昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(142)文明の進化路線に逆らえるか(40)石原新党の登場

2012-10-28 06:12:52 | エッセイ
 <落語談義(4)>

 熊さん:石原都知事が辞任して新党を作るらしいですね?
 ご隠居:石原さんも80歳だそうだね。わたしと同じじゃないか。まだまだ元気だね。       最後のご奉公なんて言ってるが、執念だね。
 熊さん:マスコミは第三勢力結集成るかってんで連日大騒ぎですね。
 ご隠居:中国や韓国もトップニュースで伝えているね。
     
 アメリカでもニュースになっているし、日本の政治家で世界の注目を浴びるのは珍しいね。
 熊さん:なんで、外国まで話題になるんですかね?
 ご隠居:「国のかたち」を変えるって登場して話題になった橋下さんに呼応するように石原さんが登場してきて、日本が今までと変わるんじゃないかと心配しているんだ。
 熊さん:なんで心配なんですか?
 ご隠居:右傾化するんじゃないかって・・・。つまり竹島とか尖閣などの領土問題に刺激されて、今までの国の体質が変わることを心配しているんだ。
 熊さん:アメリカもですかい?
 ご隠居:日本がアメリカの子分でいる間は安心なんだけど、石原さんみたいに自立しなきゃって考えが出てくると、ちょっと心配なわけだ。
 熊さん:なんで日本が自立するのが心配なんですか?
 ご隠居:日本は世界の大国の中では特異な存在なんだよ。戦争しませんなんて書かれた憲法を持っていて、核兵器も持っていないし。石原さんはそんな憲法を変えるって言うんだ。
 つまりそんな甘いことを言っているから、他からバカにされて、竹島は韓国に獲られちゃうし、ロシアは北方領土を返してくれない。さらに中国に尖閣を狙われるような始末だとね。
 熊さん:でも、日本は平和国家として各国から尊敬されているんでしょう? 日本も人並みに憲法を改正して、核兵器も持とうってんですかい?
 ご隠居:そこまで言っているわけじゃないけれど、<力の論理>で動く国際社会の中で、日本をいわゆる<普通の国>にしたいと石原さんは思っているんだ。
 そこで、アメリカも中国も自分たちと同じ姿の日本を想像して、筑波山麓のガマみたいに己が姿を鏡に映してたらーりたらーりと脂汗を流しているってわけだ。
     
 熊さん:なるほど! 日本もたいへんな所に差しかかっているわけだ。
 ご隠居:今まで日本は平和憲法の下、平和国家として世界にアピールしてきた。おかげで経済に注力して大国になった。経済力が好調だったときは他の国からも尊敬されてそれなりの自己満足ができたけれど、ここへきて経済力に陰りが見えてきた。
 領土問題が発生したが政治は何も決められないし、将来的に明るい展望が見えなくて、国民の間に閉塞感が充満してきた。
 熊さん;そこへ活きのいい橋下さんが登場・・・。
 ご隠居;そうなんだ、ところが最初のうち囃し立てていたマスコミも、権力者は嫌いだから橋下さんの足を引っぱりだした。
 そこで、満を持していた石原さんが「オレが強力なサポーターを務める」と登場したというわけだ。
 熊さん:う~ん。これからの日本はどうなるんですかね・・・

エッセイ(141)ブログ開設して4年半、新たな気持ちで

2012-10-26 05:35:26 | エッセイ
 いつも、このブログを訪れていただいてありがとうございます。
 開設して4年半、ほぼ毎日アップしていますが、日々訪問者が増えているのが支えとなっています。
 昭和に生きてきた経験談や最近の世相に対する感想などを綴っているわけですが、ベースになっているのは三本の小説です。

<昭和のマロの憂鬱>
 昭和の高度経済成長期に、家庭教師をしていた縁で小さな商社に入社した主人公は、異質なタイプからマロと揶揄され社内の人間関係に馴染めない。
 また、仕事の面でもお客におもねる、いけいけどんどんのやり方に疑問を感じる。
 たまたま経済が停滞期に入り、過剰な在庫が問題になってその解決を託される。
 唯一彼を評価してくれていた社長の後押しもあってこれを成功させる。
 その恩典として、彼は社長に随行して世界の先進国を観る機会を与えられ、これからの会社経営のヒントも得て帰国したが・・・。

<仮面のツアー>
 主人公は小さな商社の真面目な新進気鋭の役員として評価されている。
 しかし、実力者の専務にけしかけられて部下の女性と付き合ったのが事の始まりだった。
 妻から疑われるようになり、心配した彼らの仲人である社長が、十日間のイタリア旅行をプレゼントして修復を計らせる。
 ところがそのツアーの添乗員は、主人公が人間ドッグで見初めた魅力ある女性だった。   
 さて、イタリア旅行の中で何が起きるのだろうか・・・

<ハザマ・トレーディング>
 主人公は知り合いが社長の貿易商社に入社した。
 戦後我が国はまだソ連や中国などの共産圏と国交のないころ、大商社はそれらと取引が出来なかった。
 その隙間を狙って存在したのが共産圏専門商社だった。
 100人余りの小さな会社にしては、大商社のような多岐にわたる品目を扱っていた。
 木材や魚の輸入、鉄鋼や機械、電気製品、タンカーの輸出までも手がけていた。
 主人公はここで貴重な経験をすることになる。

 さらに何かに急かされるような思いで、先にも書いた小説を書き直して、4本目の小説として掲載するつもりです。
<レロレロ姫の警告>
 難病で生まれた少女が、自然界から派遣されたスーパー少女として変身し、最近、人類という生き物が自然界の摂理から逸脱して、身勝手な行動を取るようになったことを指摘、自らの自滅を速めていることを警告する物語です。
 人間界代表のスーパー少年と対決させる場面も構想中です。

 この作品は制作過程でいろいろな方、プロ作家とか、プロの編集者にも読んでいただき貴重なご意見を頂きました。
 さらに書き直しながら明日からまた掲載させていただきます。
 このブログを訪れるみなさまのお眼を汚すことになるわけですが、よろしくお願いいたします。

エッセイ(140)<なかま>としゃべる

2012-10-23 04:04:50 | エッセイ
 ひまわり会はゴルフ会だが、楽しいのはゴルフプレイだけではない。
 19番ホール、つまりアフターのしゃべりが楽しいのだ。
 今回は泊まりだったから、バスの中とか、前夜とか、機会が豊富にあった。
 
 電子レンジで加熱できるのはマイクロ波が水に反応するんだという専門知識のご披露から、水の不思議、軽水と重水があることから原発につながり、核廃棄物の恐怖へと展開。
 さらに外国に進出した工場の責任者として派遣された時の苦労話などの体験談から、お定まりの政治、経済問題、そして飲むほどに酒にからむ失敗談、連れ合いがからむ暴露話にまで及ぶ。

 インターネットに話は及んで、Hなサイトにアクセスできるが、ツイッター、とかフェースブックとか、怖い面もあるという話になる。
 
 ぼくのブログも話題になったが、毎日アップしているという点で、糸井重里氏のブログがいいよ、と推薦した。

 思い出して久しぶりに彼の<ほぼ日刊イトイ新聞>を開いてみた。  
 やはり、彼はいいことを言っている。

 社会というのは「ひとり(じぶん)」と、「なかま」と「おおぜい」でできています。
 人は「おおぜい」の前では、見せたい「じぶん」を見せるようにしています。
 でも、「なかま」といる間は、見せたい「じぶん」であり続けることはできません。 
 だから、そこではある意味バカがばれているのです。
 しかし、ネット社会のなかというのは、「ひとり」と「おおぜい」の直接のつながりです。
 そこでは、ゆだんや、ふだんを見せずにいられます。
 ・・・凶悪そうなネット犯罪の犯人が、捕まえてみたら意外なほどちっぽけな人間だったりすることがありますが、それも、「ひとり」と「おおぜい」の間では王様のようにふるまい続けられていたんですよね。
 バカがばれていることが、とても大事なのです。
 誰も王様なんかじゃないことが大切です。
「なかま」をショートカットできるネット社会では、じぶん自身が、じぶんのバカを知ることが、もーのすごく重要なことだと思うんですよね


 退職して粗大ごみ化しそうだった自分が、家内から外へ放り出され、同窓会組織で幹事役をやったり、小学校で囲碁教室や書き方教室に参加したり、地域社会の集まりに顔を出すようになって、そうした<なかま>のなかで、ひとりよがりだった<じぶん>のバカさを露わにすることで、最近<じぶん>が浄化され、活性化してきたような気がしている。

エッセイ(139)最後のひまわり会

2012-10-20 07:24:48 | エッセイ
 金沢の中学校を卒業して東京近辺に住む男性6名、女性7名が口伝えに集められ同窓会が発足したのが今から27年前。
 6月に開催されたことから<あじさい会>と名づけられ、毎年一回開催された。
 記録を見ると、箱根湯本の老舗旅館<吉池>で行われていることが多い。
 4年前には伊香保に、金沢からも参加者を募り、30名で<古希祝賀会>を開催している。

 その後、<あじさい会>の中からゴルフ好きが集まり、2~3組で行い、最初雨が多かったので名前を<ひまわり会>に替え、10年前からは年2回開催している。
 今年2月16日のエッセイ(112)に書いているが、主要メンバーのHくんが脳梗塞で倒れたこともあり、<ひまわり会>は今年を最後とすることになり、ここ何年か参加していなかったぼくにも、最後だからと声がかかり、4月の千葉の会に参加した。
 ところがそこで優勝したE女史や、ゴルフ会発起人のMくん、Eくんなどから、今度こそ最後だからと今回の新潟の会にまた誘われ、「最後が何回もあるのかい?」という思いで参加した。

 最近触っていないゴルフバッグを、自家用車も手放してしまったので、宅急便で送るべく、1キロ強の道のりを担いで行った。店に着いた途端、送り先のメモを忘れてきたことに気づく。ゴルフ場のリストがあるか聞いたが無いというので自宅へ電話する。家内から「アホ!」と言われてしまった。
 当日は7時のバスに乗るべく、二日分の替え衣裳を詰め込んだ重いバッグを抱え、家を出たが、ちょうどバスが到着したところだ。幸い並んでいる人が多く、間に合って乗ることが出来た。
 ラッシュ時で、途中の停留所を通過するほどの混みようだ。
 中央線がまたトラブルで時間調整とかで乗客が積めるだけ詰め込まれ身動きできない。
 やっと新宿に着いて、目指す都庁脇のバス乗り場に向かう。
 雨がパラパラと降ってきた。思ったより遠い! 幸い動く歩道があったからよかったが、歩いていないのはぼくだけで、通勤客はみんな動く歩道の上をどんどん歩いている。
 歩道が切れて、歩き出したのだがうっかり通り過ぎる所だった。
 
 入口にMくんとEくんがしゃべっているのに気づいた。
 Eくんのすばらしいプラチナシルバーの頭髪と大声に気づいたからよかったが・・・。
 早めに家を出たつもりだったが、ぼくが最後だった。
 こんな出だしだったが、新潟の十日町市に着くまでのバスの中、着いてからのホテルでの宴会、翌日のゴルフ、そして帰りのバスの中と素晴らしいひと時が待ち受けていた。
 
 これまでの記録を明細に綴って持ってきてくれたMくん。
 いつもユニークな参加者の顔入りのニアピンの旗を作って来てくれるNくん。
 
 率先して話題を提供し盛り上げてくれるTくん、そしてEくん、Yくん、そしてゴルフをやらないのにわざわざ金沢から来てくれたTくん。そして度々話題に上ってくるが参加できないHくん。
 そして今回幹事長として、トータルのまとめ役、気配りのE女史。
 何といってもそれらの個性あるマンパワーが素晴らしい。

 東京から出向いた7人はゆったりとしたバスの最後部に位置した。
 早速、酒なしの日々なんて考えられないというMくんからシーガスリーバルのウイスキーとおつまみが配られる。(宴会ではE女史やEくんのフランスワイン、帰りのバスではTくんの八海山だった)
 飲むほどにしゃべりがスムースになってきたわがグループのスターTくん。
 彼はハワイアンバンドを率い、スチールギターとボーカルを担当していて、大学の同窓会や地域での演奏活動で有名なのだ。
 ざっくばらんな語り口と甘い歌声は特にご婦人方を引きつける。
 そんな彼も寄る年波で、小便が近くなるは、痛風はでるし、好きな酒も週に1回は休肝日を設けているという。しかし、休肝日明けの酒のうまいこと! 吸い取り紙みたいになったからだにスイスイと入って行く気分が何とも言えない!だと。
 それを聞いていたMくん。「休肝日? ぼくは一日たりとも酒は欠かせないね。一杯やりながらテレビで阪神戦を観る。こたえられないね・・・」
 熱狂的阪神ファンの彼は言った。

 一方、Tくんは最近落語に嵌りだしたそうだ。「あんた、落語好きか? こんど神楽坂で有名な落語家を呼ぶからぜひきてくれ!」と言われた。
 これを聞いたEくん。
「実は最近英語落語を始めたんだ・・・」あの枝雀師匠で有名な英語で落語をやるんだって。
 彼は某大手電機メーカーの工場長まで勤め、イギリスに進出した同社工場の社長もやっている。退社後はジャイカからの派遣で、ベトナムに企業経営コンサルタントで一年間滞在した経験を持っている。
 今回も、三日前にベトナムから帰って来たばかりだ。
 素晴らしい銀髪で、背は高くないが真面目な紳士タイプだ。
 英語はわかるが、落語と結びつかない。
 ただ、声が大きいので舞台映えするという点で通じる点があるかもしれない。

 早速Tくんが食いついた。「キミが落語やるの? いいね。ぜひ聞いてみたいもんだ。じゃあ、夜ホテルの宴会でね・・・」
 バスに同乗していたおばさん三人組に早速売り込んでいる。
「今夜、英語落語のお披露目があるから来ませんか?」
 落語をやるEくんはやめてくれ!と言っているのに、ホテルへ着いてからもロビーで彼女らを勧誘している。
 彼はスタイルはいいし、今や、芸人としてのオーラが出ている。相手もまんざらでもないという顔で対応している。

 ・・・若い時はさぞ、ああやって若い女をナンパしたんだろうな・・・ ぼくは思った。
 結局彼女らは参加しなかったが、宴会の後、部屋に集まった我々の前で、彼はイギリスジョークをベースにした3分英語落語を演じてくれた。
 うん、なかなかのものだ!
 来年は和服を着て、舞台で本格的に披露するという。
 出し物は<ホワイトライオン>・・・彼にぴったりじゃないか。

 さて翌日のゴルフ。
 ティーグラウンドに現れた真っ白なパンツ姿のシングルプレーやTくん。
 パンツの腰のあたりが、黄色くなっている。
「どうしたんだ? ウンコたれか?」
「そうなんだよ。まいっちゃった・・・。実は朝食のバイキングからゆで卵を失敬してポケットに入れてたんだが、トイレに腰かけたら割れて、この始末さ」
 いやいや、またまた彼は話題を提供してくれた。

 ギャラリーを前にぼくの一打はまっすぐフェアウエーど真ん中に飛んだ。
「ナイスショット!」とはやされ気を良くしたが、ここのグリーンはめちゃくちゃ難しい。芽がきつく、どこへ打ったらいいか、どのくらいの手加減でが皆目分からない。
 前回優勝のE女史が5パットを二回も打つほどだ。
 ぼくなんか、ナイス、ダボという具合で、ワンラウンド120を超えてしまった。
 ハーフ40台で回ったのはシングルのTくんのみ。
 Eくんなどはこれが最後だと思い残すことなく叩いた、と140を超えてしまった。

 ワンラウンド、スルーで回って12時に無事終了、近くの蕎麦屋に移動してビールを飲み、へぎそばを食べながら表彰式。
 Tくんが優勝。ぼくは10打改善の大波賞だった。

 今回の名幹事長E女史の細やかな配慮が際立ち、すべて予算内で上がる。(持ち込みの芝寿しやワイン、ウイスキー、日本酒を別にすれば・・・)
 今回をもって<ひまわり会>は名実ともに30回をもって最終回とすることに決定。
 しかし、人生で一番大切なことは人との交流であることを実感し、今後もフリーなスタイルでつながりは維持することも約束して、新宿駅で解散した。
 ・・・新宿駅前で、年寄りが輪を組んで、「オーッ」と奇声を発しているのを周囲の人が異常なものを観る目で見ていたが・・・


  

 

三鷹通信(62)読書ミーティング(4)

2012-10-14 09:57:52 | 三鷹通信
<この本に出会えてよかった>
 
 今回も三鷹協働センターのオーバルテーブル室はスタッフを含め15人で満席だった。
「もっと大きい部屋でたくさん人を集めてもいいんですが・・・」
 講師から言われたが、これぐらいが内容的に密に醸成する限界なのでは。
 これまで紹介本は4冊ぐらいだったが、今回7冊、そして当日紹介が2冊と多く、ベストセラーが多く、各自からの紹介と講師の解説、参加者との意見交換で3時間目いっぱいの充実した時間だった。

 紹介本1冊目は、池田晶子の<14歳からの哲学>
 「言葉」「自分とは何か」「死」「心」「体」など30のテーマを取り上げて、一人の哲学者の名前も出さず、哲学用語の一つも使わずに、14歳以上の人ならわかるように描かれている。
 ・・・むずかしい内容を子どもにも分かるように書く・・・
 なかなかできないことです。
 
 2冊目は有川浩(ありかわ ひろ、女性小説家)の
<クジラの彼>
 タイトルと装丁からは内容が見えない。
 クジラというのは潜水艦で、内容は自衛隊関係者の恋愛模様を描いた短編集だ。
 

 3冊目はぼくの紹介したカトリーヌ・アルレーの
<わらの女>
 ヒロインの打算と虚栄と自意識をサディスティックに描き、しかも勧善懲悪という推理小説の不文律を破って完全犯罪を成功させるという、ある意味反社会的な構想で、世界的な反響を呼んだ作品。
 ひとりの女性が自分の人生の栄達のために、大富豪を嵌めているつもりが、自分も罠にかかり、すべてを奪われてしまうという、最後まで息を抜けない展開に興奮する。

 4冊目は谷崎潤一郎の<陰翳礼讃>
 講師の言葉を借りれば、日本人は光より影が好き、主張するより奥ゆかしいのが好き、装飾よりシンプル、間接照明が好き。・・・日本的なものが復権しつつある今、心に沁みるジャパネスク論。
 

 5冊目は水村美苗の<日本語が亡びるとき>
 作者は少女時代、父親の都合でニューヨークに移り住んだがアメリカになじめず、「日本現代文学集」を読んで過ごしたという。
 古来、人類はヨーロッパではラテン語を、東アジア文化圏では漢字を学んで偉大な文明に学んできた。
 今では英語が世界を席巻し、特にインターネットの普及によりその傾向は顕著になっている。英語を知らなければ、まさに話にならない時代である。
 そこで作者は日本語の先行きに懸念を持った。
「アメリカで日本近代文学を教えていたエドウイン・マックレラン先生が、漱石のこの部分がいいという話になると、ほとんど涙ぐまれて繰り返し繰り返しお読みになった」と、作者は体験談として語っている。

 そして、この本の巻末で作者は述べている。
「この先<叡知を求める人>が英語に吸収されてしまうのはどうにも止めることはできない。・・・だが、日本語を読むたびに、そのような人の魂が引き裂かれ、日本語に戻ってきたいという思いにかられる日本語であり続けること、かれがついにこらえきれずに現に日本語に戻っていく日本語でありつづけること、さらには日本語を<母語>としない人でも読み書きしたくなる日本語であり続けること・・・」

 紹介者から下記のような資料を添付下さった。
 *森有礼文部大臣が、英語を日本の国語にしようとして暗殺されたエピソード。
 *2011年度世界各国人口数と、母国者数ランキングなど。 
 *イプソス調査による<どこでもグローバルビジネス共通語は英語>
 *共通英語としての<世界英語>その広域的使用と英米人のエピソード。
 *グロービッシュ(英語の一種)について。

 6冊目は山崎豊子の<沈まぬ太陽>

 <アフリカ篇>。<御巣鷹編>、<会長室篇>などから成る。
 清廉潔白、正義感のためにすべてを犠牲にする主人公の生き方が、読む者の魂を振るわせる。
 労働委員長として「空の安全と従業員の待遇改善」のため経営陣と対立、信条を撤回せよと言われ反駁。その後アフリカへ左遷される。信念の男の過酷な運命を綴る。
 
 紹介者はアフリカを最近訪れて、近代化した姿に目を奪われたという。服装はヨーロッパナイズされすっきり。ほとんどがケイタイを操っている。
 中国人があふれている。通信設備の充実は中国の投資によるものだ。韓国人の進出も見られるが、最近日本からは少ないようだ。

 7作目はダニエル・キイスの<アルジャーノンに花束を>
 知的障害の青年主人公は、新開発された脳手術を受け、IQ184の天才に変身。
 自尊心が高まり、正義感を振り回し、知らず知らずに相手を見下すようになり、これまで未経験だった孤独感を抱くようになり、逆に苦悩の日々を送るようになる。
 そして自分より先に脳手術を受けたハツカネズミのアルジャーノンに異変が起こる。
 主人公も同じような経過をたどり、ついには昔の状態に戻ってしまう。

 紹介者は「知恵と知識を得て賢くなったが、精神とバランスを失いがちな現代人の我々に主人公の姿が重なる。さらに年老いて呆けていきがちな人生の終末と重ね合わせが相まって、小説そのものの感動を超えて心が揺さぶられる」と言っている。
 
 最後に、今日持ち込まれた本が紹介された。
 ひとつは矢沢永吉の<成りあがり>
 

 わずかな金をポケットに、広島から夜汽車に乗って上京。
 胸には熱く燃える大きな意志があった。「オレは音楽をやる。スターになる!」
 

 そして柳澤桂子の<生きて死ぬ智恵>
 
 生命科学者による、現代般若心経絵本。
 明晰な日本語と美しい映像で般若心経に込められた「いのちの意味」が感得できる。

 

  
 



 

 

なるほど!と思う日々(230)中国よオマエはジャイアンか

2012-10-13 04:07:50 | なるほどと思う日々
 中国の小説家莫言氏がノーベル文学賞を受賞して中国は湧いているという。
 

 今までノーベル賞に関しては、今インドに亡命しているチベットのダライ・ラマ14世や中国で服役中の民主活動家の劉暁波氏の平和賞、中国当局批判で出国フランス国籍を取得した高行健氏の文学賞など、政治がらみだ!とノーベル賞には批判的だった中国も、今回は日本の有力候補村上春樹氏を押しのけて受賞したのが、「日本に勝った!」ということでよほどうれしかったようだ。

 胡錦濤主席の意向に反して野田首相が尖閣を国有化したのにキレて、国民をそそのかして暴動を引き起したり、尖閣周辺に監視船をしつこく派遣している。
 
 また、日本で開催されたIMF・中央銀行総会を謝旭人財政相と周小川中国人民銀行総裁がボイコットしたり、最近では台湾フィルハーモニーが中国公演のため、日本人メンバー3人の入国ビザを申請したところ、就労や公演を目的としたビザは日本人には無期限で発給しないと、いつまでも「日本人憎し!」のとばっちりを撥ねまくっている。

 「中国よ、オマエはジャイアンか!」と言いたくなる。
 

 ジャイアンはクラスのガキ大将で、自己主張が激しく、かつ短気で発言は高飛車。
 弱いものいじめをし、彼らが自分の意に沿わないとすぐ怒鳴って暴力に訴える。
「おまえのものはおれのもの、おれのものはおれのもの」と、きわめて自己中心的で、強引に他人のものを取り上げて自分のものにしたり、すぐ、むしゃくしゃしてして他人に八つ当たりする。
 執念深く、しつこい性格で。自身が恨んでいる者やいじめの対象者を降参するまで追いかけようとする。また、バカにされるとすぐに感情的になるなど単純だ。

 しかし、極めて義理堅い一面も持ち合わせている。面倒見がよく親分肌のところもある。
 最近のジャイアンは、その体格を利して男気溢れる性格が顕著になり、命を賭して友だちを守ろうとするなど大人に成長してきた。

 「中国くんよ! そろそろ戦前の卑屈な歴史から脱却して、悠久の歴史を背負うキミは、そろそろ将来の世界を担う<中華の大人>としての栄光の歴史に向かって前進しようよ」

 日仏親善サッカー、日本は初めてフランス代表に勝利!
 
 フランスの怒涛の攻めを川島がしのぎ切り、後半43分、戦前フランス監督は香川が要注意だと言っていたが、その香川が瞬間の技でゴールを決める

エッセイ(138)文明の進化路線に逆らえるか(40)仕切られた自由

2012-10-02 05:11:30 | エッセイ
 昨日、東京駅丸の内駅舎がグランドオープンした。
 
 前にある丸ビル5階の展望デッキからこの全景が見えるそうだ。
 
 この辺りは明治維新後陸軍の施設が置かれ、明治20年代に麻布、赤坂に移転するに際し売りに出され、一括して三菱が購入した。
 ここに今でも残る赤レンガの三菱一号館が建てられ、同じような赤レンガのビルが立ち並び<一丁倫敦>と呼ばれた。
 その後赤レンガビルは鉄筋コンクリートになり、百尺規制により31メートルのビルがお堀端に立ち並んだ。
 さらに最近は丸ビル、新丸ビルも高層化し、レンガ造りの三菱一号館、記念館の背後には157メートルの<丸の内パークビルディング>が立ち上がっている。
 
 
 ここらを歩くと文明の発達の素晴らしさを実感できる。

 しかし、ふと頭をよぎったのは、1974年に旧三菱重工ビルが東アジア武装戦線の<狼>によって仕掛けられたペール缶爆弾で爆破された事件だった。
 
 何人かの死傷者が出たと思うが、窓ガラスが粉々になって散乱していた惨状が忘れられない。

 それから40年あまりの歳月が経過し、物質的な文明はさらに発展したかに見えるが、人間の愚かな行為は旧態依然である。
 尖閣問題の中国の暴力デモ、中東におけるデモも暴力化している。
  
 山内昌之氏(明治大学特任教授)が言っているが、中国にしても中東にしても、為政者批判は許さないが、相手次第では暴力や破壊行為さえ容認するといういわゆる<仕切られた自由>というのが問題だ。

 <仕切られた自由>というのは、中国に関して言えば、急進的な民衆運動が日本批判の枠を超え、中国の抱える所得格差や高失業率への不満や共産党指導部の蓄財や特権への批判に転化するなら、表現の自由が抑圧されるような構造だ。
 これは、為政者批判を許さずに、イスラエル批判なら、無制限の表現や行動を許したアラブ諸国の<仕切られた自由>に似ている。は
 これでは暴力の連鎖に歯止めがかからない。
 人類全体の課題であるとも言える。

 特に中国は、江沢民前国家主席が力を入れた愛国教育によって反日意識が助長され、日本に対する暴力と破壊を正当化する心理的な構造が出来上がっていることが問題なのだ。  
 中国にしても、韓国にしても過去の日本の行為を問題にするが、むしろ過去に学び現在の行為に生かしていくことが肝要なのではなかろうか。

 人類が平和的な生活を享受することを願うのであれば、この点に深く留意してお互いが遺恨を積み重ねることのないよう、日本としては根気強く強く主張していかなければならない。