昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

金沢便り(26)春の海と桜満開

2011-04-29 07:46:29 | 金沢便り
 <金沢の山ちゃん>から春の便りが届きました。

 「春の海」
 越前加賀海岸国定公園<加佐岬・泉浜>
 
 越前海岸から加賀路に続く断崖の加佐岬近くには源義経に随行し、ひ弱な身体では足手まといになると断崖から身投げした尼御前の北陸自動車道<尼御前SA>がある。
 

 のどかな陽を浴びた春の海は昔の出来事など洗い流したように見る人を和ませてくれる風景でした。
 


 新聞に兼六園の桜満開、休日が見ごろと載った。やっぱり好天の日はすごい人出と車の大渋滞。
 名所の桜を見なくとも、名物桜はないだろうかと探しに出かけると一人舞台に咲く桜もあった。

  
 金沢 銭屋記念館の白色桜
  
 金沢 観音堂町の桜と塔

 <卯辰山四百年の森の桜>




 山間の谷を下って行くと見事な桜の園がある。
 <四百年の森>という森林にまとまって桜が植えてあり、東屋もあって市民の憩いの場になっている。

 
  
 枝垂桜
  
 いろいろな色の桜

 東屋から観ると地デジテレビの画面からもはみ出しそうな風景が見られる花見特等席であり、写真機の目では表現できない立体感は、人の目と感性でしか味わえない特権だと思う、
 
 

エッセイ(50)ザ・プリンス パークタワー

2011-04-28 05:22:39 | エッセイ
 このところパソコンの調子が悪くて、ブログを書くにも半日要するしまつ。
 弄繰り回していると固まっちゃったりして・・・。
 どうも焼きが回ったようだ。ぼくのように・・・。
 それでも何とかしようと前へ向かって進んでいると、また動き出したりして。
 ・・・パソコンのことでなく、いつの間にか自分のことを愚痴っている。

 あるメル友は、ロンドンで活躍する長男が上京したので親族が広集まり、広尾でイタリアンの会食。さらにゴールデンウイークには夫婦で北陸へ旅行、秋には奥さまが銀座で個展と、華麗なる生活ぶりを伝えてきた。
 
 それにひきかえ・・・・。
 何をすることもなく一日が過ぎ去っていく単調な身に幸運が舞い降りた。
 たった一日だがセレブな気分を味わえることになったのだ。
 ザ・プリンス パークタワー東京に一泊することになった。
 しかもスイートルームに。もっとも、最上階のアラブの富豪が泊まるような、一泊150万もするところではなく。(後で調べたらお一人様7万円のジュニアスイートだった)
 それにしてもこんなところに泊まれる酔狂な身分ではない。
 タネを明かせば、昨年末の忘年同窓会で最高賞を引き当てたのだ。
 
 乗りつけるべき車も処分してしまっていて、既にないので電車で行くことにした。
 地下鉄芝公園駅を降りて見回すとそれらしき高層ビルが目に入った。
 着いてみると、住友不動産のタワービルだった。
 外へ出てきた社員らしき若者に聞いてみたが、プリンスタワーは知らないと言って、わざわざ守衛室に行って聞いたくれた。
「この公園をまっすぐ突っ切ったところです」
 守衛さんはわざわざ外へ出てきてその方向を指差して教えてくれた。

 ちょうど雨が降り出してきて、風も強い日だった。
 公園の木々に遮られて先がよく見えない。
 風に煽られて折りたたみ傘が役にたたなくなってしまった。
 それでも何とか目指すホテルの車寄せにたどり着いた。
 ガイドに案内されて中に入ったが、折れた傘をぶら下げて雨に濡れた姿はなんとも恥ずかしい。

 フロントで手続きすると、「お荷物を」と言われたが、薄汚いバッグと傘しかないから「結構です」と言ってしまった。
 もうすでにセレブな気分は萎えてしまっている。
 家内のバッグと一緒に台車に載せられ、しかも男女ふたりもガイドが付いて来た。
 スイートルームの客だからか、大震災で暇なせいか分からない。
 28階の部屋に入ると、さすが広い。
「ここを操作すると、カーテンが上がります」

 眼下に壮大な夜景が広がる。
「<がんばれ東日本>の看板が真正面に見えますね」男性のガイドが笑顔で言った。

 翌朝、起きてカーテンを引いた。朝焼けが美しい。
 眼下に首都高速、遠くにレインボーブリッジ。すでに車で渋滞している。
 ビルが隙間なく林立する大東京だ。

 33階の展望レストランで食事する。
「おはようございます」
 係りの人たちが入ってくる客に声をかける。
 外人客が比率的に多いようだが、全体の入りは三分の一ぐらいで空いている。
 こちらサイドから間近に東京タワー、遠くにスカイツリーを臨む。
  

 フロントでチェックアウトする時、携帯が鳴った。
 作家先生からだ。
 携帯に答えながら、フロントに手を振って外へ出る。
 ようやくセレブな気分になった。
 

  

 
 
 
 

昭和のマロの考察(124)女と男(31)

2011-04-26 06:17:38 | 昭和のマロの考察
「・・・僕はこれからの時代を根底から動かしていくのは女性の力だと思っている。
「それは、女性がリーダーシップを取るという意味ではない。幕末であれ平成であれ縄文であれ、いつの時代もすべての男は女から生まれ、女に育てられてきた。 いつの世もスタートラインは女性なのだ。
 社会の表舞台で直接世の中を動かすことだけが時代を動かすことではない。
 今を動かす力を持っているのは女性だけだ」


「<育てる>とは、<親として育てる>ことに限らない。姉として、伯母として、恋人として、妻として、友人として、いかなる形であれ、男に関わり、男をひとかどの者にしていくのは女の<育てる力>なのだと僕は思っている」

「自分の過去を振り返っても、小心者で臆病で根性なしの自分に、自信と誇りと勇気を与えてくれたのは、祖母や母をはじめとした女性たちだった。
 大仕事をやり抜くための痩せ我慢も背伸びも大風呂敷も、表向きは世のため人のため己のプライドのためであり、それは一面の真実ではあるけれど、その裏には必ず、愛する女性に認められたい、褒めてもらいたいという思いがあった。
 この思いを、軟弱であると笑わば笑え」


「愛する女性に認められたいという私的な気持ちを、世のため人のためという公への気持ちに昇華させてこそ男であると僕は信じている。
 私的にどうしようもない男は、世の中のお役に立つことでしか、育ててくれた女性へのご恩返しができないではないか。これは居直りではなく哀しみだ」


「だから平成の大和撫子たちにはお願いしたい。
 己の命を公のために捧げる志をもった男には、際限なく愛情を与えていただきたい。どうしようもないところには目をつぶって、加点評価を心がけていただきたい。

 ただし、言行不一致があったときは厳しく戒め、その度量と覚悟と胆力を大きく育てていただきたい。
 男は女の育て方ひとつなのだから。

 (原 伸介・ジャパニスト2011.No.8、巻頭エッセイ)より。
 

 *原さんは、今から16年前、22歳の時出会った炭焼きの師の生き様に一目ぼれして弟子入り、現在独立して原木の伐採から搬出、炭焼きまですべて独りで行うかたわら、職人・一次産業の魅力と日本の精神文化の素晴らしさを若者に伝える活動に命を燃やしている。

 

昭和のマロの考察(123)女と男(30)

2011-04-25 08:42:47 | 昭和のマロの考察
 <女と男>という関係で身につまされる記事を目にした。


ーー心底、「どうしようもない男」だと思う。
 非常識で世間知らずで方向音痴でワガママで、気まぐれで道楽者で根性なしの怠け者でええかっこしいで酒好きで・・・。




 以前、このどうしようもない男がどうしようもなくなって引きこもったとき、それでも何も言わない妻(カミさん)に不安を感じて尋ねたことがある。
「オレガ何もしないのに、どうして何も言わないの?」
 彼女の答えはシンプルだった。
「だって何も期待していないもん」
 期待値が元々0だから、評価はプラスのみになる。
 何とも賢くも慈愛に満ちた<究極の加点評価>であろうか。


 カミさん語録をもうひとつ。「あなたはワガママで行動が突飛で極端で、色々やらかすどうしようもない男だから、マイナス99点。それでも調子に乗った時は天才的な仕事をするから、プラス102点。差し引き、プラス3点。まあ、かろうじてプラスだかr、よしとしよう」
 雲間から差し込む一条の光を見た思いだった。


 さらに、師曰く
「相手をどうにかしようとするから疲れるんだよ。すべては自分の問題」
 こんなに身近にお釈迦様がいることに、どうして気づかなかったのだろう。
 そう、すべては自分の問題。自分を怒らせる相手がいけないのではなく、腹を立てる自分の器が小さいのだ。


 求めない(期待しない)こと。
 相手を責める(減点評価する)のではなく、良いところを見つけて(加点)評価するよう心がけること。
 世の中すべての問題を自分の問題として引き受けること。
 これだけで、男と女の関係は驚くほどうまくいく。我が家で実証済みだ。
 その証拠に、先日、カミさんが、飲みながらしみじみと褒めてくれた。
「どうしようもない男と一緒になったことで、あきらめることが幸せへの近道だと悟らせてもらったよ。おかげさまで、随分成長させてもらったなぁ。ありがとう。私、今なら誰とでも一緒にやっていける気がする」
 手放しで喜べなかった。


 だれの文だって? それは明日に・・・。

 ─続く─



  

エッセイ(49)地下鉄丸の内線の運転手

2011-04-20 13:02:42 | エッセイ
 昨日久しぶりに朝早く家を出た。
 7時21分のバス。10分以上遅れて来た。超満員。
 三鷹駅前は通勤する人たちで溢れている。

 おまけに地方選挙間近し、ということで候補者が多数集まって、選挙民分捕り合戦の大声が錯綜して騒々しい。

 エスカレーターを上ったところでひとりの候補者と目が合った。
 知った顔だったので思わず会釈すると、向こうも「まあ、これはこれは・・・」という顔で目を見開いている。
 しかし直接話した間柄ではないので、先様もこちらを知って会釈を返してくれたのかどうかは定かではない。
 
 さて、電車に乗り込もうとして東京行きのホームへ降りようとしたら、降りた人たちが大量に戻ってくる。構内アナウンスが「人身事故で・・・」と言っている。
 ・・・たまに電車に乗ればこれだ・・・
 不運を嘆きつつも、流れと共に総武線ホームの方へ押し流されて鈍行に乗り込む。
 取り敢えず乗り込んでから、東京駅に行くには荻窪で地下鉄に乗り換えて、と意志を決める。
 


 こんな状況だから地下鉄に乗り換えたが、荻窪始発のくせにいきなり満員だ。
 南阿佐ヶ谷、新高円寺と進行するうちますます混んできて身動きならない。
 妙齢の女性がぴったり接近してくる。
「ぼくは絶対やってません・・・」なんて言い訳する羽目になるのはイヤだから、バッグを手前に持ってくる。
 しばらくするとイヤホーンを耳にしたむくつけき男が若い女性の背中にぴったりくっついて恍惚とした顔をしている。
 ・・・女の子が問題にしたらまずいぜ・・・と見ていたが、女の子は下を向いたままで、事件にするつもりはないようだ。

 とつぜん、さわやかな声が耳に入った。
「テンメツカクニン!、シッパツシンコウ!・・・」
 最先端の車両なんだ・・・。
 目隠しの隙間から若い運転手が、どこかの新幹線の運転手のようにコンピューターゲームに興じたりしないで、前を向いて真面目な顔で指先確認をしている。



 
 福島第一原発の現場で取り組んでいる作業員だけでなく、我々はこういう真面目で真剣に職務に取り組む人たちに守られているんだということを改めて実感した。

 
 
 

エッセイ(48)月へ戻って行ったかぐや姫

2011-04-18 05:59:49 | エッセイ
 先日東京でも大きな余震が感じられた日、月を見て、満月の夜天上に戻っていった<かぐや姫>の物語が思い浮かんだと書いた。
 月の引力による潮位の上昇とか、噴火する富士山とかのイメージを連想して浮かんできた。 
 そして昨日見田宗介氏の<つかの間の夢>という話を載せた。
「今、たまたまここに人間として生きていることは、とてもふしぎなことだということが、実に鮮明に感覚される。そういうふうに人類が生きはじめる時代が来る」
 
 そこで、<月へ戻って行ったかぐや姫>という物語の筋立てを考えてみた。
昔、地球という美しい自然に囲まれた星がありました。
 この地球の人たちは自然を愛し、その自然の中、生きとし生けるものすべてを仲間として仲良く生きていた。




 

天上の王はこれをとても評価して、<かぐや姫>を地上に下したのです。 
 <かぐや姫>は竹の中で小さな姫として発見されます。
 ひとは一生懸命育て、それは素晴らしい絶世の美女として成長します。

 
 周囲の人はおろか、あらゆる貴人、そしてやんごとなき帝(みかど)の地位におられる方までがこの美に迷わされることになるのです。
 結婚してくださいという人たちの懇願の渦に困惑した<かぐや姫>は、それらの人々に難題をつきつけます。
 人々は課せられた難題に挑戦、努力の限りを尽くします。
 例えば、地中から石油を掘り出して活用、快走を誇る豹も驚く車を開発したり、悠然と飛び回る鳶も目を見張る飛行機なるものを生み出しました。
 また、石油を変質させ自然界に存在しない化学物質なども開発し、豊かで便利な文明を謳歌するようになったのです。


 人々は自身を万物に優越するものと過信するようになりました。
 しかし、人々が生み出したものがやがて自然を汚染する事態になったことを憂慮した天上人は、難題を課した<かぐや姫>を地上から取り戻すことを決意、大地震や大津波を発生させて<かぐや姫>を帰還させ、人々に反省を促し覚醒させることになったのです。 


 しかし、それでもいったん自らの優越性を認識してしまった人類は、<人類の滅亡>というリスクを糊塗しながら、先へ先へと進む姿勢を変えることはありませんでした。

エッセイ(47)自然はかぐや姫か

2011-04-13 10:16:17 | エッセイ
 福島第一原発の事故は発生して一ヶ月を経過、保安院は事故評価レベルを5から7に引き上げた。
 なんとあの人類史上最悪のチェルノブイリ事故に匹敵する規模だという。
 今のところ被爆による死者や被害者は生じていないと言い訳しているが、新たに計画的避難区域を設けるなど、まだまだ先が見えない。
 おまけに巨大地震の余震は100回を上まわり、いま10時過ぎ、書きながら、ここ東京でも揺れを感じている。
 
 東京でもかなり大きかった先日真夜中の余震について、翌日「もう、あわてて身支度しちゃったわよ」とスーパーで居合わせたおばさんたちがおしゃべりしていた。
 昨日の朝も新聞を取りにマンションのエレベーターへ乗り込んだところで、ガタガタと異様な振動を感じ、地震だと冷や汗ものだった。
 家内からは「閉じ込められたらどうするの! 絶対エレベーターには乗らないで」とい言われてしまった。午後には歯医者の治療台の上で「また、地震だ。ちょっと中断しましょう」という具合。

 夜、久しぶりで外食して、ふと夜空を仰ぐと、上弦の月が漆黒の空に煌々と光っていた。






 ・・・満月の夜には月の国からかぐや姫を迎えに来るんだ。・・・
 本棚の奥から<日本の古典をよむ>を引っ張り出して読んでみた。

 

 天人の王は、老夫婦の日頃の善行を評価して、かぐや姫を下界に下された。 
 彼らは姫を慈しみ育て、黄金も賜りお金持ちになった。
 その美貌に惹きつけられた貴人たち、なかんずく帝(みかど)にまで関心を寄せられる。
 しかし、姫の役割も終わったということで天上から、満月の夜、迎えの使者が来る。
 姫自身は老夫婦に恩を感じ残りたいと思うがそれは叶わない。

 「今はとて天の羽衣着るおりぞ 君をあはれと思ひいでける」
 という歌と、不死の薬を帝に託し、ついに天人からの羽衣を着る。

 この羽衣を着ると老夫婦を「気の毒だ、不憫だ」という感情はかぐや姫からは抜け出てしまう。
 そのまま飛ぶ車に乗って、月の世界に戻ってしまった。

 老夫婦は「誰のために命を惜しむのだ」と言って姫の残した不死の薬には手をつけない。
 受け取った帝もひどくしみじみとした気分になられ何も召し上がらない。

 「あふこともなみだにうかぶ我が身には 死なぬ薬も何にかはせむ」
 という歌とともに、わが国で一番高いといわれる駿河の国の山の頂で火をつけ燃やさせた。
 その不死の薬を焼く煙は、いまだに雲の中へ立ち上っている。
 (富士山の噴火は平安時代に入ってからも何度かあった)
 
(以上小学館<日本の古典をよむ⑥>より)




 <かぐや姫>を<自然>と置き換えてみた。
 日本人は<自然>から豊かな恵みを賜っているが、ひとたび事あらば、羽衣に着替えた<自然>から冷徹な鉄槌を下されることを知らなければならない。
 
 
 

金沢便り(25)白山春景色

2011-04-11 07:05:39 | 金沢便り
 <金沢の山ちゃん>からフォト便りが届きました。

 「越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ」と越中おわらで唄われて、白山は霊山として名高い。
 
 大聖寺から視た白山。
 春の高気圧に覆われ、よく晴れた日には
 白雪を被ったままの<白山>が良く見える。


 
 
 片山津温泉柴山湖畔に春の陽を浴びる鴨の群れ、なんとも長閑な景色である。
 
 近くの田んぼでは農作業の音も聞こえ、春への息吹を感じる光景である。 
  以上石川県加賀市にて

 そして、能登半島内浦 穴水・椿崎ヨットハーバーから。

 
 能登半島の内浦は大きな富山湾・七尾湾に囲まれ、所々に小さなリアス湾があり、ヨットが係留されており後背地の山腹には別荘が立ち並ぶ風光明媚なところ。
 
 繋留港から波静かな湾をゆっくり亀さんの歩みのように出航して、能登島に架かる二つの<中島ツインブリッジ>と<能登島大橋>を海上から仰ぐコースも堪能できる。

 ところがヨットで航海し、小さな湾の寄港地に戻る時、湾の出入り口の狭いところには白波が立つ荒れた状態になり、暫しの間は写真のように揺れます。
 これを「白兎が走る」と言い、スリルがあります。

有名人(43)女の魅力(25)酒井法子

2011-04-09 05:41:32 | 女の魅力
 酒井法子が電撃訪中!

 えっ!あの覚せい剤取締法違反で執行猶予中の酒井が?
 中国の求めに応じて薬物犯罪を防ぐPR活動に参加するためという。
 北京空港では集まったファンの大歓声に白い歯を見せ何度も手を振って応じた。
「中国のファンが待っていましたけど?」と聞かれると「本当にうれしいです」と答えた。

 事件で起訴された後、涙を浮かべながらもしっかりとした口調で謝罪会見をしたときの彼女にはいずれは復活する強い意志を感じた。
  
 16歳の時、日本歌謡大賞で、最優秀放送音楽新人賞を受賞、自らをのりピーと称し人気になり、 
 3年後には台湾、香港、中国において日本以上の人気と知名度を獲得した。

 27歳の時結婚、長男を出産。以後子育てと女優活動を両立していたが、荒れた私生活もかいま見られ、
 一昨年夫とともに覚せい剤取締法違反で有罪判決を受けた。 

 今回の訪中に「日本が地震で大変な時になぜ」「介護の仕事をやりたいと言っていたのに」などと批判的な声もある。
 しかし、キミにはみんなに伝える何かを持っている。
 紅白史上初めて手話を交えて歌った<碧いうさぎ>の歌詞を思い出してほしい。
     碧いうさぎ ずっと待ってる 独りきりで震えながら
     淋しすぎて 死んでしまうわ 早く暖めて欲しい
        ・・・
     碧いうさぎ 宇宙を翔けてく 心照らす光放ち
     愛の花に夢を振りまき 明日へと Ah・・・

  
  

三鷹通信(36)コミュニケーション講座

2011-04-04 05:52:09 | 三鷹通信
 昨日は地元のコミュニケーション講座に参加した。すでに地域のためにいろいろ活動されている方たちが10人集まった。

 人とどう付き合っていくべきかを勉強するのだ。今回はフリートークだった。
 Sさんは<みたか身の丈起業塾>に一ヵ月半、火曜日から金曜日まで毎日10時から18時まで勉強した話をされた。
 三鷹では社会的企業(最大利益の追求ではなく、社会的、地域的課題の解決をビジネスの手法で解決することを事業とする企業)が雇用する人材や、起業する人材を育成するための、講座受講とインターシップを行っている。
 そしてビジネスプラン・コンペティションを開催し、選定された方に起業支援金として最大300万円交付される。

 たまたま、今度の大震災を跨いで、3月9日から13日までアメリカに<糖鎖栄養素>?の研究会に渡米されたふたりの女性の話から、話題の大半は今回の大震災になった。
 彼女たちが出発した9日すでに緩やかながら揺れを感じたという。
 そして、11日の大震災をアメリカのテレビで見聞きし、残してきた3匹の犬のことが心配になって電話するが通じない。たまたまもうひとかたの携帯が通じて、弟さんが犬を無事避難させたことを聞いて安堵のあまり涙を流したという。
 そんな彼女は何年か前、会社を経営していた夫を亡くしたとき、仕事も含め一切の負担が身にかかってきたが、涙ひとつ流れなかったという。
 ところが、その後、夫の職場を見る機会があったとき、それこそ滂沱の涙を流したそうだ。

 参加された中でG夫人はただひとり被災地に直接関係する方だった。
 彼女の実家は岩手県だったが幸い高台にあり大被害は受けなかったが、親戚の何人かは被災された。お見舞いの電話が通じた時も、言葉もなくただ涙するだけで、かえって相手から慰められる始末だったという。
 こんなとき、被災された方にかける「がんばれ!」などという言葉は何の助けにもならない。

 数多くテレビで流された被害シーンの中でもっともぼくの心を打ったのは、海に向かって「お母さん!どこへ行ったのおかあさん!」と叫ぶ小学生の女の子の姿だった。
 ぼくの目にも涙。
 こんな時、事実を事実として受け止めてピュアに涙するしかない。
 そしてここを基に立ち上がるしかない!と痛感した。

「今日の参加も渋っていたのですけど来てよかった。みなさんと話すことで気持ちが楽になりました」とGさんは言った。

「ぼくは福岡なんですが、彼女の実家を訪問した時、東北の人って、家族や親戚との関わりが濃密なんですよね。ぼくなんかむしろ耐えられるかなって思うくらいで・・・」と旦那のG氏が言葉を添えられた。
 今回の大震災で、日本人は改めて自らの絆を実感したのではないだろうか。
 その点に関しては外国からも多数称賛の声が寄せられている。
 あらためて、この日本人のこの資質を誇りに、前向きに復興に向けて行動しなければ。

 震災の間アメリカへ行っていたお二人から<マナ>という<グミ>のようなサプリメントをお土産にいただいた。
 
 <マナ>というのは旧約聖書に登場する食べ物だ。イスラエルの民がシンの荒野で飢えたとき、神がモーゼの祈りに応じて天から降らせたという。
 この時人々は「これは何だろう」と口にし、このことから「これは何だろう」を意味するヘブライ語の<マナ>と呼ばれるようになる。
 ちなみに、<マナ>というのは太平洋の島々で見られる原始的な宗教において、神秘的な力の概念でもある。 Sさんの旦那、S氏はこれをテーマに本を書かれ出版されているという。