昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(31)童話教室(才能発見!)

2011-01-28 06:19:11 | 三鷹通信
「何人書いてきますかね?」
「書いて来いなんて言うと来なくなるんだよな。失敗だったな・・・」
 第2回目の<童話教室>が開かれる小学校へ向かいながらぼくとはやし先生は参加者がどーんと減るのではと心配していた。
「先生、今日は3名です」PTA会長(というより、スマイルクラブの会長)のKさんが会うなり申し訳なさそうな顔で言った。
「3名?」「それにしても激減だな。前回は30名も集まったのに・・・」予想していたとはいえ大ショックだ。

 先ず1名赤いランドセルを背負った女の子が現れた。
 あとの予定している2名がなかなか現れないのでKさんが探しに行った。
「忘れてふたりとも帰ってしまったんですって」

あ~あ、広い教室にたったひとり。
 囲碁の先生が前回の評判を聞きつけて見学に見えた。大人4人に生徒はひとり。
「ぼくたちの桃太郎、私たちのかぐや姫といったものでもいいんだよって、アイデアも出したんだけど、いきなり書いて来いは負担になったんだな」
「書いてないから参加できないって思っちゃったんですかね」

「時間が来ましたので、4時半まで先生お願いします。A・Tさん、先生をひとりじめですよ」KさんがたったひとりのAちゃんを励ます。
 さあ、はやし先生、この1時間をどう乗り切るのか。
「これ、ぼくが書いた童話なんだ、読んでみる?」先生は自分が書いた「はだかの王様」と「アラジンの魔法のランプ」の2冊をAちゃんに渡す。
 Aちゃんは集中して読み出した。



 その間、ぼくは先生にこの間テレビで見た大竹しのぶの課外授業の話をする。
「とりあえず何でもいいから頭に浮かんだことを書いてごらんと言って、子どもたちを校庭などに散らばして、ひとりにして書かすんです。<静かな所で草花を見るときれいに見える>なんて書いている。中には<好きな男の子がいるんだけどパパに言うとショックを受けるから言わない>なんて書いている女の子もいる。それを家に持ち帰ってお母さんに見せるとお母さんが<あなたを授かった時からこんな日が来るのをパパは覚悟しているから平気よ>って言うんですよね」
「すてきなお母さんですね」 
 こんな話をしているうちにAちゃんは本を読み終わった。

 さあ、先生の授業開始だ。
 先生はAちゃんと対面して問いかけた。
「どちらの方がよかった?」Aちゃんは<はだかの王様>の方と答えている。
 先生はその内容について説明している。そして、話題を変えた。
「あなたは何歳?」
「10歳です」
「一人っ子かな?」
「妹がいます」
「妹さんとは仲がいいの?」
 Aちゃんは首をふる。
「そうか、お父さんとおかあさん、それに妹の4人家族だ」
「お母さんは優しい?」彼女はうなずく。
「Aちゃんが期待していたことを、言わなくてもお母さんからしてもらったってことある?」うなずく。「どんなことかな?」
「誕生日にほしいと思っていたものをもらった」
「そうか、お母さんはあなたの心のうちが分かってたんだ。そんなお母さんのことを書いてみたら」「・・・」Aちゃんは目を宙に浮かしている。
「何でもいいんだよ。書きたいことがあったら書いてみようか?」
 先生は彼女に原稿用紙と鉛筆と消しゴムを渡す。
「鉛筆はこういうふうに持って、すらすらと書いたらいいよ。疲れないから。4Bみたいな濃い鉛筆がいいんだよね・・・」
 Aちゃんは原稿用紙をたぐりよせた。書く気になったようだ。
「ここに題目を書いて、ここに名前を書く・・・」

 彼女はちょっと考えてがすらすらと書き出した。集中して書いている。
 コツコツと鉛筆がリズミカルな音を立てる。
「すらすら書いてるね。安定したリズムだ。すごいね・・・」
「えっ? もう1枚書き終えたの? 見てもいいかな。
「すごいね・・・」読み終わった1枚目を先生がぼくに渡してくれた。
タイトルを見てぼくはびっくりした。お母さんのことではないんだ。


<トマトでできているてんとう虫>

 あつい夏の日、私はてんとう虫に会いました。でもなんだかへんです。
 考えてみました。あつくてせなかが少しぐちゃっとなっているのでしょうか? 
 今度はてんとう虫にせなかがどうしてぐちゃっとなっているのか。聞いてみました。「どうしてせなかがぐちゃっとなっているの?」
「ぼくはね、ふつうのてんとう虫とはちがうんだよ。ぼくは人と話せるし、せなかも実はトマトで、できているんだよ」
「えっ~トマトでできているのぉ」
 と私はおどろきました。トマトでできているてんとう虫なんてみたことが、ありません。

 
囲碁の先生も、スマイルクラブ会長Kさんも目を丸くしてびっくりだ。
 ぼくは早く続きを見たくなった。
 こうして彼女はわきめもふらず書き続け、もう4枚目に入ろうとしている。
 使いきれるか心配していた1時間が終わろうとしている。
「ここで中断させるのは惜しいですね」
 Kさんは携帯をもって教室の外へ出て行った。遅くまで生徒を学校に引き止めておくわけにはいかないのだ。
「お母さんにお迎えに来ていただくことでお許しをいただきました」
 
「終わりました」Aちゃんは5枚目を完成させて誇らしげな笑顔だ。
 全部読ませてもらった。結末も決まっている。
 穿った見方をすれば、人間の文明に警鐘を鳴らしているともとれる?
 ここで公表することは控えるが・・・。

「これって、これまでに考えていたことなの?」Kさんが聞いた。
「いいえ」彼女は首を振った。 
「頭に浮かぶなりに書いたんだ・・・」彼女は頷いた。
「おうちでも書いているの?」 いろいろいっぱい書いているそうだ。

「文句のつけようがないですね。Aちゃんは虫が好きなのかな? 虫でも花でもあるいは海でも好きなものがあったらそれを徹底的に勉強したらいい。本を読んだりして自分の得意分野にするんだ。先生にとっては宇宙だったけどね・・・」
 はやし先生は締めくくりの講義をした。

 お迎えに来たおかあさんも言っていた。「家でも書き出すと夢中で・・・」
「おたくのお子さんにはたいへんな才能があります。特に集中力がすばらしい。何をやっても成功されます」はやし先生が太鼓判を押した。
 


 たったひとりの参加者だったが、みんな満ち足りた気分になった。
「ありがとうございました」 
 みんながいっせいに言った。 

エッセイ(41)居酒屋<かなざわ>2

2011-01-27 05:56:20 | エッセイ
 S先生、昨日は「そんなこと言ってる場合ですか」なんて失礼なことを、<日本における産業組織の現状と課題>なんて本まで出している大学教授に対して口走ってしまいました。
 ここに深くお詫び申し上げます。
 それほど先生は屈託なく明るく、大学教授の肩書きなんかその辺に放り投げて我々と接してくれるいいやつなんです。(またまた失礼こいたか

 マスターの話によればこんな紳士もいた。
 IJPC(イラン・ジャパン石油化学合弁会社)の仕事で責任者として派遣されたNは、イラン・イラク戦争に巻き込まれ、頭上を砲弾が、銃弾が飛び交う中を必死に脱出した。(これはぼくもNから直接聞いたことがある)
 また、同じ商社の別なNは、やはり中東でスパイ容疑で地下牢に入っていたとか。
 飯は臭くて食えない。ネズミが食いに来る。そのネズミを狙って蛇がうようよ。寝ているとのどの上を通り過ぎていくのだと言う。

 そんな連中が、サロン<かなざわ>に、うまい食事を提供し、辛口のコメントを連発する気風のいいマスターの人柄(請求書に載ってない郷土の珍味をどれだけ振舞われたことか・・・)に惚れて集まってくる。
 そして忘れてならないのは美人の奥様の優しい心遣いである。

 マスターの書いた<ふるさと>の記から彼の人柄を探ってみよう。

わたし 自転車で三脚乗りができたのが小3年生の一学期 とにかく乗りはじめだから、いたるところに冒険旅行をしたかった 見知らぬ土地の悪餓鬼の恐怖「いじめ」もなんのそのであった 蛮勇をふるって実行したのです しかし恐かった でも夢は無難にかなったのです 敵対するを通る時は、樫の棒と丸い石をポケットにいっぱい詰め込んで走った 黒氏はずっと昔から曰く因縁の土地だ さすがに怖かった 死に物狂いで駆け抜けた 黒氏を一気に抜けて、一青、末坂、そして羽板につく 羽板は坪川と同じぐらい安全だ ほっとする 安堵する 羽板に着いた途端、安堵でどっと小便が漏れそうになる 緊張がほぐれて大量の小便が無限に、しかも遠くまで飛んだ 長い、長い間、おちんちんが75°に起っていた 目が虚ろになるなるくらい気持ちがよかった いわゆる、少年期の陶酔と言おうか「早すぎるか?」 恐怖の冷汗がスイスイと塩が引くように引いてゆく 引くにつれて、つくしんぼもだんだん萎縮してゆく ・・・

 そして最後の文章。

田舎をたべに行きたい
 野道をゆく
 必ずと言ってよいくらいに野道に沿って雪解けの小川がある<
 旬の旬がたむろしている
 :ゆきやなぎ 水しぶきを浴びてぶらぶら
 :川せり   流れの勢いに負けまいと踏ん張っている
 :ふきのとう おまえはずっと雪の下にいてほしい
 :つくしんぼ 土中から首を出してうろちょろと春を窺っている
          「つくしんぼ あたりを窺い また床に」
 :ゆきやなぎ 食卓の真ん中に一枝を活ける
 /strong>
 そして彼のお得意の料理で締めている。
川せり 五株 熱湯に茎から先に入れて、サーッとあげ
           冷水に泳がす
           フライパンにサラダオイル 小さじ一杯
           味噌 大匙一杯入れて軽い焼き味噌を・・・
           唐辛子 ひと振り「隠し味」
           ごま 大匙 一杯 からいり
           上記をすり鉢に移す
           酒を少々加えて擦りこむ
           3cm短冊のセリを入れ、混ぜ合わす
           盛り合わせる

  ふきのとう 五株 十字に切り込みを入れて高温の油に・・・
           芯まで通らないうちに笊で掬う
           油をきったら、すぐに軽く薄塩を振る
           そのまんま食べる

  つくしんぼ 五本 熱湯にいれた瞬間、笊で掬い上げる
           冷水に泳がす 
           マヨネーズで食べる「アスパラと同じ食べ方」
           「しこしこ茹での時間はアスパラの半分」

  茶碗酒      「一盃 一盃 復 一盃」 李白


 来週の土曜日は村の小・中学校の東京同窓会がございます 8人もきます
 その他の日は天井の木目を数えています

 マスターメールしてきました。 

エッセイ(40)居酒屋<かなざわ>

2011-01-26 06:04:19 | エッセイ
 長らく音信が途絶えていた高校の同窓生(というより居酒屋<かなざわ>のマスターだった男と言ったほうがいいか・・・)Mからメールが入った。

「ここ7年横臥せになっていた 小学生に碁を教えていると言う 放っておけまい 協力させてくれまいか」
 ぼくのブログでも見たのだろうか。即ネットで対局しようと言う。
「でき得れば今日中に あとは打ちながら とりあえず」と。

 居酒屋<かなざわ> なんと懐かしい響きよ。
 居酒屋というより、<サロン>というべきだろう。
 ぼくの手元に<わが心のかなざわ>という50ページばかりの小冊子が残されている。
  

 ぼくが通い出してわずか1年目、ワールドカップ・サッカー・フランス大会で、岡田ジャパンが3試合いずれも1点差で予選を敗退して日本中が落胆していたころだったろうか、突然この想い出の<かなざわ>は閉店した。
 これから活用したいと思っていた矢先だった。

 居酒屋と言ったって、想い出の記の表紙に見るように、天井からは洒落たランプ、壁には西洋名画がかかっているし、スペースだってこの店を愛用したS画伯が俯瞰するとこんな風になる。
 けっこう広いのだ。
 
 ぼくが<サロン>と呼ぶのは、高校(地方では名門だ)の同窓生を核に、一流企業の幹部や、大学教授、病院長、芸術家、多士済々の紳士、淑女達が集っていたからだ。

 そんな中で、2年ほど前にブログに載せたものだが、ぼくが出会った大学教授とのエピソードを再録してみる。

高校時代の同窓生が経営する郷土料理店、居酒屋<かなざわ>へよく出かける。 趙治勲名誉棋聖のお兄さんの碁会所で、師範代も務めるという、超つよ~いマスターに囲碁を打ってもらうのが目的だ。
 しかし、今日は団体客で忙しそう。
 常連のM大学教授Sさんが入ってくるなり「あ~あ」とため息をつきながら、カウンターのぼくの隣に座った。
 先生は経済学に関する本をいろいろ出されている。<ロシア、崩壊か再生か>なんてのも出版されている。
「表彰式なんて出なきゃよかった。・・・出てこない者もいたのに・・・」
 教授歴10年の永年表彰式の帰りだという。
「これ見てくださいよ。ケーキ屋のリボンみたいのがくっついた表彰状」
「・・・」
「おまけに荷物になりますが、と渡された額。こんなものどこに飾るんですか」
 ・・・わざわざ持ってきたんだ。
「金一封ですか。見て下さいよ。2万円ですよ」
 熨斗袋の中身まで見せてくれる。
「これもひとえにご家族の支えがあったからこそ、と言われたけど、こんんな額じゃ奥さんにどう言うんですか。・・・日数で割ると1日5円ですよ」
 額をしかめている。
「ご縁があったという意味ですか? ・・・なるほど}
 自分で言って納得している。
 センスあるじゃない・・・。
「あの大学紛争の機会に収拾の仕方を間違えて、旧態依然たるものがありますな・・・」
 教授は憮然としている。
 


 先生、そんなこと言ってる場合ですか?
 小谷敏が<若者たちの変貌>の中で言ってますぞ! 大学教授の重みを!

 今やアメリカ型資本主義の時代である。人々の消費が支えている経済である。
 人々の中に欲望を喚起し、豊かな生活のイメージを植えつけることが重要となり、<メディアの世紀>をもたらした。そこにおいて大学が重要な位置を占める。大量生産システムは巨大な管理機構を必要とする。従って企業は、研究開発のみならず、管理部門においても大量の人材を必要とし、それを排出する機関として大学は不可欠なものになる。
 それらの企業群が織り成す社会はいきおい複雑なものとなる。
 議会(政党)は、もはや変化する時代に対応することができず、政策の決定の主体は、官僚組織や各種審議会に移行していく。
 <行政国家>である。
 大学は、官僚たちの養成機関としてのみ重要なのではない。
 <教授>の権威は、官僚たちの作成した審議会の決定に、社会的な威光と正当性を付与していく。
 


 菅直人首相は年頭に、<脱官僚>から官僚の重要性を説いていたが、野党から政権を担う立場になってやっと気づいたのかな?  

エッセイ(39)サッカー・アジア杯、薄氷の勝利

2011-01-22 06:47:38 | エッセイ
 明日、月に1回開かれる恒例の大学同窓会麻雀大会の新年会が開かれる。
 発足して13年目、第157回、参加者はこれまでの最多タイ、14組56名を数えるまでに成長した。
 ぼくは幹事として賞品を用意する係りだ。昨日賞品に当てるJCBカードが届いた。
 これを封筒に仕分けする作業がけっこうたいへんなのだ。

 優勝、準優勝、第3位・・・等々の順位賞、水平賞、当日賞、役満賞、区間賞(4回戦戦うが、それぞれの会で1番勝った人と負けた人に与えられる)、参加100回記念とか150回記念賞、傘寿祝(80歳を超えた方、90歳を超えて白寿祝を受けた方が2人いらっしゃる)など特別賞も潤沢に用意している。

 毎月30袋ほど用意しているが、今月は昨年の一年の年間表彰がある。年間順位賞、特別賞のほかに皆勤賞、精勤賞、慰労金など60袋にも及ぶ。
 合計90袋の仕分けをしなければならない。
 袋に仕分けしながら、ぼくはサッカーのテレビ放映の時間を気にしていた。

 ザック・ジャパンはアジア杯予選を苦戦しながらも勝ちあがり、今日は決勝トーナメントの第1戦を開催国の地元カタールと戦う。
 

 W杯開催も予定されているので、たいへんな盛り上がりを示している相手だからアウエーの苦戦は否めない。おまけに国籍を代えてまで参加している強豪選手がかなり含まれているという。
 たいへんな試合になりそうだ、朝からテレビの放映時間を気にしていたほどだから、袋詰め作業はいらいらしながらやっていた。
 やっと完了したが、エッ! 1枚余っている。どれか入れ間違っているんだ!
 気づいたら放映時間が過ぎているではないか!
 あわててテレビをつける。

 サムライ・ブルーが小さく見えるほど相手の白がでかく見える。
 どんどん押し込まれている。やばい! サムライ・ブルーがまだシュートを1本も打っていないのに、相手は6本も打っているという。
 早々に相手の注目選手が球をうばうと、ゴールに向かった。バックの吉田の股間をすり抜けたボールが復帰したゴールキーパー川島の手を弾いてネットを揺らした。

「相手は球際に強いですね。もっとボールを落ち着かせて散らさないと・・・」解説がうるさい。
 先制点を奪われて、今日は負けるのではと思って我に返った。
 ともかく袋詰めの再点検を行わなければ。・・・
 1袋づつ開けて点検しながらゲームを見続けた。
 
 そのうち相手ゴール前に攻め込んだ今回活躍著しい岡崎が相手キーパーの頭をふわりと越す巧みなパスに走りこんだ香川が合わせて押し込んだ。
 期待されながら予選で得点できなかった香川のゴールだ! 
 希望が見えてきた。
 
 しかし、終盤、バックの吉田がレッドカードで退場、しかも相手にゴールを決められ、こんどこそダメだと観念した。ドーハの悲劇が頭を過ぎった。

 ところがザック・ジャパンは違った。相手に勝ち越されながらも、また香川の2点目で追いついた。
 10人の劣勢になりながらも、岡崎や香川が恐れず怒涛のように相手のゴールに襲いかかり、DFで投入された伊野波がこぼれ球を押し込んだ。
 やった、今時の若者を見直したぞ!

 気づけば12時を越えていた。まだ袋詰めは終わっていない。
 明日だ、明日だ。
 久しぶりの興奮でしばらく寝つけなかった。

有名人(42)女の魅力(24)大竹しのぶ

2011-01-20 05:37:11 | 女の魅力
 初めて大竹しのぶを意識したのは、新藤兼人監督の<生きたい>という招待映画で、舞台挨拶した時だ。

 今から10年ほど前だっただろうか。監督はすでに90歳近いご高齢だったからしかたないが、三国連太郎が無口でぼーと突っ立っている。有名人が3人も舞台に登場した、という雰囲気ではない。どうなることやらと心配して見ていた記憶がある。

 そのとき、思いがけずも大竹しのぶが白けそうな場を仕切って、しっかりと挨拶をした。
 それまで彼女はぼくにとって、<さんま>と結婚した三枚目風のぼやっとした俳優という印象しかなかった。
 高校生のとき、寝ぼけて制服の下にパジャマを着たまま登校したというエピソードの持ち主でもあったし・・・。
 ところが何と監督や三国をカバーして大人の挨拶をしたのだ。

 そんな大竹しのぶがNHKテレビの<課外授業・ようこそ先輩>に出た。
 この番組は関心を持ってよく見るのだが、特に今回大竹しのぶの持ち味が出たいい番組に仕上がっていた。

 とかく感情に蓋をしがちな現代っ子に、感情表現のスペシャリスト役者たる大竹しのぶは、彼女流の<自分に向き合う>方法を伝授した。
 その素地は小学校のとき、先生から与えられた宿題<見つめよう、自分の心を>という作文を書かされたことに始まると言う。

「おはようございます。元気ですか? 同じ挨拶でも、楽しい、嬉しい、悲しい、その時の気持ちで表現がかわります」と先ずは挨拶でウオーミングアップ。

「先ず、自分の素直な気持ちを見つめることから始めましょう」
「とりあえず、静かな所でひとりになって、自分の心と向き合って、思ったことをともかく何でもいいから書いてみましょう」

 みんな大竹先生の指示に従って、広い校庭に散らばる。
 校庭の植え込みのかげ、階段の上、埋め込まれたタイヤの上でそれぞれが思ったことを書いている。
「静かにまわりを見ると、草花がきれい」
「一人でいると淋しい、かなしい、つまらない」
「好きな男の子がいるんだけど、パパに言うとがっかりするから言えない」
「お友だちから誘われても塾で忙しいからお友だちと遊べないのがつらい」
 いろんな声が集まった。

「書いたものを家に持ち帰って親に自分の気持ちを伝えてごらん」
 その結果を大竹先生はひとりひとりと向き合って聞いていく。
「ほら、目を見て話してごらん」子どもたちはなかなか先生を直視できない。
 手をとって、こころを通わせて大竹は話しかける。

 好きな男の子がいると書いた女の子には「あなたのお母さんてステキじゃない。あなたを授かったときからパパはこのときが来るのを覚悟しているから、パパに話しても平気だよ、ってお母さんは言ったのね」
 ひとりで淋しいお父さんのいない男の子には「あなたがそんな思いをしてるなんて知らなかった。これからできるだけ一緒の時間を作るからねってお母さんが言ってくれたんだ。よかったね」
 塾で忙しい女の子には「そんなことを思ってたんだ、かわいそうにっておばあちゃんから言われ、そんなに勉強頑張らなくてもたまにはお友だちと遊びなさいってお母さんから言われてよかったね」
 
 大竹先生と対面した女の子も男の子も「言ってすっきりしました」とみんなすっきりした顔をしている。
 大竹しのぶは子どもたちの心を開かせる名手だ。

 最後に彼女はすてきな贈り物を子どもたちに用意していた。
 台本だ。子どもたち夫々の名前がタイトルになっている。

 作も、主役もだ。しかし、中身は空白。これから子どもたちが埋めていくのだ。

「・・・クン!ジャンジャンジャカジャカジャーン」歓喜の歌を口ずさみながら、ひとりづつ彼女が卒業証書のように渡していく。
 それを受け取るみんなの顔のなんと晴れ晴れしいことよ。

 最後のシーン、彼女は講堂の中を乙女のようにキャッキャッ言って、こどもたちとおっかけっこしている。彼女ってもう50歳過ぎてるんじゃなかったっけ?

 大人にも、子どもにも変身する、まさに魔性のというか、何と魅力的な女性だ。


昭和のマロの考察(122)文明(12)

2011-01-16 06:54:03 | 昭和のマロの考察
 我々は人間の叡智を信じ、次々と繰り出される科学の恩恵に浴し、その輝かしい文明に酔ってきた。
 しかし、ここへ来て何かちょっと変だぞ?このまま前へ前へと進むばかりでいいのだろうか? いわゆる<公害>
とか<耐性菌>とか目に見えない人間に対する抵抗勢力の存在を意識するようになってきた。

 立花隆氏は<文明の逆説>と題して痛烈な警告を発している。

文明は人間をとりまく環境を激変させつつある。ところが、その変化は、ヒトの適応能力を上まわっている。環境の変化とヒトの適応能力との格差、これが公害として現象している。
 文明のはじめは農耕技術の獲得だった。農業の最も原始的な形態は焼畑農業である。一度焼畑として利用した場所に草木が再び生い茂り、地力が回復するまでには、10年前後の時間を要する。
 焼畑農業が文明の性格を象徴している。文明は収奪するのをこととしてきたのだ。が、自然は有限なのである。人間はたびたびその有限性に突き当たってうろたえたが、それを文明の技術によって切り抜けることができた。もはや焼くべき原野がなくなったとき、固定した畑地に肥料をほどこすことを覚えた。自然物を利用した肥料だけで足りなくなったとき、化学肥料をつくりだした。


繊維が足りなくなれば、合成繊維を、皮革が足りなくなれば合成皮革を、木材や金属に代えてプラスチックを。我々の周囲をちょっとながめただけで、人類の生活がもはや自然物の利用だけでは、たちゆかなくなっていることがすぐにわかる。合成化学の進歩、これこそ自然の有限性を突き破る人間の知恵だと思われた。しかし、ここに大きな錯覚がある。

自然の有限性に気づき、たびたび自然の収奪に反省を加えた人間も、水と空気、こればかりはその有限性を思ってもみず、収奪を重ねつづけてきた。が、ここにきて、大気汚染、水汚染という形で、その有限性の壁に突き当たって、人類は愕然としている。しかも、この汚染の多くが自然がこれまで知らなかった化学物質によるものであることに大きな問題がある。

ヒトをはじめとする生物体は、そうした天然にない物質に対して適応力をもたない。これが、農薬による生物系の破壊、食品添加物渦、合成洗剤渦として現象している。環境破壊は局地的な問題ではない。すでにグローバル(全地球的)なっている。たとえば、気候の変動さえもたらしつつある。・・・

文明は人類の遺伝にも影響を与えている。突然変異の増大がそれだ。・・・原子力産業の放射性廃棄物などの人体への遺伝的影響についてはよく語られてきた。しかし、化学物質による突然変異の危険については、あまりに知られていない。
 薬品、殺虫剤、繊維処理剤、食品添加物などの中に無数の突然変異誘発作用のあるものがある。・・・


もう一度繰り返そう。我々人類の運命を決めるのは、我々自身だ。まだ、我々に選択の余地が残されている。しかし、間もなく、このままいけばもう引き返すことができぬ地点まで行きついてしまうだろう。

金沢便り(23)雪の兼六園と加賀鳶

2011-01-15 05:07:42 | 金沢便り
 このところ、東京は好天続きで乾燥肌の心配のあるぼくの部屋には、クマのプーさんや、三鷹高校が全国大会で活躍したときの、そして石川遼くんの、濡らしたタオルがぶら下がっている。
「金沢から東京へ移転して一番良かったことは、冬でも布団が干せること」
 雪除けや屋根の雪降ろしで雪に悩まされた母がよく言っていた。
 ぼくにとっては、手作りの竹スキーで坂を滑ったことや、雪降ろしで馬の背のようになった商店街の雪道を歩いたり、雪は懐かしい想い出である。

 そんな金沢の山ちゃんから<金沢フォト便り>が届いた。
 
 <兼六園 雪景色>

 
 雪が降った!雪が積もった!私たち雪吊りがあるから大丈夫なの 
 私 寒いから 炬燵にするは
 
 僕 外套着てるから 平気なんだよ 
 やっぱり お天道さん ありがたいことです
 ことじ灯篭 木の枝の雪融けです


 <加賀鳶>
三代将軍の頃から 江戸の町に消火隊が組織された
 加賀藩は大名屋敷の消火隊として<加賀鳶>と呼ばれた
 明治時代になって 江戸で磨かれた勇壮果敢な精神と梯子登りに見る妙技と伝統を金沢へ引き継いだ
 金澤城に菱櫓・五十間長屋・続櫓が復元されてから 従来の犀川河畔から金澤城内で行われるようになった 梯子登りの演技は27種類、中でも梯子の上で宙吊りの<鶯の谷渡り>の妙技に観光客・市民は拍手喝采


 
 金澤城菱櫓と纏
 
 出初式 梯子登り エイヤの掛け声
 
 鶯の谷渡りの妙技
 
 出初式 放水 勇壮な纏 

昭和のマロの考察(121)文明(11)

2011-01-14 05:22:20 | 昭和のマロの考察
 昨夜は隠遁の身としては久しぶりに若い人たち?に誘われて午前様となってしまった。

 タテさんのミニミニ講座の新年会に参加したのだ。
「三鷹の市民活動は全国的にも知られるところですよ。知らないんですか?」
「地域の方々を元気にしたいんです」
「地元大学のお仕事に関わっていて、特に男の子が心配なんです。やりたいことが見えていないようで」
「小学生とシニアを結びつける課外活動の点で三鷹は有名ですが、より大きい子たちを大人たちとコミュニケートできるように巻き込んでいきたいんです・・・」
「子どもたちにお仕事というものがどんなものか、実際に体験させる活動も始まってます」
 他にも有機栽培に情熱をかける農園経営者やそのお友達、そしてこんな大人の会に小学生のお子さんをお連れになった、地元のお子さんたちを楽しませる活動をされているお母さん。
 元気いっぱいの彼女たちは自分たちのことを3未亡人?と言ってかっかと笑っていた。

 町内会のお付き合いのほとんどないぼくは、特に女の方の熱気に圧倒されるばかりだった。
 理想論にうつつをぬかし、足元が地に着いていない自分自身を実感させられたひと時でした。

 ただ、ぼくの今やれることは、年寄りなりに、長年なるほど!と見聞きしたことをみなさんにお伝えしていくことかな、などと思っているのだが・・・。

 さて、文明を語る上で、立花隆氏の<文明の逆説>を取り上げないわけにはいかない。
 
公害論議があいかわらずさかんである。しかし、その論議はいささか現象面に偏しているのではなかろうか。・・・そのあおり方を見ていると、真の危機意識が欠けているのではないかと思われるふしがある。・・・公害問題を考えるにあたって、はじめになすべきことは、人間が何よりもまず、一個の生物としてのヒトでしかないことの再認識だろう。人間たちが作った文明が、ヒト属の生物を危機におとしいれている。これが公害問題の底に横たわる基本的な構図である。・・・

人間の適応能力は極度に低い。
 温度、気圧、酸素濃度、摂取植物──どの一つをとってみても、ヒトの生息が可能な範囲は狭すぎるほど狭い。それを文明が作り出した人口環境によって次々と拡大してきた。 いまや人類は生息圏を地球上にあまねく広げた。あまつさえ、宇宙圏にまでそれが拡大されようとしている。文明は人間に行くとして可ならざるところはなきがごとき幻想を与えた。
 さかしらぶった人間は、ほとんど自分がヒトであることを忘れかけていたようだ。
 ・・・現実には、はるか昔に終焉していたと思われていた自然との闘いが再び人類の主要な問題になってきたようだ。いま、人間は、征服したと思っていた自然から、見事な反撃をくらいつつある。・・・


 ─続く─ 

 

昭和のマロの考察(120)文明(10)

2011-01-13 06:36:35 | 昭和のマロの考察
 阿久悠氏の本を読んでいて、こんな箇所にぶつかった。

若者たちを思想なきデラシネにしている因は何か、価値なき魂の漂流をさせているのは何か・・・かつてあって今なくなってしまっているもの、そしてなくなっていることに不便を感じないような、ごくごく精神に関わるものは何か、
 ・・・ぼくらが少年の頃は、父や先生や名もなき職人たちからボソッと語られたそれらを命綱のように摑んで大人になろうとしたものである。大人になるとは、大人の持っている知恵の存在に気がつくことで、昨年何気ない戯言だと思っていたものが、今年は光り輝く人生の言葉として胸に響くのは、ぼく自身の成長と評価していいものであった。


日本の若者、特に高校生が世界の中でもきわめて特異な存在であるということが、何かの調査で判明、それについてちょっと語られていた。たしか、アメリカ、中国、韓国の同世代との意識の比較であったと思うが、それはまことに憂慮すべき、いや、驚愕すべき結果であったように記憶している。・・・
 たとえば、学校観、社会観、家族観、それぞれに対する質問でも、学校の価値を考えるとか、社会との関わりを思うとか。家族の意義を検証するとか、そういう姿勢が全くないように思えるのである。
 ただ、自分の気分を答えとして出している。「別に」とか、「どうってことはない」という日常語と同じで、<今>と<自分>以外のものが思考の軸にない若者をどう見つめてあげればいいのだろうか。


たとえば、こういう比喩だと危機感が伝わるであろうか。 
 土を休ませることなく痩せに痩せさせた畑に蒔かれた種子、当然のことに成長の栄養もなく、結実の精気もなく、ヒョロリとした茎と萎びた葉が風にそよいでいるさま。
 そして、やがて<今>を過ぎた<明日>に枯れることを承知している植物。
 それが若者たちの意識から見えてくる姿である。なぜこのように人を育てる畑は痩せたか。  (阿久悠<清らかな厭世・・・言葉を失くした日本人へ>より)


 たしかに日本の現状を憂うものである。
 しかし、はたして痩せた畑は日本だけの問題なのだろうか。
 日本の若者の問題はそれなりに考えるとして、もっと大きな観点に立つと、我々がどっぷりと浸っている<文明>に問題はないのだろうか。
 
 ハワイの博物館に<人類の墓>がたてられた。
「この種属は2万年前に生まれ、非常に繁栄したが、自らのつくりだした廃棄物と有害物と人口のために、2030年に滅びた」

 ある意味豊かな生活に慣れきった日本の若者は、無意識のうちに絶望的な未来を感じ取っているのかもしれない。

 いたずらに悲観的になる必要はないが、現実をしっかり見る目をもたなければならない。
 明日は、今日の<文明>に強烈な警告を発している立花隆氏の言葉に耳をかたむけたい。

 ─続く─

エッセイ(38)歌詞を作る

2011-01-12 09:46:03 | エッセイ
 コーチング・ミニミニ講座で、今年の目標を<歌詞を書くこと>と大上段に振りかぶって引っ込みがつかなくなってしまった。
 目標が大きすぎて実感がわかない。ただプレッシャーを感じるのみ、とブログに書いたら、コーチのタテさんから
逆に実感できるイメージを見つけることからスタートするといいかもしれませんね。またプレッシャーを感じるのは目標が大きすぎて、脳が拒絶反応している証拠だと思います。プレッシャーを感じない程度に目標を小さく細切れにしてみてはいかがでしょうか」とアドバイスをいただいた。

 <小さな目標>といっても・・・
 とりあえず、歌詞に関係ありそうな本を書棚に探した。生方のぶゑさんの<はじめて短歌をつくる>が目にとまった。
 そういえば10年ほど前、シニアSOHO普及サロン三鷹に在籍していたころ、短歌を勉強したことがあった。
 ・・・何を隠そう、講師小島ゆかり先生の魅力にひかれたという不純な動機だったのだが・・・
 そのころの記録を引っ張り出してみた。
 ぼくも1首提出して添削を受けている。

 パソコンにコネクトされてキミの目はWWWを遊泳中
    →パソコンにコネクトされてキミの目はWWWを泳ぐ
     (遊泳中より泳ぐが締まる。コネクトというPC言葉が新鮮)

 そして先生の解説。

短歌を作ることは楽しいことです。しかし本当の楽しみは努力することで得られます。作ることは大切ですが、ヤミクモに作るのではなく、経験者、プロなどの作品を見て、自転車や水泳を覚えるように、身体で短歌のリズムを覚え、言葉を吸収することが必要です。
 あらかじめ皆さんの資料を拝見させていただきましたが、なかなか意欲のある方が多いのに意を強くしました。なかにはパソコンという題で歌ったものがあって、面白いものがたくさんありましたが・・・

 ぼくのものにも関心をもっていただけたのかな?と励みになったことを覚えています。

 しかし、ぼくにとって、短歌は小島ゆかりさんの魅力を超えるものとはならなくて、先生の講座終了とともにぼくの短歌作りは終了してしまいました。
 その時買った生方たつゑさんの本も読むことなく、本棚の飾りとなってしまいました。

 いま、これらを読み返してみて、<歌詞を作ること>の第一歩は、経験者、プロなどの作品を見て、リズムを覚え、言葉を吸収することが必要だと実感しました。

 ミニミニ講座のとき、<歌詞を作ろう>と思ったきっかけはイルカの<なごり雪>の(現代風抒情的なしっとりとした)歌詞がが大好きだったのでと言いました。
 そしてピンクレディの<ペッパー警部>のような飛んでいる歌詞も好きなんですと付け加えました。
「阿久悠だよね。津軽海峡冬景色もそうでしょう?」
「阿久悠っていろんなのたくさん書いてるよね。すごいよね」みんなから声が上がりました。

「彼は天才だね。だけど、先人の歌詞を数多く勉強したらしいよ」と作家先生が付け加えました。
 ぼくは、阿久悠氏の本を図書館から借りてくることにしました。

 とりあえず、細切れの最初の目標が定まりました。