ヒカルさんの「味覚」には散々惑わされてきた。「ハンバーグが嫌い」って言うけどあんた女子高生時代マクドナルド通ってたよね? 「なぜ一度バラバラにした肉をまた混ぜるの」って言うけどじゃああんたの好物の餃子はどうなんだとか、理屈で考えてしまうとツッコミどころだらけだった。何が本音なのか全く分からない。
だが、確かに、一旦冷静に考えてみると味覚って難しい。「美味しい」は大きく分けて3つあると思う。
①味蕾に載る情報が美しい
②身体が欲する物が得られる
③楽しいときに食べた味
この3つが複雑に絡み合ってるから味覚の分析は困難を極める。
①は例えば御菓子のような。菓子作りは他の料理と異なり分量を化学的反応に合わせてピッタリの比率で量る。概数だとうまく混ざらないからね。その為、味付けも非常に洗練整理されたものになりがちだ(むっちゃ単純化してる。実際はそんなに単純じゃない)。なので口に入れた瞬間に美しい、美味しいと感じられる。
②はどちらかというと経験からくるものだ。こういう身体の状態の時はこういう栄養素を摂るといい、みたいな経験が蓄積されてくると対象の食材を美味に感じるようになる。こどもの頃は好きではなかった野菜なんかを大人になったら好きになるのはこのケースが多い。(総てでは無い)
③は更に個人的なものだ。例えば仲のいい人達と楽しく食卓を囲んだときの記憶と結び付いた味。今度別の機会にその味を体験した時は非常に印象が良くなっている。いわばシグナリングとしての味覚だ。
例えばヒカルさん、昔から納豆が大好きだが、これは①も勿論あると思うが③の効果も大きいとみる。ヒカルさんが若い頃まるで料理が出来なかったのは御存知かと思うが、幼少の頃より様々な理由でお腹を空かせていた貴女が冷蔵庫を開けたときに取り出してすぐに食べられる納豆のパックはいつでも救世主だったことだろう。つまり、単なる味わいだけではなく、「お腹を空かせている時に満たしてくれた味」という記憶が、納豆の印象をポジティブなものにしているのではないだろうか。勿論、食べたら健康になるので次第に②の効果も表れてきただろうかな。
そんな前提で考える、冒頭のハンバーグ嫌いの話。マクドナルドのハンバーガーを食べていた以上①の意味で嫌いだと言っていた訳ではなさそうで。てことは、言ってる理由の方、「バラバラにした肉をまたくっつける」ということの方に力点が置かれていた可能性がある。
この発言は2004年の時点のものだが、当時だったか、この発言を受けて「両親のことかも」と言ってた人が居たな。なるほど、計6回離婚と結婚を繰り返した照實&圭子夫妻はバラバラになってはまたひっついてを繰り返していた、とも言えるわね。有り得るわ。
私はもうひとつあったのかなと。当時はまだ1回目の結婚生活の最中だったが、もしかしたら「一度バラバラになった絆はもう元のようにはくっつかないよ」というメッセージだったのかなと。もう20年近く前の話題なので今更蒸し返す話でもないのだけど、いや逆に時効ということで今取り上げても構わないんじゃないかなと思って語ってみました。雨が肌寒い朝だわね。
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