貧困になり、家族関係を損ない、個人生活を損なうほど人を追い込むギャンブルになぜ我々は嵌るのか。
都立大学社会学の高橋勇悦教授は次のように説明している。
ギャンブルの達者ともいうべき人たちが、負けて負けて、なおかけつづけるのはなぜか。
その心理の不思議を「フィクショナル(虚構的・物語的)な主体になってしまっているから」と説明する。
「ギャンブルなら意思決定の過程はすべてわがもの。情報を集め、推理して、決断するまで、すべてが自分の思いのまま。そんなこと、今、現実の社会の中でできますか」
ぼくはやったことはないが、最近<ゲーム>に嵌っている人が多い。
<フィクショナルな主体>になれる点ではギャンブルと同じなのだろう。
大きな金をかけないかぎり、最後の一線を踏み外すほどのことにはならないだろうから、人間が悪癖に陥ることを防ぐ、一定のガス抜きになっているのかもしれない。
麻雀もそうかもしれない。
俳優の風間杜夫さんが言っている。
「のんきで楽天的なんです。人の言葉にあんまり敏感に感じたりしない。ストレスはたまらないですね。・・・<煮詰まらない>生き方には、マージャンが一役買っている。休日に、仲間を呼んで卓を囲む。・・・
実力だけでは勝てない。がんばればいいってもんでもない。肩ひじ張ってもツキはこないし、ごう慢になるとふっとツキが逃げて。で、耐えているとまた戻ってくる。
大げさだけど、人生に似てるって思うんです。
都立大学社会学の高橋勇悦教授は次のように説明している。
ギャンブルの達者ともいうべき人たちが、負けて負けて、なおかけつづけるのはなぜか。
その心理の不思議を「フィクショナル(虚構的・物語的)な主体になってしまっているから」と説明する。
「ギャンブルなら意思決定の過程はすべてわがもの。情報を集め、推理して、決断するまで、すべてが自分の思いのまま。そんなこと、今、現実の社会の中でできますか」
ぼくはやったことはないが、最近<ゲーム>に嵌っている人が多い。
<フィクショナルな主体>になれる点ではギャンブルと同じなのだろう。
大きな金をかけないかぎり、最後の一線を踏み外すほどのことにはならないだろうから、人間が悪癖に陥ることを防ぐ、一定のガス抜きになっているのかもしれない。
麻雀もそうかもしれない。
俳優の風間杜夫さんが言っている。
「のんきで楽天的なんです。人の言葉にあんまり敏感に感じたりしない。ストレスはたまらないですね。・・・<煮詰まらない>生き方には、マージャンが一役買っている。休日に、仲間を呼んで卓を囲む。・・・
実力だけでは勝てない。がんばればいいってもんでもない。肩ひじ張ってもツキはこないし、ごう慢になるとふっとツキが逃げて。で、耐えているとまた戻ってくる。
大げさだけど、人生に似てるって思うんです。