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葛飾北斎

2024-06-24 | 街角の話し
龍富士越 ふじこしのりゅう
北斎晩年の作で絶筆とも言われています。富士山を描くことに力を注いだ北斎は最期に富士山を描きました。
黒雲を巻き上げながら富士を越え天高く登っていく龍。北斎は自分自身の最期を龍にたとえ、天を目指す姿を描いたのかもしれません。

北斎展は前期と後期 2回行きました
近くの散歩36 歴史館いずみさの 葛飾北斎浮世絵 ここ
近くの散歩38 歴史館いずみさの 葛飾北斎浮世絵(後期展)ここ

そして SHOWチャンネル 大人の社会科見学SP で やってくれました
櫻井翔が新札の顔・渋沢栄一&葛飾北斎ゆかりの地を巡る!

◆櫻井翔が新1万円札の顔・渋沢栄一の生地を巡る
明治から昭和にかけて約500もの企業の設立に関わった渋沢栄一。その生まれ故郷・埼玉県深谷市に降り立った櫻井たち一行。東京駅そっくりの赤レンガ造りの駅舎が印象的なJR深谷駅からスタートし、渋沢の生誕地『中の家(なかんち)』、渋沢の功績を今に伝える『渋沢栄一記念館』を巡りながら、その半生に迫る。

農家に生まれ、幼い頃から家業を手伝っていた渋沢。誰に教わったわけでもないのに実業家の才能を発揮して家業を潤わせたりと地元に数々の伝説を残す渋沢は、いかにして“近代日本経済の父”と呼ばれるまでになったのか?若き日の渋沢の柔軟すぎる思想、渋沢の人生を変えた出会い、そして訪れる渋沢の…いや、日本の転機…!“幕末の志士・渋沢栄一”の真実を学ぶ。

さらに、渋沢がこよなく愛した深谷の郷土料理に舌鼓を打つ一行は、ご褒美を懸けて『渋沢栄一クイズ』で大盛り上がり!完全無欠の実業家・渋沢の唯一の欠点とは一体…?

旅の締めは、渋沢が晩年を過ごした東京都北区の飛鳥山へ。日本の経済を回した渋沢のド派手な交友関係に驚かされながら、平和を夢見た渋沢の思いに触れる。

◆渋沢栄一と意外な場所でつながっていた?葛飾北斎の知られざる生涯
新千円札のデザインに代表作『冨嶽三十六景 神奈川沖波裏』が採用された江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎を学ぶべく、櫻井、羽鳥、吉村の3人は北斎ゆかりの地・長野県小布施町へ。

実は北斎が『冨嶽三十六景』を発表したのは70歳を過ぎてから。90歳までに約3万点の絵を描いたといわれる北斎は、なぜそんなに遅咲きだったのか?晩年の北斎が絵を描くために度々訪れていた小布施町にある北斎専門の美術館『北斎館』で、その謎を解き明かす鍵を発見。

浮世絵だけでなく、イラスト、漫画、設計図、図鑑…あらゆるジャンルにチャレンジした北斎のクリエイティブな一面や、渋沢との意外な接点まで。北斎の波瀾万丈の生涯に迫る!

龍の部分のアップ
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