昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(10)言葉(コミュニケーション)10

2010-07-31 05:02:45 | 昭和のマロの考察
 <日本人は議論が苦手>

 司馬遼太郎も<風塵抄>の中で言っている。

 私は議論が苦手で、しかもうとましくおもうほうである。
 たとえば、「二宮金次郎は泥棒である」というテーゼを持ちだされて、それに甲論乙駁する気にはなれない。
 金次郎の家は貧しくて持山などあるはずがないのに、薪を背負って山を降りてくる。
 つまり泥棒である、という意見に対し、どうこうと議論する気になれないのである。  日本人の場合、議論するより説明する。
 これを説明すれば、「明治以前はどの村にも入会山という村落の共有林がありました。金次郎の場合、そこから薪を採ってきたのでしょう」ということになる。
 ディベイトの場合、相手は、「証拠があるか」と突っ込んでくる。そんなものは無い。当時はみなそうだったんです、とやむなく状況論に話をもちこむ。
「いいえ、状況をきいているのではありません。金次郎の場合はどうかときいているのです」となる。

 
 英語のスペシャリスト、松本道弘が<時事英語研究>の中でディベートについて説明している。

 ディベートというものは、もともと都会的発想のコミュニケーション形式で、腹芸というのはその対極でムラ型。
 西洋の歴史でもムラから始まって、「われわれは」という「・・・は」の発想で考える。これは多神教的な発想。
 これがアーリア民族がギリシャに来てだんだん男性中心の文化になってくると、「・・・は」から「「・・・が」になって「私が」となってしまう。
 これは古代ギリシャの基本点。ディベートを生んだロジックの原点。
 「が」で考えるのは旧約聖書までいく。
 神とアダムとイブは三角になっている。
 これがディベートの発祥。
 AとBが闘うと第三者のCが裁く。日本では議論がケンカになるのは、神がないから。
 ディベートがアーギュメントになってしまう。
 また、ディベートはまず<限定する>ことから始まる。
 例えばサッチャーがNHKテレビにでたときに、日本で英語のベラベラな国際人が出てきて「We are diligent」(我々日本人は勤勉です)と言ったら彼女はカチンときて怒った。
 つまり「We are diligent.It dos'nt mean you are lazy.」と限定して言わないと通じない。


 ─続く─

昭和のマロの考察(9)言葉(コミュニケーション)9

2010-07-30 05:20:02 | 昭和のマロの考察
 <巨大化したメディアへの不信>
 クリントン大統領の不倫問題が起きたとき、越智道雄明治大学教授は次のように述べている。

 ピューリタニズムの国、アメリカでは今回意外にも、クリントンの素行(不倫)を許す世論が台頭した。
 この背後には、スキャンダルを捏造するスピンドクター(メディアにスピンをかけるホワイトハウスの危機管理要員)やメディアへの不信感がある。
 クリントンと同世代のカウンターカルチャー(1960年代に起こった、体制的価値基準や慣習に反抗する、特に若者の文化)世代は、自分の主張を押し付け、他者の素行を非難するのを差し控える体質を持つが、この傾向は批判保留主義と呼ばれる。
 彼らの不信感は、「現実(自然発生的事件)すらスピン・ドクターやメディアが捏造した<人工的事件化>だ」とみなす域にまで深刻化した。
 メディアの肥大化によって、現実そのものまで否定するニヒリズムへ重症化したのである(1998年EJより)


 メディアの巨大化により、その影響はますます計り知れないものになっている。
 <選挙>もその影響を免れない。
 アメリカでは当時、すでに、スキャンダル捏造などメディアへ影響を行使するスピンドクターなる組織まで出来ていたのだ。
 
 昨日、民主党の両院総会で、参議院選挙敗北の総括がなされた。菅首相は自身の消費税論議が厳しい選挙を強いたとおわびし陳謝した。
 しかし、客観的に見て、これもメディアの取り上げ方に大きな影響を受けたことは否めない。
 小泉政権や、鳩山政権が衆議院選挙で大勝できたのも、逆にメディアによる恩恵を受けた結果でもある。

 フランス人、ポール・ポネがその著書<不思議の国の日本>の中で日本のマスコミを批判している。

 ・・・競走馬の骨折後の生死に関して、マスコミがセンチメンタルに報じた態度には深い疑問を持った。

 かわいそうなテンポイントという<お馬様>をマスコミが作り上げることによって、なんだか日本中の新聞記者が馬の容体に一喜一憂せざるを得なくなった。・・・
 複雑骨折をした重傷馬は殺すべしというのは、およそ競馬を行っている国なら、すべてに共通する理論である。・・・
 新聞がオピニオンリーダーたらんとするならば、競走馬を薬殺させない<競馬ファン>なる存在を、理論をもってたしなめるのが常道である。
 その常道を踏み外して、感情論に組し、これをあおり立てる役目をマスコミュニケーションが果たすというのはどういうことだろう。
 私は、第二次大戦後の日本でマスコミが果たしてきた役割を、この<お馬様>騒動が象徴していると感じた。
 つまり、日本のマスコミは、常に大衆の感情論の見方である。
 これは恐ろしいことだと私は思う。


 まさに我々日本人が傾聴すべきご指摘だと思う。

昭和のマロの考察(8)言葉(コミュニケーション)8

2010-07-29 05:53:40 | 昭和のマロの考察
 日本語を学ぶ韓国女性から<言わんところを悟るセンス>などと、いみじくも、日本人の非論理的思考を炙りだされたわけだが、<外人と日本人との対比>という意味で興味深いエピソードを二つ挙げてみたい。

 豊臣秀吉の朝鮮出征の帰国の際に多くの朝鮮人技術者が連行された。
 その中に陶工の名門<沈家>の富吉がいた。彼は薩摩藩主島津家に手厚くもてなされ、以降、<薩摩焼>の名家として数々の名人を輩出した。
 その第14代、沈寿官は民間人最高位にあたる大韓民国銀冠文化勲章も受章している。

 その彼が朴大統領に拝謁した。
  

 朴大統領に拝謁した際、「貴国の博物館を拝見したが何故か刀槍がない。日本の博物館には日本刀が飾ってありますが?」
 と問うと「面白いことを質問する人だね。どんなに美しくても人を殺す道具は<美>ではないぞ」
 武人大統領のこの一言に恥ずかしさの余り泣き出しそうになりました。と述懐した時、司馬先生は暫く無言だった。

 やがて「立派な見識ですね」と静かに呟かれたのである。


 文化に対する朴大統領の率直な思いと、相手を思いやる日本人作家の言葉の対比が興味深い。(19997年6月日本経済新聞から)

 中国の朱鎔基首相が、日本から訪れた政財界人にあまり会いたがらないそうだ。(日本人との会見は儀礼的で面白くない)(何が言いたいのか要領を得ない)といった理由らしい・・・ その点、来日したクリントン米大統領が出演したテレビ討論で、不倫疑惑を問いただした大阪の女性は過不足なかった。

 再録すれば 「クリントンさん、はじめまして。私は二人の子どもがいる主婦です。よろしくお願いいたします。
 モニカさんの件でお聞きしたいんです。ヒラリー夫人と娘さんにどのように謝りはったんかお聞きしたいんです。それからね、私やったら、許されへんわとか思うんですよ。でも、あのお二人は本当にね、許してくださったんですか?」簡単なあいさつ、明快な質問内容とはっきりとした自分の主張。米メディアでは大好評だった。

 (朝日新聞・天声人語・19998年11月より)

 ─続く─


昭和のマロの考察(7)言葉(コミュニケーション)7

2010-07-28 05:38:37 | 昭和のマロの考察
 <日本語は人格を変える言語だ>と呉善花さんは言う。
 

 このことに気づいている人は韓国人でも日本人でもほんとうに少ないと思う。
 人格と言うと気色ばむ人もいるかもしれないが、実際的にはその人の気分を変えるのである。そして、この気分のなかに<日本>がいっぱいつまっているのである。それを知らなかった私は、確実に<罠>にはまってしまったように思う。これは実に恐ろしいことである。
 韓国語にはそうした<危険性>はない。テクニックとして覚える韓国語で充分適用させることができるからである。しかし、日本語は、文法や言葉の意味をいくら覚えても上達することがない。ほんとうに上達しようと思えば、意味ではなく<言わんとするところ>を悟るセンスが必要となる。記号としての言葉ではなく、そのもうひとつ奥にあるとでも言うべき、ある種の沈黙に触れなくてはならないのだ。
 そのへんの日本語のあり方に気づいて突っ込んで行こうとすれば、これは日本的な非論理思考そのものをたどることになる。
 だから、どうしても理論ではなく、話す相手から伝わってくる気分の流れに乗せられて行く先に、<わかる>という体験をするしかなくなる。
 つまり自分の気分を相手の気分に変えなくては、<言わんとするところ>がわからないのである。


 そして彼女は断言する。
 この<わかる>体験がある程度習慣となったときに、人はきっと日本人になるのだ。その寸前で立ち止まることが果たしてできるものなのかどうか──これが日本語の恐ろしさである。 
 日本語はおそらく、想像もつかない歴史的な重層構造、民族的な多重構造を入り組ませて形づくられてきた言語である。直感的にそう思うにすぎないのだが、日本列島の地理的な位置と歴史的な連続性から言っても、充分そのように想像できるのではないだろうか。

 以上、呉善花<スカートの風>から。

 ─続く─

昭和のマロの考察(6)言葉(コミュニケーション)6

2010-07-27 05:51:35 | 昭和のマロの考察
 呉善花さんは日本に来て、物質的にも、感覚的にも、できるだけ日本式の生活を取り入れるようにして、ほとんどのものに抵抗感がなくなったが、しかし、<いけばな>だけはどうしても理解できなかったと言う。

 韓国の<いけばな>は、強く派手な色の花を使い、花の存在をはっきりさせるようにして、いけるというよりは器に盛るのである。・・・日本のいけばなの美は、私にとっては理解を絶するものだった。現代花はそれほどではないものの、伝統いけばなについては、まず、はっきりとした色の花を使った作品がほとんど見られない。多くがあいまいな中間色の花が用いられ、韓国的なセンスから言えば、いかに目立たないかに工夫を凝らしたとも言いたくなるような、地味な作品ばかりなのである。

 
 そんな彼女にも5年ほど経って変化が生じた。

 あるとき、いけばなの美はその奥行きにあると感じ、そこから私の前に突然美があふれ出してきたのである。清楚なる存在へのいとおしさ、静と動とのバランスがかすかに崩れた構成の美、生の花の由来を忘れさせてくれるもうひとつの自然世界、たおやか・しなやか・すずし・侘びし・つつまし、など、やまと言葉でなくては形容不可能な古趣の味。
 
 そして手前勝手な言い方になるが、伝統いけばなの美が日本を理解する最後の難関として私に残ったのは、その美が日本人の意識の相当に深いところで感じられているからであるような気がする。と結んでいる。

 韓国の伝統文化を翻って見るに、最も欠けているのが無形文化ではないかと彼女は指摘している。

 李氏朝鮮以来、文化を担うものは、存在感のはっきりした、目に見える物質・肉体・権力──それ以外にはなかった。物質としての形の美あってこその文化であり、精神性はあくまでもそれに付随する二次的なものでしかなかった。
 日本では、物質や肉体はあくまで精神を宿らせる、仮の存在とみなされているようだ。 たとえば、あの弱々しい天皇がなぜ日本の象徴なのだろうかと、韓国にいる間はずっと疑問に思っていた。
 

 それが、目に見える存在としての天皇ではなく、日本人の精神文化に深く根ざしたところに由来をもつ、ある精神性の象徴としての天皇だということを知ったのは驚きだった。 韓国の大統領は精神的な象徴ではまったくなく、はっきりと権力の象徴である。韓国の大統領はみな軍人出身、陸軍士官学校出身である。
 古代以来綿々と天皇位が継承されてきたことも驚異的なことだが、さらに恐ろしいのは日本語である。


 ─続く─

昭和のマロの考察(5)言葉(コミュニケーション)5

2010-07-26 05:11:19 | 昭和のマロの考察
 韓国人の呉善花は、日本語は、短い言葉のなかでたくさんの内容が語られ、しかも話す相手によって、話される場によって意味が違ってくるので、まともに渡り合おうとすると疲れる言語だと言う。

 日本語の使役の用法でさらに重要なものが、「~させて下さい」「~させていただきます」という言葉遣いだ。こうした表現も韓国語にはない。この言葉遣いからは、「自分の行動は相手にお願いして行うべきものだ」という、無意識の発想を受け取ることができる。
 たとえば「失礼させて下さい」と言って上着を脱げば、「上着を脱ぐことは礼を失したことではあるが、どうか認めてほしい」と、相手にお願いをして許しを乞う言葉である。
 また、あるとき、行きつけの美容院へ行くと、「今日は休ませていただきます」と張り紙があった。

 私は日本語の意味を反芻しながら、自分勝手に休んでおきながら、なんでいまさらお客さまにお願いをするのか、どうにも解釈に苦しんだこともあった。


 また、彼女はこんなことも言っている。

 韓国では大統領が演説を終えるときに「これで終わります」と言うのだが、テレビを見ていて、日本の首相が「これで終わらせていただきます」と言ったのにはびっくりした。いやしくも一国の首相の言葉である。なぜ国民に演説を終えることをお願いするのか、もっと威厳をもってしかるべきではないか、なんと弱々しいのだろう思ったものである。 

 そして、こうした言葉遣いをしている限り、日本人から謙遜の意識も姿勢も消えることがなく、したがって、トゲのない柔らかな感覚をもって人に接することができるのでは、と言っている。
 しかし、日本人と結婚した韓国の女は、「国際結婚は3年間はうまくいくが、3年過ぎえもうまくいく人は少ない」とよく言う。日本語を覚えていくにしたがって、あたかも自分が罪人でもあるように、常に「~させて欲しい」とへりくだって、自分に対してだけでなく、あちこちにお願いばかりしている夫を見るにつけ、しだいに魅力をうすれさせていくことが多い。相手にお願いを立てて頭をぺこぺこさせている様子は韓国人にとっては無能力そのものに映ってしまうのだそうだ。

 次回は、彼女が韓国と日本の文化の違いに触れながら<日本語は人格を変える>恐ろしい言語だと述べているのをお伝えしたい。

 ─続く─

昭和のマロの考察(4)言葉(コミュニケーション)4

2010-07-25 06:04:23 | 昭和のマロの考察
 韓国人の呉善花さんの指摘はさらに鋭く、日本語の異質性を通じて我々日本人の特質を抉り出す。

 表面的にはきわめて欧米人と韓国人は互いの理解がしやすいのである。まず、第一に、欧米人も韓国人も言いたいことをはっきりと言う。
 これで、ともかくも、相手が何を考えているかを知ることができ、一応のコミュニケーションが成立する。
 ところが日本人はそうはいかない。
 たとえば自宅に訪ねてきた日本人に「コーヒーにしますか? それともお茶にしますか?」と聞くと、「どちらでもいいです」という人が多い。
 これがわからない。何か食事をとろうと、「何がいいですか?」と聞くと、「何でもいいです」と言う。しかたがないので「お寿司にしますか? 丼ものにしますか?」と聞くと、またまた「どちらでもけっこうです」となる。
 これであっけにとられる外国人が多いのだ。・・・

 
 どうやら彼女は日本人のコミュニケーションの優柔不断な態度にイライラしているようだ。そしてさらに日本語の異質性を指摘する。

 ととえば、「どろぼうに入られた」という遣い方。

 そもそも韓国語には受身の発想がないから、このへんが日本語の勉強ではとくに難しい。韓国では「どろぼうが私の家に入った」と、どろぼうが主語になる。・・・  
 ~に言われた、~に逃げられた、などの<~された>という発想すら理解するのが難しいのだから、~に取り残された、~に買わされた、などの<~させられた>という使役の受身になると、もはや、なんのことやらさっぱりわからなくなる。
 しかも、これがわからなくては日本語がほとんどわからないと同じことになるから、これらの用法を理解することが、日本語を理解する上でポイントとなる。
 私もはじめのうちは、なぜわざわざ受身にしなくてはならないのか、どんな必要があるのかと考えて壁にぶつかっていた。そしてあるとき、受身形にすれば常に主語が<私>になるということの意味に気がついた。
 
「私はどろぼうに入られた」
 ・・・主語を書き加えてみることで、私はようやく、「どろぼうが悪い」ということよりも「責任が自分にあること」を問題にしようとする発想がそこに潜んでいることを知ったのである。 


 韓国では先ず<どろぼう>の責任を問うている。
 単に言語表現の形式の違いだけではなく、人々の無意識を形成する発想の違いであることに彼女は気づいたのだ。
 次回も彼女の<なるほど!と思う>興味深い指摘を見てみたい。

 ─続く─
 

昭和のマロの考察(3)言葉(コミュニケーション)3

2010-07-24 05:15:43 | 昭和のマロの考察
 我々日本人の普通の言葉遣いも、外人から見ると理解に苦しむものが多いようだ。
 言語学者の金田一春彦さんが例を挙げている。

 アメリカ人に日本語を教えている時にこんな質問が出た。
 昨日、本屋へ行って「漱石の<坊ちゃん>はありますか?」と聞いたら「ございませんでした」と言われた。
 <坊ちゃん>がないのは現在の話です。それなら「ございません」というのが正しいので「ございませんでした」は間違いではないかと言うのである。
 理屈で言えばたしかにそうだ。
 しかし、もし本屋が「ございません」と言ったら、言われたお客はあまりいい感じをもたないだろう。「ございませんでした」と言う方がいい感じをもつ。何故だろう。
 ここに大切な問題がある。本屋さんはこういう気持ちなのだ。
「私のことろでは当然<坊ちゃん>を用意しておくべきでありました。しかし、不注意で用意してございませんでした、申し訳ありません」と言って自分の不注意を詫びている。その気持ちがこの「でした」に現れており、それをお客は汲み取るのである。

 日本人は短く言おうとする一方、自分を責めて謝ろうとする。それは常に相手を慮る日本人の優しさの現われではないかと思う。

 お手伝いさんが台所でコップをすべり落として、コップが割れてしまったとする。
 日本人はこのような時「私はコップを割りました」と言う。聞けばアメリカ人やヨーロッパ人は「コップが割れたよ」と言うそうだ。
 もし「私がコップを割った」と言うならばそれは、コップを壁に叩きつけたか、トンカチか何かで叩いたような場合だそうだ。
「私がコップを割りました」というような言い方をするのは、日本人にはごく普通の言い方ではあるが、欧米人には思いもよらない言葉遣いかもしれない。
 
 これは日本人の責任感を感じさせる。自分が不注意だったからコップが割れたので、割れた原因は自分にある。そういう意味では自分が壁に叩きつけたりしたのと同じである。そう思って「私が割りました」と言うのだ。
 この簡潔な言い方の中に日本人の素晴らしい道義感が感じられるではないか。 


 これをさらに裏付けるケースは次回に。

 ─続く─

昭和のマロの考察(2)言葉(コミュニケーション)2

2010-07-23 06:10:17 | 昭和のマロの考察
 <関西弁を公用語にしたらどうやろ>
 河合隼雄が文化庁長官のころユニークなコメントをされている。

 日本人はともすると、タテマエとホンネの分離が強くなりすぎて困る傾向を持っている。このために、公式場面での発言や、論争となるとタテマエが猛威をふるってきて、どうしようもなくなったり、(なんもオモロウない>状態になる。
 こんなときに、関西弁がうまく突破口を開いてくれたり、カタイ場を和らげて柔軟な考えが出てくるのを助けたりする。・・・
 昔、大学の学生さんがヘルメットに棍棒といういでたちで景気よくがんばっていたとき、私はよくつき合って、彼らの言う<団交>というのもたくさん経験した。そんなときに、関西弁の有難さをつくづく感じたものである。たとえば、次のような調子である。
 
「ただいまより、河合学生部長との団交を開始します。まず、学生部長は団交の間、機動隊を呼ばないことを約束して下さい!」
「お前、それ何言うとんのや、わしはあまり怖かったら、機動隊呼ぶで」
「なにい! 機動隊を呼ぶのか!」
「何も今呼ぶ言うてへん。あまり怖かったら呼ぶでちゅうとんや、よう聞かんかい。わしは子どもの頃から臆病で怖がりで、今もコーテ、コーテかなんけど、役目柄、辛抱してやっとるんや。せやから、何も今呼ぶ言うてへん。あんまり怖かったら呼ぶ、ちゅうとんのやから、お前らもあんまりわしを怖がらせんようにせなあかんで」
 学生代表は憮然とした表情で、「まあ、次にうつります」と言って、「われわれは・・・」とやりだすのだが、こんなとき、学生のなかでも、にやにや笑ってるのがいる。
「河合、お前やるなあ」という感じである。こういうのが話のわかる学生で、それ以降の交渉に役立つわけである。

 タテマエの論争は空論になるが、ホンネのぶつかり合いは、まったく破局になったり、全面対決の危険性をはらんでいる。それよりも、タテマエとオンネの微妙な間を、上手に行き来しながら話すことが肝心で、その点関西弁は便利なのである。(文芸春秋H3.10より)
  

 ─続く─

昭和のマロの考察(1)言葉(コミュニケーション)1

2010-07-22 05:36:17 | 昭和のマロの考察
ぼくもけっこう口が悪いほうだが、会社を経営する友人はなかなかのものだ。
 その昔、一緒によくゴルフをやっていた頃のことだ。
 月例で、初めてパートナーとなった、ぼくらより少し年下の実業家の方の安定したショットを、彼は最初のうち褒めちぎっていた。
「ドライバー、飛びますね」「ナイスアプローチ・・・」ところが、「だけど・・・」と来た。
「パターが残念ながらお上手じゃないですね」と。

 だんだんエスカレートしてきて「不安で見てられない」いままさにパットに入ろうとしている相手に「このパットが問題ですね」とダメ押しする。

 パートナーもついにその気になってしまって「今日はとことん入らない」と落ち込んでしまった。

 その後、老齢のお医者さんとご一緒した時のことだ。
 相手は恰幅のいい、何事も受け入れる包容力のある円満なお方だった。
 友人は次々と老医師の経験談を聞き出していった。
 そして、調子に乗って、こともあろうに「何人か殺してしまったりとか・・・」と言ってしまった。
 さすが本人も気がとがめたとみえて、後日手紙でお詫びしたと言っていたが。
 折から江藤総務長官がオフレコとはいえ、日本の朝鮮統治時代に触れて「日本もいいこともした」と発言し韓国の激怒を買い、辞任に追い込まれたと言うニュースがあったばかりだった。

 <うかつな言葉はひとを傷つける>と題して、有名な診療所の所長さんが新聞に書いていた。
 ・・・幼い私は、総合病院の眼科診療室で、チョビヒゲの部長先生の前に座っている。
 部長先生は、例の石原式色覚検査表をいくつか読ませた後、目に軟膏を塗りつける細い棒を私に渡すと、点描図表の一点を指し、そこから線をたどってみせるようにと告げた。
 
 迷いながら点をたどる棒の動きを見ながら、先生は私の後ろに控えていた母に向かってこう言った。
「ほら、でたらめでしょ」この時の、屈辱感と憤りが身体の中で爆発するような感覚を、私は今も生々しく思い出すことができる。母の返事の声が、涙でつまっていたことも。
 また色覚障害の話? 違う。
 医者のことばが、どれほど簡単に人に深い傷をおわせるか、自戒したいのだ。・・・

 お医者さんにしろ、教師にしろ、人様に頭を下げることがほとんどない職業の人には、往々にしてそういう言動があるような気がします。

 ─続く─