昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

有名人(30)女の魅力(26)(27)

2009-09-29 05:48:33 | 女の魅力
 <女の魅力26>

 クルム伊達公子が韓国オープンで13年ぶりにツアー優勝した。
 28日に39歳になった彼女は、ビリー・ジーン・キングの39歳7ヶ月に続く史上2番目の高齢優勝だった。

 

 彼女はインターハイでシングルス、ダブルス、団体の3冠を達成、高校卒業後の1989年にプロに転向した。
 その後、4大大会でシングルス準決勝に3回進出し、世界ランキング4位まで登りつめる活躍をし、1996年に引退した。
 そして昨年アラフォーで復帰し話題を集めている。

 ぼくは、彼女がまだ高校生の頃、まだ青梅のように酸っぱそうな彼女に目をつけてずっと応援してきた。

 <女の魅力27>
 引退した時、彼女に最後の戦いで引導を渡したのが若き天才、スイスのマルチナ・ヒンギスだった。

 

 というわけでぼくは伊達公子と言えば、マルチナ・ヒンギスを思い出す。
 彼女は16歳の若さで全豪オープンに優勝、世界ランク1位になり、日本でもテレビCMに出演して、妖精とか小悪魔とか言われて人気を博した。

 彼女が明石家さんまとテレビマッチをした時のことを今でも鮮明に覚えている。

 黄金バットよろしく、上からロープに吊るされて降りてきたさんまは17歳のヒンギスとテニス対決をした。
 以前にもマッケンローと対戦し、何ポイントかゲットしただけあって、彼の実力はなかなかのものだった。
 実際、ヒンギスからも3ポイント獲得している。

3セットのうち1セットを奪うのが目的だったが、やはり所詮素人、お子様ヒンギスにいいようにあしらわれた。
「40歳と聞いていたけど、本当は80歳かしら?」
「なかなか頑張ったけど、テニス以外のスポーツに生かしたほうがいいみたい・・・」

 プレー中はわざと顔面を狙われたりして、息を切らしていた彼はヒンギスの感想を聞いてダーッとなっていた。

 それでもさんまは「彼女は憎たらしいけど好き! 好きと言ってもいいですか?」とヒンギスに聞く。

 しかし、「NO!]とすげなく返されて再度ダーッとなっていた。

 

「マッケンローはもっと大人だったよ・・・」
 さんまは愚痴をこぼしていたが、顔はこの小悪魔に十分満足したようだった。 
 

 

エッセイ(25)映画<ポー川のひかり>(2)

2009-09-19 04:59:34 | エッセイ
 

 広く穏やかなポー川。
 朽ち果てた家がある。
 近づいてみると中には暖炉もある。・・・
 教授はバッグから分厚く綴じられた論文を取り出し、ライターで火をつける。
 たちまち紙を舐めてゆく炎。

 教会の前に開かれている市場。
 賑わう人々の中に教授の姿がある。
 パン屋のゼリンダと知り合う。
 元煉瓦工で今は郵便配達のバイトをしているダヴィデと仲がよくなる。
 魅力的なゼリンダとダンスパーティーで踊る。

 

「踊り以外は最高よ・・・」と言われる教授。

 こうして、廃屋をベースにした温かい人々に囲まれた教授の田舎暮らしが始まる。
 しかし、国有地域内に違法な居住施設があると、他の村人を含めた違法建造物の撤去を迫られる。
「みなさんが自分の言葉で」
 

 教授のアドバイスで請願書を役所に提出。

 しかし、「違法建造物の占有者は、正規の許可なく国有地を占拠した。ゆえに罰金を科するものとする」と2万7千ユーロの支払を命じられる。
 カードで支払うようダヴィデにカードを渡す教授。
 しかし支払停止のカードが使われたことで足がつき、教授は逮捕される。

 その後、「ご友人は自宅監禁になった・・」との知らせを受けた村人は、道路にロウソクの灯りを並べたりして教授を歓迎するための準備を始める。
「県道でキリストさんに会ったよ・・・」
 子どもの言葉が伝えられる。
 教授はその風貌からそう呼ばれていた。
 しかし・・・。

 監督のエルマンノ・オルミは語る。
 
 

 まず、何よりも、最後の所作は自分の一生の意味を集約するものだという自覚がある。
 ここで私が自分に向けた根本的な問いは「何を語るか?」だ。
 そして何よりも「誰について語るのか?」だった。・・・
 それを<キリスト>とするのは言うまでもないことだろうか?
 
 そう、人間キリスト、私たちが今もなお人生のどんな日にも出会うことのできる、私たちと同じ一人の人間だ。
 いついかなる時にも、いかなる場所でも、それは在野のキリストであり、祭壇上の、香をたかれた偶像のキリストではない。
 書物や祭壇が都合のよい形式に、偽善的な体裁に、あるいは抑圧の口実になってしまうような場合、書物の中のキリストでもない。
 これは辛辣で、行き過ぎた言葉だろうか。

 しかしながら、世界中のあらゆる地域から争いと苦しみの叫びが届いてきており、それはあたかも人々のあいだに憎しみの種を蒔く、不条理な破壊の神に献上する貢物のようにも思えるのだ。
 平和の神はどこにいるのだろうか?

           (以上、岩波ホールのパンフレットから抜粋しました)

 現代人間社会に、深く示唆的なテーマを提供している映画だ。
 

エッセイ(24)映画<ポー川のひかり>(1)

2009-09-18 13:59:15 | エッセイ
「どこか映画でも見にいかない?」久しぶりでボランティア活動から手が空いた妻から声をかけられた。
 映画? <おくりびと>以来見ていない。
「吉祥寺か渋谷あたりでいい映画ないかしら。ネットで調べて」
 ネットで調べたが関心を引くものがない。
「岩波ホールの<ポー川のひかり>がいいみたいよ」
 岩波ホール? あまり遠い所まで行きたくない。
 ネットで作品の内容にアクセスしてみる。

<人の豊かさとは何か? その本当の意味を問いかける>
 2007年カンヌ国際映画祭招待作品だ。
 30年前<木靴の樹>で同じ映画祭でグランプリを取ったイタリアの名匠、エルマンノ・オルミ監督の作品だ。
 見る価値はありそうだ。結局彼女に従って出かけることにした。

 途中渋谷駅で乗換にひまどったり、神保町で出口を間違えたりして、十分時間があると思ったのに開演10分前。
 すでにホールはほぼ満員。
 真面目そうなおじさんやおばさんが多い。

 冒頭、場面はボローニア大学の歴史図書館。
 老守衛の絶叫から始まる。
 大学は夏休みに入り、人影のない図書館の鉄格子の扉の内部に守衛が見たものは・・・
 
 

 貴重な古文書が床に大量にばら撒かれ、しかもそれぞれの開かれたページには大きな太い釘が打ち込まれている。
 誰が、何の目的でかかる蛮行を行ったのか。
 <ポー川のひかり>という題名とはほど遠いスリラーを予感させるシーンから始まる。

 夏休みに入る前、イケメンの若い教授が講義を行っている。
 特に若い女子学生に人気の先生だ。
「最後のあいさつの代わりにひと言。実存主義の父、ヤスパースの言葉だ」
「我々の時代は、精神性が利益に置き換えられ、儲けることが全てになった」
「人生そのものが虚構であり、生きる喜びも偽りである。純粋性が失われた時代には、我々の存在を解明するのは狂気か?」
「・・・」
「よい夏休みを・・・」
 現代批判の言葉を最後に講義を終える。

「お邪魔してもよろしいですか?」
 学生のひとり、インド人の女子学生が教授の部屋に現れる。
「私が取り組みたいのは、世界的な宗教における女性の役割です」
「なぜ、宗教哲学を?」
「なぜか子どものころから世界を救いたいと・・・」
「子どもなら当然だ。やがて自分を救うだけになる」
 一瞬口をつむぐ女子学生。
「私たちインド人にとって、確かなのは宗教だけです。永遠の生命を得ること、それが唯一の真実です」
「宗教は世界を救えなかった。良くもできなかった。見てごらん・・・」
 本棚を見上げる教授。だがすぐに女子学生に視線を戻す。
「我々は知識に囲まれている。多くの真実が著されたが、何か役に立ったか?」  教授を見つめる女子学生。
「(うつむき)我々を欺いただけだ」

 女子学生に自分の手を重ね、やさしく包む教授。
「温かみを感じるね? 愛撫には真実がある。あらゆる本の中よりも」
 互いに顔を近づけてキスをする二人。

 BMWのスポーツカーを走らせる教授。
 ポー川に沿った道。

 

 ライトにようやく明らむ一本道を走ってきた教授の車が止まる。
 ふと彼方に目をやると一艘の船から<忘れな草>の歌声が聞こえてくる。
 甲板で涼んでいる人々。
 川面にひかりが躍っている。

 ハンドルを握る手に顔を伏せる教授。
 決意したように顔を上げると、車を路肩に止める。
 草むらを抜け鉄橋に登った教授。
 眼下の水面は残照を受け、銀箔のように輝いている。
 車のキーを放る。
 川面に小さな水の輪が生まれて消える。
 上着のポケットから財布を出し、紙幣とクレジットカード一枚を抜き取ると、上着を川へ投げる。

 ─続く─
 

金沢通り(15)金沢城は石垣の宝庫

2009-09-09 05:09:45 | 金沢便り
 <山ちゃんからの金沢フォト便り>

 金沢城の石垣は幾多の地震、火災あるいは軍隊などに崩されたり、壊されたりして、修復や復元が繰り返されてきた。
 修復の都度、使用可能な古いものを残し、その時代の新しいハギ(技法)が加わり積み重ねたことからいろいろな種類がある。

 

 野面(のづら)積・・・自然石を荒削りしただけの石をゆるい勾配で積み上げた            もの。

 

 打ち込みハギ(技法)・・・石の隙間に平らな石をはめ込んだ後に、形や大きさ              を揃えた割石が使用された。

 

 切り込みハギ・・・石の表面を多角形に加工し積み上げた。城の重要な部分に用          いられる。

 

 数奇屋敷石垣・・・藩主や奥方の住まいと観る視点で色紙短冊積もある。


 *近くの戸室山の石を切り出して城まで引いてきた通りは、現在でも<石引町>という町名で残っている。

 *余談ですが、明智光秀が造った<福知山城>の石垣は急いで造ったようで、墓石も含まれているとか。また、彦根城の石垣にも庭石や墓石が含まれているそうです。

 

 こ石川門下の石垣の写真は<NHK金沢>で放映された。
 打ち込みハギで、右の方には後に修復されたと想われる切込みハギの形跡が見える。
 
 なるほど!見るべき人が見ると、見えてくるものがあるのだ。
 
 

 ぼくは金沢に小学校3年生から高校3年生まで住んで、金沢城も何回か訪れているが、「金沢城? 門(石川門)だけじゃん」という感覚だった。
 室生犀星じゃないが、<ふるさとは遠きにありて想うもの>とばかりこの歳になるまで振り返ろうとしなかった。

 

 調べてみると、中学のそば、しょっちゅう通って遊んだ尾山神社の門は金沢城の二の丸御殿唐門を移設したものだとか。
 そんなことも知らなかった。
 1546年尾山御坊が建立され、加賀一揆で加賀国の支配権を得た本願寺の拠点となり、1580年佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、金沢城と改称、その後前田利家が入城したという金沢城の歴史などももちろん知らなかった。

 戦後金沢大学のキャンパスとして使われたことは知っているが、その後大学は移転、今では金沢城址公園として整備されつつあるそうだ。
 
 山ちゃんの<金沢フォト便り>をもらって感慨もひとしおである。