無意識日記
宇多田光 word:i_
 



前回触れた「不滅のあなたへ」との関係性もそうなのだが、最近、少しずつではあるけれど、「宇多田ヒカル的な何か」が次第に且つ勝手にヒカルの許に集まりつつあるような気がする。

最も大きいのはエヴァと小袋くんだろう。エヴァの方は14年もの付き合いになり、互いの作品に影響をし合った存在で、完結を迎えて今や不可分な間柄となった。小袋成彬くんの方は、先にこちらからプロデュースをはたらきかけたら色々と成長しちゃって今やプロデュースをされる側になってしまった。ある意味育てた子に育てられてる最中というか。それは言い過ぎか。

レーベルメイトで言えば、エルエムワイケイさんも同様だ。前に紹介したインタビュー(再掲しとこ: https://okmusic.jp/news/433825?page=1 )を読めばわかる通り、様々な問題意識がヒカルと共通している。ニューヨークに住んでた事があるとかそこで大学に通ってたとか、若い頃は陸上やバスケットボールに親しんでたとかピアノ習ってたとか表面的なプロフィールを並べてみても世間的に「宇多田ヒカルの妹分」と呼ばれるだけのものがある。その上ジャム&ルイスにプロデュースしてもらってるとかもうね。しかもこれ、彼らの方から直々に申し出があったとか。決して沖田ディレクターが昔一緒に仕事したから引き合わせたとかじゃないんだよな。ほんと、RIAからデビューするに相応しすぎる人物である。

……なんて風に、少しずつではあるけれど、人が“靡いてきて”いるように思う。これ、ヒカルが社交的な性格に変貌して色んな人に声を掛けるようになったから、とかではない。周りの人がただ何となく集まってきているというか。エヴァに引き合わせたのは作品を紹介した紀里谷和明氏だろうし、小袋成彬くんは確か沖田さんのツテだった。エルエムワイケイさんに至っては多分未だにヒカルと面識が無い。いちどもヒカルは話題に出したことないよな。「不滅のあなたへ」も、降って湧いたような主題歌の報せだった。誰か予想していた人居たら手を挙げて教えて欲しいよ。

そう、なんとなく、集まってきているだけなのだ。それが逆に凄いというか。ヒカルが自分自身に集中すればするほど、周りに意識が滲み出し広がって何らかの“圏”が形成されているような。人類補完計画のようなこれからのフシのような。そんな感覚が生まれつつある。


とはいえ、そういう抽象的な捉え方もいいけれど、あたしはもっと具体的な展望を展き望みたい。


あのさ、近い将来、「宇多田ヒカル・フェス」が出来るんじゃね?


今でも、オープニング・アクトにエルエムワイケイ&小袋成彬ご両人にお出でうただくのは現実的なプランだろう。こういった「いつの間にか集まった人達」にこれから更にもう二、三組出会えたなら丸一日ミュージック・フェスティバルを開催できるようになるんでないの。音楽に拘らず、アニメ作品とのコラボレーション企画とかそういうのがあってもいいし。コラボカフェとか、この前やった(そして全国行脚が待たれる)『PINK BLOOD EXHIBITION』みたいなのを併設するのも楽しかろう。千葉マリンスタジアムとかで出来へんかねぇ? 10年後くらいに実現出来たらいいんだけどなー。もっと早くても、もちろん、いいけどなっ。そんな夢を見るコビドの話題だらけの2021年夏でございました……。

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「不滅のあなたへ」第2期の主題歌もヒカルが担当するとして(いや『PINK BLOOD』続投希望がまず第一ではあるのですがね)、それはどういうテーマで切り込んでいけばいいのか。

『PINK BLOOD』の歌詞は「自我の確立」がテーマだが、それは「大人の」という枕詞がつくものだったかと思う。こどもの自我の確立はこれから社会に出て人と関わる時にひとりの個人としてお互いに相互作用し合えるために必要なものだったが、「大人の自我の確立」とは、それが出来るようになってからその上でさて私って何だろう?社会や他人からの影響を隔絶してそれでも残るものとは一体何?と考える段階にある。『他人の表情も場の空気も上等な小説ももう充分』読めるオトナになってからの話なのだ。

その段階における「私」というのは、どんな有り様なのか。それは、その「私の在り方」が「世界の在り方」にそのまま影響を与えるということでもある。短絡して言えば「思えばそれが始まる」状態だ。

テレビアニメ20話までのフシは、人間とは何かを学び、自分がそれとどう違ってどう同じなのかを知る過程を描かれた。第2期の第21話(予定)以降のフシは、自分が何をすべきかを見定め、周囲にどう影響を与えていくかが描かれる。その方法論、描写の方向性がぶっ飛んでるから大今良時は奇才なのだが、そこでは、世界の一部と意識を共有するフシが描かれていく。

宇多田ヒカルという存在も、そういう、「宇多田ヒカルがそう思えば、それに倣う動きが世界のどこかで始まる」存在だ。ヒカルがアルバムを出したい、ツアーに出たいと言えばそれに沿って何千という人々が働き、何十万何百万という人々が巻き込まれていく。それは16歳の頃からずっとそうだったのだが、今まではヒカル自身ですらそれに「巻き込まれる」側としての側面が強かった。「何もかももう充分読んだ」宇多田ヒカルは、恐らくもう、そうではない。まさに、インタビューにあるように、物事の“中心”として駆動していくだろう。その時、ヒカルの意識は外側でなく内側に向いている。内側に向いて、内側と対話する事がそのまま外側への影響として顕現していく存在になっているのだ。

かつてロングインタビューで10代のヒカルは「目の前の机と自分自身の区別はない」と言い切っていた。「意識の届く範囲」が、そもそも自分の肉体に縛られていない人なのだ。世界の一部をまるごと切り取って自分自身の意識と同化出来る人……「不滅のあなたへ」の原作を既読している人には、それがフシの(アニメにおける)今後と符合していくのを知っているかと思う。なので、ヒカルは今のヒカルをそのまま描けばそれがそのまま「不滅のあなたへ」の次の主題歌になる。それは、そのつもりがなかったのに『PINK BLOOD』の歌詞が「不滅のあなたへ」にそぐうものになった事のただ延長線上にあることだ。

今後のことはわからない。アニメの最終話で第2期とか、或いは分割2クールとかの告知がある場合もあれば、10年経ってから続編が突然告知される作品もある。ただ、どうせならヒカルがナチュラルに歌を作ればそれがそのまま採用される今、続編を作ってくれた方がベターであるとは、ちょっとは思うところでありますのよ。まずはその前に来週月曜日の第20話を堪能しておきましょうかね。

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