Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

ペティグリー

2012-08-22 | Weblog
放置してしまいました。

・竹島問題:解決方法は唯一つ。核魚雷で破壊してしまうこと。そうすればどちらのものとか争う必要もなくなる。
・ドイツと日本の違い:戦争犯罪の点でよく比べられるけど、ドイツは特定の人種を集めて絶滅させようとした国。日本はアメリカや他の列強と同様の植民地政策をしただけ。同じ敗戦国だからといって、横並びに一緒にしてほしくない。
・イタリア内戦:早々に降伏したためヘタレという評価が定着しているが、イタリアの苦労は降伏後にある。ナチスに抑えられていた半島を連合軍とパルチザンが北上しながら解放していく。結局最後はイタリア人民vsナチスの構図となる。その中で小さな村々の多くがナチスの犠牲になった。
・フルヴェン・シューマン:原点回帰で久しぶりにフルヴェンのシューマン4を聞く。20年以上聞き続けている演奏だが、今でも鳥肌がたつ。全然違うんですよ他の演奏とは!他の指揮者の録音や生演奏も聞いたけど、この演奏のおかげで全く記憶に残っていません(どうでもいい演奏だったということ)。フルヴェンのシューマン4といえば、このベルリンフィルとのスタジオ一発テイクが有名だが、実はルツェルンのライブ盤もある。そういえば持ってないなあと検索したら、フルヴェン=シューマン全集というものがあった。版権が切れてからというもの、こういった編集CDが沢山出てきている。フルニエとの協奏曲も入っている。私家盤で存在するということは知っていたが、市販されていたんだな。値段も安いから購入してしまうか?
・ワイセンベルクのバッハ:前にも書いたかもしれないが、ワイセンベルクの「パルティータ」。ため息が漏れるほどに素晴らしい。ワイセンベルクの華麗なテクニック(チェンバロでもこんなに軽やかに弾けないだろう)にも感動だが、それを超えてバッハの素晴らしさに感動する。こんな演奏が耳のデフォルトになってしまったら、もう他の演奏なぞ聞けやしない。本当のピアノ芸術を知りたい人にお薦めします。
・最近の演奏に全く興味がわかない。クラシック音楽は再生装置の普及により前世紀で飽和した。これからは廃れるのみだろう。
・最近の指揮者は、理知的だが実は情熱的で、そして人格者。それでいてユーモアのセンスもあって・・・つまらん!!全方向に優等生でないと業界で生き残れないのだろうが、そんなヒツジ野郎で人間の生の感情(情欲とか暗部)を表現できるのかと。
・独り身の頃は数千円のチケット代なぞ惜しいとも思わず、とっかえひっかえ色々な演奏会を聞いてきたが、現在、家族と子供というお金を注ぐ大事な対象ができて、お金の価値感が大きく変わった。今、身銭を切って聞いた演奏会がひどい出来だとしたら、甚だしく不愉快な気分になるだろう。たとえば「展覧会の絵」で冒頭からラッパが外したりしたら、品は悪いが「金返せ!」とか叫びたくなるだろう(一度N響でそういう演奏に出くわした)。だからもう国内オケや中途半端な海外オケは聞かないことにした。よほど興味あるプロでない限り聞きにいかない。
・料理屋だからといって全てが美味しいわけではないように、プロ音楽家だからといってみなが上手なわけではない。だから客も何にでも拍手するのではなく、正直に「好き嫌い」で批評し演奏会を選ぼう。
・小澤征爾と村上春樹の対話本:村上春樹に大きく幻滅する一冊。
・東野圭吾:こいつは殺人事件しか書けないのか?
・カート・ヴォネガット:スローターハウスは衝撃的な作品。
・スターウォーズ:第1作目の「劇場公開版」がいちばんよい。修正版は蛇足ばかり。何度もいっているが新3部作は駄作・愚作・失敗作。
・愛子様のお手ふりをはじめてみた。
・「2001年宇宙の旅」のプロダクトデザインは未来を先どりしている。サムソンが苦し紛れながら「iPadはこの映画のパクリ」と抗弁したのもわからないでもない。椅子や机だけでなく、鉛筆やバッグ、服装、細部にわたる全てが素晴らしい、誰のデザインだろうか?
フェラーリ・モデューロがかっこよすぎる。ピニンフィリーナの1970年の作品だがこれこそが未来デザイン!曲線で造れば未来風と思っているデザイナーは猛省しろ。
ランボルギーニ・アヴェンタドールの鋭角で仕上げれらたボディにしびれる。折り紙細工のようだ。曲線マンせーの時代は終わった。「極限のデザインとパフォーマンスを実現し、品質基準と技術面においては一切の妥協を排し、そのスタイルと完成度はまぎれもなくイタリアンです。」
・橋本市長が文楽を切り捨て:乱暴な気もするが、自力で集客+運営ができないのなら、それはもう必要とされてない文芸ということ。滅びるか改革の2択である。進歩を捨て、ただ古いものだけを守るという姿勢は芸術の本質ではないだろう。
・伝統文化:日本の家元制はいつまで続くのか。北朝鮮同様の世襲制度にくわえて、マルチ商法の免許制度。インチキ商法は日本人の「性」なのか。茶道などはもっと現代風にアレンジして家庭に普及させるべきかと。まあそれは家元に言わせると「茶道」ではないというのだろうが。抹茶を飲む・・・ただ「茶の粉末をお湯で溶いて飲む」だけの行為を、コーヒー文化のように一般化できないものかと。まあ、抹茶を飲みながら読書やPC作業ができるかは疑問だが。カテキンの大量摂取は体に悪いしな(ヘルシアには要注意!)
・というわけで、伝統文化への興味が薄れつつある(嫌いじゃないが)。とにかくなんでも今は「BrandNew」が欲しい。
イタリアの小さな村の物語:イタリアの人と歴史と自然の奥深さに毎週感動している。重厚な歴史の中で素朴にいきる人たち。家族のつながり、スローフード、自然の恩恵・・・。残念なのは東芝のCMがこの雰囲気を見事にぶち壊すこと。スポンサーだから仕方ないが、番組の趣旨と正反対のCMを流すことに抵抗ないのか?
・G1クライマックス:電車の中刷り広告をみて、久しぶりに新日プロレスのG1の結果をチェックした。今年の優勝者は「オカダ・カズチカ」という若者。まったく知らない名前だ。Youtubeで観てみたが、とにかく「線が細い」。会社の意向だろうが、まだ成長段階の若手選手をいきなりトップに据えるのか?まあ新日がよくやる方法だが、中邑の伸び悩みを思うと、大丈夫かと心配になる?決め技は「レインメーカー」という意味不明の名前のラリアート。反動を利用するため相手は派手に倒れてくれるが、いかんせん細腕なので説得力がない。技名といい、その前にムーブといい、WWEを意識しているのだろうか?模倣先はランディ・オートンあたりか?それはあまりにおこがましい。
・ついでに最近の選手のフィニッシュも色々と見てみた・・・。どれも入りがややこしく、そして危ない「落とし技」ばかりだ。日本もそろそろWWEを参考に、頭から落とす技を禁止にし、技かけに手間が少ないムーブをフィニッシュに用いるべきではないか?引退したWWEスーパースターHBKの「スウィート・チン・ミュージック」はただのトラースキック(横蹴り)だし、HHHの「ペティグリー」(ドッグフードと同じ名前。貴族ギミック)は、日本ではつなぎ技の「ダブルアームフェイスバスター」である。間違ってもクルリと回して頭から落とす「タイガードライバー」にはしない。技の衝撃度、つまり「残酷描写」で未だに試合を成立させている日本と違い、アメリカは危険技を禁止にし、ストーリーと技の流れとレスラーの演技力で試合を作る。多くの選手を事故で失った日本はそろそろアメリカ式に移行してもいいのではないか?そういう観点では、見栄えもし、安全性の高いフライングボディアタックとネックブリーカードロップをフィニッシュとする棚橋選手は、観客にも相手にも優しい「長持ち」できるトップ選手といえよう。

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