昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(49)外交(5)

2010-09-24 05:51:56 | 昭和のマロの考察
 これまでに述べたように現実の<外交>は<力の論理>が働いているのは疑いのない事実である。
 
 今や軍事的にも経済的にも<力>を蓄えた中国は、その力を背景に尖閣諸島問題で日本に揺さぶりをかけてきている。
 軍備を年々増大させ、覇権的な行動が目につく中国に対抗するには、周辺のASEAN諸国と連携していくしかないだろう。

 <潮流が変わった>
 昨年1月、ぼくはオバマ大統領の就任演説を聴いて思った。
 今こそ、日本の出番だと。
 
 オバマ大統領は<力の論理>をふりかざし、イラク戦争の失敗で危機的に陥ったアメリカの現状を訴え、これからは融和、寛容、理性をもって対応しなければと国民に訴えた。

 そして「WE CAN CHAGE!」と。
 より強固な国際協力が必要であり、古くからの友好国とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化にも対応していこうと語りかけている。

 まさに日本の出番ではないか。
 今回の中国の姿勢はまさに<力の論理>をふりかざす帝国主義時代の大国そのものだ。
 我々は、意を同じくする国々とともに、その覇権的な行動こそ非難さるべきことと咎めていかなければならない。
 

 以下に日本総合研究所理事長の寺島実郎氏の見解を紹介する。


 「米国の<力の論理>を見せつけられたイラク戦争後の世界について、我々が抱きがちなイメージは弱肉強食の世界の再来であり、強い者が作り出す既成事実の追認という心理に傾きがちとなる。
 結局は<力こそ正義>であり、<国連のような国際機関は機能しなかった><国連を通じた集団的安全保障に期待する時代ではなく、力を持った同盟国との連携こそ現実的選択>という認識が主潮となりがちである。
 しかし、それは正しくない。
 世界は確実に力の論理が機能しない方向に歩み出しつつある。・・・
 日本人に求められるのは、大国に壟断されてきたアジア・中東史への深い洞察と共感であり、間違っても大国主義の驥尾に付するような選択をしてはならない。・・・

 アジア・中東の国々は、日本がリーダーにふさわしい理念と行動をなしうる国か、それとも<名誉白人的地位>に満足して列強のゲームに参入するだけの国か、静かに見守っている。・・・
 世界はゆっくりではあるが、国際法理と国際協調による全員参加型の秩序形成の時代に向かいつつある。
 

昭和のマロの考察(48)外交(4)

2010-09-23 06:00:39 | 昭和のマロの考察
 もう一つ、<力を背景にした外交>の事例。

「20世紀後半に入って軍事力と双璧をなす<力>となったのが情報力である。この情報力を外交の場でフルに駆使したのが、20世紀最高の外交官と評されるヘンリー・キッシンジャー米国務長官だった。

 1973年の第4次中東戦争に際してのキッシンジャーの活躍は、まさに<情報力外交>の集大成であった。
 この緒戦でイスラエルは政治家や軍部がモサド(イスラエルの秘密情報機関)の情報を無視したばかりに、エジプトとシリアによる先制攻撃を受けた。最終的に18日かけて両国を撃退するのだが、緒戦で敗れて危機に陥ったイスラエルは<最後の手段>原爆をカイロとダマスカスに投下する準備にかかる。
 これを知ったアメリカは驚愕した。事態を収拾するべく動いたのがキッシンジャーである。
 カイロに飛んだキッシンジャーは、サダト大統領の前にエジプトの地図を広げ<もしエジプトが一歩でもイスラエルに向かって侵攻したら、この場所と、この場所をピンポイントで爆撃する!>と、砂漠のある地点を示しながら言い放った。

 これを見たサダトは顔色を変え、エジプト軍の進軍をすぐさまストップさせた。
 キッシンジャーが指し示した場所にはエジプト軍の秘密基地があり、それを寸分違わず指摘されてしまったからである。

 (以上、落合信彦<ずぶとい国、ずるい国>より)

 <外交>の現実を体現したスターリンは言っている。


外交の基本は何か。言葉と行動との峻別である。良い言葉は悪い言葉の隠れ蓑だ。誠実な外交など乾いた水、木でできた鉄と同様ありえない。

 高邁な共産主義的論理を掲げたレーニンの後継者たるスターリンの現実の<外交>はいかなるものだったのか。


戦後5年目の8月15日が近づいてきて、私がはしなくもこのレーニンの文章を思い出したのは、外でもない、戦後まもなく私の入手した外国雑誌類の中に、スターリンが対日参戦ののちに将兵に与えたメッセージの全文を見出してそこから甚大な衝撃をうけたという小事件、否、私にとっては大事件があったからである。
 スターリンによれば、満州に進駐した赤軍兵士は、その父兄がかつてそこで受けた国民的屈辱を雪いで仇をとったのだ。それを彼は祝福しているのだ。
 レーニンはわざわざ<恥ずべき敗北を喫したのは、ロシア人民ではなくして、この専制主義である>と断っている。

 そのレーニンの<正統的>後継者たるスターリンは、いつこの専制主義とツアーリズムの後継者、否、僭奪者になったのであろう。

 (林達夫<旅順歓楽>より)

 ─続く─

昭和のマロの考察(47)外交(3)

2010-09-22 06:27:21 | 昭和のマロの考察
 外交において、<話し合い>の重要性が強調されるが、<力>による決着がなされているのが現状である。
 実例を2つ。

 (1)イギリスのサッチャーの<ダメモト外交戦術>に対し、中国の小平のとった<最強手段>とは。

 「もし香港で住民投票をして<イギリスに残りたい>という結論が出たら、イギリスは香港を返還しません。その場合、あなたはどうしますか」 
「人民軍を香港に侵攻させる」
 

 このやりとりは80年代前半の香港返還交渉のなかで、イギリスのサッチャー首相と中国の最高権力者小平の間で交わされた会話だ。
 ただしこのとき、すでに香港の返還は事務レベルで決定していた。それを百も承知でサッチャー女史は<ふっかけた>のである。つまり<もし小平が何らかの妥協をしていたらしめたもの。断られてもともと>という問いかけだったのだ。
 対応した小平もさる者だった。彼は敢然と<NO>を伝えたばかりか、人民解放軍を差し向けるという<最強の手段>で応じた。・・・

 この会話にこそ外交の<真髄>が集約されているのではないだろうか。
 サッチャー女史の<最初に百パーセント拒絶する要求を突きつけ、そこから妥協を引き出す>という考え方。
 かたや小平の<相手の要求には<最強の手段>でつっぱねるという姿勢。──


 ─続く─

昭和のマロの考察(46)外交(2)

2010-09-21 05:44:45 | 昭和のマロの考察
 フランス人のポール・ボネ氏は続ける。

「大新聞の論調も奇妙キテレツで、<尖閣列島事件を荒立てて日中友好にヒビを入れてはならない>という論調が大部分だった。
 事を荒立てているのは中共側で、日本側ではないのに、日本の新聞が日本人に向かって、事を荒立ててはならないというのは、どういうわけであろうか」


 これは30年前の事件について述べているのだが、今とまったく同じではないか。
 中国外務省の馬朝旭報道局長は19日、尖閣諸島沖で日本の巡視船と衝突した中国漁船の船長の拘置延長が決まったことについて、船長の無条件即時釈放を要求するとともに「日本側が我意を通し、誤りを繰り返すならば、強い報復処置を取る。その結果はすべて日本側が責任を負う」と警告する談話を発表した。

 これではまるで強力な腕力を背景に脅迫してくる与太者だ。
 いったい何を根拠にこんなことが言えるのだろう。
  
 
 1952年のサンフランシスコ条約で日本は、<台湾及びひょう湖諸島>を放棄したが、尖閣諸島は、下関条約で日本が清国から割譲を受けた台湾やひょう湖諸島に含まれていないのでいぜんとして日本の領土であるという立場を取っており、72年の沖縄返還以後、継続して日本が実効支配している。
 中国、台湾が領有権を主張するようになったのは、69年の調査で周辺に豊富な石油資源の存在する可能性が明らかになってからのことである。

「いかにキレイごとを並べ立てても、国家権益の奪い合いというものは、しょせん、弱肉強食の論理に支配されていることを、私たちは歴史の中から読み取っている。
 アヘン戦争の中国大陸は、まさにその弱肉強食論理の実験場の観があった。・・・
 幸いなことに、日本は、地理的好条件と、鎖国の政治的成功、それにつづく賢明な明治の指導者によって、弱肉強食の枠外に生きることができた。
 そして、史上ただ一回の敗戦によって、日本人は国際的に最も自己主張をしない国民になった。
 


「欧米の外交戦術の中には、伝統的にダメでもともとという考え方が、かなり取り入れられている。ことに領土問題がそうで、ヒトラーなどはその伝統的な考え方をフルに活用した人物で、ズデーデン・ランドなどがその一例である。 
 後に係争になったときのために発言権を留保しておくのは、民間の係争事件では、よく見られることだが、それは国家間にあっても同じである。


「尖閣列島事件も、日韓大陸棚問題も、中共側は、その、常識的な権利留保を行ったに過ぎない。・・・この問題は、荒立てるも何も、十分論議をすべきことであろう。あいまいに、穏便に事を済ませば、将来、必ず第二の<ダメモト事件>が起こる。ヨーロッパでもアジアでも、大陸の国境紛争は繰り返しの連続であり、あいまいな解決は、子孫に紛争を相続することになる。 

 30年前、ボネ氏が予想した通り、今回<ダメモト>事件が再発した。
 おそらく<小日本は>、強大化する中国の力に怯えて、ともかく事を荒立てないようにと、<船長を起訴しない>政治決着をするのだろう。
 着々と軍備を増強する<大国中国>は、これを機に、傘にかかって<小日本>の権益を侵害してくることになると思うと空恐ろしい。

 次回に典型的な過去の外交事例をピックアップしてみる。

 ─続く─

昭和のマロの考察(45)外交(1)

2010-09-20 06:19:25 | 昭和のマロの考察
 尖閣諸島沖のわが国領土内で違法操業をしていた中国のトロール漁船が、海上保安庁の巡視船2隻と衝突、中国人船長を逮捕した。

 
 中国の載乗国国務委員は事件後、12日深夜0時という異例な時間に丹羽駐中国大使を呼び出し、乗務員と漁船の即時送還を要求。
 東シナ海の天然ガス開発をめぐる日中政府間の条約締結交渉や、全国人民代表大会幹部の訪日を延期したほか、ガス田に機材を搬入したりして日本側をけん制している。
 事件を受けて、中国国民の対日感情も悪化、抗議デモなども起きている。

 北方4島周辺でわが国漁船が同じことをされたときのわが国の対応と雲泥の差である。
 この<上から目線>の中国の対応はいったい何に基づいているのか。

 このニュースの経緯を見ていて、30年ほど前、フランス人ポール・ボネ氏が<不思議の国ニッポン>の中の<料理と領土>で書いていたことを思い出した。

中国人のすることはよく解らない、と会う日本人はしきりにいう。・・・しかし、日本人にない習慣で、フランス人と中国人に共通している習慣というものがないではない。・・・
 私が日本に来た初期のころ、驚いたのは、外食に招かれた際、メニューを見る機会を与えられなかったことだ。こういうことはヨーロッパでは考えられない。ことに日本料亭の場合は無言のうちにつぎからつぎへと料理が登場する。・・・

 中国人のビジネスマンと会食するとき、・・・互いのメニューをめぐって、カンカンガクガクとディスカッションを尽くす。好きなものは好き、きらいなものはきらいとはっきりいう。一人前ずつ個人的に注文できる料理では、それぞれが勝手に違ったものを食べる。・・・ところが日本人とメニュー付の会食をすると、私がステーキといえば先方もステーキ、遠慮してライスカレーといえば先方もライスカレー、日本人が大勢いれば、全員ライスカレーという仕儀に相成る。・・・」

「食事というのは、睡眠と並んで、人生のかなり大きな部分を占める作業だから、これをおろそかにするのは天下の大罪であるとフランス人は考え、多分、中国人もそう考えている。・・・
 さて、冒頭の中国人のすることはよく分からないという意見は、例の尖閣列島事件や、日韓大陸棚に対する中国の対応を指しているらしい。そして、その意見の根底にある日本人の漠然とした印象は、日中の平和条約の締結を中共が待ち望んでいるときに、なぜ、ことを荒立てるのだというものらしい。・・・


 注記(1978年8月、日中平和友好条約調印。
 その年の4月に中国漁船が尖閣列島で示威行為を行った。)

(ここからが大事なところなのだが)自分たちが好きならば、相手も好きに違いないと考える料亭式の思考を日本人はみんな持っているように見える。 
 だから、政治家やジャーナリストが、これだけ中共を愛し抜いているのだから、中共側も無条件で日本を愛し抜いているだろうと考えてしまうのではあるまいか。
 その相思相愛のはずの中共が、こともあろうに鉄砲を装備した漁船を、神聖なる日本領土たる尖閣列島に100隻も出動させるとは不思議で仕方がないと人々は考えた。


 ─続く─
  

昭和のマロの考察(44)医療(19)

2010-09-19 06:37:57 | 昭和のマロの考察
 <iPS細胞誕生>(4)

 さて、ES細胞独自の細胞を24個にまで絞り込んだ。これから4個に絞る。

「これもまた高橋君が、<そんなに考えないで、1個ずつ抜いていけばいい>と言ったんです。本当に大切な因子なら1個でも抜けただけで初期化できないだろうと。すごくいい考えだったと思いますね。
 僕もあと1日考えたらたぶん思いついたとは思うんですけども。僕より頭が柔らかかったということでしょうね。
 ただその時高橋君は、24個の候補の遺伝子のうち23個だけで実験をやろうとした。それはさっき話しに出た、途中で研究室を移った女性が見つけた遺伝子で、同級生でもある彼女に悪いからと、高橋君は遠慮してその遺伝子を外そうとしたんです。
 僕が<あれやってないの?>と聞いたら<やっていいんですか?>って
 結論から言うとその遺伝子はとても重要で、ここで外していたら絶対iPS細胞はできていなかった」
 


 ・・・へえ、そんなことがあったんだ。・・・

「紙一重なんですよ。とはいえ高橋君は、その実験をきちっとしたことが素晴らしい。間違えずに遺伝子を1個抜いて、残り23個を入れるのは、なかなか難しいですから。
 1個抜き、1個抜きを繰り返して、4つの遺伝子に絞り込むことができました」


 そして<ヤマナカファクター>と呼ばれるOct3/4,Sox2,Klf4,c-Mycの4つの遺伝子を遺伝子の運び屋レトロウイルスペクターを使って導入するという、生物学の実験としては比較的簡単な手法によって、iPS細胞を作り出すことに成功した。

 以上、素人なりにiPS細胞誕生の過程で興味深く思った点に絞って引用してみました。
 <山中伸弥のiPS細胞>ではありますが、その誕生の裏には、先人の研究成果を活用したことや、研究所第一期生の女性や高橋君の地道な下支えがあったことを知り、それを語った山中先生の誠実さとともに・・・なるほど!そうなんだ・・・と感銘を受け書き写してみました。

 この<医療に関する考察>について、ある専門家の方から「素人の方にしては専門的な記載の記事の、受け売りは見事です」とコメントをいただきました。
 また別な方からは<官僚の考察>の際に、「太字が引用なんですね。で、肝心の考察は?と、当初は戸惑っていましたが、次第に、その集め方からマロさんの主張を推察して楽しむようになりました」と言っていただきました。

 おっしゃる通りまさに受け売りです。
 こんなものを書き出したきっかけは、博物学者荒俣宏氏の下記の文を読んだからです。
 


・・・読み広げていくうちに、この世のぼう大な書物の多くは<孫引き>ではないかと思うようになった。書物は古代からあるものを取っ替え流用しているに過ぎず、それをどんどんさかのぼらなければ、真のオリジナルへは着けないと悟った。・・・
 内容のオリジナリティや価値観を追い求めているのではない。書き写すことによって、ある満足や納得に達しているのだろう。


 というわけで、ぼくは毎日、「なるほど!」思うことを<写経>のように書き写しているというわけです。
 今後もいろいろな括りで<考察>?を書いてみるつもりです。ご批判のほどよろしく。

昭和のマロの考察(43)医療(18)

2010-09-18 05:38:48 | 昭和のマロの考察
 <iPS細胞誕生>(3)

 次のステップでは、ES細胞で働いている100個の遺伝子から、ES細胞だけで特異に働いている遺伝子という条件で絞り込んでいったら、それが24個になった。
 初期遺伝子はその中にあるに違いない。

「細胞の初期化が起こったかどうかは、簡単にはわかりません。普通は調べるのに1ヶ月以上かかります。
 そこで、この研究とは違う目的で行われていた抗がん剤とそれに対する耐性遺伝子の研究を応用し、細胞が初期化していれば生き残り、そうでなければ死んでしまうというマウスを作ったんです」



 ・・・うまい検定方法を考え出したんだ・・・

「奈良先端大で僕の研究所の一期生の一人だった女性がその方法を編み出してくれました。
 彼女は途中で違う研究室に移ってしまったので、僕が京大に移った時に一緒に来ることができなかった。iPS細胞を作り出すのに多大な貢献をしてくれた功績者なのですが、iPS細胞樹立の最終チームから外れてしまった。ちょっとかわいそうなんです。
 最終的に絞り込まれた4つの遺伝子のうちの一つ、Klf4をみつけたのも彼女なんですが」


 ・・・最終的にiPS細胞を作るのに必要な遺伝子は4つだと解明するわけだが、まず24個から4個に絞らなくてはならない・・・

「・・・まず、24個の遺伝子すべてを含む細胞を作ろうと考えました。遺伝子が1個なら簡単に取り込んでくれますし、2個でもうまくいくかもしれない。しかし高橋和利君(現・京大講師)という学生が、<まあ、先生、やってみます>とやってみたらうまくいった
 高橋君は工学部出身であまり生物の実験をしたことがなかったから、24個同時に入れても無理だと思わなかった。実際にやっても、失敗する場合のほうが多いんですけどね。すごく運がよかったのは、その24個の中に、最終的にiPS細胞を作る時に必要となる4個が全部入っていたということです」


 ─続く─

昭和のマロの考察(42)医療(17)

2010-09-17 06:29:38 | 昭和のマロの考察
 <iPS細胞誕生>(2)

 2001年に京大の多田高準教授が、体細胞をES細胞に融合させることで体細胞を初期化できることを示し、山中伸弥教授は卵子のみならず、ES細胞にも初期化する力があることを知る。
 その細胞を初期化させる因子探しに取りかかることになる。
 そこで山中教授は、実験室で細胞を培養して調べる、いわゆる<ウエット>な実験ではなくコンピューターを用いてデータベースを検索し、目的の因子を拾い出すという<ドライ>な手法を用いたところがユニークだった。

「僕は、まず第一段階としてES細胞だけで作用する遺伝子を片っ端から全部みつけたいと思っていました。それができたら、その中に必ず初期化因子があるはずだと。
 <ウエット>な実験で候補となる遺伝子を見つける方法は王道ですが、おカネもめちゃくしゃかかるし人手もいります。当時は独立してすぐだったので、研究費もほとんどなく人手も少ない。<ウエット>な実験も試みましたが、なかなかうまくいきませんでした」



「その頃コンピューター上に、遺伝子に関する貴重なデータがどんどん蓄積されつつあることに気がついたので、さっそく目をつけた訳です。しかもデータベースを利用するのはタダ。・・・おカネがないなかで出てきた苦肉の策が、データベースやインターネットを活用することだったんです」


 まさに若き世代の創意工夫だったわけだ。

「自分でES細胞のデータベースを作るしかないと思っていた。ところがちょうどそのころ、林崎良英先生(理化学研究所)が大量に公開された理研の仕事の中に、ES細胞由来のデータも入っていた。自分でする必要がなくなったんです。 
 次はデータを解析するプログラムが必要だと思っていたら、そのプログラムも、アメリカの国立バイオロジー情報センターで無料で公開されていることがわかった。こちらもまた、自分でつくる必要がなくなっちゃった。そのプログラムを自分で少し改良して使いました。だから僕の研究というのは、人がしたことを勝手に使わせていただいてできたようなものなんです」


 たしかに世界中の同業者による共同研究の上に山中教授たちの成功があるわけだが、それを使うという才覚こそその要といえる。

 しかし、コンピューターでは手先でキーを叩けばできる計算だけだったのが、次は手作業の<ウエット>な実験で一つ一つ時間をかけて確かめていかなくてはならない。

 ─続く─

 
 

昭和のマロの考察(41)医療(16)

2010-09-15 06:42:57 | 昭和のマロの考察
 <iPS細胞の誕生>(1)

 京都大学山中伸弥教授が世界で初めてiPS細胞(人工多能性幹細胞)の樹立に成功したというのは、大変なビッグニュースだった。
 何しろ、患者本人の細胞から神経、筋肉など体を構成する200種類以上の器官をつくるためのあらゆる細胞を作り出すことができるというのだから、まさに想像を絶する医療技術が誕生する可能性を秘めた細胞と言える。

 山中教授がその誕生の経緯を、文芸春秋誌上で、<iPS細胞の巨人に迫る>という立花隆に語っている。

 それが何とも「へえ、そうなんだ・・・」と興味深かったのでここに自分なりに感じたまま表現してみる。

}「私は結構単純ですから、近いうちにはできるんじゃないかと思っていました。・・・理論的に可能なことなら必ず実現できると」
「1999年末に奈良先端科学技術大学院大学で初めて自分の研究室を持ったとき、多くの研究者はES細胞からいろいろ細胞を分化させる研究をやっていました。同じ研究をやっても勝ち目がないので、僕はES細胞そのものを作る研究をしようと決めたんです」
「そのときに立てた仮説は、ES細胞をES細胞たらしめている大事な遺伝子があるはずで、それを見つけて皮膚の細胞に入れれば、皮膚の細胞がES細胞のような性質を獲得するのではないか、というものでした」


 ・・・なるほど!この仮説を立てたことが、山中センセイのすごいとこなんだ・・・

「こうした<細胞の初期化>、言ってみれば細胞の時計の針を戻す研究は、1962年にケンブリッジ大学のジョン・ガードン先生が始めました。彼は、核移植という技術を使って、カエルの腸の細胞の核を卵子に移植してオタマジャクシを誕生させることに成功しました。カエルという生体に分化していた細胞が、オタマジャクシに戻ったわけです」
 
 ・・・それから30年以上経って、複雑で難しいといわれていた哺乳類で、例のドリーというクローン羊によってイアン・ウイルマット博士が同じ方法で誕生させることを実証した。・・・

「ドリーの成功によって、理論的には人の細胞の初期化も可能であることを研究者はみんな理解しました。何十年もかかると思われていましたが、理論的に可能なら、いつかはできると。ただ、僕ができるとはわからなかったですが」

 ─続く─ 
 

昭和のマロの考察(40)医療(15)

2010-09-14 05:39:19 | 昭和のマロの考察
 <コレステロール値、高い方が死亡率低い>
 先日、日本脂質栄養学会で研究成果が発表された。


「何じゃそれ!」とぼくは思った。

 コレステロール値が高いと<高脂血症>と診断され、高血圧、糖尿病、肥満とともに<死の四重奏>と呼ばれ、<メタボリック症候群>と言われているんじゃないの? と。

 日本では狭心症などの持病がない場合血中のLDL(悪玉)コレステロール値が140ミリグラム以上で高脂血症と診断される。日本動脈硬化学会が07年にまとめたもので、厚生省や多くの医療現場が基準値として採用している。

 ところが、
 浜崎智仁・富山大学和漢医薬総合研究所教授(日本脂質栄養学会理事長)らは、東海大学が神奈川県伊勢原市の老人基本健診受診者(男性8、340人、女性13,591人)を平均7.1年間追跡した調査などを分析、男性ではLDLコレステロール値が79以下の人より、100~159の人の方が死亡率が低く、女性ではどのレベルでもほとんど差がないとの結論を得た。

 また、茨城県などが冠動脈患者や脳卒中の既往症のない男女約90,000人(40~79歳を対象に平均10.3年間追跡した調査でも、冠動脈疾患死とコレステロール値との因果関係はみられなかった。

 これを受け脂質栄養学会は昨秋、浜崎教授を委員長に<長寿のためのコレステロールガイドライン策定委員会>を設置。
「特別な場合を除き、動脈硬化性疾患予防にコレステロール値低下目的の投薬は不適切」などとする内容を盛り込むことで検討している。


 また、浜崎教授は「日本でコレステロール値を下げる薬の売り上げは年間約2,500億円。関連医療費を含めると7,500億円を上回る。この中には多額の税金も投入されており、無駄と思われる投薬はなくすべきだ」と話している。(9月3日毎日新聞より)

 ある医師の指摘によれば、

「悪玉コレステロールを下げる薬はスタチン製剤とよばれるもので、これは日本が最初の開発に携わったこともあり、わが国では爆発的にこの種の薬剤の処方が増加しました。
 しかしその処方のされ方に関しては様々です。たとえば「動脈硬化予防のため」と称してコレステロールの検査値は正常でも投薬している医師がたくさんいます。
 ときには<歳をとると動脈硬化は当たり前だから>という理由で、血液検査もしないで薬をだす乱暴な医師もいるのがわが国の現状です。
 また悪玉コレステロール(LDL-C)の正常値はわが国では100-139mg/dIですが、欧米では上限はほとんど160mg/dlです。
 一般的に日本は欧米に比べて、血液検査の正常値は厳しく決められており、ときには製薬会社とグルではないかと、諸外国からは非難の声も聞こえます」

 むしろ最近、コレステロール値を気にして野菜ばかり食べて、肉を食べないので栄養不良になっていることが問題視されているというテレビ番組があったっけ。・・・

 ─続く─