日本の政治は、大震災、原発事故という未曾有の非常時においても、本来やるべきこと<政策>を放置して政局に終始しているかのようにみえる。
すでに辞任することを宣言した政治の長について、「いや、辞めないでいつまでも居座るつもりかもしれないよ」とか「脱原発解散に打って出るかも」とか、政策のことよりそっちの方が、あたかも国民の最関心事であるかのように、マスコミも政治家と一緒になって、いつまでも云々している。
これは日本の政治特有のものか、あるいは<政治>という営みをめぐる争う人間の本性なのか?
今、渡邊恒雄氏の回顧録を読んでいるが、その辺が生々しく語られて興味深い。
渡辺恒雄、85歳にして読売新聞グループ本社代表取締役会長、最近では民主党と自民党の大連立を画策して今なおジャーナリスト界で存在感を示している。
彼の回顧録の中からエピソードをピックアップして<日本の政治>の底流に淀む本質を探ってみたい。
「大野伴睦との親密な関係」
(大野は政友会の院外団員から代議士となった。自民党、自由民主党の党人派幹部。
地元岐阜県に新幹線の羽島駅を作らせたことでも有名である)
「番記者になってすぐ、ある日他社の先輩記者たちといっしょにいたとき、大野伴睦が重大な話をしたんだ。非常に微妙な話だ。これはオフレコだと言われて、デスクにオフレコですがと言って電話をかけたんだが、翌日の読売新聞にその内容が全部出ちゃたんだ」
彼は当時駆け出しだったから事態の重大性に気づいていなかった。
「それで何もなかったかのようにその日大野邸に行ったんだ。そしたら大野伴睦が『今朝の新聞は何だ、お前が書いたんだろう』と言うわけだ。『いや、僕が書いたんじゃありません』『いや、昨日お前はいたじゃないか。読売にはおまえにしかしゃべってないんだ。出て行けぇ!』と追い出されちゃった。それでキャップに報告したんだ。そうしたら『ああいいよ。大野番からかえるから』と言う。これまたひどいなと思った。それで一晩考えたんだ。こんなことで番記者をクルクル替わっていてはだめだ。
それで翌朝一番で誰も来ないうちに彼は大野邸に出かけた。
「すると大野伴睦が出て、『なんだ、また貴様か』と言う。僕は『昨日は申し訳ありませんでした。私は書かなかったと申しましたが、あれは私が書きました。しかし二度とオフレコを破ることはいたしません。そのお詫びだけにまいりました。では、失礼します』とだけ言って帰ろうとしたんです。そしたら、『おいおい、きみちょっとお茶でも飲んでいけ』と言うんだね。
その後、さらに大野伴睦の秘書が渡邊が書いたんじゃないと経緯を語ってくれたので、伴睦は「おれは渡邊に負けた」と言ったという。
それからは毎日「渡邊、渡邊」だったそうだ。
<義>に感じる関係が築けたんだ。
「大野伴睦という人は、荒っぽい院外団あがりなんだけど、どんな人間でもお客として来ると、玄関に送りに出て靴の向きを変えるんだ」
渡邊もこの礼儀をまね、下足を直し、秘書の代わりみたいなこともやって実力者政治家の懐に入っていった。
すでに辞任することを宣言した政治の長について、「いや、辞めないでいつまでも居座るつもりかもしれないよ」とか「脱原発解散に打って出るかも」とか、政策のことよりそっちの方が、あたかも国民の最関心事であるかのように、マスコミも政治家と一緒になって、いつまでも云々している。
これは日本の政治特有のものか、あるいは<政治>という営みをめぐる争う人間の本性なのか?
今、渡邊恒雄氏の回顧録を読んでいるが、その辺が生々しく語られて興味深い。
渡辺恒雄、85歳にして読売新聞グループ本社代表取締役会長、最近では民主党と自民党の大連立を画策して今なおジャーナリスト界で存在感を示している。
彼の回顧録の中からエピソードをピックアップして<日本の政治>の底流に淀む本質を探ってみたい。
「大野伴睦との親密な関係」
(大野は政友会の院外団員から代議士となった。自民党、自由民主党の党人派幹部。
地元岐阜県に新幹線の羽島駅を作らせたことでも有名である)
「番記者になってすぐ、ある日他社の先輩記者たちといっしょにいたとき、大野伴睦が重大な話をしたんだ。非常に微妙な話だ。これはオフレコだと言われて、デスクにオフレコですがと言って電話をかけたんだが、翌日の読売新聞にその内容が全部出ちゃたんだ」
彼は当時駆け出しだったから事態の重大性に気づいていなかった。
「それで何もなかったかのようにその日大野邸に行ったんだ。そしたら大野伴睦が『今朝の新聞は何だ、お前が書いたんだろう』と言うわけだ。『いや、僕が書いたんじゃありません』『いや、昨日お前はいたじゃないか。読売にはおまえにしかしゃべってないんだ。出て行けぇ!』と追い出されちゃった。それでキャップに報告したんだ。そうしたら『ああいいよ。大野番からかえるから』と言う。これまたひどいなと思った。それで一晩考えたんだ。こんなことで番記者をクルクル替わっていてはだめだ。
それで翌朝一番で誰も来ないうちに彼は大野邸に出かけた。
「すると大野伴睦が出て、『なんだ、また貴様か』と言う。僕は『昨日は申し訳ありませんでした。私は書かなかったと申しましたが、あれは私が書きました。しかし二度とオフレコを破ることはいたしません。そのお詫びだけにまいりました。では、失礼します』とだけ言って帰ろうとしたんです。そしたら、『おいおい、きみちょっとお茶でも飲んでいけ』と言うんだね。
その後、さらに大野伴睦の秘書が渡邊が書いたんじゃないと経緯を語ってくれたので、伴睦は「おれは渡邊に負けた」と言ったという。
それからは毎日「渡邊、渡邊」だったそうだ。
<義>に感じる関係が築けたんだ。
「大野伴睦という人は、荒っぽい院外団あがりなんだけど、どんな人間でもお客として来ると、玄関に送りに出て靴の向きを変えるんだ」
渡邊もこの礼儀をまね、下足を直し、秘書の代わりみたいなこともやって実力者政治家の懐に入っていった。