博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

再入院

2010年08月06日 | 中国学書籍
二ヶ月前から腰と背中の調子がおかしかったのですが、昨日から腰痛で身動き取れない状態となり、本日検査の結果腰の骨が圧迫骨折を起こしていることがわかり、即入院に……
ということでしばらく更新は停止します。近況の方はtwitterで書いていきますので、ニックネームさとうしん、ID satoshin257で探してみてください。
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TVB版『楊家将』その3(完)

2010年08月03日 | 中国古典小説ドラマ
TVB版『楊家将』第4~最終5話まで見ました。

何とか都に生還した六郎ですが、潘洪の陰謀により遼に寝返った裏切り者にされてしまいます。ここで六郎の審問官として登場するのが寇準。包拯の推薦により七品の県令ながら大役に抜擢されますが、潘妃(潘洪の娘で太宗の寵姫)の賄賂をそのまま八賢王に渡して買収の証拠としたり、潘洪に偽の金鞭(太祖が八賢王に与えたもので、これを持つ者は皇帝をも罰する権利がある。)を持ち出して罪を自供させたりとやりたい放題。これではどっちが悪役か分からん(^^;)

この寇準の裁きにより流罪となった潘洪ですが、「貴様には流刑さえ生ぬるいっ!」とばかりに護送されている所を六郎に待ち伏せされ、討ち果たされてしまいます。護送兵もこのあたりの機微を心得ているのか、「請!」とノリノリで引き下がってます(^^;)

で、遼征伐の大将に任じられた六郎ですが、太上老君のもとから誅仙剣を盗み、天門陣を敷いた呂洞賓によって囚われの身に。一方の楊家も呂洞賓の師匠漢鍾離を味方につけ、また天門陣破りに必須の降龍木で出来た五郎八卦棍を持つ五郎、遼の公主に婿入りして父の形見金大刀を取り戻した四郎も駆けつけ、楊業夫人が大将となって天門陣に挑みますが……

ということで、最終話まであっという間に見切ってしまいました。一言、面白かった!80年代の作品なだけに衣装とか特撮面はもうひとつ残念な出来ですし、学芸会的なノリがあるのも否めないのですが、それを補って有り余る面白さはどこから来ているのでしょうか。今の大陸の歴史ドラマ制作スタッフには是非この作品を見直し、色々と反省していただきたいところです。
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TVB版『楊家将』その2

2010年08月02日 | 中国古典小説ドラマ
TVB版『楊家将』第2~3話まで見ました。

宋では遼に攻め込むに当たって先鋒官を試合で決めることになりますが、息子を先鋒官にしたい潘洪(潘仁美がなぜか潘洪という名前になっております。)の策略で楊家は出場を辞退することに。しかし「見物するだけならいいんだろ!」と試合を見に行った七郎は、反則行為の暗器を使いまくる潘豹にブチ切れ、試合に出た上うっかり潘豹を殺してしまいます。

息子の死に怒り狂う潘洪は太宗に訴え出て、七郎一人の罪のはずが楊家全員が処刑されることに。このあたり太宗の暗君ぶりが半端ない(^^;) 結局処刑寸前に七郎を見初めた女山賊杜金娥が救出に駆けつけたり、(「七郎を殺すならあたいも一緒に殺しな!」というセリフが素晴らしい。)包拯の横槍が入ったりして、包拯のお裁きによって楊業が三階級降格するだけで済むわけなんですが……

で、遼征伐は遼のスパイとなった潘洪の陰謀で太宗が親征することとなり、太宗と遼の天慶帝が和平の会談をすることに。どうせ罠だということで楊家の面々が太宗らに扮して会談に出るわけですが、遼側は本物の天慶帝が出席。それで蕭太后の陰謀で会談中に遼兵が襲撃し、楊家の面々が殺害される一方で天慶帝も謀殺。替わって蕭太后が皇帝になります。こんな展開でええのか(^^;) おまけに七郎も潘洪水殺害され、息子達のほとんどが死んだと知った楊業は絶望のすえ、蘇武廟の李陵碑に頭をぶつけて自害。

ここまで、全5話ということで話が実にスピーディーに進みます。以前見た『少年楊家将』なんて楊業が死ぬまで40話近くかかったもんですが。おまけに大陸の『楊家将』ドラマと違って神仙が出まくり絡みまくりでおもろいです。俺はこんな古典物ドラマを求めてたんだ!と叫びたくなってきます。
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『三国』その13

2010年08月01日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第78~83話まで見ました。

劉備の出兵直前に張飛が范彊と張達によって暗殺。両人は張飛の首を手土産に呉に投降しますが、孫権は「だから何で魏じゃなくウチに投降するんじゃ!俺は劉備の恨みを買うのは御免なんだよっ!先だって何のために関羽の首を曹操に送ったのか分かってんのか!」とブチ切れて両人を処刑。孫権はこの范彊と張達の首を送ったほか、妹を劉備のもとに返して和睦しようとしますが、劉備はすげなく拒否。怒濤の勢いで呉へと進軍します。

怒りにまかせて攻める一方かと思いきや、劉備は攻め込んだ土地での略奪を戒め、また征服地は蜀の領土になるのだからと戸籍調査なんてさせてます。それを知った孫権は「何が関羽の仇討ちじゃ!要するに荊州を取り戻しに来たんやんけ!」とまたもや激怒。

その頃、隠居してた陸遜が気が触れたふりをして孫権を批判したりしてますが、その手の煽りに慣れきった孫権はまともに取り合わず、あっさり陸遜を逮捕・投獄。そして戦局がヤバくなると彼を解放して大都督に任命。陸遜「ひとつお聞きしますが、もし戦争に勝ってたら私はそのまま処刑されてたんでしょうか?」、孫権「とーぜん!」というやりとりが素晴らしい(^^;)

陸遜は粘り強く劉備の攻撃に抵抗し、また命令を聞かない孫権の縁戚傅駿を処刑。(しかもわざわざ孫権が視察に来た時に……)そして夷陵の戦いで見事劉備を敗走に追い込みます。しかし夷陵の戦いのシーンでは軍馬の尻尾と背中がどう見ても燃えてます。相変わらず動物にやさしくない撮影体制ですなあ……

白帝城に引きこもった劉備は李厳に孔明に協力するよう言い渡し、また孔明に馬謖を重用してないよう言い残します。この辺は後々の伏線ですね。そしてやっぱり高祖本紀を暗誦できない劉禅が見守る中、劉備は没したのでありました。それを知った魏は早速蜀に四路の兵を送り込みますが……

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