Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

3001

2007-09-03 | Weblog
色々と書きたいことはあるのだが、どうも筆が進まず更新出来ません。
こんなことを書いておいて矛盾しますが、最近真剣に、自分の興味に関する備忘録的HPを作ろうと考えているところです。

SF
3001年終局への旅:アーサー・C・クラーク(ハヤカワ文庫):2001-2010-2061と続いてきたスペースオデッセイの最終話。連作ものは最後になるほど尻すぼみになるのが常だが、心配していたとおり、本作もまさにその王道を走ってしまったようだ。「2001年」の際に行方不明になった飛行士が、1000年ぶりに救出されることからストーリーが始まるのだが、1000年も未来であるのにオーバーテクノロジー感が全く感じられないのだ。記録媒体(ディスク!)の容量がただ桁外れに大きかったり、軌道エレベーター、機械から脳へのダイレクトな情報送信等、現代の技術の発展か、他のSF作品で語り尽くされた陳腐なネタのオンパレードなのだ。そして、その最たるものが、地球消滅を考え始めたモノリスを停止させるためにとった人類側の対抗策である。ネタバレになるが、かのお馬鹿SF映画「インデペンデンス・デイ」(私はこの映画が大好きであるが)と同じ策なのだ!さすがに、宇宙人のコンピュータにPowerBookを直接接続して、ウィルスを流し込むなんていう掟破りの方法ではく、モノリスに取り込まれた人工知能HAL9000の意識回路を通してウィルスを展開させるという一捻りがある。この発想はなかなか巧いとは思うのだが、このクライマックスのくだりがあまりにも駆け足で説明不足の感が否めない。書の大半は、過去からきた主人公による、数多の困難を克服した人類の輝かしい未来世界の紹介に割かれており、それを通して現在の狂った世界情勢に対する作者の嫌悪感がちりばめらている。本当に書きたかったのはこちらなのではなかろうか?これまでにもクラークの作風には社会的主張が色濃かったのは事実であるが、これだけ大風呂敷を広げたシリーズの最終話なのだから、SF作家のレジェンドとして奇想天外な結末を用意して欲しかったものだ。さすがのクラーク御大も晩年は少々頭が硬くなったか。