博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『将夜』その7

2018年12月26日 | 武侠ドラマ
『将夜』第37~42話まで見ました。

魔宗の聖地「山門」への入り口が隠された岷山にて、寧欠と隆慶が再会。険悪なムードの中、どちらが先に「山門」への入り口を開くかで賭けをすることとなります。負けた方が自らの力を廃し、それぞれの宗門を去ることになりますが、案に相違して修行のレベルで劣る寧欠&莫山山が先に入り口を発見。これはいかんと隆慶は遠方から寧欠らに猛攻をかけますが、寧欠は「二層楼」の師兄から託された「元十三箭」で反撃。隆慶の「気海雪山」を射貫き、これまで積み上げた功力を廃された挙げ句に、卑怯な振る舞いに及んだということで同行した「道痴」葉紅魚からも見放されます。隆慶が酷い目に遭ってもm9(^Д^)という気持ちにしかならんのが人徳というやつでしょうか……

ということで寧欠&莫山山&葉紅魚という急遽結成されたパーティーで「山門」に進入することになりますが、奥深くには四肢を鎖でつながれた西陵の先人かつ「魔宗」の宗主である蓮生大師の姿が…… 彼は「書院」の「小師叔」こと柯浩然との決戦後に行方不明となったとされていたのでした。柯浩然は「夫子」の弟子なのですが、弟弟子にあたる君陌らとは年齢差があるせいか、「小師叔」と呼ばれています。彼は無類の剣の使い手とされながら、どうして死ぬことになったのか君陌らはこれまで口を閉ざしてきました。

蓮生は柯浩然が走火入魔したのだと主張しますが、どうやら走火入魔したのは蓮生の方であり、柯浩然が自分の命を賭して彼を封印したというのが真相の模様。封印が解かれた蓮生は三人から功力を吸い取ろうとしますが、柯浩然が「山門」の壁に書き残した剣法により、寧欠らは何とか蓮生を打ち破ります。この戦いと、重傷を負った葉紅魚の処置で、寧欠が師兄・師姐から託されたお役立ちグッズが次々と役に立っていきます。しかしお目当ての『天書』明字巻は見つからず……

一方、唐国都城の留守番組の方ですが、陳皮皮は桑桑のもとに居着いている爺が衛光明さんだとうっかり気づいてしまい、本人の前で固まってしまいます。そういやこいつ西陵出身という設定でした。そして顔瑟も彼の居所を突き止めます。ここで衛光明がかつて「冥王の子」と思しき者を片っ端から殺害したことが明かされます。衛光明「それもこれもすべては衆生を救うため……」 顔瑟「師兄が殺した者たちもその衆生なんですぞ?」ですよねー(´Д`;)

で、場所を移して二人の決戦となり、桑桑と陳皮皮&君陌がその立会人となりますが、双方が功力をかわしあう中で、光に包まれた桑桑を見て衛光明は何かを悟ったかのように「桑桑、お前は機縁を信じるか?」と問いかけ、更に顔瑟と「あとのことは彼らに任せよう」とうなずき合い、ともに消滅の道を選びます……


さて、「山門」を出た寧欠らは「魔宗」の聖女唐小棠と遭遇。唐小棠と彼女の兄で「荒人」の首領唐(「荒人」と良好な関係を保つ唐国をリスペクトした名づけとのこと)御近影。一行を敵視する唐小棠に対し、寧欠が彼女の希望という「書院」入学の仲介をとるという条件で危機を逃れますが、そこへ更に寧欠を待ち構えていた夏侯が来襲。


一行を助けたのは「書院」二層楼の大師兄李慢慢でした。実は『天書』明字巻もずっと彼が持っていたことが明かされます(「魔宗」の創設者が「夫子」に託し、それを貰い受けたらしい)。

李慢慢は寧欠が夏侯に遺恨があるのを察すると、敢えて寧欠・莫山山(葉紅魚は一行から離脱)を引き連れて本拠地土陽城に逃亡した夏侯を訪ね、彼の身元が「荒人」の出身で、師父の蓮生が行方知れずとなった後に唐国に身を投じたこと、西陵国に身元を知られ、結託するようになったことなどが語られます。夏侯は李慢慢の求めに応じて明年には隠居して「書院」に来訪することを約束します。一方、李慢慢と別行動をとった「夫子」は、前の「永夜」からの生き残りという酒徒と屠夫を探し当て……
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『将夜』その6

2018年12月20日 | 武侠ドラマ
『将夜』第31~36話まで見ました。

寧欠は「書院」の学生を引き連れて「荒原」へと出発し、西陵国・月輪国・大河国といった諸国から派遣された軍や「宗派」(各国にそれぞれ唐国の「書院」のような学校が設けられている)の学生たちと合流し、大河国「墨池苑」山主の莫山山と出会います。


「天下三痴」のうち「書痴」こと莫山山。「鶏湯帖」の作者である寧欠に憧れていますが、寧欠の方はうっかり彼女が温泉に入るところをのぞき見しようとしているのを見咎められた気恥ずかしさもあり、「鍾大俊」という偽名で通します。

その莫山山はどこに自営を張るかで月輪国の国主の姉妹曲妮大師と諍いをおこします。莫山山ら「墨池苑」の面々と寧欠は前線への兵糧の運搬を担うことになりますが、その途上で馬賊に扮した夏侯の手下が襲撃。兵糧の強奪に見せかけて寧欠を殺害してしまおうという腹ですが、山山が援軍を求めるテレパスを送っても、曲妮は西陵の大将軍羅克敵と結託し、援軍要請を握りつぶしてしまいます。

で、何とか相手を撃退し任務を終えて帰還後、軍議で山山と寧欠は証拠を挙げて二人を問い詰めます。ここでこれまで身元を隠していた寧欠は一同の前で「二層楼」の十三先生であることを明かします。「輩行からいけばオレはお前の師叔にあたる」と迫る寧欠に対して曲妮大師は「夫子はなぜお前のような者を弟子にしたのだ!」と散々罵ります。当の「夫子」は遠方からやはりテレパスのような感じでその様子を聞いていたらしく、「ふん、曲妮め!」と念を送って彼女を吐血させ、昏倒させてしまいます。

その頃、諸国連合軍の征伐の対象となった「荒人」側は、比較的良好な関係を保ってきた唐国に仲介を頼もうと三長老を唐国宮廷に派遣します。実は夏侯・夏天兄妹は「荒人」の出身で、かつて三長老の義子であった模様。三長老は密かに夏天と接触しますが、三皇子の学友となった国師の弟子・明池と李漁とがそれを嗅ぎつけ、夏天の正体を暴き出そうと暗躍。三長老の方も義理の孫にあたる六皇子と勝手に接触したり、その六皇子に下剤を飲ませた三皇子を懲らしめたりと割と好き放題やってるのですが、李漁らの動きを察知すると、夏天らに累を及ぼさないため、駆けつけた唐王に夏天と「荒人」のことを託して自ら消滅。王宮に踏み込んだ李漁に対して唐王は「王后の身元を勘繰るような者にはこの世から消えて欲しい」という厳しい言葉を投げつけます。

一方、唐国でお留守番となった桑桑は、西陵国から脱獄してきた衛光明さんとうっかり出会ってしまい、そのまま家に居着かれてしまった挙げ句に彼女を光明大神官の地位を受け継ぐべき「光明の子」だと言いだし、彼女を弟子に迎えようとします。桑桑に言い寄る三皇子を撃退したこともあり、桑桑は衛光明への弟子入りを承諾しますが、彼は強大な力を持ちながら「冥王の子」の捜索に固執し、それが原因でマッド扱いされて長年西陵国で幽閉されていたという経緯を思うと、まだ12、3歳の少女と思しき桑桑を襲おうとしたロリコン三皇子とは別の方向で付き合っちゃいけない人なのではないかという気がしますが……


「荒原」では援軍要請の一件から、莫山山と、月輪国の王女である「花痴」陸晨伽との間に溝が生じます。そして西陵国と「荒人」との間で講和が成立すると、諸国の代表たちは出兵の裏の目的である『天書』明字巻捜索を開始。寧欠と山山も仲良く岷山に登って捜索に赴きます。


その捜索者の中には隆慶と「道痴」葉紅魚の姿も……ということで「天下三痴」が3人とも「荒原」に集ったところで次回へ。
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『将夜』その5

2018年12月14日 | 武侠ドラマ
『将夜』第25~30話まで見ました。

寧欠は「夫子」の直弟子たちが住まう「書院」の後山で日々11人の兄弟子・姉弟子たち(このうち大師兄は「夫子」とともに各地を旅していて留守中)のご機嫌伺いに励みます。一方、桑桑は寧欠が世間で「二層楼」の十三先生として名前が知られてきたことを利用し、彼の書「鶏湯帖」の写しを大量に作って一儲け企んだりしております。この「鶏湯帖」、書体の評価は置いておくとしても内容自体は「今日は酔っ払って帰れそうもないから、鶏肉のスープを残さず飲んでしまえ」という単なる書き置きなんですが、このあたりは「地黄湯帖」など実在の書作品のパロディになっているんでしょうか……


そして西陵国では15年間「幽閣」で幽閉状態にあった光明殿大神官の衛光明さんが堂々と脱獄。一路彼の探し求める「冥王の子」がいるらしい唐国へと向かいます。衛光明を演じるのは倪大紅。天盛王朝の初代皇帝から転生したようです。この爺さんが自力で封印を解いて下山する演出もなかなか厨二好きがします。衛光明を封印していた西陵国トップの掌教は強がりなのか、「面倒ごとは唐国に押しつけることにしよう」なんて言ってますが……

「二層楼」の13番弟子と神符師顔瑟の1番弟子の二重生活を四苦八苦しながら送る寧欠ですが、そうこうしているうちに北方の「荒原」に住まう「荒人」たちが一斉に南下を始め、金帳王庭や西陵の領土に侵入し、次々と防衛軍を打ち破っていきます。「荒人」たちは千年に一度の「永夜」の前触れとして誕生する「冥王の子」を待ち望む「魔宗」を信仰しており、「光明の子」を待ち望む「昊天道」を信仰する他の国々から忌み嫌われていたのでした。そこで西陵は各国に支援を要請し、ともに「荒人」を阻もうと提案します。


しかし唐王は王后の夏天が「荒人」の出身でかつては「魔宗」の聖女であったことから、援軍の派遣に消極的。他国が主に国学の学生を援軍として派遣しているのに目を付け、「書院」の学生を実地研修と他国の学生との切磋琢磨のために送り出すことを決定。「書院」では毎年「辺塞実修」(修学旅行とか実習旅行的なアレらしい)を実施しているのですが、今年は「荒原」への派遣をもって「辺塞実修」に代えるという名目をつけたのでした。

その「実修」のリーダーとして選ばれたのが寧欠。17の経穴のうち7つがまだ塞がったままということで、「二層楼史上最弱の弟子」と彼の派遣を不安視する声もある中、唐王は敢えて彼をリーダーとして指名。実は「荒原」の派遣には、遥か昔西陵国から「荒原」に持ち出されて以来所在不明とされる『天書』明字巻の捜索という裏の目的があるのでした。

かつて西陵国から『天書』明字巻を携えて「荒原」に派遣された神官が現地で心変わりして「魔宗」を創始してしまい、以来『天書』明字巻は「魔宗」の聖典としてその聖地で秘蔵されている模様。各国から援軍として派遣された学生たちも実はこの『天書』明字巻を真の目的としており、西陵国からも寧欠と因縁のある隆慶や、その上官にあたる「道痴」葉紅魚が捜索のために派遣されています。寧欠はその身を心配する兄弟子・姉弟子たちからそれぞれ餞別の品というかお役立ちグッズを託されて出立することになりますが……
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『将夜』その4

2018年12月06日 | 武侠ドラマ
『将夜』第19~24話まで見ました。

宴会の場で「書院」の学生を問答で破り、唐国の武将を飲み比べて破った隆慶ですが、宴会の場に潜り込んだ桑桑が自分以上に酒を飲むのを見て、寧欠に彼女を自分の侍女として譲れと言い出しますが、寧欠は当然拒否。そして「お前の靴下には穴がある」→「穴など空いてない!」→「穴がなかったらどうやって靴下を履くのだ?」と、彼を一休さんみたいな頓智でやり込め、二人の間に遺恨が生じます。

その後二人で卓を囲んで、唐国と祖国燕国との戦争で離ればなれとなって以来、15年ぶりの兄弟再会を祝う崇明と隆慶ですが、隆慶が「二層楼」受験のため唐国に居残るので、崇明は人質生活を終えて帰国するということで、「燕国でお前が「夫子」の弟子となれるよう祈っている」と心にもないことを言う崇明。この二人、割と似た者同士の兄弟ですよね……

そしていよいよ「二層楼」への昇格=「夫子」の直弟子入りを賭けた試験が開始。「書院」の学生だけでなく、西陵代表の隆慶など、他国からも参加者が集います。当初は見学だけだったはずの寧欠も場の雰囲気に当てられ、教官に受験理由を問われて「そこに山があるからさ!」という言葉を残して飛び入り参加。課題は山頂の木の枝に掛けてあるひょうたんを取ってくるだけという単純なものですが、「夫子」の弟子たちが仕掛けた罠によって脱落者が続出。残るは隆慶と寧欠のみとなり……


と思いきや、心配になって寧欠を追ってきた桑桑がなぜかあっさり寧欠に追いつきそうになるところを、「二師兄」こと君陌と陳皮皮に身柄を押さえられます。これは無欲な者には罠が働かないということなのか、それとも……?


で、寧欠が最終候補として残っているという情報を聞き、彼の書の素質を見込んで弟子にしようと目論んでいた昊天道南門の長老・顔瑟が慌てて試験会場へと駆けつけます。しかし時遅く「夫子」の思し召しで寧欠がひょうたんを手に取り、十三番目の弟子に決定。

西陵から付き添いでやって来た程神官は、隆慶の「二層楼」入りがならなかったことに不満を募らせ、また顔瑟も「寧欠はワシが先に目を付けたんじゃ!」と騒ぎ立て、ともに寧欠の「二層楼」入りに物言いを付けます。実は長年裏で西陵と結託してきた王弟・李沛言は、寧欠に「二層楼」入りを辞退させて顔瑟の弟子とし、隆慶を繰り上げ合格させることで政治的決着をつけようとしますが、寧欠は拒否。そして「夫子」の裁定により、寧欠は「二層楼」入りして自らの弟子となるとともに顔瑟への弟子入りも認め、1日交替で指導を受けることに。

唐国国内の別機関の裁定に対して、他国である西陵が唐国の内政部門に裁定を覆させるよう干渉を求める。ごく最近これと似たような構図の話を現実世界の国際関係でも目にしましたよね?(棒 またもや中国時代劇が偶然にも現実とリンクしてしまったということになりますか……

そうなると収まらないのが西陵側。そして李沛言と夏侯も寧欠が15年前に自分たちが手を下した林光遠の身内ではないかと感づき、三者三様それぞれ寧欠に刺客を差し向けます。で、寧欠は西陵光明殿の刺客に拉致されようとしますが、不審を感じた桑桑が顔瑟老人と寧欠を捜索し、無事救出。ハンドベル式の鈴で寧欠の動きを封じる西陵の刺客、そしてこれに対抗する顔瑟の符印。この場面は神怪物の子孫としての玄幻の魅力が詰め込まれてるなと。


救出された寧欠は正式に顔瑟への弟子入りを済ませ、「二層楼」の兄弟子・姉弟子たちへの挨拶も済ませます。剣術・刺繍・鍛冶・音楽・囲碁・料理など自己の芸を披露する兄弟子・姉弟子たちの姿を目にし、寧欠は「夫子」の直弟子たちが住まう「書院」後山で何を学ぶか悩みますが……
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2018年11月に読んだ本

2018年12月01日 | 読書メーター
神道・儒教・仏教 (ちくま新書)神道・儒教・仏教 (ちくま新書)感想
江戸時代宗教・思想史総覧的な本。個人的にその人単体の思想や活動でしか知らなかった富永仲基や不干斎ハビアン、隠元がどういう歴史的文脈で位置づけられるのかという話を読めたのが収穫。国学が古典文学の研究の範囲で収まることなく文献の外、すなわち現実の世界へと飛び出した結果どういう作用をもたらしたかという話の進め方、神話を歴史と結びつけて古代史の真実を明らかにしようとする「誘惑」が現在でも根強く残っているという著者の呆れが印象的。
読了日:11月02日 著者:森 和也

室町幕府全将軍・管領列伝 (星海社新書)室町幕府全将軍・管領列伝 (星海社新書)感想
将軍あるいは管領の父親が実権を握るという政治のあり方、六代将軍義教による専制の挫折、儀式の時にのみ管領に就任した細川政元、三管領から細川氏一強の状態へ、その細川氏の内紛と衰退、政所執事の伊勢氏や細川氏守護代の三好氏の躍進、あるいは十四代義栄の弟義助の子孫が「平島公方」として命脈を現在まで伝えている話など、室町幕府あるいはその子孫たちの権力や権威のあり方を考えさせられる構成となっている。できれば伊勢氏の動向を追った補編が読みたい。
読了日:11月07日 著者:

上杉謙信 「義の武将」の激情と苦悩 (星海社新書)上杉謙信 「義の武将」の激情と苦悩 (星海社新書)感想
上杉謙信の実像をたどるということで、「義の武将」というイメージの出所や、謙信は本当に「生涯不犯」だったかという問題、短慮だったというその性格、養子の後の景勝との交流、「輝虎」の名のもととなった足利義輝への思いなどを追う。上杉氏名跡の継承については、北条氏などすんなり認めなかった勢力もあったという点が意外。改姓は名乗れば認められるというものでもないようだ(逆に謙信も北条氏を伊勢氏と呼び続けたということだが)。「義の武将」イメージに対する謙信の「実像」もそう悪いものではないように感じた。
読了日:11月08日 著者:今福 匡

武士の起源を解きあかす: 混血する古代、創発される中世 (ちくま新書)武士の起源を解きあかす: 混血する古代、創発される中世 (ちくま新書)感想
中世の主役となる武士は、天皇・藤原氏に出自する王臣子孫、国造の末裔と位置づけられる郡司などの在地の豪族、坂上氏・多治比氏・小野氏といった武人輩出氏族、彼らの討伐の対象となった蝦夷といった古代的な存在の「ハイブリッド」ないしは「マッシュアップ」であるというのが結論だが、そこに至るまでの経過を見ていると、生み出してはいけなかった魔王誕生の瞬間を見せられているような気分になってくる。平将門や同時代の藤原秀郷・源経基についても紙幅が割かれており、読者は彼らに対するイメージが一変することになるだろう。
読了日:11月11日 著者:桃崎 有一郎

中華生活文化誌 (ドラゴン解剖学 竜の生態の巻)中華生活文化誌 (ドラゴン解剖学 竜の生態の巻)感想
現代中国の衣食住から、言葉遊び、鉄道旅行の今昔、SF小説の流行等々、定番の政治や外交の話題から一歩引いた中国事情が盛り込まれている。専門書から軽めの新書本まで関連する参考文献が多く紹介されているので、読書案内にもなっている。それぞれの話題に関連する映画やドラマの紹介もあり、中華エンタメファンの副読本的な使い方もできるだろう。
読了日:11月15日 著者:中国モダニズム研究会

方壺園: ミステリ短篇傑作選 (ちくま文庫)方壺園: ミステリ短篇傑作選 (ちくま文庫)感想
倭寇研究が絡んでくる現代物の「梨の花」などもあるが、推理物と時代物・歴史物として両立ができている作品が揃っている。個人的な好みはムガル王朝を舞台とした「獣心図」と、郁達夫の死の謎に挑む「スマトラに沈む」の、史伝的な要素の強い二編。
読了日:11月17日 著者:陳 舜臣

改訂新版 新書アフリカ史 (講談社現代新書)改訂新版 新書アフリカ史 (講談社現代新書)感想
日本史や中国史の概説書では西欧との接触以前の話がかなりの紙幅を占めるのに比べ、アフリカ史の場合は西欧との接触以後の状況が紙幅の多くを占めていることで、アフリカ史は日中と比べて世界史として語らざるを得ない面が大きいのだなと感じた。面白い議論を挙げるとキリがないが、特にアフリカ諸国のトライブ(部族)が実は古来からのものではなく、近代になってからアフリカ進出を図る西欧によって造られたものであるという議論を面白く呼んだ。アフリカ史の固有性だけでなく、東アジアなど他の地域にも通じる普遍性が見出せる内容となっている。
読了日:11月23日 著者:

術数学の思考――交叉する科学と占術 (京大人文研東方学叢書)術数学の思考――交叉する科学と占術 (京大人文研東方学叢書)感想
漢代を中心に術数学の展開を追う。当時の医薬学や天文暦学に関して、丹薬の生成や天文占という「怪しげ」な方向で、延命益寿、超常現象や未来の解読といった「社会的有用性」が求められており、それに応えられなければ高度な理論化を達成できたとしても国家的な支援が得られなかったという、現在の学術をめぐる状況とオーバーラップさせるような議論、司馬遷が暦官としの職務も担っていたにもかかわらず、『史記』の律書・暦書・天官書のような関係する部分にはその方面に関して疎漏があるという指摘を面白く読んだ。
読了日:11月25日 著者:武田 時昌

「もしもあの時」の社会学:歴史にifがあったなら (筑摩選書)「もしもあの時」の社会学:歴史にifがあったなら (筑摩選書)感想
「反実仮想」をキーワードに、『高い城の男』や『紺碧の艦隊』といった欧米・日本の歴史改変小説から、ファーガソンの『仮想歴史』といった学術的分析まで幅広く扱う。『一九八四年』のような未来小説も、ある時点で「過去」の事象を扱った小説へと変容するというが、「そうはならなかった未来」どころか部分的に「そうなりつつある未来」を示しているという評価のある堺屋太一『平成三十年』も俎上に挙げて欲しかったところ。
読了日:11月26日 著者:赤上裕幸

給食の歴史 (岩波新書)給食の歴史 (岩波新書)感想
戦前というか世界の給食の開始からはじまる書だが、日本では戦前から貧乏家庭の子にスティグマを与えないように児童全員を対象に給食の実施が図られてきたこと、戦後はアメリカの小麦戦略の押しつけと見られがちなパンと脱脂粉乳による給食の実施が、日本側との共同作業という面があること、給食に社会主義を想起させる要素があることを強調する内容となっている。最後に触れられている新自由主義との関わりという点で、給食をめぐる物語はまだまだ続いていくことになるのだろう。
読了日:11月29日 著者:藤原 辰史

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