坂口安吾「勝負師」読了
本書は平成18年に中公文庫より発刊されたものです。本書をなんで知ったのか、ちょっと思い出せません。諏訪哲史の「偏愛蔵書室」にも紹介されてなかったし。新聞か何かで見たのかもしれません。それはともかく。
昭和22年、木村名人に挑む塚田八段の将棋、名人戦の様子を活写した短篇、「散る日本」から始まる、囲碁、将棋にまつわる小説、観戦記、エッセイを収録した作品集です。
「散る日本」の中で、千日手を避けて負けた木村名人に対して安吾は以下のように批判します。
<名人戦の第6局だかで、千日手になるのを名人からさけて出て、無理のために、破れた。自分を犠牲にして、負けた。その意気や壮、名人の大度、フェアプレー。それは噓だ。勝負はそんなものじゃない。千日手が絶対なら、千日手たるべきもので、それが勝負に忠実であり、即ち、わが生命、わが生き方に忠実なのである。名人にとっては将棋は遊びではない筈で、わが生命をささげ、一生を賭けた道ではないか。常に勝負のギリギリを指し、ぬきさしならぬ絶対のコマを指す故、芸術たりうる。(後略)」
勝負に自分を犠牲にするだの、フェアプレーだの、そんなものは噓だと、ばっさり斬り捨てます。このあたりの感覚、よくわかります。自分も勝負の世界にはフェアプレーもなにもあったものではないという考えですね。
正々堂々と戦うのがスポーツマンシップとか言いますが、例えばサッカーの国際試合なんかを見ていると、全員がそんなことを微塵も考えていないことがよくわかります。勝つためには何でもする、反則でもなんでもそれがレフリーにバレなければOKという考えでやってるし、自分もスポーツなんてものはそんなもんだと思ってます。
坂口安吾の「堕落論」とか「白痴」とか読んできて、俗世とは縁のない孤高の人というようなイメージがあったんですが、将棋も指すし、碁も打つんですね。ちょっと意外でした。
「勝負」というものを改めて考えさせられた一冊でした。
姉から以下の本を借りる
カートヴォネガットジュニア著 飛田茂雄訳「母なる夜」早川書房
山田風太郎「死言状」ちくま文庫
村田紗耶香「コンビニ人間」文春文庫
村上春樹「意味がなければスイングはない」文春文庫
三田誠広「源氏物語を反体制文学として読んでみる」集英社新書
辻原登「抱擁―この世でいちばん冴えたやりかた」小学館文庫
朝井リョウほか「作家の口福」朝日文庫
アントニオ・タブッキ著 須賀敦子訳「逆さまゲーム」白水Uブックス
姉の読書のスピードには驚かされます。姉借り本、たまる一方です。
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