『人に頼るっていうことは、いいことだと思うんですよね。自立した人間であるということは、いろんな人にちょっとずつ頼ること。それが依存の逆の定義。』
先日の「ライブ・エール」でヒカルから放たれた名言。21日までNHKプラスで聴けるぞ。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2022081402101?t=4312
非常に簡潔な話だ。物凄くドライに幾何学的、物理的に考えても至極妥当なのよね。
体積を持つ物体が3次元空間(+1次元時間)で「自立」するときって、「3点」が必要なんですよ平面上で。「1点」だとその直上からちょっとでも物体の重心が外れると倒れる。「2点」でも、その2点間を結んだ直線上から重心が外れると倒れる。「3点」で支えて初めて、物体は持続的に「自立」できるのよね。
「1点」で立とうとする人は孤立だ。少しの撹乱ですぐに倒れる。
「2点」で立とうとする人は依存だ。これもまた、少しの撹乱ですぐに倒れる。
「3点」からが自立である。
(なんだか「3匹の子豚」の寓話を思い出すなぁ…。)
そして三脚より四脚、四脚より五脚の方がより大きな撹乱に対して安定していく。頼れる点は多ければ多いほどいい。何にも頼ろうとしなかったり、何か1つだけのものに頼ろうとしたりする人は自分じゃ立てないのですよ。
こういう物理的でドライな比喩の上に立ってさて心の面を考えると、何も信じない人は何も出来ないし、何かたったひとつだけのものを信じてる人はその何かが無くなったら同じく何も出来なくなる。2つ以上のものを信じることでやっと人は一人の人間として生きていくことが出来るようになる。
しかし、2つ以上のものを信じるというのは、時には信じたり時には疑ったりという、何も信じなかったりひとつだけのことを信じていたりする時にはあったと思えていた「心の安定や安寧」から離れて常に変化と判断に直面しなければならなくなる。自分の目で見て耳で聴いて、頭を使ってひとつひとつ確かめながらその都度人生を選んでいかなくてはならない。それは何も信じずに拒絶してるときや、唯一の何かを信じていたときに較べて心は不安定になるが、しかし、そうなって初めて人は「自立した一個人」と呼ばれるようになる。社会や世間においても、自分自身に対しても。
そもそもね、みんな「立つためには地面が必要」って忘れがちなんだよね。「立つ」という事自体がもともと「とてつもなくでっかい何か」に頼らないと出来ないことなのよ。宇宙に於ける「星」だね。星があるから立てる。地面があるから孤立したり依存したり自立したりが出来るのよ。
その「星」の代表が自ら輝き続ける「恒星」だ。地球にとってそれは「太陽」であり、ヒカルにとってそれは「母」の比喩なのだ。藤圭子さんのニックネームは「太陽神Ra(ラー)」であったことを思い起こそう。デビュー曲から青空と雨と太陽を歌ってきたヒカルが人としての自立を歌う時、それは太陽に頼り切りで来た自分自身を自覚することでもあるのだ。恐らく、『BADモード』で歌われている歌詞の中でヒカルが「力になりたい」「私に頼って欲しい」と願っている相手は、親友と、そして息子もあるのだろう。ヒカルにとって藤圭子母さんが太陽であったように、ヒカルもダヌくんにとって太陽のような存在でありたいと願うその心がこの名曲の歌詞を生んだ側面もあるのではないか。私はそう解釈している。
そして『BADモード』アルバムで「3点」といえば、「ロンドン、パリ、マルセイユ」の『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』ですよねぇという話からまた次回。いや、何回か後かもしれないがどっかで続きをきっと書きます(笑)。
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