昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

中欧旅行(24)

2009-11-30 07:47:15 | 中欧旅行
 ウイーン・シェーンブルン宮殿。
 

 以前ウイーンを訪れた時は外観だけで内部は見ていない。
 マリア・テレジアン・イエローと呼ばれる柔らかな黄色が特徴だが、横に長い直方体の形状は大きな官庁のようで、いわゆる宮殿らしい凹凸がない。

 その正門の所で現地ガイドが現れるのを待った。
 しばらくすると、仏ちゃんを従えた黒いサングラスに黒く長い革のコートを着た気障な日本男性が現れた。40代だろうか?
 顔も黒い、マンガに出てくる悪役の軍人みたいだ。

「シェーンブルン宮殿内の見学は時間との勝負です。団体はひと間2分と制約されていますから 早く歩かないと説明の時間がなくなります」
 そういうとさっさと歩き出す。

「ここは宮殿一の大広間です。舞踏会が開かれる所です。天井のフレスコ画は製作に3年要したといわれています。ハプスブルグ家の誕生を描いたものです」
 上を向いていて解説していたヒール役ガイドは、取り囲む我々を見回すと言った。
「みなさんもお金を出せばここを使えますよ。結婚披露宴などにいかがですか?」
 

「えっ!?ほんとう、こんな素晴らしい所。お高いんでしょう?」
「ひとり10万円、50人以上です」

「実は<秘密の間>というのがあるんです。そこでケネディ・フルシチョフ会談が行われたんです。執事も入れないので、下でしつらえた食事を載せたテーブルがそのままリフトで上げられる仕掛けがあるそうです」
「・・・」
「その後キューバ危機などの歴史が繰り広げられることになるのです・・・」
「・・・」
「外交とはお互いが自分勝手なことを言い張り合うのが基本です。日本人のようにハイハイと相手の言うことを聞いてサインするなんてのは外交じゃない」
「・・・」
「そんな日本人の態度を生んだのは日本のお母さん方に原因があるのです」
 周りのオバサンたちを眺めて辛辣なことを言う。

 ─続く─

 ─続く─
  


 

中欧旅行(23)

2009-11-29 06:32:34 | 中欧旅行
 

 <自分のルール>
 昭和のマロさん・・ウイーンでは災難でしたね。災難というのは、不可抗力なのですが、なぜか重なってやってきます。弱り目に祟り目・・あれは本当ですね。
 マロさんのようなホテルの災難の場合は、即刻抗議をするべきですが・・一般的に災難が重なるとき・・やり過ごし方が、大事な気がします。
「じっと動かない」というのも、とても効果的な対処です。
「機を待つ」そして、やるべき時には、一気にやる。
「心の運動」というのは、「じっと待つ」ことも含まれるのだと思います。
 あらゆる状況を想定したうえで、動かない。
 そして自分でルールを決める。「このような状態が来たら、徹底的に、全知全力を掛けて行動を起す」と。

 さみだれ式に、いつでも怒っているのは、疲れてしまいます。
 じっと耐えていて、自分のルールにおける堰が決壊するのを待つ。大事なのはその「自分のルール」だと思います。
 心の運動機能というのは、「締め」と「開放」の両方が必要なんじゃないかしら・・

 高樹のぶ子さんにチューしていただいた気分でした。

 「大変でしたね。そんなことってあるんですね?」
 当日の夜の食事はそんな話から始まったが、同席された方が退職後映画製作の学校に通っているとかで映画の話題に移る。
 
 

 妻が関わっているボランティア連絡協議会の福祉映画会で取り上げた是枝監督の<誰も知らない>という映画のことから、好みが噛みあい話が盛り上る。
 ビールとワイン代を災難でもらった券で支払い、気分良く代替の部屋に入る。

 ところが、平静を取り戻したはずの心がまたかき乱されることになる。
 宛がわれた部屋は、シャワーだけで、野菜の洗い場のような半畳ほどの狭いスペースをビニールで囲ったバスルームだ。
 おまけにシャワーヘッドが一部めくれていて触れると肌が傷つく恐れがある。
 部屋もシングルベッドを二つむりやり詰め込んだようで、狭くて余裕がない。
 窓を開ければ、裏窓が向き合った息が詰まりそうな空間だ。

「619のお客様ですね。昨夜は申し訳ありませんでした。今日はいいお部屋を用意しておきますから」
 翌朝、両替のためフロントに行ったら、フィリピン人のような顔をした目の大きい、歯の真っ白な女性マネジャーが、にっこり笑いかけてきた。
 やはり文句を言わなければ!と意気込んでいたぼくは機先を制せられてしまった。

 ─続く─
 


 
 

中欧旅行(22)

2009-11-28 06:26:22 | 中欧旅行
 ウイーンのホテル、アルティス。
 
 

 ここで、旅行最後の二晩を過ごす。
「近くに大きなスーパーがあります。閉店が19時と超早いので、夕食前にご希望の方はご案内します」
 仏ちゃんに言われたが、ぼくたちは明日の朝行けばいいやと付いていかなかった。

 もらった部屋の鍵番号は123。
「いい番号じゃない」と言いながらぼくは部屋のドアを開けた。

 なんと、ベッドメーキングしていない。
 バスルームにはタオルが放置しっぱなし。
 ぼくは頭に血が上った。

 たまたま帰国後、高樹のぶ子さんのブログにこの時の<心の動き>をコメントしているので、そこから引用してみる。

 高樹のぶ子さんは<心の運動機能>と題して以下のように述べていた。

 ・・・運動機能といえば、頭「頭脳」やもちろん身体があります。
 でも、心にもあるのだと思います。
 誰だって、心の運動機能を高めたいけれど、どうすればいいのかしら・・万人に向けたアドバイスはありませんが、「傷はチャンスだと考える」ってこともその一つのような気がします。
 私の場合、「痛い」「腹立つ」「不愉快」「苦しい」ということに耐えるとき、その耐え方として「このネガティブな状況から、何か面白いものが生まれないか・・」と本能的に思います。すると運動が起こる。
 そしてネガティブな状況が、反転してくるのです。
 面白さに変転してくる。・・・

 ぼくは早速、ウイーンのホテルの事件についてコメントしました。

 <腹のたつこと>
 大なり小なり、毎日腹の立つことがあります。
 心の動きは前のめりになって、増幅し、いろいろな心の動きに悪影響が出るのが常です。

 先日、ツアーでウイーンに行ったのですが、与えられた部屋に入ったら、ベッドメーキングがしていない。ゴミ箱にゴミが入ったまま。洗面所にはタオルが使われたまま。
 早速、カッカしてフロントに文句を言いに下りたら、ちょうど次の団体が入ってきたところだった。
 二人の係りがバスから降ろされたたくさんのトランクに番号を貼ったりテンテコマイ。
「そんなことよりこっちの処理が先だろう!」と言いたいところでしたが、ぼくは先ず、前のめりになっている心を抑えました。そしてしばらく見ていました。

 そのうち前のめりの気持ちが変化してきて、昔行ったツアーで、仲間のおばさんがニューヨークで枕銭を置かなかったら、翌日ゴミ箱とか枕が放り投げ状態だったと話していたことを思い出しました。

 そこで、これはブログに使えそうな得がたい経験じゃないかと思ったら心が収まりました。

 

 結果的にはレストランでの飲み物券をもらい、翌日はいい部屋を提供され、リンゴ、オレンジ、ぶどう、キューイの果物籠が <with Compliment> のカードと共に差し入れられていました。
 同じ結果であっても、さんざん怒鳴り散らした後では心の転換はできなかったでしょうね。

 これに対し、高樹のぶ子さんから、なんと直接名指しでコメントをいただきました。

 ─続く─

中欧旅行(21)

2009-11-27 05:52:48 | 中欧旅行
 昼食は野菜スープにポークとクネドリーキ(蒸しパン)、フルーツケーキにコーヒーが付いた。


「間一髪であぶなかったですね」
 前の席に築地オヤジの奥さんが座ったので声をかけた。
「そうなんです。トラムに轢かれそうになって・・・。でもHさんなんか車に接触してしまったんでしょう?」
 歩きでレストランまで来る途中、電車や車に注意するよう言っていた仏ちゃん本人が左折してきた車に持っていたバッグが触れたのだ。
 グループの最後尾にいた奥さんも、歩行者なんか気にしないで突進してくるトラムにあわてた姿をぼくは目撃していた。

「旦那はどうされたんですか?」
 隣に座るべき旦那がいない。
「コルナを処理するために買い物してるんです・・・」
 チェコ通貨を処分してきた旦那が戻ってきた。
「いやあ、これを買ってきたんです」
 なかなかかわいい大き目のマグカップだ。
「120コルナだったんですが、10足りなかったんで渋る相手をまけさせました・・・」
 あいかわらず大きな声で誇らしげだ。
 日本円にすると6~700円だ。安い!

 これからバスで340キロ、5時間かけてウイーンのホテルへ戻る。
「自分が何年の経験があるかは最後まで言いませんが・・・」
 仏ちゃんが切り出した。
「実はこの後に、同じルートで22名のグループが続いているんです。このグループが早くから埋まって、後のグループになった方もいらっしゃいます・・・」

「一人の添乗員さんで何人面倒見ることになるの?」
 誰かが質問した。
「最高、45人までです。そのときの航空機の座席や観光するバスの大きさで決まりますが。今回は38人で目一杯でした」
「人数によって添乗員さんの日当も違うんだろ?」
 切実な質問が飛んだ。
「そんなの関係ないんです」
「えっ!?・・・国内より高いんだろ?」
「いいえ、だからと言って国内のほうがいいかというとそうでもないんです。最近は国内の方がシビアなんです。朝は早いし、高速代が安くなって渋滞がひどく、帰りは夜中12時過ぎなんてこともあります。むしろ海外の方が時間が決まっていて楽ですね」
「でも、海外ツアーの添乗員さんてたいへんだよね・・・」
「そうですね。旅行が好きで、人付き合いが好きで、度胸があれば・・・」

 仏ちゃん、ようやく調子に乗ってきたようだ。
 これまでのツアーコンダクターに比べて、長いバスの中での解説が少ないのがちょっと不満だったが。

「まだ、チェコですよ・・・」
3度目のオシッコタイムで降りたガソリンスタンドの売店を出て周りを散歩する。
 すでに陽が落ちて薄暗い中に巨大な飛行機の尾翼部分が目の前に現れた。
 
 

 鉄人2号のような巨大な像が何かを支えている。
 テーマパークのようだ。

 間もなくウイーンのホテルに到着するのだが、ぼくにとってちょっとした事件が待ち受けていた。

 ─続く─
 

中欧旅行(20)

2009-11-26 07:00:58 | 中欧旅行
 カレル橋から旧市街広場へ移動。
 

 中心に仕掛け時計のある旧市庁舎が聳える。
 11時に鐘が鳴り仕掛け時計が動くというので、それまで近くの免税店に入る。
 広い店内には、ガラス製品や琥珀、ガーネットなどのアクセサリー、陶磁器、民芸品などがずらりと並ぶ。
 女たちはお土産に何かと、歩きまわる。
 何人かの男どもはベンチに座って、サービスのコーヒーを飲む。

 11時近くになると、広場はいろいろな国の観光客でいっぱいになる。
 天文時計よりお互いが気になり見つめあう背の高い白人の恋人のカップル。
 じっと時計塔を見つめる老夫婦。
 人混みの隙間を縫って歩きまわる」かわいい子どもたち。

 

 二つの天文時計があり、上のは地球を中心にしてまわりを惑星がまわる<天動説>に基づいて作られていて、下のは旧市街の紋章を軸に12星座が囲む構成になっている。
 いよいよ鐘が鳴り、時計台の窓が開くとキリストの12使徒が次々と現れる。
 外へは出てこない。
 あっけないものだ。これだけのためにこんなに多数の観衆が待ち望んでいたのか、と思った瞬間、塔のてっぺんのベランダに赤と金の衣装をまとったトランペット吹きが現れ、金のトランペットを吹き鳴らす。
 特別余興付きの時計台イベントだった。

 集合時間まであと10分、みんなが集まってきた。
 目の大きい、背の高い若い女性が風景を描いた色鮮やかなテンペラ画を披露している。
「あらっ!素晴らしい。どこで売っていたんですか?」
 妻が目をつけて声をかけた。
 さっき路上で描いていたのをぼくも見かけた。

「近くですけど、今からでは絵を選んでいたりすると集合時間に間に合わないかもしれませんね・・・」
 妻はあわててすっ飛んでいったが、すぐ戻ってきた。
「頼まれていたものにピッタリのがあったんだけど、ユーロの手持ちがなくなっちゃって・・・」
 諦めたのかと思ったらめん玉女性に図々しくもお願いして、再度一緒に出かけていった。
「T君に頼まれたのにピッタリなの・・・」
 ほどなく戻ってきた妻はカレル橋を描いた絵を手に、娘婿のおみやげを執念で買い求めて満面の笑顔だ。

 目の魅力的なお嬢さん、お世話になりました。
 ありがとう。

 ─続く─ 

中欧旅行(19)

2009-11-25 10:02:26 | 中欧旅行
「いやーあ、参ったよ。小便するのに苦労したよ」
 トイレから出てきたおじさんが目を剥いている。
「丈が高くて、我々チビは困るよ・・・。台でも置いといてもらわないと」
 そういえば、昔、ソ連へ招待旅行に招かれた会社の社長が土産話で語っていたのを思い出した。
 
 

 こちらの男子トイレの便器の高さは日本人向きではない。
 幸いぼくはかろうじて問題なかったが・・・。

 

 衛兵を冷やかしてプラハ城を出ると、我々は既に10世紀頃から遠隔交易の市場として賑わっていた街並みを通ってカレル橋に向った。

 カレル橋に入る所で30分後に旧市街門塔を出た所で再集合することを約束して我々は自由にカレル橋を楽しむことになった。
 傘を差すべきか否か迷うほどの雨がぱらついている。
 橋のうえには、アクセサリーや水彩画、絵葉書などの露店がたくさん並び、雨模様にもかかわらずいろいろな人種の観光客が多数入り混じって歩く。
 
 全長520メートル、30体もある欄干の像を知識のない我々が全て見る意味も余裕もないので、見るべき像を絞った。
 先ずはヤンさんの像だ。
 

 橋の真ん中あたり、聖ヤン・ネボムツキーの像には予想通り人だかりがしている。
 多くの人に思いを込めて触られた銅版はなるほど金色に輝いている。
 その先の十字架にかけられたキリストの像もひときわ目立つ存在だ。
 

 我々日本人におなじみのフランシスコ・ザビエルの像が、さらにその先反対側にあるはずだが、工事柵で囲まれて全く見えなかったのは残念。

 我々は時間をもてあまして旧市街門塔先の集合場に着いてしまった。
 

 時折雨が降るのと、じっとしていると寒いので門の下に入る。
 同じように早く見物を終えた連中が並んで行き来する観光客を眺めていた。
 
 ・・・平凡な東洋人の立像が並んでいる・・・
 彼らにはそう見えたかも。

 ─続く─

 



 

有名人()男の魅力(12)

2009-11-24 05:50:32 | 男の魅力
 <男の魅力12>

 昨日、NHKの<おはよう日本>をいつものように見ていた。
 なかなか格好いい日本人の指揮者がヨーロッパ人の交響楽団を指揮している。
 最近クラシック音楽で海外で活躍する日本人の若者が多いからその一人かなと見ていた。
 特集<”和解”へのハーモニー・日本人指揮者の挑戦>とある。
 演奏しているのは、旧ユーゴスラビアで民族紛争を重ねた結果分断されたセルビアとコソボ(大半はアルバニア人)の混成楽団だという。

 指揮しているのは柳澤寿男。
 

 ぼくはクラシック音楽には疎い方なので彼のことは全く知らなかった。
 しかし、最近、ユーゴスラビアではないが、同じく民族紛争の歴史に翻弄された中欧地区、チェコ、ハンガリー、スロバキアを旅行してきたぼくは、独立した今もお互いに反目し合っている民族が一緒にオーケストラの団員として演奏していて、それに関わっているのがこのイケメン日本人指揮者であるということに強い関心を抱いた。

 調べてみると彼は1971年生まれの38歳。
 パリ・エコール・ノルマル音楽学院でオーケストラ指揮科に学び、2000年に東京国際音楽コンクール(指揮)に弟2位となり、その後、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、新星日本交響楽団など多数で客演指揮をしている。

 また、海外では2005年~07年マケドニア旧ユーゴスラビア国立歌劇場主席指揮者、アルバニア国立放送交響楽団、サンクトベルグ交響楽団などに客演している。
 2007年3月には、99年NATOの空爆以降、国連コソボ暫定行政ミッションの統治下にあったコソボフィルハーモニー交響楽団に客演、10月には同オーケストラ常任指揮者に就任している。

 同年、彼はバルカンの民族共栄を願ってバルカン室内管弦楽団を設立した。
 

 ニューズウイーク日本版<世界が尊敬する日本人100人>に選出されている。
 今年5月、コソボ北部のミトロヴィッツアとズベチャンにて、セルビア人、アルバニア人、マケドニア人を楽団員に国連などの協力を得て、バルカン室内管弦楽団のコンサートを実現させた。
 約20年ぶりとも言われる両民族の共演によるコンサートの成功は遥かニューヨークや東京にも伝わり、今年11月にニューヨーク公演、東京公演にも招聘されるという。

 昨日見たNHKの特集番組では、その最初のステップとなった時のことを描いている。
 柳澤はなぜ今でもお互いへの<恨み>を抱き続ける両民族を音楽で結びつけようとしたのか。

 ・・・いざとなったら、今でも楽器を捨てて、武器を取り彼らと戦うことを優先するだろう・・・
 この楽団員のひと言がきっかけだった。

 コソボとセルビアを結ぶ橋がある。
 お互いの民族はこの橋を渡ることができない。
 柳澤は日本人なのでこの橋を行き来して、この交響楽団結成の趣旨を伝え、両方から楽団員を誘うことに成功した。

 しかしタテマエは理解できても、言葉が違い、宗教が異なる彼らは顔を付き合わせれば、辛かった過去を思い出し、お互いを根っから信じあうことができない。
 それぞれお互いを認め合って練習する場がこの地にはないのだ。

 柳澤は東京に彼らを呼び寄せ、一緒に練習し公演することを企画した。
 総勢十何人かが東京に集結した。
 柳澤が意図するところは彼らも十分理解しているのだが、お互いの民族に対する不信は根深い。
 ホテルで食事する時も彼らは別々にグループを組んでしまう。
 お互いに話し合う場をつくっても、顔がこわばりうまくいかない。

 柳澤は彼らを東京見物に誘い出し、電車に乗ったりリラックスさせることを試みる。
 徐々にお互いがしゃべりあえるようになる。
 相手の誠実さが分かるようになる。

 しかし、演目<バルトークのルーマニア民族舞曲>の練習に入ると、スピードは合わない、4分音符が合わない。お互い教えられた方法が異なっているのでバラバラだ。
 はたして残された5日という短時間で公演に間に合うのか。
 それでも柳澤の指導と彼らの努力でなんとか間に合った。
 公演は成功。
 
「お互いに信頼が芽生え始めました。今はうれしい気持ちでいっぱいです。前へ進むことができそうです・・・」
 演奏を終えたパーティーで、彼らは生き生きとした表情でお互いに乾杯した。

 格好いい柳澤寿男に乾杯!
 
 



 

中欧旅行(18)

2009-11-23 11:58:14 | 中欧旅行
 

 マイセンから再びチェコ、プラハのホテル、バルチェロに戻ってきた。

 朝6時、窓の外はまだ真っ暗だ。
 6時半、朝食の時間になってようやく明け染めてきた。
 今日は徒歩でプラハ市内観光だ。

 パラパラと小雨が降っている。
 プラハ城前、今日は現地ガイドはいないのかなと見ていたら、仏ちゃんがアリさんのように小さな日本人女性にガイド・マイクを渡している。
「みなさん、ガイドのYです。まず皆さんには迷子にならないように注意しておきます」
 アリさんにしては力強く大きな声だ。
「万一グループから離れてしまったら、その場を動かないで20分ほどそこで待っていてください。もし救出が現れなければそれ以上そこにいてもムダです」
「・・・」

 

「タクシーを捉まえてください。タクシーは黄色い色をしています。プラハ・スクエアーと指示して下さい。そこで天文時計台の所で待っていてください」
「・・・」
「そうすればグループに戻れる可能性はあります。7年ガイドをやっていますが、そんなケースはなかったので、今回もないことを期待しています」

 彼女は携帯傘を掲げてみんなを率いてプラハ城の中へと入っていった。
 早過ぎてまだ開門していない。
 しばらくスリに対する注意事項など述べていたが、開門して一番乗りで入場した。
「スリは今のところ関係なさそうですね」
 アリちゃんの言葉に笑い声が出た。

 

 城内の聖ヴィート大聖堂に入る。
 プラハにおけるゴシック建築の代表格だ。
 見事なステンドグラスがいくつも見られる。
「これは純金製の聖ヤン・ネポムツキーのお墓です」

「えっ!? 純金製?」
 アリちゃんの説明にみんなの耳目が一斉に集まった。
「このヤンさんは、ヴァーツラフ国王が王妃の懺悔内容を求めたのに頑として明かさなかったのです。そのためヤンさんはヴァルダ川に投げ込まれ殺害されたと伝えられています」
「ヴァルダ川にかかるカレル橋の中ほどにヤンさんの銅像がありますが、そのプレートに触ると幸せになるとか、またここに戻ってこられるとか言われています。
銅版のプレートの触られた所がピカピカに光っているのですぐわかります・・・」
 アリちゃんかかると、聖人もヤンさんになってしまう。 
 
 ─続く─

中欧旅行(17)

2009-11-22 06:33:03 | 中欧旅行
「大き過ぎて、見ているだけでお腹がいっぱいですよ」
 隣で大声で食事談義をしていた築地旦那と目が合ってぼくは声をかけた。
 
 小柄だが元気いっぱいの白いブラウスに赤いチョッキのウエイトレスが、我々に邪気のない笑顔を向け、食べ残しの大皿を6枚も重ねて運んでいった。
 子ども連れ、老夫婦、次々と客が入ってくる。
 その間を赤と白のチェコのウエイターやウエートレスが走り回っている。
 あのイケメンのハムレット君が粗相がないかとばかりあたりに目配りしている。



「この方もパンダネットに入ってられるそうですよ」
 築地旦那が白髪のオヤジを伴ってやってきた。
「帰られたらネットで対局されたらいかがですか?」
 この前、食事で一緒になったとき、ぼくが囲碁をやっていると言っていたので同好のオジサンを紹介しようというわけだ。
「いやあ、私などヘボですから」
 白髪のオジサンは殊勝な顔をしている。
「どのくらいで打たれるんですか?」
「パンダネットはレベルが高いので3段まで落ちてしまいました。碁会所では5段格で打ってますが・・・」
 いやあ、ぼくとは段違いだ。

 こうして、ツアー仲間との交流も始まる。

 最後に店を出る時、例のハムレット君が仏ちゃんと清算処理をしていた。
 彼は30そこそこだと思うが責任者なんだ。
 涼やかな笑顔で、貴重な御用達関係のお得意様、仏さまと握手を交わしていた。

 

 仏ちゃんに聞くと、今日はチェコの独立記念日なんだそうだ。
 道理で豪華な食事で賑わっていたのだ。
 今から40年前、プラハの春、自由化、民主化運動が活発となったが、ソ連などワルシャワ条約軍事機構の弾圧を受けるという試練を乗り越えて、ようやく今日の自由が勝ち取られたのだ。
 チェコの元気な人たちに乾杯!

「でも、プラハ駅に浮浪者やドラッグ関係の怪しげな人たちがたむろしていましたが、そういう問題も新たに生じているんですよね」
 仏ちゃんは言った。

 ─続く─
 

中欧旅行(16)

2009-11-21 07:33:50 | 中欧旅行
「あの運転手さん、缶コーヒーボスのCMに出ている人に似てない? なんとかジョーンズという俳優に・・・」
 妻から言われる。
 プラハに向うバスに乗り込む前に、妻は仏ちゃんにも言っている。



「運転手さんが缶コーヒーボスのなんとかジョーンズさんに似ていると言われましたが、たしかに横顔は似ているかも・・・」
 仏ちゃんは早速話題に採用。
「そういえばそうね」
「似てる、似てる・・・」
 あちこちから声が上がる。

「あー、ビリー・ジョーンズね」と大助おじさん。
「違うでしょう。トミー・リー・ジョーンズよ」
 知的奥さんからすぐ訂正が入る。

 マイセンからプラハまで169キロ。
 夕食はプラハの大きなレストラン、HYBERNIA。
 我々は一人のおばさんと、3人の若い女性の組と同席。
 野菜スープ、じゃがいもに白身魚のフライ。
 ボリュームあり過ぎ。半分残す。
 ビールはさすが、チェコ、ピルセンビール。
 ほのかな苦味が一時代前の懐かしい味だ。

「見て、見て、あのウエーター。ハムレットみたい。目が涼やか」
 妻が目を輝かしている。
 あごひげなんか生やして、なかなかイケメンの若者だ。
 仏ちゃんと一緒にドリンクの注文取りに回っている。

 我々のほかにもチェコの若者やファミリーがたくさん入っている。
 隣の席の図体の大きなおにいちゃんはなんと半そでだ。
 目の前には馬が喰うほどの野菜が皿に山盛りになっている。 
 向かい側のおねえちゃんの前には焼き鳥のお化けみたいのが突っ立っている。



「あれシシカバブだよ。どうやって喰らいつくのかな?」
 自分が食べるのはそこそこにして、興味津々周りを見回す。

 おっ!後ろの席の女性の前には、ブタの丸焼きか?
「違うわよ、鶏の丸焼きでしょう」
 妻に言われたが、目の前にした二人のチェコ女性ご本人があまりの大きさに目を白黒して顔を見合わせている。

 ─続く─