トシの読書日記

読書備忘録

「ふつう」に生きるという思想

2020-08-05 16:02:19 | さ行の作家



瀬古公爾「思想なんかいらない生活」読了



本書は2004年にちくま新書より発刊されたものです。


これも何年も前に読んだものの再読なんですが、これもいいですねぇ。いわゆる「知識人」をこき下ろし、お前達のの言ってることなんか何の役にも立ってないという主張には、いっそ胸のすく思いでした。しかもこの瀬古さん、生半可な知識であげつらってるわけじゃないんですね。昔からかなりの哲学書、思想書を読みこんでいて、その上での反論なわけで、これはなかなかのものであると感じました。


最期の方にこんなくだりがあります。ちょっと引用します。

<なにが「思想」か。なにが「存在的」でなにが「存在論的」か。「思想」や「哲学」は、学者先生や評論家にとっての「仕事」にすぎないのではないか。そうならばすっきりする。コンビニの弁当開発やラーメンのスープ作りとおなじ仕事ではないか。「思想」従事者は不満だろうが、新製品開発や売込みで必死の会社員とおなじ仕事ではないか。一般大衆の仕事を舐めてはいけない。>

<一生ひとの頭を刈り続ける理髪店の仕事があり、一生ひとの口のなかばかり見ている歯医者の仕事がある。野菜や米を作り続ける仕事があり、下着ばかりを作る仕事があり、配達する仕事があり、歌ばかり歌っている仕事があり、将棋を指したり、本ばかり読んでいたり、ビルや橋を作ったりする仕事がある。「思想」もそれらと変わらぬただの仕事ではないのか。>


そうなんです。思想家も評論家もそれは床屋のおやじとラーメン屋の店主とおんなじなんだと。偉そーにするんじゃねーよ、と瀬戸さんは言いたいのでしょうね。全面的に賛同するものではないんですが、言いたいことはよくわかります。


蓮見重彦、大槻隆寛、小熊英二、大江健三郎、小浜逸郎らの知識人をばっさりと斬り捨てる論調はかなり小気味いいものでした。しかし、それでいてすべての知識人を一律にやっつける訳ではなく、ホッファー、シモーヌ・ヴェイユ等、自分の信条に沿う人は認めるんですね。ここはなかなか肝が据わってます。


これはちょっと人に勧めたい本だなと思いましたね。勧める人を選ぶ気はしますが。


昨日、ひまだったので久々に安藤書店へ行き、「奥の院」に並べてある本をなめるようにたっぷり味わってきました。今はもう新たに本を買う気はないんですが(この間、友人にお見舞いにもらった5000円分の図書カードも姉にあげてしまいました。)、1時間以上も居て何も買わずに出るのは申し訳ないので以下の本を購入する。

古井由吉「山操賦(さんそうふ)」講談社文庫
幸田文「男」講談社文庫



今日、がんセンターで放射線科と消化器内科、それぞれの診察を受けてきました。先日のCTの結果を見ての話だったんですが、ガンは治療の効果があって、かなり小さくなっているとのこと。今後の治療にかなりの希望がもてるそうです。こういった医師の見解というのは、患者をぬか喜びにさせないために結構控えめなことを言うんですが、それを考えるとこれはすごいことなんじゃないかと、一人で喜んでおります。あと5年以上生きられるかもしれないという希望がわいてきました。


このあと、今月の19日から新しい治療が始まります。治験というやつで、19日から始めて3週間に一回の点滴を行い、随時CT、胃カメラで検査して効果を見ていくものということです。人生ひまつぶしとか言ってますが、自分はしょってるものがあるので(家族)、そう簡単には死ねません。また親父より自分が先に死んでしまうと、相続の問題で非常にややこしいことになるので、少なくとも親父より先に死ぬわけにはいきません。ちなみに親父は今年96、めっちゃ元気です。

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