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グレン・グールドについて

2006-04-25 | Weblog
 グールドのことを書く前に、松岡正剛氏の「千夜千冊」について。このサイトはかなり前から知っていて(有名だし)、自分の興味ある作家を検索してると自然と行き着いたりしていたわけだが、一人の作家について一冊という規則で千冊以上をレビューしているサイトである。松岡氏は編集工学という学問を立ち上げていて、本当の意味での「書の巨人」そして「知の巨人」である。私は全てのレビューを読んでいる訳でなく(というか読み切れない)、自分が読んだ本や作家を探して感想を比較したりしている。自選して開拓した作家がレビューされていたりすると自分の選書眼もなかなかだと誇らしく?なったりするわけで。

 この千夜千冊の980夜に「グールド著作集」が取り上げられていてグールドの分析をしている。素晴らしい名文なので是非ご一読を(写真もお借りしました)。ってこれだけで十分なのかもしれないけど、自分の言葉でグールドを少し書きます。
 前にも書いたが、私とグールドの出会いは小学校の高学年頃で、若くして亡くなった親友がグールドオタクだったのでその影響である。有名なゴールドベルグ変奏曲のCDもかなり早い時期に手に入れた筈だ。未だにこれを日々愛聴してるわけだが(特に疲労困憊激しい時はこれに限る)、他にもバッハの平均率、パルティータ、フランス組曲、フーガの技法、ベートーヴェンのソナタなど有名どころは持っている。しかし、廉価にならないせいか中古でもグールドのCDはかなり高額なのでなかなか集められないでいる。とにかくグールドは完璧なのだ。演奏に迷いがない。映像で見るグールドの演奏風景はまるで「降霊術」のようだが、あれは「ノリ」でやっているわけではないのだ。録音では納得いくまでテイクを続けたと言うから完全無欠レベルのものしか市場に出てないのだろう。技術の完璧さは比類がない。なのに誰もグールドをテクニシャンともヴィルトウォーゾとも呼ばない。それはその技術を通り越した向こうに何かがしっかりとあるからだ。技術は意図したものを具現化するための道具でしかない。(つまりは技術がないと自由に表現できないのだが)「完璧な技術」だけを売りにしている、もしくは看板にしている演奏なんていうのは、逆をいえば技術以外何もないということだ。
 現代の音楽芸術はグールドと全く逆の方向に進んでいるように思う。奇妙な頭でっかちさで、ありもしない「正しさ」を追い求めて、芸術の本質の部分をどこかに追いやっているように思う。自分の領分に引き込んで言えば、グールドは非常にフルトヴェングラーに似ていると思う。スコアを熟読することで、作曲者の意図と魂を感じるとるだけでなく、音符の並びから出る音楽自身の魂をも感じてそれらを同時に表現すること。この2人はそれが出来る。だからこの2人の音楽は、客観的にはありえないテンポ取りや表現を行うにもかかわらず、無限の説得力が備わっているのだと思う。

松岡氏のレビューの最後にグールドが松岡氏の質問に答えている。
【好きな指揮者は】アイドルがアルトゥール・シュナーベルで、尊敬に値するのがウィルヘルム・フルトヴェングラーでしょうか。

3 コメント

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Unknown (hiro)
2006-04-25 14:49:03
お、期待してます。
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Unknown (hiro)
2006-04-29 16:38:47
なるほど。ちくま学芸文庫の「グレン・グールド 孤独のアリア」はお読みになりましたか?グールド関連の書籍は分厚いものが多いですがこれは手軽でいいですよ。私はバッハに対しては個人的見解を持っているのでグールドのバッハについては明言しませんが、アーティストとしてのグールド本人はフルトヴェングラーに比肩する魅力があると思います。ところで、グールドのCDって高いですか?ソニーがいやらしい商法してますが、音源は一度集めたら終わりかと。レコードはわかりませんが。
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今度読んでみます。 (wilhelm)
2006-04-29 23:56:51
確かにグールド書籍は厚いものが多いですね。孤独のアリアを今度買ってみます。CDは買えないことはないのだけど、最近中古とか廉価の値段になれてしまって、どうしても欲しいという衝動がないと定価級のものは手が出なくなってしまったので。
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