昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(225)子役頼み

2012-01-31 06:09:41 | なるほどと思う日々
 先週の朝ドラ「カーネーション」、ついに泣いちゃった。
 組合の理事長から頼まれて、主人公の糸子は以前から気にかけていた若者、工場をクビになった周防くんを店に引き取り、仕事を手伝ってもらうことになった。
 やがて彼女の隠しきれない彼に対する思いはウチに外にへと知れ渡る。

 糸子に片恋慕していた工場長が立てたあらぬ噂で、「妻子もある若い男を引っぱりこんだ!」と、親族や近所の人たちが押しかけ、彼女の店の主要な従業員までが彼女の行為に非難を浴びせる。
 糸子は「みなさんのおっしゃることはもっともですが、悪いことをしているとは思ていません。周防さんのことはそのご家族の生活が成り立つようにこれからもしっかりと守っていくつもりです」と、畳に頭をすりつけてみんなにこのまま認めてほしいと懇願する。

 その決意に誰も口をはさめない。
 しかし、糸子の優しいお母さんだけは「でも、3人の子どもたちが不憫で。学校で何を言われるか分からんし・・・」と孫のことを思いやる。
 その時、これらのやりとりを二階で聞いていた3人の小学生の女の子たちが降りてきて、みんなの前に揃って正座すると、頭を畳にすりつけて「おかあさんの思い通りにさせてください」とお願いする。
 
 ・・・今まで親の仕事一途で放ったらかしにされていた子どもたちが・・・

 文句を言いに来たみんなだけでなく、見ているぼくも、思わず涙してしまった。

「やっぱり最後は子どもでっせ!」
「芦田愛菜ちゃん、鈴木福ちゃんのマルマルモリモリに始まって、家政婦のミタの本田望結ちゃん、NECのCMの谷花音ちゃん。ドラマもコマーシャルも今やお子様頼み!」
   

「大人どもよ、自らのために子どもたちを都合よく使うことより、子どもたちの将来を考えてやらんかい!」

「野田総理よ、政策も今の大人たちに対する配慮より、チルドレンファーストでっせ!」

 なんで関西弁なんや?
 政治を変えようと気張っている橋本大阪市長の影響か?

 それにしても国会でそんな橋本氏にすり寄るシロアリ論争なんかしている場合じゃないですぜ、政治家諸君!

エッセイ(109)ダサいスピーチ

2012-01-24 05:00:26 | エッセイ
 先日、ダルビッシュ・有が、アメリカ大リーグ・レンジャーズへの入団会見を現地で行った。
 メチャ恰好よかった。
 

「英語? そんなもの用意してません。ひげをそる間もないほど忙しかったし・・・」
 内外注目の会見だったし、多数の報道陣の集まる中、彼は英語でのリップサービスなんか頭から考えていないようだった。
 今までの日本人の会見というと、I am Y.D. from Japan. などと一生懸命覚えてきたあまり意味のない英語をしゃべってダサいこと夥しい。
 ところがダルビッシュは「ぼくの速球はそれほど速くないけど、変化球は多彩で自信もある・・・」と、これからの新天地でやっていけることを具体的に、みんなの聞きたい意味あることを、自信満々に堂々と表明した。

 この会見を見ながらぼくには苦い思い出がよみがえってきた。
 実は、中学校「職業人の話を聞く」に参加してみないかというお誘いを受けた。
 

 初めてのことなので、事前にオリエンテーションを受け、ロールプレイする会合に参加した。

 先ず、同様に参加される方たちと今の中学生と自分たちはどこが違うかについて話し合った。
 そして、そんな中学1年生に社会人の先輩としてどのようにアピールしていくかということで、ぼくが話すことになった。
 「なせば成る。なさねば成らぬ何事も」ということを実体験の中から中学生に伝えるつもりでしゃべりだした。
 ところが、しゃべりだしてすぐ、リーダーの方からストップがかかった。


「メーカーとかユーザーとかルート販売とか言っても中学生には分からないと思いますよ。商社だって分からないかもしれない。ましてや過剰在庫なんて言っても商品自体のイメージが湧かないし、おそらくみんなにそっぽをむかれてしまうと思いますよ」
 確かに相手は社会経験のまったくない連中だ。
「実際に幼い中学生を目の前にすれば、自ずとしゃべる内容は変わるとは思いますけど・・・」と言っていただいたが、汗顔のいたりだ。
 かっこよい内容をしゃべることだけが頭にあって、どういう言葉なら伝わるかまで考えが及んでなかった。
 本番で<意志の伝わらないダサいスピーチ>になりかねなかった。
 事前にオリエンテーションで恥をかいてよかったと痛感した次第。
 
 

エッセイ(108)民衆と統治者

2012-01-15 05:37:09 | エッセイ
 やらなければならないことがある。
 逃げることのできないことがある。
 先送りのできないことがある。
 民主党にとってというより、日本にとっての正念場である。
 惰性で解決できる問題ではない。
 選挙は苦しくなるかもしれないが、耳触りのいいことだけでなく、国民に負担を強いることもお願いしなければならない。
 鳥の目で俯瞰して、未来に永続するための施策を日本が作れるかどうか、それを着実に推進するための突破力のある内閣を・・・

 
 
 内閣を改造した野田総理のコメントはなかなか高邁で格調の高いものだったと思うが、どういうわけか新聞には詳しく載せられなかった。
 自民党の谷垣総裁などは、「マニフェストで掲げたことをまるっきり放棄してしまったことに対する反省がない。選挙で改めて民意を問うべきだ」という趣旨のことを言っている。
 たしかに、選挙でおいしいことをずらずらと掲げて政権を奪取しておいて、政権を取ったとたんにやってることがぜんぜん違う方向に向いている。
 選挙民からすれば公約違反だと言いたくなるのは分かる。

 しかし、言い換えれば自民党が主張していたことに政策を転換してしてしまったのだ。
 むしろ、「そうだ、そうだ、その通りだ」と言って、むしろ内閣の一員として協力する手段もあったのではと思ってしまう。
 ただ、選挙、選挙、と言い募って反対するのは、国家大計のことより議員自らのことを優先する本音が見えて見苦しい。

 友人M氏からの情報によれば、田原総一郎氏は「なぜメディアは真実を言わないのか」とメディアの姿勢も批判しているという。
 つまり、今やるべきことは、歳出を減らすことだ。
 ところが医療費負担を引き上げる、年金の支払いを遅らせるなどと言えば国民から総スカンを食らう。
 だからマスコミはそれに触れられない、と。

 つまり、政治家もマスコミも民衆の反応を第一に考えて、物を言い行動する。
 野田総理のコメントが統治者として優れていると思うのは、その触れてはならないタブー、つまり民衆に負担を強いるという点に敢えて踏み込んでいることである。
 そしてこの改造で注目するのは岡田克也氏の副総理としての起用である。

 ここで、<塩野七生氏の男の肖像>の、アテネの政治家ペリクレスのことを思い出した。
 
 彼は、民衆から「玉ねぎ頭のゼウス」とか嘲弄とも言える悪口を受けながらも四十年もの長きに亘って政権を維持し続けた。
 民衆とは統治されることは受け入れても、統治者に対する批判の権利だけは手放したくないと思う人種である。
 ペリクレスは被支配者には、何かの形で思いを発散させておいたほうが支配しやすいと思っていたのだ。
 そして民衆は賄賂ということにはひどく敏感に反応することを知っていた。
 民衆に思い切り悪口を言わせ、自分自身はクリーンであることで40年間統治し続けることができた。

 岡田氏は業界からの献金だけでなく、支持者からの贈り物も一切受け取らないことで有名である。
 民衆に媚びない野田氏とクリーンな岡田氏のコンビで、民衆たちをどう統治していくのか見ものである。
 

三鷹通信(47)シニアSOHO普及サロン

2012-01-08 07:50:45 | 三鷹通信
 北海道新聞、元旦特集記事<生涯現役へ>にシニアSOHO普及サロン・三鷹の記事が掲載されたことをすこやさんのブログで知った。
 
 ぼくが退職して7~8年お世話になったすこやさんが1999年に創設した団体だ。
 
 当時退職したばかりのぼくがやっていたことは、一日中パソコンにかじりついてインターネット株取引にうつつを抜かしていることだった。
 見るに見かねた家内から外へ放り出されて、大学や中学校の同窓会に顔を出すようになり、そこで巡り合ったのが創設間もないシニアSHO普及サロン・三鷹だった。

 そしてすこやさんの「ただならぬおじさんん、おばさんを実践しよう!」という、今を先取りする「地域おこし」に燃える檄に触れた。
 そこで先輩の指導もあって、ネットで囲碁を楽しむグループを立ち上げた。
 これからはITの時代だ。まだパソコンに慣れていないシニアを好きな囲碁を通じて親しんでもらおうという企画だった。
 市が建てた産業プラザビルのインタネットカフェで、大手囲碁ネットを無料で利用できる契約をし、ネット囲碁講座を開設した。
 市のIT展示会では、当時の森総理大臣にアメリカの囲碁仲間と対局するデモンストレーションも披露した。

 他にも大学の同窓会のゴルフ会、麻雀会、囲碁会などの幹事役も務めシニアとの交流も深めた。

 さらに昨年、特筆すべきは、「子どもたちの安全・安心の居場所づくり」と「子どもたちの活性化」をシニアが支援する<地域支援活動>に参加したことだ。
 <囲碁教室>、<何でも書いてみよう教室>に参加した。
 さらにタテさんの<ミニミニ講座>にも参加して地域社会に活動される方々との交流もできた。
 今年は某テレビ局の編集者の方が立ち上げる<読書会>にも参加する予定だ。

 残された人生でやるべきことが見えてきたような気がする。
 この12年間の交流で得た経験を生かし、これまで蓄積してきた思いを世に発信すべく創作活動を深めることだと。
 

なるほど!と思う日々(224)人生のお客様

2012-01-04 05:13:50 | なるほどと思う日々
 正月第3日目は、いつも家内の妹とおっかさんが住む横浜へ行くのだが、今年は向こうから来るという。
 初めてだからMAPIONで地図などをプリントアウトして、FAXしようとしていたら・・・。
「もう着いたんですって。マンションの裏口に・・・」と、家内が降りて行っておっかさんを連れて戻ってきた。
「お元気ですね」
「元気よ。頭はボケてるけどね・・・」
 おっかさんは90歳を超えたがまださっさと歩けるほど達者だ。
 なにしろ、彼女は若かりし頃職業婦人として女で一つでしっかり歩いてきたという自負がある。

「Jマートの駐車場へ案内してあげて」
 家内から言われて降りていくと白いマークⅡのドアが開いた。
「ずいぶん早かったね。心の準備ができなかったよ・・・」
「246で来たんだけど、ずいぶん空いていて・・・」
「えっ? 下で来たの? 正月だからその方がよかったんだ。東名は帰省車で混んでいるって言ってたから」
 彼女を誘導してJマートの3F駐車場へ。

「パパ元気そうね」
「いや、キミこそ・・・」
 エレベーターで降りながら改めて新年のあいさつをする。
 職業婦人?(保険代理店を経営している)の彼女は60を超えたと思うがまだ若々しい。
 声もかわいいし、スタイルもいい。
「ずいぶん遅かったじゃない?」家内に言われて、「いや、今日は正月で近道出来たし、そんなことは・・・」と思わず言い訳をしてしまった。

 そのうち近くに住む娘が孫を連れてやってきた。
 孫娘のリクエストでAKB48の西武ドーム公演の録画を見る。
「去年のレコード大賞をもらったのよ」と家内。
  

 ところが、「どこがいいのかしらね」
 おっかさんも、妹もあまり関心がないみたい。
 今どきAKB48をあまり知らない人もいるんだ・・・。
「ほら、観客を見てごらん。男ばっかりじゃん・・・」
「ウチのパパなんか、まゆゆがいいなんて言ってるのよ」
「みんなおんなじようなかおしてるじゃない。区別がつくの?」
「1年もずっと見てると分かるんですって・・・」
 女5人の中、男一人でぼくは浮いていた。

 そして思い出していた。
 高樹のぶ子氏の、男は<人生のお客様>説を。
 「フレデリック・ショパンがノアンのジョルジュ・サンド館に9年ばかりお世話になっていたことがあったの。そこの宿り木を見て思ったの。
 ショパンはそこでお客様気分で過ごしたのね。男性は<お客様気分>の人が多いですね。人生の当事者というか主催者は、やはり女性、妻、母です。お客様はご機嫌よく、早めにお見送りして、後はのんびりとラクチンしたい。あるのかも。こわいでしょう?宿り木からとんだ想像でした・・・」
 ・・・う~ん。なっとく・・・
 


 
 

エッセイ(107)文明の進化路線に逆らえるか(24)

2012-01-02 05:50:14 | エッセイ
 年頭に述べたように、昨年はまさに時代を隔する年だった。
 国際日本文化研究センター顧問、哲学者でもある梅原猛氏は、福島第一原発事故によって、「文明は変わらなければならない。文明を基礎づける哲学も変わらなければならない」とまで言い切っている。
 つまり、科学が発展すれば人間は自然をコントロールできるという従来のデカルトの哲学が揺らいでいると言うのだ。

 <メキシコの朝>でD.H.ロレンスは言っている。
 時間にしても、距離にしても、メキシコ人にとっては漠然としたものなのに、白人どもはそれらをぶつぶつと細かく、しかも精密に切ってしまう。それを基に白人どもは人間が生活するカギを握ってしまった。
 黒い目のメキシコ人は生きるために傲慢な白人どもに従属を余儀なくされた。
 一日の時間割、お金、秒単位で動く機械、メキシコ人もそういった白人どものトリックを学ばなければならなくなったのだ


 日本人は持ち前の器用さによって、たちまちそういった白人どものトリックを身に着け、白人どもに追いつき、追い越すまでになった。
 ところが、昨年皮肉にも自然の猛威の前に、そのさらに前進しようとする野望が無残にも打ち砕かれた。
 そしてその野望を放棄すべきか否かの岐路に立たされている。
 つまり、悪魔のエネルギーと言われる原子力をコントロールし、核融合研究・・・いわば地球に太陽をつくるなどという人間の思い上がりが今岐路に立たされている。

 むしろ、そんな悪魔のようなエネルギーによる原発から手を引いて、<もったいない精神>で自然と共存する道を選ぶべきだという、文明を根底から考え直そうという思想が注目を浴びている。
 

 しかし、厄介なことに人間は<国>という単位で行動している。
 日本だけが悪魔のエネルギーから手を引いても、アメリカを始めとする他のフランスやイギリスなどの先進国、そして追いかけてくる中国やインドなどの大国はまったく手を引く気がない。
 むしろ悪魔のエネルギーも克服できる、つまり自然をコントロールできるという思想が依然として生きている。
 仮に日本が原発を止めたとしても、他の国が止めない限り、放射能汚染のリスクから免れることはできない。
 それに、人間が生きるために一番気にしている経済活動競争に後れをとることになるリスクが新たに生じる。

 ドイツは勇敢にも原発を放棄することを決意したが、彼らは当面周辺のフランスなどから原発エネルギーを購入できることを織り込み済みなのだ。
 日本は原発を止めて、周辺国から電力を購入できる環境にない。つまりそんな送電網はないことを頭にいれておく必要がある。
 それぞれの国の政府は自国の経済的利益を確保することが最優先課題で、そのためには原発も必要だという考え方が依然として世界を支配している。
 つまり自然をコントロールできるという従来の哲学を変えさせることは至難の業である。

 当面、日本の取るべき策は、現存する原発を事故の経験を生かして慎重に運営し、他のエネルギー源、自然エネルギーはもとより、日本近海に大量に存在するメタンハイドレートなどの資源の開発に努めなければならない。

 人類の飽くなき進歩を求める姿勢は、人類の根源的な性癖であるようだ。
 改めて、<人類は文明の進化路線に逆らえるのか?>と思わざるを得ない。
 
 

エッセイ(106)辰年の春

2012-01-01 05:32:15 | エッセイ
 明けましておめでとうございます

 このところ晴天が続いていますが、日本海側は雪だとか。
 そちらから吹き下ろしてくる風は冷たい。
 ベランダから臨む百日紅の園もすっかり冬景色です。
 ベランダから寒さに弱い植木がリビングに引っ越してきました。
 
 (パッションフルーツ、月下美人、木立ベコニア、ガジュマル)
 思えば、昨年の11月28日、ここに居座っていた雀のチュンタが12年の長寿を閉じた。
 (カテゴリー、ペット9)

 昨年は時代を隔する年でした。
 東日本大震災。
 福島第一原発事故。
 世界金融危機
 政治体制の変革
 そして、
 東京スカイツリーの完成。
 なでしこジャパンの活躍。

 それらへの思いを「レロレロ姫」という小説に書いてみました。
 今年も、訂正、加筆しながら書き進めていきたい。

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  感謝です。
 「昭和のマロの憂鬱」も続けますが、他にも小説を模索しています。
 小説だけでなく<エッセイ><なるほど!と思う日々><金沢便り>や<三鷹通信>など、ブログを書くことが生きがいとなってきました。 
 今年もよろしくお願いいたします。 昭和のマロ