「20世紀を振り返り、21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者会議」で安倍談話が検討されることになった。
安倍談話は、彼が唱える<積極的平和主義>を基調とする未来志向のものになるだろう。
その根底には我が国の最初の憲法である聖徳太子の17条「和をもって貴しとなす」があることはもちろんであるが、それを生な形で出すわけにはいかない。
昨日述べたアメリカの人類学者パトリック・ルーカスの「中国民族主義」(我々は別の人々よりすぐれており、特別)と何ら変らない印象を他国に与えかねないので、その愚は避けたい。
しかし、広島や長崎の原爆や、東京大空襲で日本国民が叩きのめされた戦争から得た教訓は伝えなければならない。
(いざ、戦争となると国際法なんて知ったことじゃないんだ)
列強にならって<力>づくの行動がもたらしたみじめな結果を伝えなければならない。
その反省からわが国は戦後70年、敢えて<力>を封印してきた。
能力があるにもかかわらず<核武装>をしなかったのがその証左である。
そして未来に向けて<積極的平和主義>で行くことを決意した。
現行憲法は与えられたものだったが、その平和に対する理念<戦争放棄>は世界に先駆けるもので尊い。
あらためてその思いを自主憲法でというのが安倍首相の気持でしょう。
現在の<核兵器>をベースにした脅し合いの政治から脱却すべきだというのが彼の唱えるところの<積極的平和主義>なのだ。
世界のリーダーたちは、人類滅亡につながりかねない<核兵器>廃絶から話し合いをはじめなくてはならない。
アメリカのオバマ大統領が、<力>から<調和>の世界にチェンジと訴えたが、国内の<力>を信奉する勢力から骨抜きにされたほどの非現実的なテーマである。
しかし、<核兵器>を持たない日本が世界に語りかけるにはそれしかない。
「レロレロ姫の警告で」でボクが訴えたかったのもそこなんです。
滅亡に向けて急ぎ足になっている人類に警告を発しているのです。
なお、お買い求めは吉祥寺サンロードの<ブックス・ルーエ>
一階を入って左側の書棚に「三鷹を舞台にしたファンタジー小説です」というPR板があります。
そして、三鷹駅南口、パルコ3Fの啓文堂書店には、清算カウンターに置いてあります。
インターネット書店<アマゾン>やお手近の書店からも注文できます。
よろしく! 昭和のマロ
安倍談話は、彼が唱える<積極的平和主義>を基調とする未来志向のものになるだろう。
その根底には我が国の最初の憲法である聖徳太子の17条「和をもって貴しとなす」があることはもちろんであるが、それを生な形で出すわけにはいかない。
昨日述べたアメリカの人類学者パトリック・ルーカスの「中国民族主義」(我々は別の人々よりすぐれており、特別)と何ら変らない印象を他国に与えかねないので、その愚は避けたい。
しかし、広島や長崎の原爆や、東京大空襲で日本国民が叩きのめされた戦争から得た教訓は伝えなければならない。
(いざ、戦争となると国際法なんて知ったことじゃないんだ)
列強にならって<力>づくの行動がもたらしたみじめな結果を伝えなければならない。
その反省からわが国は戦後70年、敢えて<力>を封印してきた。
能力があるにもかかわらず<核武装>をしなかったのがその証左である。
そして未来に向けて<積極的平和主義>で行くことを決意した。
現行憲法は与えられたものだったが、その平和に対する理念<戦争放棄>は世界に先駆けるもので尊い。
あらためてその思いを自主憲法でというのが安倍首相の気持でしょう。
現在の<核兵器>をベースにした脅し合いの政治から脱却すべきだというのが彼の唱えるところの<積極的平和主義>なのだ。
世界のリーダーたちは、人類滅亡につながりかねない<核兵器>廃絶から話し合いをはじめなくてはならない。
アメリカのオバマ大統領が、<力>から<調和>の世界にチェンジと訴えたが、国内の<力>を信奉する勢力から骨抜きにされたほどの非現実的なテーマである。
しかし、<核兵器>を持たない日本が世界に語りかけるにはそれしかない。
「レロレロ姫の警告で」でボクが訴えたかったのもそこなんです。
滅亡に向けて急ぎ足になっている人類に警告を発しているのです。
なお、お買い求めは吉祥寺サンロードの<ブックス・ルーエ>
一階を入って左側の書棚に「三鷹を舞台にしたファンタジー小説です」というPR板があります。
そして、三鷹駅南口、パルコ3Fの啓文堂書店には、清算カウンターに置いてあります。
インターネット書店<アマゾン>やお手近の書店からも注文できます。
よろしく! 昭和のマロ
25日、朝日新聞が一面を割いて、現在の中国に対する米国の人類学者パトリック・ルーカス氏の見方を掲載した。
「中国中華民族復興」「我々は別の人々よりすぐれており、特別」「我々はやりたいことができる」それが基本理論です。
・・・うん? ずいぶん踏み込んだ中国に対する現状認識だな。朝日にしては・・・
それが第一感だった。
80年代、共産主義のイデオロギーを誰も信じなくなり、共産党は破産した。
しかし、共産党一党支配を崩せない中国政権は、人々の物質的な要求を満足させる方法をとった。
「共産党には欠点もあるけれど、言うことをきいてくれれば誰もが豊かになりますよ」と。
ある程度人々の欲求を満足させたが、不平等の問題が共産党をゆるがすことになった。
そこで民族主義が使われ始めた。
そして江沢民の愛国主義教育で『被害者の物語』が登場。
この場合の敵は、西欧人であり帝国主義、さらに日本人とその侵略行為でした。
「民族主義」は統治者にとって使いやすい道具ということです。
しかし、中国人の民族主義は漢族の民族主義です。
そして巨大な隣国で民族主義が高まれば、周辺の人々は圧力を感じる。
今はエリートの言葉ばかり。
それ以外の言葉も話しやすい開放的な社会になれば、民族主義に反対する人が多くを話し出すかもしれないと、ルーカス氏は結んでいます。
・・・朝日にしては、と思ったのは、中国に対する見方が変わったなと思ったのです。
10年前、ボクは半年ほど朝日新聞の読者モニターをやらせてもらった。
その役割が終わって、モニターたちが朝日新聞本社に集い、朝日側と面談する機会があった。
たまたま、ボクは当時のS編集長と直接お話しする機会があった。
そのころ、日本も核兵器を持たなければ国際外交の舞台で一人前にはなれないのでは、という論議が起こっていた。
中国の高官が日本へやってきて「日本は非核三原則を守るのでしょうね?」と言ったという報道を朝日新聞の記事で見たので、「なぜそこで、おたくにはそんなこと言われたくない!」と反論しなかったのですか?「核を持っている国にそんなことを言う資格があるのか?」と。
核を持っている国が国際連盟の常任理事国として、<力>を誇示して世界をコントロールしている現状で、持たざる国の日本の国際政治に対する姿勢はどうあるべきかを考えてみたい。
─続く─
「中国中華民族復興」「我々は別の人々よりすぐれており、特別」「我々はやりたいことができる」それが基本理論です。
・・・うん? ずいぶん踏み込んだ中国に対する現状認識だな。朝日にしては・・・
それが第一感だった。
80年代、共産主義のイデオロギーを誰も信じなくなり、共産党は破産した。
しかし、共産党一党支配を崩せない中国政権は、人々の物質的な要求を満足させる方法をとった。
「共産党には欠点もあるけれど、言うことをきいてくれれば誰もが豊かになりますよ」と。
ある程度人々の欲求を満足させたが、不平等の問題が共産党をゆるがすことになった。
そこで民族主義が使われ始めた。
そして江沢民の愛国主義教育で『被害者の物語』が登場。
この場合の敵は、西欧人であり帝国主義、さらに日本人とその侵略行為でした。
「民族主義」は統治者にとって使いやすい道具ということです。
しかし、中国人の民族主義は漢族の民族主義です。
そして巨大な隣国で民族主義が高まれば、周辺の人々は圧力を感じる。
今はエリートの言葉ばかり。
それ以外の言葉も話しやすい開放的な社会になれば、民族主義に反対する人が多くを話し出すかもしれないと、ルーカス氏は結んでいます。
・・・朝日にしては、と思ったのは、中国に対する見方が変わったなと思ったのです。
10年前、ボクは半年ほど朝日新聞の読者モニターをやらせてもらった。
その役割が終わって、モニターたちが朝日新聞本社に集い、朝日側と面談する機会があった。
たまたま、ボクは当時のS編集長と直接お話しする機会があった。
そのころ、日本も核兵器を持たなければ国際外交の舞台で一人前にはなれないのでは、という論議が起こっていた。
中国の高官が日本へやってきて「日本は非核三原則を守るのでしょうね?」と言ったという報道を朝日新聞の記事で見たので、「なぜそこで、おたくにはそんなこと言われたくない!」と反論しなかったのですか?「核を持っている国にそんなことを言う資格があるのか?」と。
核を持っている国が国際連盟の常任理事国として、<力>を誇示して世界をコントロールしている現状で、持たざる国の日本の国際政治に対する姿勢はどうあるべきかを考えてみたい。
─続く─
昨日、「聞き書きで創る高齢者が孤立しない未来」と題するシニアSOHO普及サロン・三鷹の会合に参加した。
三鷹市の産業プラザ7Fの会場は70人余りの参加者でいっぱいだった。
同志社大学政策学部教授・関根千佳氏の基調講演があった。
「シニアの華麗学・あなたの想いと経験が未来を変える」
・・・華麗学・すばらしい言葉だ。ボクはこれに魅かれて参加した。
講演内容はこの表題にすべて詰まっている。
続いて「聞き語りで創る高齢者が孤立しない未来事業の成果報告」がいろいろな事例を基に報告された。
そして今の時代にこそ、この事業の存在意義があることを!
15年前、退職して粗大ごみ化しようとしていたボクが家内から追い出されて、たまたまこの会に入会した頃を思い出した。
この産業プラザビルの1階に開設されたインターネットカフェで、インターネット囲碁を活用してシニアにパソコンに馴染んでもらおうという教室を開いたことを・・・。
当時IT時代到来ということで、森首相が我々の活動を見学に来たことを・・・。
ボクは創設者堀池喜一郎氏の勧めで、記録係りとしてシニアSOHO普及サロンの第1回交流会の模様を読売新聞に投稿していることを・・・。
そして、今回、堀池氏のお勧めもあって、わが初作品「レロレロ姫の警告」を展示させていただいた。
会合の最後に敢えて発言を求め、「わがシニアとしての華麗なる集大成がこの作品です。現代文明の混乱を目の当たりにするとき、人類は滅亡に向って急ぎ足になっているのでは?と思ってしまう。 だとしても、我々人類は前向きに生きるんだよね。三鷹を舞台にした、みなさんに問いかける物語です!」
というつもりだったが、こんな場で、こんな私的なPRで良いんだろうか?と思ったら支離滅裂な発言になってしまった。
「言いどくだよ!」とお隣にいた方が慰めて下さったが・・・。
みなさんゴメンナサイ!
三鷹市の産業プラザ7Fの会場は70人余りの参加者でいっぱいだった。
同志社大学政策学部教授・関根千佳氏の基調講演があった。
「シニアの華麗学・あなたの想いと経験が未来を変える」
・・・華麗学・すばらしい言葉だ。ボクはこれに魅かれて参加した。
講演内容はこの表題にすべて詰まっている。
続いて「聞き語りで創る高齢者が孤立しない未来事業の成果報告」がいろいろな事例を基に報告された。
そして今の時代にこそ、この事業の存在意義があることを!
15年前、退職して粗大ごみ化しようとしていたボクが家内から追い出されて、たまたまこの会に入会した頃を思い出した。
この産業プラザビルの1階に開設されたインターネットカフェで、インターネット囲碁を活用してシニアにパソコンに馴染んでもらおうという教室を開いたことを・・・。
当時IT時代到来ということで、森首相が我々の活動を見学に来たことを・・・。
ボクは創設者堀池喜一郎氏の勧めで、記録係りとしてシニアSOHO普及サロンの第1回交流会の模様を読売新聞に投稿していることを・・・。
そして、今回、堀池氏のお勧めもあって、わが初作品「レロレロ姫の警告」を展示させていただいた。
会合の最後に敢えて発言を求め、「わがシニアとしての華麗なる集大成がこの作品です。現代文明の混乱を目の当たりにするとき、人類は滅亡に向って急ぎ足になっているのでは?と思ってしまう。 だとしても、我々人類は前向きに生きるんだよね。三鷹を舞台にした、みなさんに問いかける物語です!」
というつもりだったが、こんな場で、こんな私的なPRで良いんだろうか?と思ったら支離滅裂な発言になってしまった。
「言いどくだよ!」とお隣にいた方が慰めて下さったが・・・。
みなさんゴメンナサイ!
今まで何度か言ってきたことだが、冷戦構造が崩壊し軍事的に他に対抗する勢力が存在しない状況下で、「チェンジ」と言って登場したアメリカの黒人、バラク・オバマ大統領にボクは期待した。
これで、人類も<力>から<調和>の世界へと変わるのでは、と。
そして、まだ平和を実現させたわけでもないのに時期尚早ではないかと批判のある中、オバマはこの<言葉>によりノーベル平和賞を受賞した。
しかし、やっぱりと言うべきか、現実はそんなに甘くはなかった。
<調和>などという言葉を吐いただけでは何の意味もなさなかった。
その背後に相手を威嚇する<力>という武器を背負っていなくてはならなかった。
ノベル平和賞を受賞して1年経つか経たない間に、彼はアメリカ史上最大の規模となる360億ドルの武器輸出をサウジアラビアに対して行うことを表明した。
それは経済不況に苦しんでいたアメリカ国内の景気回復と雇用回復に貢献するという、功利的現実的な経済対策として有効な手段であった。
また政治的な面で、イスラエルに対する欧州勢の姿勢転換に応じ、オバマがイスラエルに対し距離を置くことにしたのだ。
この根は、この3月に訪米するイスラエルのネタニヤフ首相とオバマ大統領が会わない意向だと表明したことに繋がっている。
ネタニヤフ首相の訪米をめぐっては、野党共和党のベイナー下院議員議長がオバマ大統領の頭越しに招請し、ホワイトハウスは不快感を示している。
ネタニヤフ首相は議会の演説で、大統領が推進するイランの核協議に反対を表明するとみられており、両者の関係が一段と悪化する可能性がある。
イスラエルと、ユダヤ国際金融資本という面でも、深いつながりのある共和党とオバマ大統領の姿勢のギャップは、今後のアメリカ国内の深刻な争点になりかねない。
今、中東問題は大混乱の渦中にある。
オバマは「イスラム国」の非道には断固とした姿勢で臨み壊滅させると断言した。
ウクライナ問題でも軍事力をちらつかせてロシアをけん制している。
いつまでも解決しない中東紛争にオバマ大統領は業を煮やしていることは間違いない。
最後の任期で、ノーベル平和賞に値する業績を上げたいと思っているなら、その焦点は自ずとイスラエルに向かう。
つまり、人類の強欲の元凶はイスラエル=ユダヤ国際金融資本という構図を思い浮かべているのではというのは考えすぎであろうか。
自然界の使者レロレロ姫の目からみれば、「身勝手な人類は自然界のガンよ!」ということになる。
人類は叡知でもって文明を進化させたと誇っているが、「今さえよければ良い・先のことはどうでもいい」という人類は、心の面では一向に進化していないことにオバマも気づいており、<調和>と発した自らの言葉の実現に内心苦悩しているのではと、まだオバマに期待しているボクなのだ。
これで、人類も<力>から<調和>の世界へと変わるのでは、と。
そして、まだ平和を実現させたわけでもないのに時期尚早ではないかと批判のある中、オバマはこの<言葉>によりノーベル平和賞を受賞した。
しかし、やっぱりと言うべきか、現実はそんなに甘くはなかった。
<調和>などという言葉を吐いただけでは何の意味もなさなかった。
その背後に相手を威嚇する<力>という武器を背負っていなくてはならなかった。
ノベル平和賞を受賞して1年経つか経たない間に、彼はアメリカ史上最大の規模となる360億ドルの武器輸出をサウジアラビアに対して行うことを表明した。
それは経済不況に苦しんでいたアメリカ国内の景気回復と雇用回復に貢献するという、功利的現実的な経済対策として有効な手段であった。
また政治的な面で、イスラエルに対する欧州勢の姿勢転換に応じ、オバマがイスラエルに対し距離を置くことにしたのだ。
この根は、この3月に訪米するイスラエルのネタニヤフ首相とオバマ大統領が会わない意向だと表明したことに繋がっている。
ネタニヤフ首相の訪米をめぐっては、野党共和党のベイナー下院議員議長がオバマ大統領の頭越しに招請し、ホワイトハウスは不快感を示している。
ネタニヤフ首相は議会の演説で、大統領が推進するイランの核協議に反対を表明するとみられており、両者の関係が一段と悪化する可能性がある。
イスラエルと、ユダヤ国際金融資本という面でも、深いつながりのある共和党とオバマ大統領の姿勢のギャップは、今後のアメリカ国内の深刻な争点になりかねない。
今、中東問題は大混乱の渦中にある。
オバマは「イスラム国」の非道には断固とした姿勢で臨み壊滅させると断言した。
ウクライナ問題でも軍事力をちらつかせてロシアをけん制している。
いつまでも解決しない中東紛争にオバマ大統領は業を煮やしていることは間違いない。
最後の任期で、ノーベル平和賞に値する業績を上げたいと思っているなら、その焦点は自ずとイスラエルに向かう。
つまり、人類の強欲の元凶はイスラエル=ユダヤ国際金融資本という構図を思い浮かべているのではというのは考えすぎであろうか。
自然界の使者レロレロ姫の目からみれば、「身勝手な人類は自然界のガンよ!」ということになる。
人類は叡知でもって文明を進化させたと誇っているが、「今さえよければ良い・先のことはどうでもいい」という人類は、心の面では一向に進化していないことにオバマも気づいており、<調和>と発した自らの言葉の実現に内心苦悩しているのではと、まだオバマに期待しているボクなのだ。
昭和のマロ「レロレロ姫の警告」の目次を見てみる。
前半、石垣島までの難病時代、そして東日本大震災でスーパー少女に変身してからの後半。
たくさんの具体的なエピソードで綴られている。
ところが、インターネット書店<アマゾン>に「表題から想像されるより遥かに大きな作品で驚きました」というカスタマーレビューを寄せて下さった方がいる。
ありがたいことです。
姫が警告し、三島くんが受け止めた内容は、名僧であり書家としても有名な山本空外のお言葉「無二的人間形成」をお借りることにする。
*宗教でも相手と対立せず、相手を生かして自己を全うしていかなければ、無二的とはいえない。その「二」とは自分と相手のことで、自・他、主・客が対立せず、生かしあえる生き方をみのらすのでなければ、動物的生活の延長でしかなく、文化とは言い難い。機械が発達するから、文化が進歩したような気がするだけで、人間そのものは進歩していない。
*戦争といっても、古来いつでも経済のために起こったものが多く、今日でもほとんどがそうである。それで、人間が経済的動物である間は、いつ戦争になるかもしれないし、戦争をすればともだおれであるし、戦争しなくても絶えずその危険の前にしか生きられない。むしろこうした環境を助長するような機械や科学の進歩に心まで奪われずに、心の方が優先する日々を生活したいものである。経済的動物としてでなく、無二的人間としての生活であり、そこにはじめていのちの真実がある。
寒い日が続くので、寒さに弱いパッションフルーツ、月下美人、ベコニア、ガジュマルなどは、ベランダから室内に入れました。
前半、石垣島までの難病時代、そして東日本大震災でスーパー少女に変身してからの後半。
たくさんの具体的なエピソードで綴られている。
ところが、インターネット書店<アマゾン>に「表題から想像されるより遥かに大きな作品で驚きました」というカスタマーレビューを寄せて下さった方がいる。
ありがたいことです。
姫が警告し、三島くんが受け止めた内容は、名僧であり書家としても有名な山本空外のお言葉「無二的人間形成」をお借りることにする。
*宗教でも相手と対立せず、相手を生かして自己を全うしていかなければ、無二的とはいえない。その「二」とは自分と相手のことで、自・他、主・客が対立せず、生かしあえる生き方をみのらすのでなければ、動物的生活の延長でしかなく、文化とは言い難い。機械が発達するから、文化が進歩したような気がするだけで、人間そのものは進歩していない。
*戦争といっても、古来いつでも経済のために起こったものが多く、今日でもほとんどがそうである。それで、人間が経済的動物である間は、いつ戦争になるかもしれないし、戦争をすればともだおれであるし、戦争しなくても絶えずその危険の前にしか生きられない。むしろこうした環境を助長するような機械や科学の進歩に心まで奪われずに、心の方が優先する日々を生活したいものである。経済的動物としてでなく、無二的人間としての生活であり、そこにはじめていのちの真実がある。
寒い日が続くので、寒さに弱いパッションフルーツ、月下美人、ベコニア、ガジュマルなどは、ベランダから室内に入れました。
「イスラム国」は何の罪もない後藤健二さんを非道、卑劣にも殺害した。
国と称しているが、力を誇示し血に飢えた無法者の集団に過ぎないことを露呈した。
しかし、ここで我らが人類の歴史を振り返ってみよう。
無法者は彼らばかりではないのではないか。
ボクも傘寿に近い歳になった。
この歳になると、身近なことよりも、宇宙に儚くも青く浮かぶ我が地球を見る目で、世の中を見る。
そんな目で見ると、今の人類は「自分さえよければ良い。先のことはどうなってもいい」そんな生き方をしているように見える。
今年、第二次世界大戦が日本の敗戦で終結し、70年を迎える。
恐らく中国や韓国は<歴史認識>をぶり返して、喧しく日本に反省を迫るであろう。
たしかに日本は列強の尻っぺたにくっついて、帝国主義的植民地主義の真似事をしたかもしれない。
しかし、産業革命に端を発する<人類の進化路線>に乗っかったに過ぎない。
最先端文明技術を獲得した先進国は、未開の国を蹂躙し、「自分さえよければ良い」と、大国間で殺し合いを始めたのが第二次世界大戦だった。
そして、この悲劇を止めたのは皮肉にも、二つの不法行為だった。
一つは、それまで少なくとも戦争は戦士同士で行うという<人道の壁>を人類自らが取っ払ったことだ。
東京大空襲で何万という無辜の民を殺害した。
もう一つは、人類が殺しあうために開発した究極の兵器<核兵器>だった。
その恐怖の抑止力で少なくとも国家間の紛争は無くなるはずだったが、殺し合いの好きな人類は、イデオロギー、宗教、民族などの理由で紛争は止まるところを知らない。
そして、テロによる9.11事件のように個人レベルの介入により、紛争は今や収拾がつかないありさまだ。
アメリカのブッシュ大統領は<世界の警察>を旗印に、<力>でコントロールに乗り出したが、自らの犠牲が増すばかりで何の解決にもならなかった。
オバマ大統領がその愚を認識し、<力>ではなく<調和>を提案したが、残念ながらその思いは世界に受け止められていない。
ここで<キューバ危機>を思い起こしてほしい。
「キューバ危機を乗り越えられたのはただのまぐれだった」
当時のアメリカの国防長官、ロバート・マクナマラは回顧している。
紛争の抑止力として今なお、国連常任理事国の米英露中仏などに保有されている<核兵器>によって、我々人類は滅亡の瀬戸際まで行ったことがあるのだ。
この核兵器が血に飢えた無法者集団の手に渡る可能性は否定できない。
叡知を持つと自負する人類は、今こそ殺し合いの愚に気づかなければならない。
傘寿に近いボクはその思いを「レロレロ姫の警告」に込めたつもりだ。
国と称しているが、力を誇示し血に飢えた無法者の集団に過ぎないことを露呈した。
しかし、ここで我らが人類の歴史を振り返ってみよう。
無法者は彼らばかりではないのではないか。
ボクも傘寿に近い歳になった。
この歳になると、身近なことよりも、宇宙に儚くも青く浮かぶ我が地球を見る目で、世の中を見る。
そんな目で見ると、今の人類は「自分さえよければ良い。先のことはどうなってもいい」そんな生き方をしているように見える。
今年、第二次世界大戦が日本の敗戦で終結し、70年を迎える。
恐らく中国や韓国は<歴史認識>をぶり返して、喧しく日本に反省を迫るであろう。
たしかに日本は列強の尻っぺたにくっついて、帝国主義的植民地主義の真似事をしたかもしれない。
しかし、産業革命に端を発する<人類の進化路線>に乗っかったに過ぎない。
最先端文明技術を獲得した先進国は、未開の国を蹂躙し、「自分さえよければ良い」と、大国間で殺し合いを始めたのが第二次世界大戦だった。
そして、この悲劇を止めたのは皮肉にも、二つの不法行為だった。
一つは、それまで少なくとも戦争は戦士同士で行うという<人道の壁>を人類自らが取っ払ったことだ。
東京大空襲で何万という無辜の民を殺害した。
もう一つは、人類が殺しあうために開発した究極の兵器<核兵器>だった。
その恐怖の抑止力で少なくとも国家間の紛争は無くなるはずだったが、殺し合いの好きな人類は、イデオロギー、宗教、民族などの理由で紛争は止まるところを知らない。
そして、テロによる9.11事件のように個人レベルの介入により、紛争は今や収拾がつかないありさまだ。
アメリカのブッシュ大統領は<世界の警察>を旗印に、<力>でコントロールに乗り出したが、自らの犠牲が増すばかりで何の解決にもならなかった。
オバマ大統領がその愚を認識し、<力>ではなく<調和>を提案したが、残念ながらその思いは世界に受け止められていない。
ここで<キューバ危機>を思い起こしてほしい。
「キューバ危機を乗り越えられたのはただのまぐれだった」
当時のアメリカの国防長官、ロバート・マクナマラは回顧している。
紛争の抑止力として今なお、国連常任理事国の米英露中仏などに保有されている<核兵器>によって、我々人類は滅亡の瀬戸際まで行ったことがあるのだ。
この核兵器が血に飢えた無法者集団の手に渡る可能性は否定できない。
叡知を持つと自負する人類は、今こそ殺し合いの愚に気づかなければならない。
傘寿に近いボクはその思いを「レロレロ姫の警告」に込めたつもりだ。
今年の三鷹市福祉協議会とボランティア連絡協議会共催の福祉映画、
「舟を編む」などで有名な石井裕也監督の「ぼくたちの家族」を今、観てきた。
改めて<家族>って何だろう? と思わせる映画だ。
夫婦、そして男の子二人の四人家族。
子どもが小さいころは、ご飯を食べたり、旅行に行ったり、一緒に生活している感覚だが、子どもが成長するにしたがって、それぞれがバラバラに行動するようになる。
若菜家の真面目な長男(妻夫木聡)は一時は閉じこもりになったが、ちゃんとした社会人になり、結婚もし、もうすぐ子どもも生まれる。
やんちゃな次男(池松壮亮)は、大学生になったが、お調子者で時々母親(原田美枝子)からお金をくすねている。
父親(長塚京三)は、仕事に熱中、家族を顧みなくなり、独立しついには借金が嵩み、長男に頼る情けない父親に成り下がっている。
かろうじて明るいお母さんを核にして、家族の心のつながりは維持されている。
まあ、よくある家族のパターンだ。
ところが、そんなある時、お母さんに脳腫瘍が発見され、余命一週間を宣告される。
その時から男たちは、お母さんのため<悪あがき>を始める。
この映画の見所は、場面場面での言葉のやり取りだ。
そのひと言ひと言が観る者の胸に突き刺さる。
ボクなどは身につまされて、身じろぎもできないほどだった。
家族はそれぞれを非難し、いがみ合いながらも、何とか家族の形態を維持しようと<悪あがき>とも言える努力をする。
そしてその<悪あがき>が奇跡を生み出す。
これこそ、<家族の力>なのだろう。
ある意味ボクにとってはショッキングな映画だった。
「舟を編む」などで有名な石井裕也監督の「ぼくたちの家族」を今、観てきた。
改めて<家族>って何だろう? と思わせる映画だ。
夫婦、そして男の子二人の四人家族。
子どもが小さいころは、ご飯を食べたり、旅行に行ったり、一緒に生活している感覚だが、子どもが成長するにしたがって、それぞれがバラバラに行動するようになる。
若菜家の真面目な長男(妻夫木聡)は一時は閉じこもりになったが、ちゃんとした社会人になり、結婚もし、もうすぐ子どもも生まれる。
やんちゃな次男(池松壮亮)は、大学生になったが、お調子者で時々母親(原田美枝子)からお金をくすねている。
父親(長塚京三)は、仕事に熱中、家族を顧みなくなり、独立しついには借金が嵩み、長男に頼る情けない父親に成り下がっている。
かろうじて明るいお母さんを核にして、家族の心のつながりは維持されている。
まあ、よくある家族のパターンだ。
ところが、そんなある時、お母さんに脳腫瘍が発見され、余命一週間を宣告される。
その時から男たちは、お母さんのため<悪あがき>を始める。
この映画の見所は、場面場面での言葉のやり取りだ。
そのひと言ひと言が観る者の胸に突き刺さる。
ボクなどは身につまされて、身じろぎもできないほどだった。
家族はそれぞれを非難し、いがみ合いながらも、何とか家族の形態を維持しようと<悪あがき>とも言える努力をする。
そしてその<悪あがき>が奇跡を生み出す。
これこそ、<家族の力>なのだろう。
ある意味ボクにとってはショッキングな映画だった。