![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_love.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/70/bb/538ef589ca7fc6ff6c44699ed2bab5d2_s.jpg)
「眼中の人」とはつねに眼中にあって忘れられない人ということだ。
小島は、洗練された文章、描写こそが小説の価値を決めると信じていて、「景勝のいいところ」とか、「驚きの目をぼんやりみはった」などという文章を大家が書いているのを指摘して、「現今の日本の文学者ほど、文章に拙劣なものは世界にあるまい」と、「『白樺』一派の鳥糞石」とまで極言している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/82/bb0a522d83a5f65134bd21f9d88e3065.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
小島は育ちがいいせいか素直な性格の持ち主のようだ。
とくに、菊池寛に対する評価の豹変ぶりが興味深い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/81/ed893f6d8e2196ed89342097160099cc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/05/4c0072602bebc660e7bf7bdd70147f45.jpg)
彼が芥川と菊池を前に芭蕉や久保田万太郎などの俳句を「説明調だ」などと腐していると、とつぜん「どうして説明じゃ悪いのかね?」と菊池から言われた。
「どうしてって、説明じゃ、物の本当の姿がありのままの姿で読む人に迫って来ないと思うんですけど」と答えたら、「俳句のことはよくしらないけれど、君は小説の上でも描写万能論らしいけれど、小説なんか描写ばかりでは絶対に書けないじゃないですか」と小島に小説のことで一太刀浴びせかけてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_shock1.gif)
小島は、なんと無礼な交際の方法を知らない田舎者だろうと腹が立ったが反論できない。
その後、上田敏の追慕会で小島は菊池のスピーチを聞く。
他の人が例外なしに型に嵌ったことやお世辞を述べる中、彼だけは真率な情理兼ね備わった、正直で、しかもぐっと押してくる力のあるスピーチを披露した。
この時から小島の菊池に対する見方が変化を始める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_love.gif)
芥川の場合は、ちょいと物をいっても、機智縦横、気の利いた警句。姿形にも洗練された味がある。そこへいくと、菊池は一見、朴訥な書生っぽさ丸出しの田舎者だった。
で、議論に負けた悔しさで彼の作品を読んで軽蔑してやれと思った。
「恩を返す話」
冒頭の・・・近年にない旱炎な日が続いた・・・にケチをつける。
「旱炎な・・とは、何という不熟な文字の使い方だろう」そう思ったが、軽蔑してやれと思っていた最初の心構えはどこへやら。
生きた人間を押さえて放さぬ真実さに、呼吸を喘がせながら引き込まれていく。
読み終わった時、興味ある筋の蔭に畳み込まれている人間心理の必死な闘争の生々しい真実さに、小島は海の底から浮かび上がった人間のように感動の潮を吐いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
この生々しさに小島は強く引き付けられた。文章の粗雑さ、技巧の粗雑さ、小島の嫌いそうなそうしたきめの粗さも、この生々しさの魅力のうちに消えてしまっていた。