昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

8月18日(火)のつぶやき

2015-08-19 04:51:40 | ある倉庫係

時の総理大臣まで視察に来る「ただならぬ」活動に発展しようとしていた・・・。 goo.gl/dQfk1v


子どもは戦犯の父の罪に対して許しを請うた。しかし、相手は・・・ goo.gl/dQfk1v



小説<手術室から>(16)退職後の秀三(3)

2015-08-19 02:22:10 | 小説・手術室から
 どうせ自分あてのわけがないと周囲を見回したが家内の姿は見当たらない。
 ・・・しゃあないか・・・
 
 秀三は片手枕の怠惰な姿勢から這いつくばるように手を伸ばし、ひとり言を吐きながら受話器を取った。

「司秀三さんのおたくですか?」
 若い女の声だ。
 一瞬息子、俊のガールフレンドかなと思ったが、それにしてはしゃべり方に潤いがない。事務的な乾いた声だ。
「はあ、そうですが・・・」
「ご家族のかたですか? こちらはK大学付属病院ですが。俊さんが事故に遭われまして今救急車で運び込まれたところです」
「救急車? 俊が?」
「応急手当を施したところですが命に別状はありません。すぐお出でください」

 秀三は伸びきった身体を折りたたんで真面目な姿勢になって電話に対した。
 
「どこを怪我したんですか?どんな状況なんでしょう?」
「詳しくは来ていただいてからお医者さんからお話いたします」
 相手は感情的な対応を控えるように相変わらず事務的な返答をした。
 ・・・どこを怪我したかぐらい言ってくれてもいいではないか・・・と彼は反発したかったが、分りましたとだけ言って電話を切った。

 さて、どう対応すべきか、まず妻に連絡を取らなくてはと思ったとたん玄関のドアが開いた。

 ─続く─      

 <好奇心コーナー>
 

 見事な金の装飾。
 これは金沢の金箔技術から生まれる。
 
 金の延べ棒を叩いて極薄に仕上げる技術に、特殊な処理をした和紙が役立っている。
 



小説<手術室から>(15)退職後の秀三(2)

2015-08-18 03:50:52 | 小説・手術室から
 シニアSOHO普及サロン・MのH代表はスローガンづくりの名手だ。
「ただならぬシニアを目指せ!」と我々会員にはっぱをかけた。
 ITの新時代を先取りして、各種のパソコン教室活動が始まった。
 秀三たちは「パソコンはどうも?」というシニアが好きな囲碁に着目した。
 囲碁を楽しみながらパソコンになじんでもらえるのでは、と考えたのだ。

 たまたま、M市はIT関連専用ビルとして建設した産業プラザビルの1階にアイカフェを設置していた。
 
 彼らはそこのパソコンに世界最大級を誇る囲碁ネットと交渉して、無料でネット囲碁ができる仕掛けを作った。
 
 毎月何回かそこでネット囲碁を楽しむ講座も開いた。

 当時IT普及を重要な政策と位置づけた総理大臣も視察に見えるほどに活動は盛り上がった。
 
 ネットで日本各地、あるいは世界各地の囲碁愛好家と知り合い、いずれは顔の見える交流にまで拡げようというという「ただならぬ」構想にまで期待は広がった。
 しかしあくまでも想いだけで、身体を張って実現するまでには至らなかった。

 ・・・もっと積極的にやるべきだったか・・・
 そんなとりとめもない思いに浸っている秀三をからかうように電話が鳴った。

 ─続く─

 <好奇心コーナー>
 

 戦地から100通も子どもに手紙をくれる優しいお父さんが戦犯として死刑になった。
 子どもは父親が犯した罪を謝罪するためにイギリスに渡った。
 
「彼を死刑にしたのは裁判における私の証言だったのだ」
 相手はそう言ってくれた。
 それでも彼は父親の罪に対して許しを請うた。
 しかし相手は彼に伝えた。

 
 
 




小説<手術室から>(14)退職後の秀三(1)

2015-08-17 04:36:39 | 小説・手術室から
 ・・・もうひと月もすれば今年も終わりだ。・・・
 二か月も先に設定された手術のことは、秀三の頭の中からすっかり飛んでしまっていた。
 あらためて彼は退職してからのこの一年を振り返ってみた。

 40年余り勤めた会社を早めに切り上げて、これからは思い通りの希望に満ちた人生が始まると意気込んでいたが、御多分に洩れずそれをいかなる形で実現すべきか壁にぶち当たっていた。
 
 家の中でぶらぶらしている姿を見かねた家内から文句を言われ、たまたま誘われた大学の先輩に誘われ発足したばかりのシニアのグループに参加することになった。
 初めて参加した交流会の模様をY新聞の「あなたの街、あなたが記者」という欄に投稿したら写真ともども記事が採用された。

 「地域のビジネスが参加する情報横丁」というM市のシニアベンチャー交流会の1回目が12月2日に開かれました。<シニアSOHO普及サロンM>の活動の一つですが、私も誘われて参加してみました。
 この新しい時代を予感させる集いのウワサを聞きつけて、遠くは千葉からもシニア(55歳以上)やサポーターの若者ら50人以上が参加し、狭い会場は熱気に包まれていました。
 今後、M市では毎年1万人のシニアが退職して企業から地域に帰ってくる見込みで、全人口の半分以上が55歳以上という時代が目前です。
 サロンのH代表の言葉を借りれば、いまや「お年寄りを大切に」などと頼っているわけにはいきません。
 シニアも現役としての意識を持ち自立しなければならないのです。

 参加されたシニアの紹介では「オンラインで株投資」や「性格診断テストをネットで事業化したい」などそれぞれの抱負が続きました。こうした気概に触れてみると、そのうち自分のやることが見えてくるような気がする刺激的な交流会でした。
 サロンでは会員の自立のための「PCアドバイザー認定研修」を開いたり、第2回交流会を1月20日に開催するとのことです。こんな私のようなシニアのみなさん、ぜひサロンをのぞいてみてください。
    

 
 ─続く─


小説<手術室から>(13)村上晶先生(5)

2015-08-16 10:08:30 | 小説・手術室から
 翌週再び病院に出かけて、血液、尿検査などの内科検査を受け、眼底検査の結果手術という流れになった。    
 手術日は先生のスケジュールが混んでいるため2か月以上先に設定された。

 病院から家までの道のりをバスに乗らないで、畑の中の道を歩いて帰った。
 12月の湿気を帯びた薄墨色の冷たい空気が、西の空の残光を急速に消していった。
 
 若者が自転車を飛ばして、秀三の脇をすり抜けるように風を起こして飛ばして行った。
 幼い子どもが母親に何か話しかけながら、灯りの瞬き出した家並みの中に入って行く。

 ・・・手術か? やっぱりやめようかな・・・
 頭の中ではまだ手術をすべきか否かを反芻していて、外気の寒さは感じなかった。

 ─続く─


エッセイ(273)安倍談話に対する評価

2015-08-15 04:16:05 | エッセイ
 70年安倍談話がどういう形で発表されるか関心があったので、あえて昨日は別な話題をさしはさみませんでした。
 
 村山談話が踏襲されるかどうか関心が寄せられましたが、「先の大戦における行為に、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」というかたちで盛り込まれました。

 表現の仕方にいろいろな批判もあるようですが、ぼくとしては下記の2点が含まれたことを評価したい。
「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は。19世紀、アジアにも押し寄せました。・・・」という部分と、
「だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります」

 端的に言えば、歴史認識を人類自身の問題として取り上げ、西洋の植民地支配までに遡ったこと。
 それと、今後日本が国際社会でどのような責任を果たしていくかについて語ったところです。

 つまり、自虐的史観に終始するのではなく、自国の主体的かつ前向きのコメントを付け加えたところを評価したい。
     
 <好奇心コーナー>
 
 メル友から、久しぶりに前向きに活動している旨のお知らせをいただきました。
 
  
 小生の著作「レロレロ姫の警告」を三鷹市立図書館本館(地元作家の棚)に目立つ形で置いていただきました。
 まだまだ前向きに歩んでいます。