「おひさま」の岡田恵和脚本(あのちゅらさん1~4を書いた人。南くんの恋人とかイグアナの娘とか以下略)が相変わらず神掛かっている。朝ドラなんて真剣に観てる奴殆ど居ないんだから何もそんなに細かく作り込まなくても、と思うが細部まで実に考え抜かれている。また主演の井上真央の演技が完璧で、朝ドラなんて(以下同文)なのにやたら緻密な印象を与える作品だ。井上のWikipediaをみてみると卒論のテーマが杉村春子だそうな。若い頃から極上の良質とは何かを見極める目を持っている女優。そりゃ成長しますて。
そんな中、特に気に入っているのは近藤芳正(イイダコタロウ先生、オクトパスね)の使い方だ。いけ好かない英語の先生として登場するのだが、ひとつひとつがえらく粋なのだ。主人公と親友2人の一生続く3人組の友情のきっかけ、主人公の夫とのお見合いの場面で共通の知人として名が出る、戦争によって失職し(英語の先生だからね)いちばんウマのあわなかった満島ひかりと相似な境遇で再会、そして先週は終戦後米軍に対して懸命に主人公を擁護(英語の先生だからね)、と普段は登場しないのに節目々々で登場する"裏狂言回し"的な役割だ。
岡田脚本の何が凄いって、彼が登場する場面が最初悉く"気まずい"のである。主人公親友3人組の反目の相手だから当然なんだけど、その気まずさを全部見事に回収していい思い出に変えてみせる。イヤな奴にも必ず何かあるんだ、という愛に溢れた視点を具体的なエピソードの中で表現してゆく技量は素晴らしい。
作曲にも同じことがいえる。それまで音楽的には凡庸、或いはポップスの文脈に載せるとリスナーがどう反応していいかわからずどぎまぎとして気まずい空気が流れるのを、ミュージシャンはとことん嫌うのだが、ヒカルの場合わざとその境界線を狙ってくる。Be My Last、Passion, Keep Tryin'の3部作がそうだし、近作では愛のアンセムの実験性がそうだろう。今更シャンソンとジャズてなぁ。歌詞についてはずっとそう(どんぶらこっことか浮き世とか)なので改めて指摘するまでもない。
だからなのだろうか、滅多にないのだが光が何となく気まずい雰囲気を出したりする瞬間が堪らなく愛おしい。いや作曲法とは関係ないのかな、先週触れたずるさや弱さや卑怯さを愛おしく感じる心は、まとめればあの何となくむずむずする気まずさが軸になっている気がしたので。いや、自分の心って本当にわからないね。
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