博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『那年花開月正圓』その1

2017年09月30日 | 中国近現代ドラマ
『宮廷の諍い女』の孫儷主演の話題作『那年花開月正圓』を見始めました。今回は第1~6話まで鑑賞。

時は清末1884年、舞台となるのは現在の陝西省咸陽市に属する涇陽。大道芸人の娘で典型的な江湖人のヒロイン周瑩を中心に物語が展開していきます。


孫儷演じるヒロイン周瑩。モデルとなったのは実在の女商人の模様。がさつなところはあるが口達者で頭の回転は速いと、『宮廷の諍い女』とは全く異なる役柄ですが、うまくキャラクターにハマってます。

で、義父周老四の借金のため、この周瑩が涇陽第二の富豪の沈家に侍女として身売りされ、沈家の次男坊でわがまま放題の遊び人として知られる沈星移に気に入られます。もっとも身売りと言っても、身売り金だけふんだくって、あとは周瑩が適当なタイミングで沈家からトンズラし、周老四と近辺の宿で落ち合おうという算段なので(過去にこういうことを繰り返していた模様)、悲愴感はかけらもありません。


星移を演じるのは、これまた古装でお馴染みの陳暁。で、彼の母親や祖母も「そんなに気に入ってるなら」と周瑩を彼に嫁入りさせようとしますが、あっさり拒否。怒った星移に監禁され、何とか脱出したところを、たまたま沈家に商談にやって来ていた呉聘の輿に乗り込んで沈家を脱出します。


涇陽第一の富豪・呉家東院の御曹司の呉聘を演じるのは、やっぱりお馴染みのピーター・ホー。沈星移とは違って紳士的で学問好きです。

こうして呉家東院の下働きになった周瑩ですが、元々が雑な性格なので、壺や食器を割ったりと失敗ばかり。しかし呉家東院の敷地内に設けられた学校に興味を示し、生徒として商売の勉強をすることを認められます。そこで学友たちと字や計算を学ぶとともに、それまでは「生きるためには人を騙してもいい」という考え方でしたが、呉聘や父親の呉蔚文らに諭されて少しずつ変わっていきます。

時に呉家と沈家は、朝廷の軍需用の膏薬の受注をどちらが受けるかで対立していましたが、朝廷は呉家が請け負うことで決定。そこで呉聘の提案で受注を沈家と折半することで両家の融和を促そうとしましたが、何者かが沈家の請負分に不正な薬剤が使われていると密告し、更に呉家東院に様子を見に行こうとした沈家の長男沈月生が刺殺体で発見され、両家に修復不可能な亀裂が入ります。

更に、沈月生の霊堂に弔問に向かった呉聘が、招待を隠した沈星移らに襲撃されて意識不明の重体になるという事件が発生。星移は容疑者として捕縛されますが、この前後に呉聘の無罪を断定し、星移を捕らえさせた県令の趙白石に対して、父親の沈四海が「呉蔚文にいくら貰ったんだ?私はその二倍支払おう」と二回申し出て二回とも清廉潔白な趙白石にガチギレされたりしています (^_^;)

呉聘は植物状態から回復の見込みがなく、当時の俗信で婚礼を行えば意識を取り戻すかもしれないということで、幼馴染みで許嫁の呉詠梅との婚礼を執り行おうとしますが、淳親王府に出入りしている御用商人で、呉家に敵意を持っているらしい杜明礼より「呉家は朝廷から目を付けられている」と耳打ちされ、花嫁の父親胡志存は婚礼当時の土壇場で嫁入りの拒否を決定。あまりにあまりということで悲憤悲嘆にくれる呉家ですが、そこで周瑩が「なら私が花嫁のかわりをする!」ということで花嫁衣装に身を包み、呉聘の部屋に入ったところで彼が意識を取り戻し……というあたりまでが今回の話。

ということでこのドラマめちゃくちゃ面白いです。今年は『大秦帝国之崛起』からこのかた名作ラッシュですね。
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『花間提壺方大厨』その6(完)

2017年09月24日 | 中華時代劇
『花間提壺方大厨』第二季第13~最終18話まで見ました。

方一勺と沈勇は家族だけで結婚式をやり直すことに。


床入りの前に一勺が母親から伝えられたという「酸・甜(甘い)・苦・辣(辛い)・咸(塩辛い)」の五つの味のスープを飲む二人。

しばし幸せな雰囲気に包まれる沈家府ですが、皇帝の誕生日の宴を控える都では、太子が皇位継承のライバルである二皇子と一勺を陥れようと陰謀を練っています。太子はやはり一勺の母親への憎しみが捨てられない模様……

そして「黄老板」こと太子から沈勇夫妻に都への招待状が届きます。一勺の武芸の師匠の老道士(彼はまた莫風堂の師に当たる模様)から、この黄老板の正体が太子であること、そして一勺の出生の事情を知らされた沈勇らですが、敢えて招待を受けて虎口に飛び込むことに。


一勺は「黄老板」から二皇子を紹介され、皇帝への誕生日のお祝いとして母親から伝えられたこの「翡翠煲」を振る舞うことになります。「翡翠煲」はかつて皇帝が一勺の母親の「琴姫」こと雲清から振る舞われた思い出の料理のひとつで、皇帝の心の急所に触れることからその怒りを買うに違いないというのが太子の目算でしたが、結局思い出の料理を食べたことで二皇子が皇帝から激賞され、また皇帝と対面した一勺の名前から、彼女が雲清と皇帝との間の娘に違いないということで、公主として迎えられることになります。

「一勺」の名前はかつて雲清と皇帝が二人で開いた「一勺宴」にちなむものだったようです。ここで沈勇が、都にやってきた老道士に「一勺の父親は伝説の宮廷料理人方大厨なのか、それとも皇帝なのか?」と尋ねますが、老道士は「んなことワシが知りたいわ」と投げやりな返答 (^_^;)


一勺は更に宮廷の宴で母親の「一勺宴」を再現して見せますが、ここで太子が「一勺は本当に皇帝の血を引いているのか?溶血(親と子の血を水に浸して血が交わり合えば親子であることが証明されるという例のアレ)で確かめよう」と言い出します。ここで親子でないとなれば、皇帝を騙したということで一勺が処刑されかねないという場面ですが、ここで沈勇が乱入。「先に皇帝が一勺を公主とした時には、誰も一勺が皇帝の血を引いているかなんて問題にしなかったのに、今になってそんなことを言い出すのはおかしい」と反論します。要するに議論の枠組みの設定自体が間違っているというわけですね。

結局一勺の血筋は問わず、皇帝の義女とすることで一件落着となりかけますが、ここでこれを不満とした太子が配下の将兵を動員してクーデターを試みるが、その動きは沈勇も皇帝も把握済みで、太子はあっさりお縄に。宮廷でしばし過ごした後に東巷府に戻る途中で一勺が懐妊したことが明らかとなり、更に一勺が男女の双子を出産してから六年の時が過ぎ……

【総括】
ということで『みをつくし料理帖』とか『チャングム』みたいな感じを期待していたら、いつの間にかよくある公案物とか宮廷物になって拍子抜けした感じですが、ギリギリ料理物であることを忘れずにゴールしたという感じですね。中国で本作を「良心劇」と評価する向きもあるようですが、話の作り自体は丁寧で、確かに作り手の良心を感じました。
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『花間提壺方大厨』その5

2017年09月12日 | 中華時代劇
『花間提壺方大厨』第二季第7~12話まで見ました。

方一勺は、今で言う拒食症のような症状に悩まされ、もう半年も食べ物を口に付けていないという黄老板の妻のために腕を振るうことになります。しかしこの黄老板の正体は皇太子、その妻というのはその愛妃なのでした。太子は第一季の最初で一勺に刺客を放った黒幕でもあるのですが、実は一勺の母は皇帝の寵姫雲清で、寵愛を彼女に奪われたことを苦にして太子の母である皇后が自害してしまい、太子は長年雲清とその身内を憎んでいたという過去があるのでした。一勺の父はどうやら雲清との密通を疑われた伝説の宮廷料理人のようなのですが?


そんな事情を知るよしもない彼女は、食べ物を見るだけで吐き気がするという太子妃のために、仲良くなった方瑶の手も借りつつ、見て楽しめる料理を披露して拒食症の克服に成功させます。

ひとつ解決したと思ったら、また次なる事件が…… いつもよく足を運ぶ市場の野菜売りの劉公子と仲良くなった一勺ですが、その劉公子が暮らす市場に天から火の球が降り落ちて全焼するという事件が発生。劉公子ら市場の人々は、もとは東巷府の近郊の巒村からの移住民で、彼らの故郷の巒村では三十年に一度天から火の球が降り注いで村が全焼するという怪事に見舞われていたのでした。

しかし今回は巒村ではなく東巷府に降り注ぎ、しかも人造の火球の残骸も発見されたことで、巒村の人々に怨みを持つ者の犯行ではないかと疑われますが、巒村と先祖代々の遺恨を持つ職人の跡を付けた一勺が彼の家に捉えられてしまい、棺桶に閉じ込められたうえに火を放たれますが、間一髪で沈勇が救出。この巒村の人々って、何となく少数民族ではないかと思わせる雰囲気があるんですよね。例によってそこらへんの事情はぼかされているんですが。

犯人が捕らえられ平和な日々が戻るかと思いきや、東巷府では一勺と劉公子がいい仲になっているという流言が…… その噂の出元は、いきなり闇落ちした方瑶とその侍女の京児なのでした。このまますんなり一勺の親友ポジに収まるかと思いきやそんな訳はありませんでした(´Д`;) 


更には沈勇を罠にかけて、彼が方瑶を襲おうとしたという濡れ衣を着せようとしますが、色々あって沈勇ではなく、彼の父・沈一博の義子で護衛でもある、この沈傑が入浴中の彼女の風呂場に飛び込むことになり、計画はご破算に……

そして沈家では、沈勇の提案で身内だけで一勺との結婚式をやり直そうということになりますが…… ということで何となく最終回みたいな雰囲気になってきましたが、一勺の出生の秘密という爆弾が残ってるんですよね。
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『花間提壺方大厨』その4

2017年09月05日 | 中華時代劇
『花間提壺方大厨』、今回から第二季(セカンドシーズン)に突入で、話数のカウントも第1話に戻っていますが、内容は第一季第18話からの続きです。ということで今回は第二季第1~6話まで見ました。

煙翠楼の妓女を身請けした男性の身内から死者が続出している件で、煙翠楼への潜入捜査を試みる沈勇ですが……


そんな所へうっかり男一人で行かせたら大変と、方一勺も男装して着いて行くことに。ここで沈勇がこの手の時代物によくある女性の男装にツッコミを入れてます (^_^;) この煙翠楼で、愛し合った男性に捨てられたうえ、屈辱的な扱いを受けて自害した妓女鳶児の話を耳にします。結局この件は、鳶児に片思いをしていた煙翠楼の客引きによる犯行ということで幕引きとなります。

次なる事件は、一勺らが暮らす東巷府に青山村からの難民が急増した一件。沈勇と一勺は、父親と沈傑とともに現場となった青山村へと足を運びます。この村は農作物の疫病で多くの村人が死に、生き残った村人も山を下りたというのですが……


村で一勺が作った魚料理。これが村に潜んでいた生き残りをおびき寄せる役割を果たすことに。で、捕捉した村人の生き残りの情報から、村を管轄する洛県の県令が皇太子に贈賄しようとした話やら何やらが芋づる式に出てきます。

これと並行して、宮廷で皇太子が重病の愛妃を治そうとする話が挿入されるのですが、この皇太子がどうやら物語の序盤で一勺に刺客を差し向けた人物ということになるようですね。今後この話がどう本筋と絡んでくることになるのでしょうか?

そして沈勇&方一勺夫妻のストーカーと化してしまった方瑶ですが、一勺をハイソな雰囲気の会員制庭園に呼び出し、遂にサシで話をすることになります。四阿に架けられた方瑶の絵に感心する一勺に対し、「沈家では苦労なさっているでしょう?」「沈勇はあの通り乱暴な方ですからね」と話しかけ、一勺が「お義父様にもお義母様にもよくしてもらってます」「相公はそんな人じゃありません」「嫁入りさせてもらって良かったと思ってます」と否定しても、あからさまに一勺が辛い目に遭ってるに違いない、遭っていて欲しいというノリで話しかけてくる方瑶が辛い。とても辛い……

結局事態を知った沈勇が庭園に乗り込んで一勺を連れ戻すのですが、方瑶は更に二人を食事に招こうとし…… というところで、方瑶の面倒くささが印象づけられる展開になってきましたね…… あ、一勺が方瑶の身代わりとして嫁入りした件は、お義父様とお義母様にはとっくにバレバレだったようですw
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2017年8月に読んだ本

2017年09月01日 | 読書メーター
ほんとうの憲法: 戦後日本憲法学批判 (ちくま新書 1267)ほんとうの憲法: 戦後日本憲法学批判 (ちくま新書 1267)感想
国際法・国際政治学の観点からこれまでの憲法学者による憲法解釈を批判するという内容だが、9条の歴史的文脈はおおむねその通りとして、解釈は必ずしも歴史的文脈に縛られるものではないのではないか、9条が不戦条約の流れを汲んでいるというのはドヤ顔で語るようなことではなく常識的な理解ではないのかなど疑問を感じた。憲法が英米法ではなく大陸法の考え方で解釈されてきたという点は、むしろ日本国憲法がアメリカ的発想で新しく作られたのではなく、大日本帝国憲法の改正としてその系譜を引いていることを示しているのではないかと思うが…
読了日:08月02日 著者:篠田 英朗

ふたつの憲法と日本人: 戦前・戦後の憲法観 (歴史文化ライブラリー)ふたつの憲法と日本人: 戦前・戦後の憲法観 (歴史文化ライブラリー)感想
明治以来の日本の憲政史は「護憲」と「解釈改憲」の歴史であったことを論じる。明治憲法下での憲政が「天皇超政」と「天皇親政」の間で揺れ動いたこと、現在の日本国憲法も「押し付け」と言われつつ昭和天皇のお墨付きを経ていること、「解釈改憲」によって天皇の元首化が事実上達成されていることを鑑みると、日本の憲法で鍵となるのは軍隊ではなく天皇の扱いではないかという気がするが…
読了日:08月07日 著者:川口 暁弘

天皇と和歌 国見と儀礼の一五〇〇年 (講談社選書メチエ)天皇と和歌 国見と儀礼の一五〇〇年 (講談社選書メチエ)感想
大覚寺統・持明院統の両統迭立時に、勅撰和歌集の撰者をつとめる家柄も二条家と京極家とに分かれたという話と、応仁の乱以後勅撰和歌集の編纂ができなくなってしまってから、天皇による積極的な歌壇の運営や古今伝授といった形で伝統の保持を図ったという話が面白かった。近現代の部分は記述がやや食い足りなかった。
読了日:08月08日 著者:鈴木 健一

大伴家持 - 波乱にみちた万葉歌人の生涯 (中公新書)大伴家持 - 波乱にみちた万葉歌人の生涯 (中公新書)感想
大伴家持の詠んだ歌とともに、一族の大伴池主、聖武天皇の皇子安積皇子、橘奈良麻呂、大原今城、中臣(大中臣)清麻呂らとの交流や、死んだ後まで浮き沈みのあった政治人生について描いている。同じく中公新書で出た『蘇我氏』とセットで読むと面白いかもしれない。
読了日:08月11日 著者:藤井 一二

フェイクタイワン―偽りの台湾から偽りのグローバリゼーションへ (台湾学術文化研究叢書)フェイクタイワン―偽りの台湾から偽りのグローバリゼーションへ (台湾学術文化研究叢書)感想
第二章の『グリーン・デスティニー』に関する論評に惹かれて読んでみることに。武侠映画やカンフー映画の先行作品として引くべきものはあらかた引かれているが、「発福」な周潤発(Chow Yun-Fat)がFATであるといった言葉遊びの数々に面食らう。台湾外省人でアメリカの市民権を得た『グリーン・デスティニー』の監督アン・リーが一体どこの国の人かという問い掛けに蓮舫の二重国籍騒動を連想してしまい、日本のグローバルもgloballs(著者の造語)だと言いたくなったが…
読了日:08月14日 著者:張 小虹

ユダヤ人の起源: 歴史はどのように創作されたのか (ちくま学芸文庫)ユダヤ人の起源: 歴史はどのように創作されたのか (ちくま学芸文庫)感想
ローマ帝国によるユダヤ人の「追放」の実態とはいかなるものだったのか、現代のユダヤ人は古代のヘブライ人の子孫と言えるのかなど、ユダヤ人の歴史認識がどのように形成されていったのかを辿ることで、現代のイスラエル国やシオニズムの歴史的正当性に疑問を投げかける。正しい歴史と信じるものが歴史認識でしかなかったということや、固有の民族の定義の無理性(本書ではユダヤ人の特質を遺伝学的に明らかにすることができず、ナチスもユダヤ人の定義は役所の資料に頼るしかなかったという話を引く)は、日本も含めて普遍的に通用する問題だろう。
読了日:08月20日 著者:シュロモー サンド

ハプスブルク帝国 (講談社現代新書)ハプスブルク帝国 (講談社現代新書)感想
中世・近世の部分では、オーストリアのほかチェコ、ハンガリーなど各地を統べるハプスブルク家の王が、あたかもそれぞれの王国だけの王であるかのように振る舞わねばならないことの面倒くささが語られる。しかもチェコやハンガリーの内部も一枚岩ではなかった。近現代の部分では、ヨーロッパ統合の進展や、その挫折による国民国家の再評価といった世相によって、研究の場でハプスブルク君主国の評価が変転したという事情が面白い。ハプスブルク君主国史は「客観的」な歴史学がどの程度可能かを考える絶好の素材なのかもしれない。
読了日:08月24日 著者:岩崎 周一

北条早雲: 新しい時代の扉を押し開けた人 (日本史リブレット人)北条早雲: 新しい時代の扉を押し開けた人 (日本史リブレット人)感想
北条早雲=室町幕府の申次衆で有力者層の伊勢盛時として語られる評伝。伊勢氏同族との関わりについてもちょこちょこと触れられている。「外来者」として自らを意識していた早雲が、当時の通例とは異なって家臣を通さずに直接百姓と向き合おうとしたという話が面白い。
読了日:08月26日 著者:池上 裕子

朱子学から考える権利の思想朱子学から考える権利の思想感想
近代日本の朱子学の帰結は教育勅語しかなかったのだろうかという疑問から生まれた論考。儒教では主君への忠より親への孝を尊ぶ、中国の六諭や聖諭広訓も直接的には家族倫理を説くのみというあたりで、日本で朱子学を歪めたものがあるとすれば、万世一系を前提とする天皇の存在ということになりそうだが…
読了日:08月27日 著者:下川 玲子
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