無意識日記
宇多田光 word:i_
 



GBHPV@Youtubeの再生回数が間もなく700万回を突破する(と書いてる途中にGBHを選曲してくるMy携帯はITFもナマレポートしてくれた果報者である/余談)。WLDVDが入りっぱなしのせいで、PVDVDを持っているのにUtubeで見てしまう人多数か。私の話だけど。

数字自体は世界的にみれば大したことはない。話題のルーキー達は総じて億越えである(懸賞金かよ)。しかし、これだけの回数あの最高傑作が再生されたと想像するだけで顔がにやけてしまう。(本来、"若気る"と書く別の言葉なのだが、この"笑顔になる"の意もいつのまにやら辞書に載るようになった)

メジャーデビューから12年経過したアーティストの作品に対して"最高傑作"と言い切れてしまう幸福感とPV自体の齎す幸福感が重なりあっていつでも顔が緩みっ放しだ。確かに、このクオリティまで来たのなら一旦山を降りてみようという気持ちもわからなくもない。もちろん、せっかくのピークなのに休止するなんてもったいない、とも思うけれども。

PVもライブも総監督を務め、自分が出演して演出もしてしまった(うわ、このベッタベタなフレーズまだ一回も使ってなかった)訳で、本当にオールマイティーな才能だとつくづく感服させられる。学校に行っていたときも成績はオールストレートAで運動部も様々を渡り歩き、勿論仕事でも超絶大成功をおさめ大金持ち、なのに性格が増長するようなことは一切なく、会う人会う人総て顔が綻んでしまう人間的魅力に溢れる完全無欠のスーパーヒロイン。まさにマンガでも描けないキャラクターである。

それでもネットをみているとたまに光を悪く云う意見も散見される。ライブみてみたら音程外してた、とかは多分事実なのでいいとして、他の発言はだいたい光のことをよく知らない誤解に基づいた偏見で、それを読んだら光が悲しむじゃないかという怒りや憤りはあれど、痛い所を突かれたと思う事は皆無である。多分この人も実物の光をみたら顔が綻んでしまうのだろうなぁ、くらいにしか感じないのである。

寧ろ、宇多田光の欠点なり弱点なり短所なりをよくよく知っているのは私の方ではなかろうか。これだけずーっと見つめ続けていれば「あれ?」とか「ん?」とか思うこともたまにあるし、ブログにも度々書いている気がするが、余りにもその他の賞賛記事が多すぎて全く目立たない。が、絶対量でいえばネット上で「宇多田光の悪口(というのかな)」をいちばん書いている場所なんじゃないかと思えなくもない。一部の粘り気のあるみなさんは量的にはたくさん書いているようにみえて同じ内容を書き直しているだけなので、質的に勝つ自信はある。(?)

大袈裟にいえば、圧倒的な愛着と愛情の付属品としてちょびっとの憎悪や嫌悪もスパイスのように存在する、という感じである。全体の愛情量が多すぎるのでふりかけるスパイスもそれなりの量になってしまう、と。

しかし、しかしだ。私の場合光に最も萌えるのは、彼女のそういういたらなさとかずるさ、卑怯さ、卑屈さ、ネガティヴさ、といった人間的に弱い面がかいま見えた瞬間なのである。身も心もよじれ悶えるくらいにきゅーんとする。なんでもござれな完全無欠のスーパーヒロインが弱点をみせたときのギャップに萌えているのか…と思ったがそうでもない。寧ろ、私が積極的に彼女を愛する理由はそこらへんの気の弱さ、いたらなさ、ずるさ、心細さなのである。才能じゃない。いや才能も好きだけど、思いやりと優しさに溢れているはずのひかるちゃんがふらっとみせる逃げた横顔を見つけた時は本当に全力で抱き締めたくなる。あれやっぱギャップ萌えなのかな。まぁ、どっちでもいいか。


本格的に休止期間モードに入った為愛情表現のブレーキがちょっと弛んでます。まだまだ全開じゃないけどねー、と書き終わったときのBGMにオートマとは本当にウチの携帯クンはわかってるなー。しみじみ。

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7月  


さて7月。あの人やらこの人やらその人やら(どの人やら?)、光にいちばん近い人たちの誕生日が集中している月である。今は離れた所に住んでいるのなら、バースデーカードでも送ってくるのかな。該当者は気軽にツイートしてください(笑)。

誕生日は年をとる日ではなく、その人が生まれてきた事を祝う日だ、と何度も言ってきているが、子が親の誕生日を祝うというのも順序としては不思議な感じがする。貴方方が生まれてきたから今の私が在るんです、という事は父母の両親、祖父母の代が彼らの誕生を直接祝ったのであって、つまりその慶びを孫の世代が引き継いでいるのだ。なんだかちょっとだけ壮大。

両親だけでなく、光の人生に最も影響を与えた二人もまた7月の誕生日である。五年前のうたゆなは連日宴であったことだろうな。

そして、10年前の今月はFINAL DISTANCEの誕生月である。様々な意味合いでターニングポイントとなったシングル曲だが、その神聖さは今となっても独特の風合いを失っていない。Dedicationに込められた思いに、世界はどれだけ応えてくれただろう。人の心の"闇"は、昔はもっとありふれていた気がするような、そんなに変わらないような。自らの命を貶めるのに躊躇いのない向きが、他者の命を何とも思わないのは道理が通ってはいるが、何かが引っ掛かる。そういうことではない、と曲に込められた思いに触れる度に思う。事件自体に触発されて書かれていないだけに、この曲をDedicateしようとした気持ちは透き通って伝わってくる。何も還ってはこない、ただ悲しみ、慈しむしかないのだが、この曲に込められた思いが古びて聞こえるようになる日々がくることがいいのか、相変わらず響き続けるのがいいのか、はよくわからない。人が生まれてきて死んでゆく、Alive and Dead, Come And Goに対していつにも増して考えさせられる、そんな
月が7月である。

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