による交友関係のもつれかと思われた殺人事件。しかし背後関係を探っていくうちに十数年前の不可解な事件に辿り着き……という筋。中国では力がある者のみが義や侠を実行することができる。さもなくば自分や身内が破滅に追い込まれるという話を思い起こさせるような展開が続く。何かモデルなった事件があるのかと思いきや、解説によると周永康事件を意識して書かれたとのこと。
読了日:10月01日 著者:紫金陳
桃源亭へようこそ 中国料理店店主・陶展文の事件簿 (徳間文庫)の感想
神戸を舞台にした在日華人連作ミステリー。本作収録のむ諸篇では陶展文の料理人、拳法家、漢方医という盛りに盛った設定がいまひとつ生かされていないのではという気もしないではない。戦時中の台湾人に対する扱いが鍵となる「軌跡は消えず」、歴史や考古ネタ満載の「王直の財宝」(水中考古学の話題もあり!)を面白く読んだ。最後の一篇は陶展文が登場しない別物の作品だが、戦争を挟んだ時期の華人社会の模様が描かれていてこれも面白い。
読了日:10月02日 著者:陳舜臣
創価学会 現代日本の模倣国家 (講談社選書メチエ 811)の感想
「模倣国家」としての創価学会、牧口・戸田・池田の三代の会長の事跡、学会における女性の扱いと彼女たちが果たした役割等々話題は多岐にのぼるが、最も印象的なのは会員に読書に試験、そして丸暗記を含めた学習が求められることである。特に読書は『人間革命』など学会の出版物だけでなく、『三国志』や『巌窟王』など池田大作の愛読書についても求められることがあるらしく、他の宗教団体と比べても出色ではないかと思う。思わぬ形で読書と学習の効用を思い知らされた。その他生々しい参与観察の成果も読みどころ。
読了日:10月05日 著者:レヴィ・マクローリン
198Xのファミコン狂騒曲の感想
ファミ通元編集長東府屋ファミ坊の回顧録。話としては編集長から編集人に昇格したあたりまででアスキーを辞めてアクセラを立ちあげる話はなし。組織としては長らくファミ通独自の編集部を持てなかったこと、雑誌としては後発で売り上げに苦しんだ話や、元職も含めて他誌の編集者から雑誌作りの技術を学んだこと、後発ゆえに一般誌にあってゲーム雑誌にはない要素を取り入れていったことなどが印象的。『オホーツクに消ゆ』など、自身が関わったゲーム制作の話の占める比重が思ったより多い。後任の編集長浜村氏の回顧録も読んでみたい。
読了日:10月07日 著者:塩崎剛三
犬は「びよ」と鳴いていた: 日本語は擬音語・擬態語が面白い (光文社新書 56)の感想
日本語の擬音語・擬態語の変遷。前半では多くの表現が消えていったようで、その実形を変えつつ現代まで生き残ったものも多いという議論が展開される。あとは「チウき殺す」→「突き殺す」、「モウぎう」→『蒙求』といったように、動物の鳴き声などを掛詞として使用する例も多かったとのこと。これは忘れられた伝統として今こそ日本語表現に復興させるべきではないかと思う。タイトルにある犬の鳴き声「びよ」が「わん」へと変遷していった背景として、野犬と飼い犬の鳴き声の違いを挙げているのは面白い。
読了日:10月09日 著者:山口 仲美
愛と欲望のナチズム (講談社学術文庫 2838)の感想
旧来の健全な道徳を標榜しつつも、ゲルマン民族の「健康的な肉体」をアピールし、「産めよ殖やせよ」を推進せざるを得ないという都合から、夫婦以外の形も含めた男女の性的関係を肯定せざるを得ないという矛盾を抱えていたナチ政権下の性をめぐるあれこれ。街中にヌード誌が氾濫し、前線の兵士が女性を求めるのと同時に銃後の女性たちも行きずりの相手を求め、少女も含めた青少年の性的非行も横行していた。同じ同盟国側ながら同時代の日本国内の状況と随分違うが、あるいは日本でも知られていないだけでそういう動きが見られたのだろうか?
読了日:10月12日 著者:田野 大輔
中国の思想 (ちくま学芸文庫ム-14-1)の感想
先秦から新中国成立までの中国思想史の展開をわかりやすい語り口で辿る。諸子の成立年代をとかく引き下げがちだったり、『周礼』『左伝』を前漢末の儒者の創作としたりと、先秦の部分に関してはさすがに古さが目立つが、それでも『孟子』の性善説と『荀子』の性悪説を対比し、人性論において実は根本的な対立はないのではないかという疑問を提示したり、名家には論理的錯誤を利用して説を立てるのに強い関心があり、彼らのそうした詭弁的な側面が他の学派からの反論を招いたのではないかとする点など、なかなか面白い評価が多い。
読了日:10月14日 著者:村山 吉廣
ゼロからの著作権──学校・社会・SNSの情報ルール (岩波ジュニア新書 990)の感想
中高生が手に取るという想定からか、教員が授業で作文を読み上げる行為や、図工の時間に作った粘土細工に手を加えて出展する行為に問題はないか?クラスのみんなで作詩作曲した歌をネットにアップする際の注意点は?他人の文章を引用する際のルールは?など学校生活に即した問題が多く取り上げられている。ただ、本の表紙をネットにアップすることについては昔講演で専門家からまったく逆の見解を聞いたのだが……
読了日:10月15日 著者:宮武 久佳
加耶/任那―古代朝鮮に倭の拠点はあったか (中公新書 2828)の感想
加耶ないしは任那について、戦前の学説から近年の見解までよく整理されていると思う。『日本書紀』分注に引かれる百済三書の史料的性格についての議論や、いわゆる任那日本府が倭国の統制下にはない、独立的な性格を持った現地で土着した反百済・親加耶の倭系の人々の総称であり、百済の倭系官僚の裏返しのような存在で、その捉え方は倭国と百済とで相違があったという議論を面白く読んだ。これは言い換えれば倭と加耶、百済間のマージナルな存在であり、後の時代の倭寇のマージナル性とも通じるのではないか。
読了日:10月23日 著者:仁藤 敦史
就職氷河期世代-データで読み解く所得・家族形成・格差 (中公新書 2825)の感想
統計から読み解く氷河期世代の就職状況と経済、家族。氷河期世代として色々身につまされる指摘や論点が満載だが、印象に残ったのは氷河期世代もさることながら、その直後のポスト氷河期世代も当時「売り手市場」などと言われながらも実は就職状況は氷河期前半と同水準だったということと、世間的な論調とは逆に氷河期世代以降の女性の高学歴化が少子化に影響を与えたという事実は読み取れず、むしろ高卒女性より大卒女性の方が結婚と出産をする可能性が高くなっていること、また直前の段階ジュニア世代より子どもの数が多いという指摘である。
読了日:10月24日 著者:近藤 絢子
女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年 (中公新書 2829)の感想
道長の時代から承久の乱あたりまで。道長の前後から登場する女院を軸に、彼女たちのサロンに出入りした女房歌人、斎王、天皇の乳母など、前著に引き続き女性たちの動きや彼女たちのもとに集積された荘園などの財、人材を辿る。その絡みで女院たちに仕えた武人貴族の動きや、武士の起こり問題についても言及がある。女性を中心に見ていくと、政治にしろ人間関係にろ平安時代の見え方が随分変わってくるんだなと感じる。
読了日:10月27日 著者:榎村 寛之
出雲神話 (講談社学術文庫)の感想
出雲と大和を対立する勢力として見ないというのが新鮮。国譲り神話が出雲国内の状況の反映で、元々の伝承は大社の鎮座縁起であるというのも面白い。ただ、出雲が「宗教王国」であるというの議論はいまひとつピンと来ないが、あの時代の倭に中国でいえば三国志に出てくる張魯の五斗米道のような勢力があったのだろうか?また神話上で不本意な書かれ方を押しつけられたアメノホヒの後裔を称する出雲国造氏らはそれで納得したのだろうか?
読了日:10月28日 著者:松前 健
風呂と愛国: 「清潔な国民」はいかに生まれたか (NHK出版新書 729)の感想
江戸時代の入浴習慣が近代になってから西洋的な「清潔」の観念から評価されるようになり、外国人と比較のうえで「日本人は入浴好きである」と国民性と結びつけられ、修身の授業や家庭教育を通じて子どもたちやアイヌ、沖縄といった外地の人々にも入浴習慣を徹底するに至る過程を描く。戦前・戦中までは清潔さが国家によって押しつけられたということになりそうだが、昨今は逆に精神的不潔さというか悪どさのようなものが押しつけられがちに見えるのが何とも皮肉なことである。
読了日:10月30日 著者:川端 美季