昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

ペット(9)チュン太の死

2011-11-29 04:24:38 | ペット
 昨日の午前10時、ついにチュンタはぼくの手の中で12歳、11年半の寿命を終えた。
 この夏を終えても羽が生え変わらないし、今年の冬は過ごせないのかなという懸念通りになってしまった。

 特にこの2~3日は壺巣の中へ入っていることが多く、ぼくが毎食ごとに与えるご飯なども食べる量が少なくなっていた。それでも巣から降りてきて食べると、いつものようにちょんちょん飛び跳ねて、家内に抱っこをせがんでいた。
「チュンくん(ママはこう呼ぶ)、ママよ」と言って、朝に晩に家内に抱っこしてもらうのが彼の楽しみだったようだ。

 1999年の初夏のころだったと思う。
 我々夫婦がまだ今のマンションに移り住む前の一軒家の庭に落ちてきてピヨピヨと鳴いていたのを家内が見つけ、なんとか生かそうとスポイトで牛乳を飲ませ、すり餌を食べさせようと懸命だったのを思い出す。

 最初はかたくなにくちばしを閉ざして受け入れようとしなかったが、家内は徐々に彼を手の内に丸め込んでいった。
 以前に飼っていた十姉妹や文鳥の経験をもとに飼いならし、部屋の中に飛ばし、手のひらに載るようになり、肩に留まって家内の吹くハーモニカに耳をそばだてるまでになった。
 
  
 部屋の外へ出ようとすると、ピヨピヨと甘えた声を出し、それも無駄だと知ると、ジャージャーと威嚇して引き留めようとする。
 外出から帰って玄関のドアを開けると、もうピイピイと鳴いて歓迎してくれる。
 ベランダに吊るしても、他の鳥が寄ってくると固まっている。
 自分は鳥だと思っていなくて人間だと思っているようだった。

 それがこの2~3日壺巣に篭っていることが多くなり、声もあまり出なくなった。食事のときは降りてきても、少しついばむと抱っこをせがむこともなくさっと壺巣に戻ってしまう。
 
 そして、昨日、エサをやっても降りてこない。
 家内が出かける時、「チュンくん、出かけるよ!だいじょうぶ?」と声をかけたら「ヒュー」とか細い声を出したのが思い起こせばお別れの一鳴きだった。
 家内が外出して、落っこちるように壺巣から出てきたので、ああ、まだだいじょうぶだ、エサをついばむのかなと見ていたら、隅っこにうずくまってしまった。
 おかしい! 足が丸まって立てないようだ。
 あわてて抱き上げると、目をぱちぱちしていて体は温かい。
 しばらく抱っこしていたらすぐ目をつむってしまった。
 ああ、ついに、もう最後だ!
 
 そのまま巣の中に戻すのは忍びなくて、小さなタオルに包んで巣箱に戻した。

 チュンくんのママは帰ってきて何て言うだろうか。
 きっと、「長い間、ありがとう」と言って、十姉妹や文鳥と同じように、ガジュマルか月下美人の植木鉢の根元に埋めるだろう。
 
 夕方家内が帰ってきたので、「チュンタ御臨終だ!」と伝えると、「えっ? ウソ! チュンくんどうしたの?ママよ」と巣箱に駆け寄って行った。
「可哀そうなチュンくん、それでどんなふうに亡くなったの?」と聞くから経過を説明した。
「そうお父さんの手の中で亡くなったの? ひとりぼっちでなくてよかったね」と言った。

 しばらくして、「もう埋めたのか?」と聞いたら、「オリーブの根元にね。チュイ(十姉妹)はべコニヤの根元だったからケンカしないように」と言った。
 娘に電話して、「今日は喪中よ!」と言っていたから、夕食は無しかと覚悟していたら出てきた。
 しかし、ご飯粒を上げようといつもの巣箱に目を向けたらチュンタはいない。
 今は気丈にふるまっている家内も寝る前、抱っこの時間になったらひそかに涙を流すのだろうか。
 

 

エッセイ(101)最後の武士の娘、蝶々さん

2011-11-27 06:05:08 | エッセイ
 宮崎あおいが久しぶりにテレビドラマ出演するというので、先週と昨日の二夜NHKの<蝶々さん>を見た。

 
 日本が西洋に目を見開いた明治の初め、幕末の動乱で蝶々さんは両親を失う。
 しかし、その武士の娘としての教えを胸に、苦境の中、健気にも乙女の時を過ごす。
 そしてアメリカという新世界に憧れる。
 そんな時、長崎に来たアメリカの若き海軍士官に巡り合い恋に落ちる。
 
 彼に武士の心意気を感じた彼女は彼との結婚を受け入れ、子どもを身ごもる。
 しかし、きっと迎えに来ることを約束してくれたが、彼は長崎を去っていく。
 
 結果的には<長崎式結婚>だった。
 周りの人たちは彼女が夢から覚めることを期待したが、彼女の愛は真剣だった。
 彼の言葉を信じ、生まれた子どもを育てながら、彼女は彼を待ち続ける。
 しかし、母国で結婚していた彼は戻って来ず、子どもだけが引き取られることになる。
 
「子どもには両親が必要だけど、お母さんが二人はいらんもんね」
 夢から覚めた蝶々さんは武士の娘としての覚悟を決める。

 悲劇ではあるが、救いは成長した子どもが、わが母の<愛と誇り>の真実を知ったラストシーンだ。

 日本が憧れた西洋文明も今や曲がり角に来ているように見える。
 今、近代日本の来し方を振り返って見ると、この物語は何か象徴的にさえ思える。
 改めて日本人として、人間としての心を再認識させられる物語だった。
  
 
 
 

有名人(46)女の魅力(29)コシノジュンコ

2011-11-24 04:39:49 | なるほどと思う日々
 <コシノジュンコ>
 
 
 朝ドラ<カーネーション>のヒロイン、小篠綾子さんの育てた三姉妹のファッションデザイナーの内でも、次女のコシノジュンコに注目したい。
 なんといってもその容貌のド迫力である。
 もう、女とか男とかの領域を超えている。

 彼女は18歳で上京した時から、強い方言(岸和田弁)のために笑われ、恥ずかしく、人と交流することを避けて口を閉ざしたことで、彼女のファンションデザイナー成功物語の第一歩を踏み出している。
 彼女は半年間ひたすら黙々と絵を描き、19歳の異例の若さで装苑賞を受賞した。

 その悔しさのおかげで、周囲に認められた瞬間から、あれほどコンプレックスだった岸和田弁が彼女の個性の一つとなり、どれほど嫌なものでも乗り越えられる時が来ることを知ったと言う。
 コンプレックスは、人には分からない非常に強い感情なので、自分のオリジナリティを内側から支える利点をはっきりと意識した方がいいとも・・・。

「ファッションの仕事では、私はモデルたちに囲まれます。180センチを超える身長で美しい顔立ちのモデルたちにずらりと囲まれた谷間に入っていくのは、小柄な私にとって決してうれしいことではない。でもコシノジュンコは身長で勝負しているわけではないし、容貌で勝負しているわけでもない。だから私、クリエーションが勝負の場所なのだからと平気な顔が出来るのです」

 

「若い時には、私も本当に自分のことが分かりませんでしたが、現代の人も<何が自分らしい>のか分からないままのように見えます。
 その自分らしさの森に分け入っていくには物差しが必要ですが、まずは何に憧れているかを確かめてほしい。
 引かれるもの、美しく好ましいと感じるもの、何度見ても飽きないもの、心が躍る映画や人。そこには自分が直結する何かが必ず潜んでいる。美術やファッション、建築などもそうですが、ずっと追い求めていくと自分の嗜好に気づきます。あなたの感性が共感する場所ですね。
 憧れを持って生きていると、アンテナが鋭敏になっていき、出会った人にハッとする瞬間があります。<ああ、業界で名の知れた方ね>ではなくて、<自分が会いたかった人だ>と直感するようになる。
 こういうとピンとくる、ハッとするという体験が、ぼんやりとしか分からない自分にスイッチを入れ、自分の知らない自分の目を覚まさせてくれます。
 どのような仕事でも<個>が大切だと思うのはコンプレックスをひっくるめて、人が持っているすべての力を出し切れる根源がそこにあるからです」

 
「身に着けるものを通してメッセージを届けている。私は自分のファッションの仕事をそう考えています。言葉では伝えられない日本人である私自身が持つオリジナルな美を・・・」

「でも、日本の優れた文化や深い感性は伝えにくい。・・・
 何か奥深く、面白いものを持っていそうな日本という印象は、国際的にも知られつつあります。また、海外へ出て行った若い人が日本に強い関心を持つことも多くなってきました。・・・」

「追いつけ追い越せと、長い年月を十分に外国から学んできましたが、今まであまりにも外へ伝えてこなかった、伝えることがむずかしかった日本の文化や感性を、これからは若い人が発信してほしい。・・・
 衣食住のすべてのポジションにおいて、日本は発信するポジションになりました。・・・<素の日本>を知ればやるべき仕事が見えてくるのではないかと思います」
 (以上、朝日求人、仕事力より)
 

エッセイ(100)朝ドラ・カーネーション

2011-11-23 06:21:45 | エッセイ
 朝ドラ<カーネーション>にはまっている。
 
 何と言ってもヒロイン糸子を演じる尾野真千子さんが魅力的。
  
 
 そして題材がいい。
 三人の娘を日本を代表する個性的なデザイナーに育てた小篠綾子さんの物語だ。
「いったいどんな育て方をなさったのですか?」
 10人が10人からこう質問されるそうだ。
「何もしてません。ただ娘たちは私の背中を見てただけです」
 自信を持って堂々と生きていれば子供は必ず見ていてくれる、と言うのだ。

 ご自身、岸和田の商店街の小さな洋裁店を立ち上げる所から始まった。
 
 後にこう語っていらっしゃる。
  
「敗戦の瓦礫の中から、戦勝国も目を見張る高度経済成長を遂げ、今日の繁栄を築いたバイタリティあふれる戦後の復興。これを支えたほんとうの力は日本中の母親たちの母性なのではないかと、私は思っています。・・・男はんをぎょうさん戦争にとられ、・・・焼け跡でほんとうに生きる根性を見せたんは、日本のお母さんやったと思うのです」

 頭でっかちの男どもの<理屈>は崩壊し、今や地に足の着いた<女の時代>がやってきたということや。

 それにしても小林薫氏の演じるお父ちゃんは昔の<男の時代>の魅力そのものや。
 
 
 
 

三鷹通信(46)スローライフ&ユダヤ人(2)

2011-11-22 03:59:29 | 三鷹通信
 まさに、Tさんは時間に追われずに、余裕をもって人生を楽しもうとしている。
 利益、効率重視から暮らしや生きがい尊重へと切り替えようという発想は、スローライフとして日本で始まった概念とされる。
 たまたま、この日F教授が取り上げたテーマ<ユダヤ人>の生き方と対比してみると甚だ興味深い。

 イザヤ・ペンダサンが「日本人とユダヤ人」で指摘しているように、日本人の「安全と水はタダ」という発想は、ユダヤ人にしてみれば、生き方に対する考え方が根底から異なる。 
 島国で豊かな自然に囲まれ、多民族から干渉されることもなく、安穏に暮らしてきた日本人と、多民族から蔑視され、迫害され、世界各地を流浪し、苦難の暮らしを余儀なくされたユダヤ人とでは生きてきた環境が違う。

 しかし、その過酷な環境にあったからこそとも言えるが、ユダヤ人は異教徒に金を貸し、利子を取り、金融の技術を獲得、<株式会社>というシステムを発明する。
 しかも<国家>という他民族と対立を生む政治システムも彼らが発明したと言われている。
 そしてそれらユダヤ人が発明したシステムが、今や世界をコントロールしている。
 カール・マルクス、アイザック・ニュートン、アインシュタインといった各分野で世界をリードする逸材を輩出し、原発を発明したのも、アメリカを始め世界の金融資本を牛耳っているのもユダヤ人だと言われている。

 ユダヤ人と日本人との関わりで思い起こされるのは、一つは<日露戦争>においてユダヤ人が日本を援助してくれたことである。
 戦費を賄うため、高橋是清は外債を発行したが、勝てそうもない日本の外債の引き受け手はどこにもいなかった。
 ところが、ユダヤ人、ヤコブ・H・シフが音頭を取り、世界中のユダヤ人の金融業者がロシアに日本を負けさせまいと援助の手を差し伸べた。
 当時ロシアのキシネフで起きたユダヤ人大虐殺が世界中のユダヤ人を激怒させたのだ。

 もう一つは、第二次戦争のさ中、当時リトアニアの日本領事だった杉原千畝のユダヤ人に対するビザ発給事件である。
 この件は日本人のユダヤ人に対する人道主義として世に受け入れられている。
 ところが、あるユダヤ人に言わせれば、これは、ナチドイツの末路を見通した杉原領事の国益に基づいた行為だったということになる。
 つまりユダヤ人にしてみれば、世の中は人道主義などで動くのではなく、すべて自分に利するかどうかという打算で行動するのだという考え方に基づいている。

 ぼくが、短絡的に思うに、ユダヤ人の発想は<力>を信奉する<父系的>であり、日本人のそれは<和>を貴ぶ<母系的>である。
 ある意味、現在の世界文明の在り様は、良い悪いは別にして、<力>のせめぎ合いの中から生まれたユダヤ人の<父系的>な発想に基づいた結実である。 そして、そのひずみが今、科学の面(原発)でも経済の面(金融資本)でも表面化して、苦慮しているというのが人類文明の現状なのではないだろうか。

 今こそ、地に足が着いた、言い換えれば自然と共生する<母系的>スローライフの日本的発想が見直される時が来たと見るべきだろう。

三鷹通信(45)スローライフ&ユダヤ(1)

2011-11-21 03:53:14 | 三鷹通信
 毎月母校のF名誉教授を囲んで雑談会を催している。
 F教授のお話を頂く前に、我々会員がひとりづつ持ち回りで10分スピーチを行うことになっている。
 今まで、ほとんどの連中は現役時代の社会的活動ぶりを披露したが、今日のT君のスピーチは極めてユニークでみんなの耳をそばだてた。

「ウチには、乗用車をはじめ、パソコン、電子レンジ、食器洗い器、電気炊飯器などの文明の利器はほとんどありません。テレビや携帯電話さえありません」と切りだした。
「えっ? 電気ガマもないの?」
「テレビも無くてどう暮らしてるの?」
 参加しているメンバーは20人ほどいたが、みんな信じられないという顔をした。
 
「ええ、テレビを見ていると時間がなくなっちゃうんで・・・」
「時間がなくなっちゃう?」
 彼は人生の残された貴重な時間を庭に訪れる小動物、特に小鳥たちのためにエサ台の仕掛けなどを作って、日々その観察に明け暮れているという。
 そして訪れる小動物の名前を羅列しだした。

 猫やハクビシン。 
「猫はともかく、東京の郊外とはいえハクビシンまで来る?」

 そして小鳥たちの数々。
  雀、シジュウカラ、鶯、アオジ、ツグミ、ヒヨドリ、尾長、ハシブトガラス、キジバト、メジロ、コゲラ、ジョウビタキ、キビタキ、カワラヒワ、シロハラ、ムクドリ。
 

 …知らない鳥もいる・・・
 まさに、スローライフだ。

 ─続く─

有名人(45)女の魅力(28)宮崎あおい

2011-11-20 04:06:41 | 女の魅力
<宮崎あおい>
 昨日篤姫以来3年ぶりでテレビドラマ<蝶々さん>に出演した。
 幻想的な画面の中で期待通り、武士の娘としての存在感を示していた。
 来週が楽しみだ。

 彼女は何と言ってもNHK大河ドラマ<篤姫>で大女優の地位を獲得し、今もその人気は抜群であるだけに3年間もテレビドラマに出演していなかったんだ、という思いがある。
 上の写真で見るように、普段の顔は大女優という顔ではない。
 それが、大女優と言われる所以は、今回のドラマ<蝶々さん>で共演したハリウッドの新鋭、イーサン・ランドリーの言葉からもうかがわれる。

「スターなのに、地に足が着いた人。フレンドリーでオープンな人にびっくりした。なので普通に接してしまう。ところが、彼女の作品を見て、改めてスターだと実感した。周囲の人への思いやりがありちっともスターとしての驕りがない。ハリウッドのセレブも見習うべきだ」

 そうなんです。彼女が<篤姫>の主役に選ばれたとき、正直ぼくも「えっ! 彼女が?」と驚いた。まだ若くて普通の顔をした女優がこの大役を演じれるのか? と疑問だった。
 テレビが放映された当初は一般の視聴者からもそういう反応が多かったようだ。
 ところが回が進むにつれて、つまり彼女が薩摩藩の武士の娘時代から遂には江戸幕府を牛耳る天璋院の役を務めるに至ると、その評価はうなぎのぼりとなり、今もって大河ドラマ出演の大女優として燦然と光り輝いている。
   

 彼女は英語を勉強していて、<蝶々さん>の現場では共演のイーサン・ランドリーと自然体の会話のキャッチボールが出来ていたようだ。
 彼女が「あなた、ずいぶん若いのね」と言うと、「あなたこそ15歳ぐらいに見えます」と彼が返す。
「何よ、本当はわたしのほうが1歳年上なんだから、わたしをお姉さんとしてつき合いなさい」
 といった調子。

「ハリウッドデビューに備えて英語をお勉強中なんですか?」
 
 NHKの<あさイチ>プレミアムトークに出演した彼女は有働由美子さんから問われた。
「いいえ、単に海外旅行に役立てればと思っただけです」と屈託がない。

 また、大親友から「彼女はすごく忘れっぽいんですよ。わたしのことをO型でしょうと言うのでA型ですって言ったのに、何度もO型でしょう?って言うんです」と言ってるのを聞いた有働さんが「とても忘れっぽいとかで、脳の検査をしてもらったという噂がありますが?」と問われ、
「事実です。わたしあまり忘れっぽいので一度検査してもらったら何でもないって言われました」
「セリフはだいじょうぶなんでしょうか?」と有働さんが突っ込む。
「ええ、それは大丈夫です。先生からも忘れるのは重要だと思っていないからでしょうって言われました」
  
 そんな魅力的な彼女に帰国したイーサン・ランドリーが自分の日記から抜粋した手紙を送ってくれたそうだ。彼女の宝物だそうだ。

「えっ? 怒ったことがないんですか?」有働さんが、考えられないっといった顔で質問。「腹が立って怒ることはありません。みんなそれぞれだからって割り切るんです」

 俳優人生においての転機は朝ドラ<純情きらり>に出演して、物語の全体を把握して気持ちの準備の仕方を考えるようになり、<篤姫>で、前を向いて歩む責任感が芽生えたという。
 でも、人をいじることは好きなので最後まで悪女というのを演じてみたいという。

 疲れた時はところ嫌わず寝てしまうという。
 おでこを枕にして。

 普段はざっくばらん、スクリーンの上ではビシッと決める。 
 50代の男性の視聴者から「オードリーヘップバーンに匹敵する<胸キュン>女優です」というコメントがあった。
 柳澤キャスターも「ぼくにとっても」と言っていたが同感。
 

エッセイ(99)文明の進化路線に逆らえるか(22)<ミニミニ講座>

2011-11-16 04:53:59 | エッセイ
 前回男性だけだったミニミニ講座に女性たちが戻ってきた。
 
「最近日本では薬害が多い。薬や病院に頼るより、体操や深呼吸で自身の自然治癒力を高めましょう!」
 

「自然農園の農作物の魅力があれば、TPPなんか怖くない!」
 

「会社でちょっとしたPR小物を開発した。最近社長から安易に使わないようになんて通達があったが、その言い方っておかしくない? 折角の開発品だ。こんな使い方もありますよ。どんどん使いましょう! と前向きであるべき!」
 

「最近の学生は就職を控えて、自分が何に従事すべきか悩んでいる。キャリアカウンセラーの資格を取ったので、中学生あたりから早めに自分の進路を描けるようアドバイスしたい!」
 

 やっぱり、女性パワーはすごい。
「男性よしっかりしなさい!」と一喝されてしまった。

 男性からも興味深い発言がありました。
「原発事故に関してマスコミは何でもかんでも洗いざらいオープンにしろ!というが、風評被害に配慮した<隠し>は必要。むしろ、分からないことは分からないと、問題点を明確にすることの方が重要」とすこやさん。
 ブログにも書いています。

 今回の大震災の被害は甚大だが、300万人の死者、1000万人の被災者を生んだという太平洋戦争にくらべれば小さい。
 今回も日本に与えられた試練と捉え、問題は何かを正確に把握し、把握しえていない強敵は何かが分かれば、世界の先頭に立って克服できるのでは。
 
 (たしかに日本は他の国にくらべれば自然災害など、大きな試練を多々受けてきている。しかし、それが日本人を打たれ強く強靭にし、人間として成長させていることは否めない)
 

現状維持でよい」
「私は責任を取りたくない。解決は次世代で」
「悪いのはアイツらだ、と批判すればよい」
 こういう連中が本当の正しい取り組みを拒否しているのでは!

 そして我々の話題は<人類の文明進化路線>という大きな話題にまで発展した。
 
 講座の主催者タテさんはブログでも<地球の進歩?>というテーマで語っている。
 
 ひとは進歩を目指してきた。科学技術は向上し、寿命が延びた。しかしながら、自然の力にはかなわない。それどころか時として<進歩>さえコントロールできない。
 進歩は社会のスピードを高め、生活は慌ただしくなり、ストレスを生む。そして、病む。
 果たして、進歩・・とは?
 

 なかなか盛り上がったひと時でした。次回が楽しみです。 

エッセイ(98)週刊新潮

2011-11-10 04:59:13 | エッセイ
 目が覚めたらまだ2時だ。枕元にあった週刊新潮を読む。
 「」「暴力団」の渦に呑まれた「橋下知事」出生の秘密!の新聞広告に釣られて買ったが、2週間ほど放置してあったものだ。週刊誌なんて広告の見出しを見ればだいたい中身は分かると、あんまり買う気はしないのだが、大阪府・市知事ダブル選挙で注目の的、橋下知事に関心があったので、小学校の地域支援活動、課外授業「何でも書いてみよう」へ出かける際、コンビニで買って行ったら、先生も買ってきて読んでいる。「あなたも広告に釣られて買いましたか?」とお互いに笑ってしまった。

 パラパラ読み出したら、今週号は盛りだくさんでなかなか面白い。
 先ず、橋下知事のオヤジはヤクザで、? おまけに殺人未遂で逮捕された従兄弟がいる。彼の育ちに何らかの影響を与えたかもしれないが、現在の業績に直接関係あるわけじゃないし、別にいいじゃんって感じ。

 しかし、グラビア巻頭、藤原正彦「管見妄語」を見て、うん?となった。まさに管見妄語だ。
 かの尊敬する<国家の品格」の著者の言葉とも思えない。
 第一次大戦後のパリ講和会議で日本が「人種差別撤廃」の文言を盛り込むことを提案したらアメリカにコケにされた例を挙げ、「TPPに参加することは日本を売ることだ」と極論している。
 
 アメリカが主導権を握るのは明白だ。農業、金融、保険、医療、労働などほとんどの分野で日米の利害が相反する中で、日本に有利なルールが一つでも通ると思っているのだろうか。「自由貿易に反対するのか」とアメリカに恫喝され縮み上がるだけだ。日本の意見が多数決で葬り去られれば、身勝手との不評をものともせず離脱する、という胆力が日本にあるとでもいうのだろうか、と。

 なるほど! これほどの先生のご意見を背景にTPP参加反対派が勢いづくはずだ。
 しかし、一昨日のブログでも述べたが、この不参加論は日本の<負け犬根性>に基づくものと言わざるを得ない。
 むしろ、参加して「今後の日本の歩むべき道」を考える機会にすべきだ。
 つまり、農業や金融、医療など今のままでいいのか、世界的にも日本独自の考え方を発信する機会ととらえるべきではなかろうか。
 
 藤原先生に「力の論理の支配する国際政治の下で、甘い!」と一括されそうだが、日本が今後国際社会との関わりなしに生きていくことはできないのは明々白々である。
 アメリカをはじめとする世界各国現状も問題山積である。
 むしろ日本としては、国内に対してはもちろん、世界に向けても逆に日本の良さを提案をする力強さが欲しい。
 パリ講和会議で日本が提案した<人種差別撤廃>は今や世界の常識となっている。
 TPPで日本発の提案が世界の主流になることだってありうる。
 原発事故、ユーロ圏の金融危機を初め、<文明の進化路線>の是非が問われる時代である。今こそ日本の出番であるという心意気と説得力を身につけてほしいものだ。

 グラビア後尾、世界の紛争地で<武装解除>に奔走する<なでしこ交渉人>は、「交渉は心の探りあい。社会人としてのスキルや、事前のリサーチをして相手への想像力を持てば、誰にでもできることです」と言っている。
 日本の外交も、<なでしこ交渉人>瀬戸ルミ子さんの強かさに学んでほしい。
 
 交渉の席に臨もうともしない姿勢は<敵前逃亡>そのものだ。

 他にも興味深い記事がたくさんあって、週刊誌もなかなかのものだということを改めて認識した次第。
 、

なるほど!と思う日々(220)日本人(49)

2011-11-08 03:34:21 | なるほどと思う日々
日中攻防 南シナ海
 
 一昨日の朝日新聞、政治面である。

 中国の南シナ海をめぐり、日中両政府がせめぎ合っている。日本は11月中旬の東アジアサミットに合わせ、海洋安全保障のルールづくりを東南アジア各国やインドに働きかけるが、これに中国が反発。日本の狙い通りに進むかは厳しい情勢だ。
 

 ほぉ・・・、日本にしてはめずらしく前向きな外交を展開しているようだ、と読み進める。 

 中国が反発を強めるのは、「南シナ海問題で中国に対抗しようという<南進戦略>に見える」(中国紙)からだ。共産党指導部の大幅な世代交代を来年に控える中国は今、安定した対外関係を求めている。野田政権の動きは、それに冷や水を浴びせていると映る。・・・
 中国政府の方針に詳しい同国のメディア関係者は言う。「中国が竹島問題に関与して、国際会議で韓国を支持したら、日本はいやじゃないですか。こうした問題は、当事者以外は黙っているべきだ。
 

 だから日本はどうあるべきだという朝日の見解は載っていない。
 言い放しだが、むしろ中国に気を遣っているようにも見える。

 ここで、思い出すのは何年か前、<日本も核武装をすべき>という議論が行われたことがある。
 その時来日した中国の外務省高官が時の首相に「日本は非核三原則を守りますよね」と申し入れしたという記事が載った。
 たまたま朝日のモニターをしていたぼくは、時の編集長に直接お話しする機会を得て、この件につき「これはずいぶん差し出がましいと思いませんか? 時の首相がどう反応したか報道されていませんが、貴紙の意思として、少なくとも非核三原則を守ろうとしている日本政府をサポートする見解を載せてもいいんじゃないでしょうか?」と言った記憶がある。
 
 上記の<南進戦略>に関する記事もそうだが、朝日の姿勢は、外交において日本は自主的、積極的な戦略を示すことより、問題を荒立てないように徹すべきだというように見える。
 そして、この朝日のようなマスコミの外交における<事なかれ主義>が国民全体に蔓延していることが問題だ。

 TPP問題でも、反対派の中には「これまでの日本の外交交渉の結果から判断すると、参加すること自体が負けにつながるから反対だ!」と言っている人がいる。
 
 
 これではまさに、戦後日本全体を覆う<負け犬根性>そのものではないか。
 これまでアメリカの庇護のもとのうのうとしていられたが、アメリカも他人事に関わっている余裕がなくなっている。

 善悪はともかく、<文明進化路線>を突き進む世界の現状の中で、日本もそろそろ自立した姿勢を示さないと、中国のみならず、後進国も追いつけ追い越せと台頭してくる中で日本が生き残るのは難しいと思うが・・・。
 
 
 ブログを書き終えてから新聞を取りに行った。
 手にして驚いた。
 朝日に対する先入観が強過ぎたかな?

 「どうするTPP,交渉参加で日本も前へ」
     これは今日の朝日朝刊の社説の見出しである。

 もちろん、難交渉になるのは、間違いない。しかし、参加しない限り、新たなルールに日本の主張を反映できない。TPPに主体的にかかわることが、日本を前へ進める道だ。 と締めくくっている。

 朝日新聞も目覚めたのか。よろこばしいことだ。