博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『第四片甲骨』その4

2012年02月10日 | 中国近現代ドラマ
『第四片甲骨』第19~24話まで見ました。

死んだ何教授が娘の何晴に残した玉のペンダントの謎を解き明かし、第一片甲骨の隠し場所を探り当てた古風。しかしそこに藍胡子を殺害した謎の男が古風を襲撃。彼はどうやら日本軍の手先だったようですが……

そして胡鉄成は劉培生の娘の司と銅鼎との人質交換に応じますが、交換の当日に白雲の手下が司を狙撃し、意識不明の重体に。これで白雲の目論見通り、劉培生は胡鉄成を不倶戴天の仇敵と見なすように。その後、劉培生に捕らえられていた白鷹が銅鼎を奪回して胡鉄成のもとに逃げ戻りますが、胡鉄成は手元に戻った銅鼎をあっさり董済堂に寄贈してしまいます。自分では銅鼎の謎が解き明かせないので、かわりに董済堂に解いてもらい、また銅鼎を手放すことで劉培生の追及から逃れようというハラですが、このあたりは「きたないなさすが」という感じですね(^^;)

そして劉培生が娘の看病にかかりきりとなっている隙に、劉の後妻の翠萍が「血沁玉龍」を持ち出し、それを骨董屋の任浩に手渡して行方をくらまします。どうやら彼女は劉と結婚する以前、悪漢に追われていた所をカンフーマスターでもある任浩に命を助けられ、彼を恩人と慕っていた模様。

で、病院では治療の甲斐もなく司が死亡。娘を誘拐した胡鉄成と、殺害を指示した白雲への復讐を誓います。ここで「報仇」という言葉が何回も飛び出したり、翠萍が任浩に助けられる場面などを見てると、やはり「それなんて武侠?」とツッコミたくなりますが(^^;) しかしその劉培生も魚頭客桟に殴り込みをかけたところ、部下や南京から派遣されてきた上役の孫特派員によって阻止され、警察局長の職務を剥奪されたうえ投獄されてしまうことに……

その頃、殷墟の発掘隊では、董済堂の学生の馬文遠がYM甲24坑で発見された第三片甲骨を盗んだ犯人であることが明らかとなり、馬は董済堂を銃で撃って逃走。実は私、彼が怪しいことは最初からわかってました。だってOP映像で思い切りネタバレしてましたからw その後の古風の調査により、銅鼎の謎を解くには、かつて劉培生に奪われた「血沁玉龍」が不可欠であることがわかりますが、任暁倩は父親の任浩のもとにその「血沁玉龍」があることを知ってしまい……
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絵本楊家将 第10章 楊家報仇(前編)

2012年02月08日 | 絵本楊家将
第10章 楊家報仇(前編)

朝議の際に、寇準は潘仁美の供述を太宗皇帝に渡しました。太宗はこれを見ると、困ったような態度を見せ、どうしたら良いのかわからなくなりました。この時、潘妃が宮廷に駆けつけ、泣きながら皇帝に父親を処刑しないようにと求めます。太宗は八賢王に対して言いました。「そなたの叔母が願い出ておるのだ、斬刑にするにしろ赦免するにしろ、そなたが見計らってやるがよい!」

と言って八賢王も腹が決まらず、寇準が知恵者であるとわかっていましたので、彼を来させて事態を収拾させることにしました。寇準は楊家のために公正に取りはからってやりたいと思いましたが、皇帝の機嫌を損ねるわけにもいかず、まずは楊家のために皇帝に褒賞を願い出ることにします。太宗は楊府として天波楼を建てさせ、かつ佘太君に龍頭の杖を授けることを承諾しました。続けて、太宗は言いました。「太師の罪は、斬刑に処されて当然のものであるが、潘妃が朕に仕えておる功績に免じ、辺境に配流して軍務に就かせることとする。楊延昭は軍紀違反により、適当な日を選んで鄭州に配流することとしよう。」

寇準は楊六郎が潘仁美を殺さずにはおかないと誓っていることを知っていますので、朝議が終わった後、こっそりと六郎に復讐の方法を教えてやりました。

その日の晩、六郎は八賢王に謁見し、涙ながらに言いました。「殿下、お別れに参りました。」八賢王は跳び上がるほど驚き、慌てて事情を尋ねます。楊六郎は言いました。「私は堂々たる身の丈八尺の男児であるというのに、親兄弟が殺害されて、仇も討てないとなれば、どの面を下げて生きていけましょう?殿下にはただ我が一門の孤児と寡婦の面倒を見て下さるようお願いするばかりです!」言い終えると宝剣を抜き、首にあてようとします。

八賢王は汗だくになるほど大慌てし、必死で六郎を取り押さえます。ちょうどその時、寇準がやって来たので、六郎は剣を下ろしました。八賢王は寇準を見て言いました。「そなたは知謀に長けておる。きっと何か良い策があろう。」寇準は彼がそのように言うのを見て、急いで自分の考えを述べると、八賢王は続けざまに策が精妙なのを褒め称えます。

次の日、八賢王は太宗のもとに赴いて独角赦を貰い受けました。この独角赦さえあれば、人を殺しても罪には問われないのです。八賢王はこの独角赦を楊六郎に渡し、楊六郎は七郎の妻の杜金娥と八姐・九妹を引き連れ、潘仁美が護送される道で待ち伏せをします。

この日、彼らはついに黒松林で潘仁美を護送する車を目にしました。楊六郎は突撃して護送車の檻を真っ二つにし、潘仁美の頭髪を引っ掴んで確かめてみると、それは見たこともない人物で、訊問してようやく潘仁美が別人を身代わりにして流刑地に送ろうとしていたことがわかりました。楊六郎は大いに怒り、彼を護送車に押し込め、慌ただしく都へと引き返します。

楊六郎は潘仁美の身代わりとなっていた囚人を寇準の面前に引っ立て、黒松林でのことを彼に話しました。寇準も潘仁美がこんな手を使ってくるとは思ってもみませんでしたが、考え直して言いました。「郡馬殿、そうであるなら、やつには主君を欺いた罪があるということになり、我々がやつを殺すのに、またひとつ口実が増えたことになる。」

それから寇準と楊六郎は慌ただしく南清宮へと向かい、八賢王に対してこのことを詳しく報告して、言いました。「潘仁美が身代わりを立てて配流させたとなれば、やつは今潘府に隠れているはずです。しかし潘仁美が主君を欺く罪を犯したとはいっても、陛下はおそらくやつをお許しになるでしょう。我らとしては先にやつを処断して事後承諾を得るしかありません。」

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『日本人の戦争』

2012年02月06日 | 日本史書籍
ドナルド・キーン著、角地幸男訳『日本人の戦争 作家の日記を読む』(文春文庫、2011年12月)

日記文学はおそらく日本文学にしか無いジャンルであり、日本では平安・鎌倉の昔から文学として日記が読まれてきたと評価する著者が、太平洋戦争が始まった昭和16年(1941年)から終戦直後の昭和21年(1946年)までに書かれた作家の日記を読むことで、日本人の戦争に対する見方を追っていこうという本です。日記が取り上げられた作家は永井荷風・山田風太郎・高見順・伊藤整・渡辺一夫らです。割と雑多な内容なので、以下、例によって面白かった部分を取り上げてみます。

大本営発表が明らかにしなかった事実については、風説がその代わりを務めた。(本書47頁ほか)

(昭和20年3月の東京大空襲の直後)上野駅は、少しでも安全なところへ逃げようとする罹災民で満ちていた。前年にいた中国で目撃した光景を思い出し、高見(順)は日記の中で中国人と日本人を比較している。上野駅ほど混雑していたわけでもないのに中国人は大声でわめき立て、あたりは大変な喧騒だった。そうした喧しい中国人に比べて、おとなしく健気で、我慢強く、謙虚で沈着な日本人に、高見は深い感銘を受ける。(本書111~112頁)

半藤一利の『昭和史』を読んだ時にも同じことを思いましたが、こういうのを見ると、日本人はダメな意味で今とまったく変わっとらんのですなあと…… 正直、私には当時の上野駅よりマシな状況でわめき立てていたという中国人の方がよっぽど人間らしいと感じられるのですが(´・ω・`)

そして終戦を向かえ、その後間もなくのこと。

駅で一人の兵隊が、今までのように列の前に行って特別に切符を買おうとしたら、窓口の少女に言われたという、「兵隊さんはあとですよ。」(本書150頁)

このような人々の軍部・兵隊への感情や対応の悪化に合わせるかのように、終戦からわずか1~2週間で露骨な軍部叩きを始めるマスコミ……掌返すの速すぎワロタw

他にも永井荷風らが救貧生活を迫られる中、谷崎潤一郎だけは隠棲先の熱海で毎日白米をたらふく食べていたとか、そもそも戦時中でも全国各地から谷崎のもとにうまいものが届けられるシステムになっていたとか、色々と面白い話題が取り上げられています。

軍隊と日記との関係としては、巻末の平野啓一郎氏との対談で、日本の軍隊では毎年元旦に兵隊に日記帳が支給され、日記をつけることが奨励されるとともに検閲の対象ともなっていたことが紹介されていますが、毎日日記をつけるのが宿題になってた小学校の頃を何となく思い出してしまいました。うっかり変なことを書いたら怒られるのも同じなわけですね(^^;)

最後に本書で私が一番(´・ω・`)となった箇所を挙げておきます。

山田風太郎の日記を読んでわかったのは、それまで人は読んだ本によって自分の性格や信念を形成すると思っていたわたしの考えが間違いであるということだった。山田とわたしは、ほとんど同じ時期に同じ本を読んでいたにもかかわらず、二人の世界観は根本的に違っていた。(本書15頁)
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絵本楊家将 第9章 計審潘楊案(後編)

2012年02月05日 | 絵本楊家将
第9章 計審潘楊案(後編)

八賢王の後ろ盾を得て、寇準は思う存分に振る舞えるようになりました。次の日の夜、寇準は酒席を準備させ、それから召使いの劉超を呼びつけて、耳元で二言三言申しつけます。劉超はすぐさま四人のかごかきを呼びに出て、ほどなく潘仁美を監獄から連れ出して来ました。

寇準は潘仁美がやって来たのを見ると、特別に懇ろにもてなします。寇準は潘仁美を上客として持ち上げ、更に楊家は実は自分の仇であり、今回は彼らを根絶やしにし、怨みを晴らす絶好の機会であると言いました。

潘仁美は思いがけないことを聞いて喜び、寇準に対するあらゆる警戒心が吹き飛んでしまいました。そして、潘仁美は自分が楊継業を死に追いやり、矢を乱射させて楊七郎を射殺させたことを得意になって最初から最後まで話してしまいました。

潘仁美が話し終えたかと思うと、ガサッという音が聞こえ、八賢王が役人とともに奥の小部屋から出て来ました。実は、これはすべてが寇準と八賢王が仕掛けた罠だったのです。八賢王は潘仁美を見ると怒鳴りつけて言いました。「この人の面をしたけだものめ、まだ何か言うことはあるか?」

潘仁美は驚きのあまり、酔いがすっかり覚めてしまいました。しかし彼は酒に酔っての言葉であると言い逃れをし、供述書に署名するのを拒みます。八賢王は怒りで顔色が変わりましたが、寇準は取りなして言いました。「殿下、お怒りをお静めになってください、私めに方法がございます。」そこで再び潘仁美に手枷足枷を付けさせて、監獄へと戻させました。

潘仁美を戻させた後、寇準は陳林と柴幹に手紙を書き、彼らを証人として呼び寄せることにしました。二人は手紙を受け取ると、すぐさま出発し、数日もしないうちに都の西台御史の門前までやって来ました。陳林と柴幹は楊七郎の墓で見つけた三本の矢を寇準に手渡します。三本の矢にはいずれも「潘」の字が刻まれているのが見えました。寇準は大喜びし、それを記録させ、ひたすら翌日の裁判の開始を待ちわびます。

次の日、法廷では寇準が自分に何も出来やしないと高をくくり、潘仁美が言い逃れを続けます。寇準は落ち着き払い、陳林と柴幹を来させて証言をさせ、また潘仁美が楊七郎を射殺させた三本の矢を取り出しました。ここに至り、潘仁美はようやく本当のことを白状せざるを得なくなり、かつ供述書に署名をしたのでした。

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絵本楊家将 第9章 計審潘楊案(前編)

2012年02月04日 | 絵本楊家将
第9章 計審潘楊案(前編)

党進が潘仁美を護送して帰京した後、太宗皇帝は故意に岳父の肩を持ち、この案件を参知政事の傅鼎臣に審理させることにしました。

傅鼎臣はお金に目のないとんでもない貪官で、こんな大きな案件を任されて、彼は裁判が始まらないうちから、どれだけうまい汁が吸えるのかと皮算用をしています。この日、果たして潘府の黄夫人が、大事なことで相談があるからと侍女を派遣してきたと知らせがありました。傅鼎臣が奥の部屋にやって来ると、侍女は跪いて言いました。「奥様が私めに黄金百両と玉帯を送り届けるよう命じられました。どうかお納めになってください。潘様のことであなた様に面倒をおかけしますので。」傅鼎臣は黄金と玉帯を見ると、相好を崩し、すべての品を受け取りました。

さて、八賢王は傅鼎臣が金に汚いことを知ると、傅府の状況を逐一監視させます。この日潘府の侍女が傅府に入ったと聞くと、八賢王はすぐさま駆けつけ、うまい具合にその侍女を捕まえました。傅鼎臣は八賢王を見ると、驚いて顔が土気色になります。ひとしきり厳しく訊問されると、その侍女は本当のことを白状しました。八賢王は供述を記録し、太宗に上奏しました。太宗は腹立ちのあまり、傅鼎臣を平民の身分に落としたのでした。

それから、八賢王は今度は寇準を推薦して西台御史に昇格させ、潘・楊の案件を審理させることにしました。知略に富んだ寇準はこの案件を任されると、こう思いました。「かたや陛下の岳父殿、かたや八賢王の義理の弟。この案件はうまく治められればよいが、ちょっとでも過失があろうものなら、おそらく命すら保てまい。とは言っても皇命には逆らえぬし、思い切って西台に赴任するしかあるまい。」

寇準が赴任しないうちに、潘仁美の娘の潘妃がもう一度同じ手を使い、小間使いの宦官に贈り物の目録を送り届けさせて言いますには、「お妃様は御史様に寛大なご処置をとのことです。」寇準はとっさに考えがひらめき、ただちに金に目がくらんだ様子を装って目録を受け取り、それからそれを懐に押し込んで八賢王の南清宮に直行します。寇準は八賢王に見えると、地面に跪いて叩頭しました。八賢王は奇妙に思って尋ねます。「お前は西台に赴任せずに、どうして南清宮にやって来たのか?」寇準はすぐさま潘妃の贈賄のことを話し、また懐から目録を取り出し、八賢王に渡して目を通してもらいました。

八賢王は目録を目にすると、怒りで顔色が変わり、この潘妃にしっかり灸を据えねばなるまいと思いました。彼が考えをめぐらせると、突然怒りが喜びに変わり、思わず「こいつめ、このように頭が回るとは、誠に宰相の才覚を有しておるな。」と口に出してしまいます。ドサッという音がしたかと思うと、寇準が地面に跪いて「ありがたき幸せ!」と言いました。八賢王は訳が分からずに尋ねます。「何がありがたいのだ?」寇準は言いました。「殿下は私を宰相に取り立ててくださいました。どうして感謝しないでおれましょう。」八賢王は失言をしたことに気付きましたが、潘・楊の案件が片付いたら彼を吏部に行かせて宰相にさせてやると承諾するほかありません。

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『第四片甲骨』その3

2012年02月03日 | 中国近現代ドラマ
『第四片甲骨』第13~18話まで見ました。

一応お尋ね者の身のはずなのに、胡鉄成が堂々と娑婆を歩いているということで、その身柄の確保を狙う白雲と劉培生ですが、胡鉄成の方は劉の娘の司を誘拐し、警察による再逮捕の動きを牽制。さすが胡鉄成、やることが汚い!(^^;) 胡鉄成はYM甲24坑の盗掘犯の片割れ白鷹を配下に収め、古風も仲間に誘いますが、古風はそれを拒絶。

その古風は董済堂教授に藍胡子が持っていた甲骨(すなわち四つに分けられた殷易『亀蔵』の一片)を引き渡します。胡鉄成の命を受けた白鷹はその甲骨を盗み出そうとしますが、古風の紹介で董済堂のもとに身を寄せていた兄の黒鷹がそれを阻止。

一方、白雲は十三拳会会長選に乱入した古風に復讐しようと襲撃をかけたところ、たまたま彼と一緒にいた骨董屋任浩の娘暁倩を傷つけてしまい、白雲と任浩との間に遺恨が発生。ここで古風が暁倩の治療のため、三小姐から家伝の傷薬を借り受けようとしますが、暁倩に嫉妬する三小姐の態度がツンデレすぎて見るのが辛いw

その頃、董済堂ら考古発掘隊では折角古風が藍胡子から取り戻した甲骨が何者かに盗まれるという事件が発生。身内の犯行と見た古風は、実は盗まれた甲骨は偽物で、本物は古風が保管していたという偽情報を流して犯人に揺さぶりをかけることに。この場面で、董済堂「盗まれたのが偽物で本当に良かった!」 古風「……実は盗まれたのは本物です。」 董済堂「ええっ!?(ガタッ」 というやりとりに思わず笑ってしまいましたが(^^;)

さて、なかなか娘を取り戻せないのに業を煮やした劉培生は、部下に胡鉄成のもとから銅鼎を盗み出させ、銅鼎と娘の身柄との交換を呼びかけますが、胡鉄成はその申し出を敢えてスルー。一方、胡鉄成を父親の仇と狙う白雲は、胡鉄成のもとに忍び込んで劉の娘を殺害し、両者の仲を修復不可能なところまで追い詰めようと画策しますが……

話がきな臭くなってきた!のはいいとして、殷代のオーパーツとか日本軍のなんちゃら計画の話はどこに行った?という気が。私としてはそういうトンデモ設定の方が気になってるんですが…… あと、ドンドンと胡鉄成が『笑傲江湖』の任我行、三小姐が任盈盈に見えてきて困る(^^;) かといって古風が令狐冲に見えるというわけでもないのですが。
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絵本楊家将 第8章 六郎告御状

2012年02月01日 | 絵本楊家将
第8章 六郎告御状

潘仁美は悪事を働いたことで不安に駆られ、楊延昭が逃げたと聞くと、居ても立ってもいられなくなりました。切羽詰まり、彼はやましい所のある自分の方から先に訴え出ることをさっさと決意し、夜通しで上奏文を書き上げます。彼は文章の中で、楊継業が軍令を聞かず、手柄を上げるために無闇に戦いを仕掛け、全軍の壊滅を招いたと誣告しました。書き終えると、やはり夜通しで皇帝のもとに送り届けさせます。

六郎楊延昭は馬を休ませずに道を急ぎ、宋国の辺境に入りました。天候がひどく暑く、六郎は暑さで喉が渇き、樹の下で足を休めて涼んでいたところ、突然向かい側から書生のような人がやって来るのが見えました。六郎が進み出て話しかけてみると、この人は王欽といい、上京して科挙を受けに行くところであることがわかりました。六郎は王欽の風采が垢抜けており、話しぶりも非凡であるのを目にするや、自分の受けた不当な仕打ちを彼に語りました。王欽は六郎の話を聞くと、彼が上京して皇帝に訴え出るのに賛成し、訴状を書くのを手伝ってやりました。六郎は彼が書いた訴状が言葉遣いが率直で、文章が滑らかで悲壮感があるのを見て非常に感激し、何度も彼にお礼を言って別れを告げました。

この王欽が、実は遼国が中原に派遣した間者であることを、六郎がどうして知りましょう。王欽が宋国の辺境までやって来て、どうやったら大宋の朝廷に潜り込めるのかと思案していたところ、うまい具合に楊延昭と出会ったという次第です。

六郎は都に到達すると、ちょうど七王元侃が巡察に出るところに出くわしました。六郎は前方に走り出て、かごを遮り自分の境遇を訴えます。七王が六郎を王府へと連れ帰り、彼の訴状を見てみますと、しきりに感嘆し、誰が書いたのかと尋ねますので、六郎は包み隠さず話しました。数日後、七王は王欽を探し当てさせ、彼を自分のもとに留めて側近に取り立てました。

次の日、六郎は七王に別れを告げ、皇宮の外の太鼓の前まで赴き、バチを取り上げ、自分の境遇を訴えながら太鼓を高らかに打ち鳴らします。門兵がそれを目にすると、大急ぎで彼を提獄官のもとへと引き連れ、提獄官はまた彼の訴状を太宗皇帝に進呈しました。太宗は訴状を読み終えると、にわかに怒りで顔色が変わります。ちょうどこの時、枢密院が今度は潘仁美の上奏文を送ってきました。太宗は読み終えると頭が混乱し、どうすれば良いのかわからなくなりました。

潘仁美の妻の兄にあたる南台御史の黄玉は皇帝が考えあぐねているのを見て、慌てて進み出て言いました。「楊継業は軍令に違反して手柄を焦り、全軍を壊滅させ、遼兵に殺されたのでございます。それが今却って総大将を誣告しようとは、陛下は楊延昭を打ち首にすべきでございます。」

八賢王趙徳芳は聞き終えると憤慨して言いました。「楊家の父子は何度も命がけで陛下をお救いし、朝廷に対してまことに忠誠心が厚うございます。それが今明らかに悪人によって陥れられようとしているのです。陛下はただちに命令を下し、潘仁美を捕らえて審問にかけられますよう。」

太宗皇帝はこれで更に困ってしまいました。というのは、太宗皇帝のお妃の潘妃がまさにその潘仁美の娘であり、潘仁美は太宗皇帝の岳父ということになるからです。今、かたや八賢王、かたや岳父の、どちらかに不義理をすることになり、太宗はこの事に対して手を下しかねていました。

八賢王は太宗の思いを読み取り、自分が審問に行こうとはしませんので、皇帝が命令を下さねばなりません。太宗はやむを得ず「誰も捕らえに行こうとせぬなら、潘仁美が戻ってからということにしようではないか。」と言うほかありませんでした。

八賢王は太宗の言葉尻をとらえ、すぐさま殿前に立って高らかに問い掛けました。「陛下は既に潘仁美を捕らえて罪に問うことを決定されたが、大臣の中で審問に行きたいという方はおられるか?」太尉の党進が答えます。「国のために悪党を取り除きたいと思います。私めが言って参ります。」太宗は仕方なく、党進を欽差大臣に任じ、聖旨を持たせて潘仁美を捕らえ、審問させることにしました。

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