今夕、一昨日に亡くなった同僚のお通夜に行きました。正面の故人の写真は七:三に構え、その視線は写真からみて右方を見ていました。ベラスケスは絵の中に自分を書き込んでいて、その人の視線は絵を鑑賞する人の視線と合う。いつも鑑賞する人を追いかけているのがベラスケスだった。
カメラ目線とでも言うか、目を合わせた姿勢は時に必要と感じた。
外来診療でも、このごろはコンピューター画面を見ながらの診療が必須で、ともすると患者の顔も見ずにすましそうになっていることがある。
瞬時でも良い。患者さんと目と目を合わそう。その瞬間に誠意を超特急で送り込もう。
また近頃は説明すべき事がドンドン増えて急いでしまう。この故に早口になりそうだし、患者側も理解できてなくても頷づいてしまう。この合間の瞬間に目を合わそう。
きっと役に立つだろう。
でも、こんなの当たり前の事だよね。
カメラ目線とでも言うか、目を合わせた姿勢は時に必要と感じた。
外来診療でも、このごろはコンピューター画面を見ながらの診療が必須で、ともすると患者の顔も見ずにすましそうになっていることがある。
瞬時でも良い。患者さんと目と目を合わそう。その瞬間に誠意を超特急で送り込もう。
また近頃は説明すべき事がドンドン増えて急いでしまう。この故に早口になりそうだし、患者側も理解できてなくても頷づいてしまう。この合間の瞬間に目を合わそう。
きっと役に立つだろう。
でも、こんなの当たり前の事だよね。
人と向き合うのはとても難しいことですね。
わたしも人と接するのが仕事なので、この文章を読ませていただいて、色々と考えさせられました。
常にモデルと真摯な態度で向き合い、それを作品に反映させることのできた、ベラスケスのようでいたいものです。