@u3music
ダメ。小型犬は苦手です。キャンキャン煩いから。teruzane RT @buchan4649 フレンチブルドッグはダメ?
娘と全く同じ事言うとるな。嫌いな事も、嫌いな理由も。
そこは深く突っ込む事はしないで。
さて、ひとつの歌の中に2人称が2つ、「あなた」と「君」が混在しているケースがある。ULTRA BLUEでいえば、Making LoveやCOLORSなんか。
こういうケースに遭遇した場合、歌詞だけに注目する人は色々と深読みのし過ぎに陥る事が多い。さては君と言ってる人とあなたと言ってる人は別人なのでは、とか、いや、君の時とあなたの時では対象に対して持ちうる感情が変化してるんだとか。そういった解釈が当たる場合も多いが、そういったややこしい事を考える前にまず確認しなければならないのは、それが音韻上の要請であったり、音楽的な要請であったりによって使い分けられている可能性である。
Making Loveの歌詞だ。
『あなたに会えてよかった
遠い町でも頑張ってね
新しい部屋で君はもう
Making Love』
確かに、あなたと君が混在しているが、たった2行で何か事情が変わった訳でなく、恐らくこれはメロディーの尺の都合である。別に君はあなたでもよかったのだが、3文字を無理やり入れるよりここは2文字の方がメロディーが美しい。だからあなたでなく君を使った。たぶん、それだけだ。言葉の使い分けとしては深い意味はない。
勿論、宇多田ヒカルは日本語の作詞家としては最高峰の天才なので「本当にそれだけなのか?」という疑問は常に残る。これはもう仕方ない。歌詞のパズルは本当に難しい。あらゆる段階と位相に渡ってあっちが立てばこっちが立たずを繰り返す。サウンドを変えメロディーを変え尺を変え意味を調べ言葉を探し最初のストーリーを諦める。こんなにストレスフルな仕事はない。そのパズルを解いた答だけを私たちはみる。それがどんなクイズだったのかも知らないで。
という前段を踏まえた上で、次のテーマを考えてみよう。BLUEに出てくる2人称について、だ。
2人称なんて出てきたっけ? 君もあなたもなかったんじゃないか……ひとつだけある。『あんたに何がわかるんだい?』の『あんた』だ。ここ以外は、一切君とかあなたとか、出てこない。ポイントとなるのはdarlingで、これは日本語だとズバリ「あなた」になるが、では何故英語なのかという点が引っ掛かる。
この、通常の2人称を排した歌詞構造は意図的である。『もう一度感じさせて 技よりもハードで』の一節を初めて聴いた時、唐突さというか、何か違和感を感じなかっただろうか。私は感じた。何故そう思ったかといえば、この歌はここまで「私」しか出てきてなかったからだ。そこにいきなり「感じさせる」という使役動詞が出てくるものだから、「え、誰に?」となったのだ。いや、勿論薄々はわかっているのだ、恋愛なんてしたくないとか言ってるんだから失恋相手とか居るんだろうなぁ、という風な事は。それでも、誰かにお願いをする「感じさせて」は唐突だ。その違和感が出る事も承知の上で、ヒカルは2人称を排した。この歌が徹底的に個の孤独と憂鬱を歌った歌だからだ。
この手法は、他の曲でもみられる。代表的なのがテイク5だ。あの歌の歌詞では、確かに『会わない方が ケンカすることも 幻滅し合うこともない』と歌っていて、誰か"相手"が居る事を示唆しているのだが、主人公は自分を私と呼んでもその"相手"に対して君とかあなたとか呼び掛ける事をしない。『真冬の星座たちが私の恋人』とある通り、主人公の絶対的な孤独感を強調する為である。これはBLUEと同じ手法だ。
そんな風なのに、BLUEでは(テイク5のように徹底し切る事なく)一ヶ所だけ2人称が出てきて、しかもそれがなかなかPopsでは聴かない(演歌なら結構あるかな?)言い回しの「あんた」であった事が、その謎めいた感触に拍車をかける。これは一体どういう事なのだろう。次回へ続く。
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