昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(31)W杯、駒野で負けたのか

2010-06-30 06:38:50 | エッセイ
 日本のサッカー・ワールドカップ南ア大会は終わった。
 駒野のPKがバーに嫌われて失敗したことで終わった。
 

 ベンチの壁にもたれて悄然とする闘莉王、涙する大久保や松井たちの無念。PK戦に勝っていれば、スペインと準々決勝を戦うことができたのに・・・。その強豪に勝てるかもしれないという期待(妄想?)を我々観戦者も今日からまた何日か楽しむことができたのに・・・。

 控えの選手を含めチーム一丸となって戦ってきた成果だと、これまで言われてきたが、控えの選手たちだって、正直ピッチに立てないまま去るのではさぞ無念だろう。
 遠藤と長友がイエローカードを喰らい、次の試合に出れなくなったとき、これで中村俊輔や内田が出れるかもしれないとぼくは彼らを思いやった。しかしその機会はもうない。

 <また自分はワールドカップに縁がなかった>という無念の顔が俊輔から読み取れた。
 

 観客席の涙を流す人たちをテレビは映し出していた。もし勝っていれば、彼らのみならず、日本全国各地で観戦している人たちが歓喜雀躍する姿が見れたろう。
 そして次のスペイン戦まで、我々はまた期待感に満ち溢れ、反芻する時を過ごせただろう。
 昨日の夕刊に<明日の朝刊は万全の体制を組むため、配達が遅れるかもしれません>と記していたが、そんなマスメディアの努力もこれでパーになってしまった。
 勝っていたから、成功のシーンだけでなく、失敗の場面だって何回も読み返す気になった。負けた試合なんて読む気がしない。
 
 自分の失敗がなければと、駒野は日本国中の責めを一身に背負って、彼の胸は張り裂ける思いだろう。W杯ベスト8、日本初の快挙、一丸となって戦ってきた仲間の期待もあの一発でダメにしてしまったのだ。
 しかし、君が成功していたとしても、他の誰かにその責めの役割が代わるだけかもしれない。PK戦なんてそんなものだ。

 そもそもPK戦に持ち込む前にカタをつけられなかったのが問題なのだ。
 客観的に対パラグワイ戦を見ていて、球のキープやパス回しなど実力は彼らの方が上だった。引き分けに持ち込めただけ日本はがんばった。今の日本の力は正直ここまでだった。
 <勝負事>はそんなに都合よく運ぶ甘いものではないことを駒野が知らしめてくれたともいえる。
 それにしても<勝負事>やはり勝たなければダメだ。

 
 
 <ドーハの悲劇>、<ドイツ大会の屈辱>と同様、また改めてこの悔しさをバネに、勝てる確率をさらに高めるよう研鑽努力しなければならない。

有名人(41)男の魅力(14)本田圭祐

2010-06-25 10:42:03 | 男の魅力
 「やった!」サッカーワールドカップ、強敵デンマークに3-1で勝利を収め、日本は決勝トーナメント進出を決めた。
 
「それほどうれしいとは思わない」 勝利の立役者本田圭祐はそう言った。


「(自分には)持ってるものがありますね」「(自分にとっての)目標は優勝ですから」
 緒戦、カメルーンに貴重な1点をもたらした時の彼の言葉だ。
 正直このことばを聞いて、なんとふてぶてしい男だろうとぼくは思った。

 オランダ戦でボールを奪われ、圧倒され、何の働きもしない彼の姿を見て「いやあ、言ってるほどの者じゃないよ・・・」と言っていた彼のおじいさんの言葉を思い出し、やっぱり単なる<ビッグマウス>にすぎないのか、口ほどにもないやつだとぼくは彼の評価を下げた。

 しかし、今回のデンマーク戦でぼくは彼を完璧に見直した。
  

 フリーキックを遠藤ではなく、彼が打とうとしていたとき、ぼくは前の試合、彼の浮き上がった失敗キックを思い出していた。
 ヨーロッパ選手権のとき、ロシアのチームの一員として成功したキックだって、相手のゴールキーパーのミスかもしれないじゃないかと・・・。
 
 しかし今回のフリーキックは評判どおりの無回転で落ちる完璧なものだった。
 それと、3点目のアシストがすばらしかった。普通の選手ならあの時自分でシュートしただろう。しかし、彼は冷静にサイドの岡崎に送って完璧を期した。
 そういえば、カメルーンから奪った貴重な1点も彼の冷静な足捌きから生まれている。

「今回はゴールしたとき観客席に向かいましたが?(前回はベンチに向かった)」
 バカなインタビュアーが彼に心情的なコメントを期待して質問したが、彼は「ただ、近かったから・・・」といなした。さらに「胸の国旗のマークに手を触れたように見えたのですが?」と国を背負う言葉を引き出そうとすると「それは当たり前のことで、むしろテストマッチの際はその意識が強すぎてから回りしていたので、今は自然体でやている」と返した。
 つまり、彼は単なる大口たたきではなかった。冷静に状況を見極め処理するクールガイでもあった。
「それほどうれしいとも思わなかった・・・」
 月並みでない、この言葉に彼の本心が現れていると、ぼくは彼を改めて見直した。
 彼はこんなものでは満足しないのだ。
 
 日本に新たなスターが誕生した。
 

ペット(8)雀のチュン太6

2010-06-11 05:41:12 | ペット
 高樹のぶ子さん(芥川賞作家)のブログで<意思表示>というのがテーマになったことがあった。タクシーの運転手が「最近、お客さんがなかなか手を上げてはっきり意思表示をしない」と言ったのだそうだ。
 たしかに日本人は<以心伝心>ではっきりとした意思表示をしないことが多い。ひいては外交姿勢にも繋がって問題視されることがある。

 たまたま、雀でもちゃんと<意思表示>しますよと、ウチの雀のことを話題にしたら、いろいろとコメントをいただいた。
 ウチの<チュン太>は幼鳥で庭に落ちて来たのを拾って育てたのだが、すでに11年を超えた。 
  


 普通、野性だと2~3年しか生きないそうだ。
 さすが、最近では籠から出しても前のように勢いよく飛び立って鴨居に止まって捕まえてみろというように鳴きたてる元気はない。
 飛び立っても1メートルぐらいですぐ落ちてしまう這い鳥だ。
 
 餌を撒き散らすという理由でもともと床置きの籠に入れてある。
 先日、ヒーヒーと悲鳴を上げているのを見たら、なんと巣から宙吊りになっている。
 なんと伸びた爪が巣に引っかかってぶら下がっている。
 家内がさっそく伸びた爪を切ってやった。
 曲がってしまってちゃんと機能していない爪もある。
 
 一時、くちばしが<いすか>のように上下食い違ってきた。
 ところがいつの間にか元通りになっている。
 伸びすぎたくちばしの一方の先が落ちたのか?などと思っているが・・・
 11年も生きてすごいですねと言われたが、ウイーンのシェ-ンブルーン宮殿にマリア・テレジア(マリー・アントワネットのお母さん)の15年生きた愛鳥の剥製があったのを思い出した。雀ではなく駒鳥のような鳥だと思ったが・・・。

 愛情を込めてチュン太を見つめると、チと応える。少し離れると、もっとそばに居ろと言うようにピーピーとかわいい声を上げる。もっと離れるとジャージャーと戻って来いとばかりに威嚇する。雀でも<意志表示>するんだ。
 外の雀を見ると固まっている。自分は人間だと思っているらしい。 

 ヨーロッパのスズメは人に近寄ってくるのに日本のスズメは警戒心が強い。焼き鳥にされると思っているのかしら。
 杉本章子さん(直木賞作家)の庭には何十羽のスズメが毎日やってきて、餌を与え、スズメは子どもを生んで見せにくるそうだ。1羽、1羽名前もあるそうで、識別出来るのだそうだ。彼女の前では焼き鳥の話は厳禁です。

 ミャンマーのお寺の周辺で、スズメを<放す>ために売っているそうだ。放されたスズメが戻ってきて、籠に入れられ、又売られ、放され、戻ってきて・・・
 などといろいろコメントをいただきました。
  

三鷹通信(27)時計のある街

2010-06-07 05:23:13 | 三鷹通信
 三鷹ブログ村で知り合ったタテさんのブログで、わが街にいろいろな時計があることを初めて知った。
 <動画 街のコレクション>をご覧下さい。

 触発されて、時計を探しながら三鷹の街を歩いてみた。

 三鷹は公共下水道100%達成、日本初の下水道完備都市として有名である。
 
 なかなか都市計画には熱心な街なのだ。
 歩いてみると、東京郊外の田舎街も、道路の拡充が進み、街としての体裁が着々と整いつつあることを実感する。
 街の東西を貫く<東八道路>、南北に走る<かえで通り>、いずれも往復4車線、歩道の他に自転車専用路も完備しつつある。
 さらに調布市<神代植物園><深大寺>と繋がる<武蔵境通り>も同様大通りとしてほぼ完成した。

 しかし、こういう新しい道路には予想通り時計なんかなかなか見当たらない。
 それでも気をつけて見ると見つかる。
 武蔵境駅から東八道路にぶつかる<かえで通り>
  
 基点の武蔵境駅前にありました。
  
 <人見街道>との交差点に拡張された道路のスペースにベンチと、何か記念碑が立つつようです。 <東八道路>との交差点、大きなホームセンター<Jマート>の角にありました。


 <東八道路>
    新しいマンションには珍しい時計。

 <人見街道>延長線上にある市役所。
 

 <中央通り>の末端にある連雀コミュニティセンター
 


 東八道路から三鷹駅に向う<三鷹通り>
  大成高校。

 調布市と結ぶ<武蔵境通り>
   <東八道路>と交差する<武蔵境通り>から調布市に入ったすぐにある調布北高校。

 こう見てくるとほとんどが公的設備。タテさんの動画に見られるような洒落たものはない。たぶん、井の頭公園に近い風致地区にあるものでは・・・。
 しかし、いずれも時間を正しく刻み、生きていました。