村上春樹は「ノルウェーの森」を読んで以来、一種の食わず嫌いで(いや食ってるか)全く手をつけなかった。二十歳の学生に「ノルウェー」はいささか厳しいだろ?今なら、へへんで流せると思うのだが、どうだろう・・・。古本屋で村上氏の初期の長編「羊を巡る冒険」が上下揃いで200円で売っていたので、なんとなく購入してみた。なんとなくといっても、手が伸びた理由はきちんとあって、先日のグレートギャツビーの村上訳で文体に惹かれたのと、最近、よくラム肉を食べるので、羊にちょっとした関心があったのだ。さて、率直に感想を述べると、切ない物語は後引くなあということ。観念的な対象物と思っていた「羊」が、実はかなり実態を伴った超自然的なものであって、その辺りが裏切られた感じだったが、ハードSFに慣れている私からしたら、この程度のストーリー展開は特殊な気しなかった。恐らく、作者もストーリーにはそれほど力をいれてはいないだろう。やはり村上氏の比喩の使いまわし、日光のさしかたや、風の吹き方ひとつに動かされる人間の感傷の表現方法に脱帽した。夏目漱石にも同じ力を受けた。志賀直哉もか。三島由紀夫は鼻につくから嫌いだ。村上春樹氏のは棘も石もなく内側に届いた。
クライマックスに暗闇中ですでに死んでしまってちる親友と会話するシーンがある。この親友はドアも開けるし、なんとビールも飲む。ただし完全な暗闇の中でである。普通の幽霊は目に見える。だからこそ、見てはいけないものを見てしまったなんていう表現があるのだが、右も左もわからない漆黒の闇の中で、霊が普通に行動し話しかけてくることには、リアリティな感じを受けた。私自身は、人間の心は死んでしまった後でも、ある程度の期間はこの世に漂うものだと本気で思っているので、すでに肉体が無い人との会話というのは受け入れたい。
クライマックスに暗闇中ですでに死んでしまってちる親友と会話するシーンがある。この親友はドアも開けるし、なんとビールも飲む。ただし完全な暗闇の中でである。普通の幽霊は目に見える。だからこそ、見てはいけないものを見てしまったなんていう表現があるのだが、右も左もわからない漆黒の闇の中で、霊が普通に行動し話しかけてくることには、リアリティな感じを受けた。私自身は、人間の心は死んでしまった後でも、ある程度の期間はこの世に漂うものだと本気で思っているので、すでに肉体が無い人との会話というのは受け入れたい。