昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(20)ゴルフ(4)

2008-10-31 21:52:40 | エッセイ
 今日は大学のゴルフコンペで朝早く出かけて今帰ってきた。
 疲れているが、それでも、ブログをアップする。

 めずらしく朝目覚めたのが、6時15分前。
 いつも4時とか、場合によっては3時に目覚める人がだ。
 6時にH先輩がウチまで車でお迎えにいらっしゃるというのにだ。
 あわてましたね。
 顔を洗うのもそこそこに、6時5分前、自宅前に出ました。
 しかし、10分過ぎても見えません。
 約束の時間前に見えることはあっても、5分と遅れることのない先輩がです。
 おかしい。
 まさか、7時を6時と間違えるわけないし。
 なにかあったならばケイタイが鳴るはずだ。
 かと言って、こちらがかけるのは、運転中だろうし、失礼だ。
 やっと、15分過ぎに現れた。
 女の人が同乗していて、にこやかに笑っている。
 
「すいません。私のせいで遅れまして」
 Sさんだ。
 彼女が同乗することをあらかじめ聞いていれば、さもありなんと、覚悟ができていただろう。

 実は前にぼくが彼女をお迎えにあがったことがある。
 もちろん、約束時間通りだ。
「あら、ごめんなさい。お茶でも飲んで、ちょっと待ってて下さる? これから<勝負化粧>をしてきますから」
 彼女は根っからのお嬢さんなんだ。
 我々のように10分やそこらでイライラする下司な連中とは質が違う。

「優勝できたのはHさんの車に乗っけていただいたからです」
 帰りの車で、Sさんは言った。
 20名のコンペでグロス92、ネット8アンダーでぶっちぎりの優勝だった。

 今日のコースは山梨の名門コース。
 クラブハウスは清潔、コースは箱庭のように手入れが行き届いていた。
 従業員のマナーもよく、キャデーも気配り抜群で最高だった。
 
 特にロッカールームは浴室に設置されていて、機能的である。
 おまけにロッカーにはあらかじめ我々の名札が付いているのには感心した。
 この件でH先輩が昔の経験談を披露してくれた。

 同じようなロッカールームを持つコースだったが、そこで財界を代表するような方が集まったコンペが開かれた。
 そのコースには名札のサービスはなかった。
 ロッカーナンバーを覚えている必要があった。
 ところが、そのメンバーの中でも特に大物の方が、風呂を上がった時に、ロッカーナンバーをころりと忘れてしまった。
 数あるロッカーのどれに自分の脱衣が入っているか分からなくなってしまった。
 幹事は慌てふためき、コースの係りに直ちにロッカー全てを確認のため開けることを要求した。
 ところが、コースとしては他のお客様にご迷惑をおかけするわけにはいかないからと、拒否した。
 幹事はやむなくその方に下着を買い与え、浴衣を着せて、入浴中の方が全て、上がるまで待っていただいたそうだ。
 
 旅8の続きは明日。
 
 

エッセイ(19)ゴルフ(3)

2008-10-22 10:41:49 | エッセイ
 今年の日本オープンは、福岡の古賀GCで行われ、1アンダーで片山晋呉が優勝、史上7人目の永久シードも獲得した。
 注目の新人、石川遼も単独2位に入り見ごたえがあった。

 片山は屈指の難コースにひるむことなく、冷静なルーティーンによるアドレス、トラブルにも心乱されることなく2位と4打差、ただひとりアンダーで攻めきった。
 
 ぼくはテレビを見ながら、2001年の全米オープンの試合を思い出していた。
 
 コースの掲示板に映し出された言葉、<UNBILIEVABLE>そのものだった。

 最終2ホールを残して5アンダーの三人に優勝争いは絞られた。
 最終組のグーセンとシンク、先を行くブルックスだ。
 ブルックスは最終ミドルホールを2オン、バーディチャンスを迎えた。
 しかし、強く攻めた第1打はオーバー、返すパットも外し、4アンダーに後退した。
 彼にチャンスはほぼ無くなったと思われた。
 オクラホマの難コース、サザンクロスの中でも最難関18番のティーショットを、最終組のふたりは共にアイアンでナイスショットを放った。

 先にセカンドを打ったシンクはグリーン左上のラフに外す。
 170ヤードを残すグーセンは7番アイアンでナイスショット。
 ホール右上、5~6メートルのバーディチャンスにのせた。

 この時点で初日からずっとトップグループを形成してきたグーセンが有利になったことを疑うものはいなかった。
 ましてや帰り支度をするブルックスの姿に、万が一にもチャンスが訪れるとは誰も思わなかった。

 そしてシンクのラフからのアプローチはグーセンのボールより遠く、外せば優勝のチャンスから完全に見放されるはずだった。
 彼は家族の見守る中で外した。
 気落ちした彼はわずか30センチの返しのパットも外して、ブルックスより後退、完全に脱落した。
 グーセンは2パットで優勝だ。

 ところが冷静に見えた彼に何が生じたのだろう。
 相手が3パットして気が緩んだのか、あるいは優勝目前の極度の緊張感が襲ったのか。

 何となく打ったファーストパットは、50センチあまりホールをオーバーした。
 そして信じられないことにその短い優勝パットを外したのだ。
 
 <UNBILIEVABLE!>
 電光掲示板に表示された言葉が、見る者すべての気持ちを表現していた。

 ブルックスは明日のプレイオフに再浮上することになった。
 返しのパットを丁寧に入れていれば、このプレイオフに加われたはずのシンクは悔やんでも悔やみきれない思いを、その肩を落とした背中に現わしていた。

 プロといえどもわずかなルーティンを怠ったために、大きな犠牲を払うハメになるのだ。
 
 

エッセイ(18)旅人

2008-10-21 06:40:59 | エッセイ
 日本経済新聞に、現在<甘苦上海>という小説を連載されている高樹のぶ子さんが、ご自身のブログに書いていらっしゃいます。

 芥川が上海に行ったのは、1921年です。
 そのころ、何人もの作家が上海を訪れています。
 異国(西欧)の匂いがした魔都だったのでしょう。
 井上陽水もさだまさしも、上海を歌にしていますね。

 その土地に慣れ親しんだら、その土地の匂いが感じられなくなります。
 旅人には感じることができても、そこに住む人間には、わからない・・・
 そんなことって、よくあります。
 小説家もそうですが、旅人としてのアーチストが、感性全開で実感したものが、その土地の本質であったりします。
 住人には感得できないものです。
 もしかしたら上海って、旅人が作った街だったのかもしれない。・・・

 ぼくはコリン・サブロンの<ロシア民族紀行>を読んだ時のことを思い出した。
 
 (インツーリストの若い案内人、アレクサンドルは、誇らしげに説明していた)

 「これらは50年代のスターリン時代の団地で、とても感じがいいのです。あっちは60年代のもので、・・・」
 ──彼は崖のようにそそり立つぶざまな建物の一群を指さした。
 冗談かと思って彼の顔を見やったが、そこには皮肉のかけらも浮かんでいなかった。
 ここで初めてぼくは、その後何度も繰り返し思い知らされたある事柄を、理解したように思った。
 すなわち、ソ連の人びとは建築物を美的基準ではなく、象徴的な意味あいで見ているのだ。
 アレクサンドルは心底これらの団地が美しいと確信しているのだ。
 だがその美は、すでにひび割れをおこしているコンクリートにあるわけでもなければ、五ヵ年計画の旗のもとでノルマを満たすために急造された煉瓦とガラスの残骸にあるわけでもない。
 それらの内包する<進歩の概念>のなかに存在しているのだ。
 それは有用性というスクリーンに投影された<国家の誇り>のイデアなのだ。

 紀行文として名著と評されているこの本には、旅人としてのサブロンの、感性豊かな鋭い視線が沢山散りばめられている。

 
 

エッセイ(17)大学教授

2008-10-20 06:25:59 | エッセイ
 高校時代の同級生が経営する郷土料理店、というよりレストラン「かなざわ」へよく出かける。
 趙治勲元棋聖のお兄さんの碁会所のお手伝いもするという、超つよ~いマスターに囲碁を打ってもらうのが目的だ。
 ところが、今日は団体客で忙しそう。

 常連のM大学教授Sさんが入ってくるなり「あ~あ」とため息をつきながらぼくの隣に座った。
 先生は経済学に関する本をいろいろ出されている。
 <ロシア、崩壊か再生か>という本も出された。

「表彰式なんて出なきゃよかった。出てこない者もいたのに」
 教授歴10年の永年表彰式の帰りだという。
「これ見てくださいよ。お菓子屋のリボンみたいのがくっついた表彰状」
 表彰状に赤いリボンが付いている。
「おまけに荷物になりますが、と渡された額。こんなものどこに飾るんですか」
 わざわざ持ってきたんだ。
「金一封ですか。見てください。二万円ですよ」
 熨斗袋の中身まで見せてくれる。
「これもひとえにご家族の支えがあったからこそ、と言われたけど、こんな額じゃ奥さんにどう言うんですか。日数で割ると一日五円ですよ」
 顔をしかめている。
「ご縁があったという意味ですか。・・・なるほど」
 自分で言って納得している。センスあるじゃない・・・。
「こういうナンセンスなことを、今も後生大事に続けている大学って何なんですかね」
「・・・」
「あの大学紛争の機会に収拾の仕方を間違えて、旧態依然たるものがありますな」
 教授は憮然としている。

 今やアメリカ型資本主義の時代である。
 人々の消費が支えている経済である。
 人々のなかに欲望を喚起し、豊かな生活のイメージを植えつけることが重要となり、<メディアの世紀>をもたらした。

 そこにおいて大学が重要な位置を占める。

 大量生産システムは巨大な管理機構を必要とする。
 従って企業は、研究開発のみならず、管理部門においても大量の人材を必要とし、それを排出する機関として大学は不可欠なものになる。
 それらの企業群が織りなす社会はいきおい複雑なものとなる。
 議会(政党)は、もはや変化する時代に対応することができず、政策の決定の主体は、官僚組織や各種審議会に移行していく。
 <行政国家>である。
 大学は、官僚たちの養成機関としてのみ重要なのではない。

 <教授>の権威は、官僚たちの作成した審議会の決定に、社会的な威光と正当性を付与していく。
 (小谷 敏・若者たちの変貌)

エッセイ(16)映画<うなぎ>

2008-10-19 07:47:21 | エッセイ
 もう何年にもなる。
 映画<うなぎ>を観た。

 今村昌平監督、役所広司主演、第50回カンヌ映画祭でグランプリを獲得した作品だ。
 主人公の役所広司が、出張帰り、愛する妻の不倫現場に遭遇して、妻を殺すところから始まる。
 模範囚として8年間の服役を終え、田舎の理髪店を営みながら再出発する場面でタイトリングとなる。
 近所の2~3人の男たちとの交流、飼っているうなぎ相手の独り言、淡々と日常風景が流れる。
 こんな映画のどこが受賞の対象になったのかなといささか幻滅しかかっていた。

 ところが残り30分ぐらいで急展開してドラマが始まる。

 うなぎの餌を探しに行った河原で清水美砂演ずる自殺未遂の若い女を助ける。
 その女が恩返しにと理髪店の手伝いを申し出て、彼はしぶしぶながら受け入れることになる。
 
 その女は彼に思いを寄せていく。
 しかし、彼女は人知れぬ苦悩をを内に秘めていた。
 実は彼女はサラ金の副社長で、そこの若社長のこどもを身ごもっていた。
 
 事は社長一派の殴り込みへと発展する。
 そこで役所広司は清水美砂の愛を受け入れ、その身ごもったこどもも自分の子として引き取ることを宣言する。
 仮出所の身で乱闘事件に巻き込まれた彼は再度投獄される。

 その日、今まで頑なに受け取らなかった彼女の作った弁当を受け取り、戻ってくると約束する感動のシーンで映画は終る。

 うなぎは遠く赤道直下まで2000キロの旅をして、そこで産卵する。
 追いかけてきた雄はそれに精子を振りかける。
 どこの親の子とも分からない子どもたちは、逞しく、また日本まで戻ってくる。

 愛憎にまみれた泥臭い人間模様でもって、形式的社会的動物としての人間と、それに対比する本質的な人間を描いたところが評価されたのだろうか。
 <うなぎ>というタイトルが象徴的だ。

エッセイ(15)父親

2008-10-18 06:23:02 | エッセイ
 夕食時、おかずの味が変だったので、母に言うと、
「ああ、それ傷んでるよ」
「なんでそんなのだすの?」と聞くと、
「お父さんなら大丈夫と思って」
 ・・・最近そんなかわいそうなお父さんが多い。 

 テレビで、だいぶ前だが、武田鉄矢の娘さんが落ち込んでいた時、父親からの印象深い言葉として語っていた。
「とことんまで落ちろ。そうすれば何かが見えてくる。ちょうど昼間見えない星が夜見えるように」
 お嬢さんはしっかりしていますね、と周りの人から言われて、うれしそうな鉄矢は言った。
「細かいことは母親に任せて、父親が大きなことを語る。これしかないでしょう」と。
 
 印象に残っているのは二十歳の誕生日に、父の前でたばこを吸った時。
 なにか言って欲しいパフォーマンスのつもりでした。
 怒られるかと思ったのに、
「かっこわるい。外でそんな吸い方をしたら許さんぞ。今から教えてやる」
 意外でした。
 吸い口は唇の真ん中に持ってきて、たばこは下に向けない。
 はさんだ二本の指はきちんと立てる。
 そして、
「おどおどせず、き然とかっこよく吸え。ちゃんと練習せえっ」と言うんです。
「無様な姿を社会にさらすな。所作がだらしないだけでも、人様の迷惑なんや」
 とね。(山本容子・版画家・朝日新聞98.12.7)

 中2のころから私は、自殺未遂を繰り返すようになりました。・・・
 入水や服薬自殺に失敗した後、飛び降り自殺を考え、10階建てぐらいのマンションの屋上に行きました。
 ところが、ためらっているうちに管理人に見つかった。
 頑として連絡先は言いませんでしたが、警察を呼ぶと言われ、あきらめました。
 でも、母の電話番号にするか、父か。
 私は父を選びました。
 母なら間違いなく問い詰めてくるからです。
 車で迎えに来た父は、私に何も尋ねませんでした。
 帰り道も無言。
 不思議ですが、気まずい沈黙ではなかった。
 それはとても数少ない、父との甘美な時間だったと言えます。
 いま思えば、昔から父には自分と同質の何かを感じていた。
 父もそうだったと思います。
 愛情を上手に表せない。
 家族を含め、自分以外の世界とうまく折りあいをつけられない。
 その敗北感や、身の置きどころのなさに通じるところがある、と。
 
 以前、父に抱いていたヒリヒリするような感覚は、いまはありません。
 好きとか嫌いとかいった気持ちは整理がつきませんが、父という人間を、少しずつ理解しつつあるんだと思います。
 (柳 美里・朝日新聞02.12.22) 

エッセイ(14)自然

2008-10-17 05:58:40 | エッセイ
 自然の恵みというと、河島英五のことを思い出す。
 <酒と泪と男と女>、<時代おくれ>、<野風増>などで有名な歌手だ。

 彼がテレビで瀞八丁紀行のことを語っていた。
 三重、和歌山、奈良三県にまたがる瀞八丁のことだ。
 
 瀞とは水が淀んだ部分です。
 流れる川からカヌーで入って行く。
 低い目線に緑と空の青がどーっと覆いかぶさってくる。
 日本というより、中国の千年の歴史に浸っているような気分になる。
 釣った鮎を即、川辺で焼いて丸ごと食べる。
 ”うまい!”
 わるいけど皆さんに伝える言葉がない。
 高菜で巻いたおにぎりを一口でほおばる。

 秘境<七重の瀧>まで登って、ミネラルいっぱいの清冽な川の水を賛美する。
 ついでに苔まで味わってしまう。
 山間をドライブすると野うさぎがヘッドライトから逃れられない。
 追いかけていくと意外に肺活量がなくてぜいぜいしている。
 そして木や草花の声が聞こえてくる。

 淡々と語る受け口の彼に、歌うときとは別の、人間的素材の魅力を感じた。
 司会の向井亜紀さんは、彼に野人としての男っぽさを感じたのか興奮しているように見えた。

 そんな彼は48歳の若さで逝ってしまった。
 天に召された河島英五よ永遠なれ!。
 

エッセイ(13)美術館

2008-10-15 04:01:11 | エッセイ
 久しぶりで山荘へ行った。
 清々しい朝だ。
 木漏れ日がキラキラと輝く。
 青木が原樹海の奥、富士山の方向からゴーッという音が湧き立ち、身近の木々がひれ伏すようにざわめくと見る間に、さざ波が移動していく。
 九州を直撃して日本海に抜けたという台風を目指していくように風が渡った。
 青空のうろこ雲も風に急かされるように南から北へと流れて行く。
 それに逆らうようにプラモデルのような銀色の切片がゆっくりと音もなく移動している。
 ああ、ジェット機だ。
 雲と同じぐらい高いところを飛んでいるから多分定期航空路の旅客機だ。
 林の影に姿を隠したと思う間もなく、グワーッという轟音が降ってきた。
 あの遠いかすかな夢のような姿からは想像もつかないような身近で現実的な音だ。
 いつものように車を洗う。
 鋭い放水のしぶきに虹が立つ。

「今日はフジヤマ・ミュージアムへ行きましょう」
 妻が言う。
「何?それ」
 いつものように、どこでも妻の言いなりに行動するつもりだが、富士山の絵ばかり集めた美術館だと言う。
「つまんなさそう・・・」
 ぼくは、太宰治がバカにした<銭湯の書割りのような富士山>を思い出した。

「横山大観とか、有名な画家が富士を描いているんだから、見る価値があるのよ」
 妻は新聞社提供の無料の招待券を示しながら言った。
「タダならしょうがないか・・・」
 
 いつも妻がこまめに集めているタダ券のおかげで、ぼくも結構文化的な生活を楽しんでいる。
 感謝することはあっても文句は言えない。
 いつも行きはしぶしぶだが、帰りは例外なく充実した気分になる。

 富士山って言ったって描く人によってこうも違うか!

 大地から血の生臭さを背負って突き出してきた闘魂のような<林武の赤富士>
 対照的に雄大ながらもソフトクリームのように甘い香りを漂わす<奥村土牛の初春の白い富士>
 深い群青色の富士の上を一閃、流星の飛ぶ<千住博の夜明けの富士>
 そして神代の国のものとしか思えない清楚で神々しい<安田靫彦の霊峰富士>
 一転、浮き浮きするように楽しい<片岡球子のめで多き富士>
 周囲の歓楽の楽しさを爆発させるポップアートの第一人者、<チャールズ・ファジーノのファンキーな力強い富士>
 数え上げていけばキリがない。
 
 おまけに長嶋茂雄、片岡鶴太郎、八代亜紀、奥田瑛二、石坂浩二、加山雄三などの著名人の描いた富士もお楽しみで、特別展示している。
 絵というのはそれぞれの性格が現れて楽しい。
「よかったでしょう」
「うん。・・・」
 外へ出ると、隣接する富士急ホテルへの小路から富士急ハイランドの売り出し中の急勾配のジェットコースターが見える。
「ほらっ! 降りるわよ」
 ゆっくり昇って停止した状態から急落下する。
 キャーッという悲鳴が降ってきた。
「うん。二度楽しめるな・・・」
 ぼくは十分満足していた。
 
 
  

エッセイ(12)ホテル

2008-10-14 08:44:30 | エッセイ
 もう十年以上まえのことだ。

 大阪へ出張するときはいつも新大阪駅のそばのワシントンホテルに決めていた。
 その時は、客先と夜飲むことにしていたので、近くのホテルを探した。
 <大阪観光ホテル> 日本橋駅近くだから客先に近い。
 料金も朝食付きで9,000円と安い。
 名前の響きも悪くない。
 新大阪駅で地下鉄へ乗り継ぎしようとしたが、地下鉄の表示が見当たらない。
 しかたがないので、JRで大阪駅へ。
 <御堂筋北>の表示につられて地下入り口まで来たら、JRとある。
 おかしい間違えたかと、反対側を見たら地下鉄<御堂筋北>とあった。
 あっちへ行ったりこっちへ行ったり、まるで<おのぼりさん>じゃないか。
 こんなぼくをジッと見ているものがいたら<カモ>だと思うかも。
 そう思ったとたん、声をかけられた。
「切符買うカネないねん」
 浮浪者風の男が寄ってきた。
 ・・・それがどうしたんじゃい・・・という気持ちで無視したら、他の人にも同じことを言っている。
 やばい、やばい。

「アレ買おうと思うねん」
「それ、ちょっとチャウんやない?」
 大阪弁の飛び交う電車を日本橋で降りて、無事、<大阪観光ホテル>にたどりついた。
 
 「ほら、はよ行かんかい!」
 受付で案内を乞うと、座っていた痩せたオッサンが横に立っている女に言った。 その女がカギを持って案内してくれる。
「寒いですね・・・」
 エレベーターに乗ったら、照れたように、木に穂をついだような言い方をする。 とんでもない、マゴマゴと歩いたこともあって、こちらは汗を掻いているのに。
 エレベーターを降りて、さらに階段を上がったり下がったりして、突き当りの大鏡に映った自分の姿に驚く。
 女は目指す部屋のドアを開けるとスイッチを入れて、「奥の部屋のスイッチはそちらに」と言い、「お茶が出てませんね」と顔を見合わせることもしないで出て行った。
 奥のスイッチ?
 入って右側の壁? ない。手前かな?やはりない。
 入り口に戻るとスイッチが二つある。
 二つとも点けてみたが、くつ脱ぎ場とそれに続く控えの間の分しか点かない。
 電灯のひもを強く引いたが点かない。
 左手の壁を見る。あった。しかし、むしろ鴨居に近い高い所にあった。

 間もなく手慣れた感じのオバサンがお茶を持って現れた。
「今日はむしろ暑いですね」と言う。
 ・・・だろう。あの女はいったい何なんだ。
 ひょっとして南方系の外人じゃないのか。
 
 部屋を一通り見回してみる。
 八畳で二畳強の板間があり、ソファが置いてある。
 テレビがあり、夜何者かと驚かせた、ゴトゴト音を立てる小さな冷蔵庫が板間の隅に置いてある。
 さらに二畳の控えの間があって、ここに押入れがあってふとんが入っている。
 電灯が古めかしい。
 四畳ぐらいの風呂場兼トイレだけが蛍光灯で、他はすべて電球だ。
 座敷のは電球が卍に四個付いている。
 くつ脱ぎ場と控えの間は豆電球付きでひもが下がっている。
 板の間のは誘蛾灯みたいな水銀灯で、これもスイッチが壁の両サイドに三個もあって、どれだか迷ってしまった。
 床の間には電気スタンドが置いてある。
 また、絵や置物が、他に置くところがないので置かして下さい、というように脈略なく配置されている。
 鶴と亀を配した翁と媼の掛け軸と、青銅の虎の置物。
 横の壁に富士を描いた房付きの額。
 その下に日本人形。
 おまけに床の間には、漆塗りの文箱があって、上に貴重品、お預かり袋、便箋、封筒、アンケート用紙が載っている。
 床の間と対面する柱には牡丹の花の額がかかっている。
 
 頭が混乱してきたので、冴えないくすんだ緑色のカーテンを引いて窓を開けると、下に道頓堀川が淀んでいて、対岸の大小のビルの裏側を映している。
 
 翌朝、食堂へ降りる。
 一人分だけ朝食がテーブルに用意されている。
 昨日のオバサンが熱心にテレビに見入っている。
「あの消防士は部下に殺されたんやて」
「・・・」
「子どもが殺された事件はお母さんが投げ捨てたんやて」
「・・・」
「どういう世の中や」
「・・・」
 干物も付いてない味気ない朝食を食べ終わって、気がつくとオバサンが後ろに突っ立っていて、まだ息をのんでテレビに夢中になっていた。

 受付で清算しながらオヤジに聞いた。
「何部屋あるんですか?」
「46部屋です」
「どうなんですか最近?」
「だめでんな。沢山入るときもあるけど。今日みたいに全然入らん時もあって、
ビジネスホテルはいいらしいけど」
 オヤジは眉間に皺を寄せて淋しそう。
 
 もう廃業してしまったかな。
 それとも別名で新装開店しているのかな。
 昔日のゴチャゴチャした残滓を偲ぶ宿だった。 

エッセイ(11)監督(2)

2008-10-13 08:13:49 | エッセイ
 よく長嶋監督との引き合いに野村監督が挙げられる。

 野村自身も長嶋を意識した発言をよくしている。
「王や長嶋がヒマワリなら、オレは日本海に咲く月見草」というのは有名だ。
「長嶋さんがメークドラマと言っているが、オレにはああいう発言は効かない。負け(MAKE)ドラマになる」
 
 野村が捕手として現役のころ、相手チームの打者の集中力を奪う<ささやき戦術>を使ったことはよく知られている。
 夜の繁華街の高級クラブに頻繁に出向き、ライバル選手の私生活に関する情報を集め、相手の集中力を乱すやり方だ。
 ところが、長嶋には効かなかったと言う。
 逆に違う話を持ちかけられたり、ささやきを<指導>と勘違いされてホームランを打たれたこともあるという。
 野村と長嶋の性格を現すエピソードだ。

 野村監督について、傾聴すべきご意見を二つばかり。

 *野村さんの生き方は、ビートたけしに似ている。
 体制を批判することで新しい価値観を作る。
 一からカルチャーを作らない。
 あるカルチャーに対してそれを壊していくという文化。
 これが今、実は世の中の主流になっている。
 長嶋さんという<王道>をけなすことで存在価値を世に知らしめる技を野村さんは覚えましたよね。
 僕はそれが嫌いなんです。
 僕はクリエーターだから、一から作ってみろと思う。
 日本の文化全部が今、二番手文化なんです。
 オリジナリティの大切さを忘れて、二番手の方が格好いいという。・・・
 長嶋さんも第一次政権とはさい配が違うし、もっとイキのいいさい配をすればいいのに、と思うこともあります。
 でも、それは長嶋さんが六十を過ぎた男の生き様を見せているんだと思う。*
 (テリー伊藤) 

 *私は<編集>という観点でものごとを見つめています。
  編集とは出会ったものや、もともとそこにある事態に潜んでいる関係性を組み直していくことなのですが、野村さんはこの関係性を発見する能力が格段に高く、これが選手を動かしている。
 <コミュニケーションベースボール>です。
 今、スポーツはどんどん新しい<合理>を追求して、勝負の分岐点を奥深くしている時代です。
 野村さんはその分岐点を説明できるまれな人。
 野村野球には<野球をつんまらなくしている>という批判もあるようですが、私はそうは思わない。
 むしろもっとち密になって、配球や作戦を推理し、共有しあうスリルに富んだ野球を提供してほしい。
 野村野球の背景には日本的な文化を感じる。
 <弱者からの構想>とかね。
 世界を意識したときにそれがどう変化するか、プロも参加する五輪チームの監督をぜひやってほしいのですが。*
 (松岡正剛・編集工学研究所所長)