無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ヒカルが15歳の頃から業界を背負ってきた事実をどう捉えるか。少しネガティブに考えてみる。

ヒカルは、周りに育ててもらったという感触が薄い。いや本人に訊いたらそんなことはないと言うに決まっているけれど、師匠や先生と呼べそうな人が母以外に見当たらないのは確かではないか。父は先生なのかというとどちらかといえば保護者とでもいうべきか…。兎に角、ヒカルの歩み始めた道は最初から前人未踏なので、切り開いてきたのはヒカルである。

今や時代は流れ、小学生の頃ヒカルを聴いていたという世代がプロの歌手としてデビューするようになった。元々高校生歌手なのでさほど年齢の離れていない人たちからも憧れられていたが、いよいよ本当に"次の世代"への影響力を発揮する段階に来ている。

しかし、毎度指摘しているように、ではそういった"フォロワー"な彼女たちと共演したりするかといえばどうだろう。そもそも今までのヒカルの共演は単発ばかりである。大黒摩季椎名林檎くずTheBackHorn…以後継続的に連絡を取り合っているのかといえばわからない。"ファミリー"の中でポジションをみつけその中で生きていくというスタイルをヒカルはとらない。

横の繋がりとしてそうなのなら、縦―といっても時間軸方向だが―の繋がりはどうなるか。同じ事だと思う。

これに関しては構造上の問題というか、上記のようにヒカルは誰かにじっくり育てられた経験が薄い為、次の世代をじっくり見守り育てるといわれてもピンと来ないのではないか。もし共感できるとするならば、同じように誰からも育てられず自ら道を切り開いてきた孤高の存在たち、という事になるだろう。そして、彼らは互いに孤立している為に群れる事はない。それは、前の世代に対してもそうだし、次の世代に対してもそうかもしれない。

この、世代のバトンを受け渡していく感覚に乏しい、という点をどう捉えるか。本当にネガティブな捉え方なのだろうか。ここは、難しい。アーティストであるのなら、その個性は歓迎すべきことであろうが、その"一世一代"である事に対しての淋しさみたいなもんはないのかな。ないのであれば、これはこれでいいのかもしれない。結論は出ない。

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