昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(271)原爆の日、70年談話について思う

2015-08-07 08:13:48 | エッセイ
 ・・・太平洋戦争を回顧する場合、わが国が行ったことの反省について語ることは勿論だが、戦わぬ何十万と云う市民に投ぜられた原爆は、人間の尊厳に対する侮辱として同時に語られなければならない・・・
 70年目のヒロシマの平和式典を見ながら思った。
 

 19世紀、西洋の技術革新によって開かれた人類文明は、奢れる一部の国々によって世界は植民地化の渦に巻き込まれた。技術に劣るアジアの大国、清(中国)が無残にもアヘン戦争という非道な戦争によって凌辱された事件は象徴的である。
 
 米英仏など「持てる国」となった経済大国は経済をブロック化した。
 これに反発する後進大国日本は、アジアの国々を開放するという旗印を掲げ、身の程もわきまえず中国その他を侵略した。 そして大敗北を喫した。

 戦後70年の節目に当たって、安倍首相はそのことを反省し今後に資する談話を発表するという。
 日本がアジア周辺国に迷惑をかけ多大な被害を与えたことを痛切に反省しお詫びすることは当然ながら、合わせて触れなければならないのは、無辜の市民に対する原爆投下、そしてもうひとつ国際間の信頼の証である不可侵条約を一方的に破棄した日本人に与えられた侮辱的な行為である。
 

 この二つの戦勝国の不条理な行為は、今回の安倍談話に直接に盛り込まれるのは難しいと思われるが、いずれは平和を目指す人類の検証すべき課題であり、今後絶対にかかる不条理な行為はあってはならないことを、戦勝国といえども反省しなければ人類の平和は訪れないことを示唆する談話になることを期待する。
 
 とかく日本人は自らを反省することに終始し、人類の大義を語ることに不得手であることを反省しなければならない。