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日本は国語教育をなんとかするべき

2022-05-27 | Weblog
 学生時代は、国数英理社の5科目を勉強するのだが、このなかで国語教育だけが全く役にたたない。著者の信条はどれかを選ばせるような4択問題、あれはいったいなにを目指しているのか?根本的におかしいのは、問題を作るのは著者ではなく、全く関係ないどこぞの何某である。滑稽なことに作者が問題を解いた場合、作者自身が正答を選べないこともあるということだ。昨年の早稲田の入試解答に著者が意見をしていたのは記憶に新しい。つまりこの4択問題の意図は、著者ではなく作問者の思いにどれだけ忖度できるか・・ということにかかっている。実際私も、はるか昔の受験のときにそれを強く意識していた。「どうせこういう解答を選んで欲しいんだろ・・」的に。題材となる文章の選択にも作問側の意図が見え隠れしており、作問者が社会や人間関係の問題のどのあたりを狙っているのかを推測し、それに最も近い解答に寄せていく・・・すると現代文ではほぼ確実に高得点が狙えるのだ。私はこれを中学生のときに気づき、それ以来現代文はいつも高得点だった。いわゆる受験テクニックではあるが、こんなものは国語教育の目ざずものではないだろうと思う。私個人の意見だが、低学年のうちは広範な作品を週替わりで次々に取り上げ、高学年や中学になったら1冊の本を最初から最後までじっくり読み解いていくのがよいと思う。本をきちんと読むことで、その背景の文化(歴史や地理、サイエンス)を調べることもできる(国語はそういう意味で総合型な科目なのだ)。低学年とのときは上手な朗読者が情緒豊かに読み上げて、続いて生徒が自らが真似して音読しさらに写し、そして優等生が手をあげるだけではないような車座になり内容を積極的に議論して、最後に要約や感想意見について作文をする。おそらく日本で一番足りていないのはこの作文であろう。アメリカには「作文」という科目があり、与えられた課題(小説であることもある)について作文し、専門の教員がきちんと添削を入れるときく。日本ではせいぜい感想文を書かせて、誤字を修正して丸や花丸をつける程度だ。そもそも日本に作文が専門の国語の教員っているのだろうか?そして試験では、この作文(受験でいう小論文なのか)をメインとして、「抜き出し」「4択(忖度)」などは一切やめてしまっていいと思う。採点が大変~というかもしれないが、それなら採点ができる教員を養成すべきだし、できないならもう国語を受験科目にいれなくてもいいとさえ思う。現在の「空気嫁」「忖度しろ」がゴールの国語教育のなれの果てこそが、今の日本における文化の崩壊の現状ともいえるのだが。