片麻痺との二人三脚

孤独に甘えず、後ろ振り向かず、希望失わず、唯前進あるのみ!

2週間ぶりの「パワーリハビリ」、マシン懸命に取り組む仲間肥満気味

2015-01-08 13:10:35 | 「リハビリ」

早朝の寒さは厳しい、きょうも日本付近は強い冬型の気圧配置です。
発達した低気圧は北海道から離れていきますが、それでも北日本は日本海側を中心に雪や風の強い状態が続きます。気温は九州から東北では平年並みか低く、日中もひとケタの所がほとんど。(tenki・jp)

百貨店最大手の三越伊勢丹ホールディングスが、衣料品や靴、雑貨などについて、自らの意向で商品を企画・製造し、販売まで手掛ける製造小売り事業(SPA※)に本格参入することが明らかになった。(読売新聞) 

        

        

        

        

8:45分 ポラリス送迎車到着を待ち、玄関に座り込んで待機する暫時も寒さ厳しく、片麻痺の左腕・左足はカチンカチンに硬直してくる。
暖房の行き届いた車内へ入って「ホッ」と一息、暫くは声も出て来ない。
先刻同乗N氏と新春のご挨拶、暮れから横浜~箱根と三泊四日の家族旅行を済まされたN氏に携帯に残された曾孫写真を見せていただき、幸せなご家族の年末・年始を振り返る。

        

        

        

仁川ディサービスセンター所長始めスタッフ皆さんと新年のご挨拶、西側四つ目のご婦人テーブルに招かれ 年末・年始を楽しく振り返る。
大晦日、NHK紅白歌合戦前半戦を見たのは私唯一人、民間テレビ「昔の演歌パレード」を観た人が多く、現在音楽界の流れに乗っていけない後期高齢者の実態を如実に示している。
飲んで・食べて・喋って寝ころぶ三が日は男女とも同じ、平常一人住まいの家庭が膨れ上がったお正月、年寄も「楽しかった」と想い出に興ずる。

看護師Mさんバイタルチェック(血圧148-77脈拍79体温36.4℃)、Mさん年末から6日間ゆっくりDVD映画を愉しみながら休めたとニコニコ顔で語って居られた。
戴いた通所介護計画書には、解決すべき課題「筋緊張による痛みの発症があり、動作に支障を起こす場合がある」。
今年は、麻痺左側へ体重を掛ける歩行が出来るかどうかがポイント、マシン「トレッドミル」で麻痺左足にギリギリ迄体重を掛ける事に専念したい。
スタッフIさんから文芸春秋12月号拝借、特別企画 弔辞”鮮やかな人生に鮮やかな言葉”に魅せられる。

*大鵬幸喜へ「人の道を教えてくれた」白鳳翔、亡くなられる二日前に叱咤激励いただき、”横綱というのは勝って当たり前勝てなくなったら引退しかないのだ”。
*藤本義一へ「男は振り向くなすべては今」桂文枝、1968年ヒット曲「帰り道は遠かった」はトイレットペーパーに書いたから運よくヒット、文枝襲名前に送って下さった色紙に「男は振り向くなすべては今」とあった。
           

            

9:15分 オリエンテーション リーダーIさん、初詣で体験「宝塚聖天さん」・「伊和志津神社」の賑わいを語られたが偶然自分の初詣でと重なり、幸先良い新年のマシントレーニング始めとなる。

           

№1、「レッグエクステンション両足伸ばし」・・・・スタッフからの指名は幸先良く1番、椅子に腰を降ろしてから骨盤から脊椎を真っ直ぐにイメージ、顎を引いて姿勢を正す。
スタッフに声を掛け、全身をチェック、OKのサインを貰ってバランス良くスタート。
基本ポイントは足首~膝裏~大腿四頭筋に置いて、「イチニーサンシー」でゆっくり負荷を持ち上げ「ゴーロクヒチハチ」で降ろしてくる。最高地点では真っ直ぐ膝裏を伸ばし、足首で支えている意識を強く持つ。
           

№2「トーソーエクステンション腹筋強化運動」・・・・新春の食べ過ぎは全てお腹に現われているので腹筋強化運動は最強化課題と心得、一層丁寧に取り組む。負荷を腹部に当て、骨盤から前方へ直角に倒すイメージで押し込んでいき、最下点では腹筋の割れを10秒間意識して、ゆっくり戻ってくる。回数は張り込んで50回、終了後も腹筋を触って効果を確認する。

           

№3「ホリゾンタルレッグプレス両足押し」・・・・・椅子に座って両足を定められた地点にセット、前方からスタッフに体勢矯正いただき、腹式呼吸の大きな発声で「1234」とゆっくり押込み、「5678」のカウントで戻ってくる。エネルギー消費を狙って50回丁寧に行う。

7機種7種類のマシントレ最終に「トレッドミル」10分間、麻痺左足にギリギリ迄体重を残す事のみに集中して取り組む。
            

           

            
午後、1400西公民館 宝塚市民カレッジ 関西文化に育まれた文学コース 久坂葉子「ドミノのお告げ」出席、著者は兵庫県神戸市生まれ、相愛女子専門学校(後の相愛女子大学)中退。
島尾敏雄の紹介で、1949年、雑誌『VIKING』に参加し、富士正晴の指導を受けた。
『落ちてゆく世界』の改作『ドミノのお告げ』は1950年の芥川賞候補となる。
4度の自殺未遂。
『幾度目かの最期』を書き上げた後、1952年大晦日阪急六甲駅で鉄道自殺を遂げた。

初めて知る壮烈な最期を遂げた天才的な女流作家(21歳)の存在を知る。
久坂葉子の誕生と死亡を自分で書いた作者”私は久坂葉子の死亡通知をこしらえ、その次に葬式をするのだ。
弔文をよもう。お前は、ほんとに馬鹿な奴だ、と”には言葉が出て来ない。

           

           

           



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